16. 密会

 どうしてお母様と先生がこんな時間に?


「相変わらず、君はバカだな」


「先生もね。それ、昔からの口癖だわ」


「ああ、そうだったね。僕はね、本当に手とり足取り君を看病したいんだよ」


「それ以上は言わないで。人に聞かれたら大変。噂が立ったら困るでしょ?」


 お父様は紳士クラブに出ていて、今夜は月に数回あるかないかの外出中。それを狙って、先生はお母様と会っているの?


 ……密会?


 まさかね。お母様はお父様一筋だし、先生がお父様の信頼を裏切るはずはない。きっと何か事情があるんだ。お母様は妊娠中だし、定期検診かもしれない。日中は忙しくて、こんな時間になっちゃったとか。ただそれだけ。


 そう思うのに、胸がもやもやする。なんで先生? なんでお母様? どうしてこの二人なの?


 二人の声が遠のき、遠くでドアが開閉する音が聞こえた。お母様が部屋を出ていったんだ。いつもはこの先の隠し戸から廊下に出る。でも今すぐ出たら、お母様と鉢合わせしてしまう。


 少しだけ待ってから、こっそり廊下に出る。もう誰もいない。不思議なことに、廊下にはお父様の香水の残り香が漂っている。もしかしたら、お父様も一緒だったのかしら?


 とにかく、誰にも見つからないうちに先生の部屋に入れてもらおう。いつものようにドアをノックすると、いつもはなかなか開かないドアがさっと開いた。


「どうした? 忘れ物?」


 笑顔でドアを開けた先生は、私を見て固まった。これはアレだ。私が来ることすっかり忘れてましたって顔。きっとお母様とのニアミスで驚いたんだ。


 事情を聞いてみたいけれど、それはダメに決まってる。もし言いたくないことだったら、きっと先生は困ってしまう。嘘をつかせてしまうかもしれない。


 それに、真実を聞く勇気もない。先生の口から、お母様のことを聞きたくない。


 これは女の勘。先生がずっと独身なのは、誰かに心を寄せているから。そして、それはたぶん先生だけの秘密。


「先生、勉強の約束、忘れてましたね? 入りますよ」


 ドアノブを持ったままの先生の腕の下をすり抜けて、私はさっさと中に入った。


「いや、覚えていたよ。ちょっと驚いただけだ」


「なんで私を見て驚くの? 幽霊だとでも思った?」


「どちらかというと精霊だな。ティナ、君はどんどん母上に似てきたね」


「父親似って言われますけど」


「うん、まあ、女の子は父親に似るものだけどね」


「お母様に生き写しなのはアレクセイ兄様。白磁の肌も銀髪も。私がお母様からもらったのは、この青い目だけだわ」


「それは色に惑わされているからだよ。王妃様が黒髪なら、君たちは見分けがつかないくらいにそっくりだ」


 私の髪はこの国では一般的なゆるいウェーブがかかった黒で、肌は日の光を吸収してしまうのか健康的な小麦色。それなのに、肉体派というわけでもなくて、お尻は大きいけど、胸はない。


 それに引き換え、お母様は絶対に日に焼けない真っ白な肌と、月の光を集めたようなストレートの銀髪。これは北の帝国出身の祖母譲りらしく、孫でそれを受け継いだのは次兄だけだった。彼は伯父であるその国の皇帝の養子になっている。


「アレクセイ様は、もうすぐ皇帝に即位されるそうだよ」


「ええっ! 十八になったばかりなのに?」


「もう立派な成人だし、義父の現皇帝が後ろ盾になるそうだ」


「知らなかったわ。先生、どこからそんな情報を?」


「現皇帝とは旧知だし、僕はアレクセイ様の主治医でもあるからね。定期的に診察に行っているのを、君も知っているだろう?」


「兄様、具合悪いんですか?」


「いや、そうじゃないよ。定期検診だ。国王陛下が心配されていてね」


「お父様は過保護だから。特に兄様はお母様に似て、あまり体が強くないし」


 そう言えば、先生は山程届くラブレターはそのまま処分するけれど、外国から届く手紙だけは部屋に持って帰る。あれは北の帝国からだったかもしれない。


「さあ、勉強するんだろう。テスト範囲を教えなさい。ヤマをかけてあげよう」


 テキストを読む先生から、いつもとは違う香水の匂いが漂ってきた。これって……。


「先生、香水変えた?」


「ああ、たまには気分を変えたいから。この匂いは好きかい?」


「いつものほうがいいわ。これは優しすぎる。先生には挑発的な香りのほうが合うと思う」


「はは。生意気な口をきくようになったね」


 お父様が愛用している香水。廊下に漂っていたのはこの香りだ。お母様から先生の香水の移り香がしたんだ。


 テキストを読む先生の横顔を見つめながら、私は生まれて初めて嫉妬の焔が自分の胸に立ったのを感じていた。同時に、お母様にも他の誰にも先生を渡したくないと、どんなことをしても私のほうを向かせたいと思った。


 そして、その思いは、先生の恋愛指南を受けるようになって、もっともっと強くなった。先生がお母様が好きだと知った後も、その気持ちは変わらない。


 私はもうずっと前から、先生を心から愛していたのだった。

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