5話 江月へ

 街の入り口を出たマナと緋媛。

 そこよりもう少し森の方へ歩くと、江月からの使者としてやってきた男女がいた。べたべたと男が女に抱きつこうとしているが、女は男の両手首を掴み、全力で拒否している。

 とはいえ夜中であるため暗くて良く見えず、マナには取っ組み合いをしているように見えていた。


 マナ達が近づくと、男は爽やかな笑みを浮かべて振り向いた。


「よっ、緋え――」


 言いかけている途中、緋媛は男の顔面を拳で殴った。地面にめりこんだ男の胸倉をつかんで起こした緋媛は、怒りで声を震わせている。


「あの野郎の名前使うんじゃねえよ、胸糞わりい……!」


「ルティスか? 他に思いつかなかったんだよ、悪いな」


 ヘラヘラと笑っているこの男、本当に使者として男なのだろうか。

 マナに疑問が浮かぶが、それより緋媛と顔が似ている事が気になった。もしや緋媛の身内なのだろうか、と。


 マナに気付いたルティスと名乗っていたその男は、彼女に軽い足取りで近寄りる。そして図々しくもマナの手をぎゅっと握った。

 一瞬、マナの肩が強張る。


「城で見た時と間近とだと全っ然違いますねー。すっげー可愛い。でも一番は俺のゼネだけど」


「あ、あの……」


 触れられた事で戸惑いを隠せないマナの瞳は金色。

 はっと気づいた男は慌てて彼女から離れた。この男、どうやらマナに触れると過去を見られてしまうという事を知っているらしい。という事は、連れの女――ゼネリアも知っているはずだと思い、マナが彼女の方へ視線をやると――


「……………」


 ただただ無言で男に冷たい視線を向けていた。

 冷たいのは視線だけでなく、その周りの空気もそう。急に冷えてきたと思ってもまるで雪が降ったような寒さだ。

 マナは羽織っているフードに包まり、ぶるりと震えた。


「悪いゼネ、つい……! もうしねーから、だから許して、な?」


 緋媛によく似た男がペコペコとゼネリアに平謝りすると、寒さが消えた。

 マナは、ゼネリアの視線が冷たい空気を生んだのだろうと思った。

 先日、兄であるマライアと食事を摂った日、マナはダイニングルームで少なからず場の空気が凍っているような気がしており、今のこの寒気もそれと似たようなものだろうと考える。


 それより、先ほど見えた男の過去から謁見の間に来ていた人物と同一と判ったが、実際に対面するのは初めてなので丁寧に挨拶をしなくては。


「ようこそレイトーマ王国へ、使者の方々。改めまして、私はレイトーマ王国第一王女、マナ・フール・レイトーマと申します」


「へえ、これはこれは丁寧にしていただいて。俺はりゅ……じゃねえ、江月の片桐緋倉と申します。先ほどは偽名を使い、姿を誤魔化して申し訳ございません。事情は、そこの殿に関係してたもんでして」


 にっこりとほほ笑む緋倉だが、緋媛に向けた口調は嫌味がたっぷりと込められている。

 いや、嫌味だろうか。からかっているようだ。自分から言えよ、と言わんばかりにほくそ笑んでいるのだから。

 マナが首を傾げて緋媛を見つめると、大きなため息をつきながら観念するように答えた。


「これ、俺の兄貴なんだよ」


「まあ、お兄様ですか! 道理でお顔がよく似てらっしゃると思いました。それにしても、何故御髪や御顔を変える必要があったのです? お兄様でしたら堂々と謁見されてもよろしかったのでは……」


 首を傾げて疑問を投げるマナ。

 緋媛は頭をかきながら答えた。


「あのな、俺はレイトーマ師団内じゃレイトーマ人って事になってんだ。江月の出だって知ってんのは先代国王、王妃とお前だけなんだよ。兄貴がその姿で来たら、俺達が兄弟だってすーぐバレちまう」


 言われてみればそうだと、マナはハッと気づいた。確かに緋媛が江月の民だと知られていれば、レイトーマ師団入る事は出来ない。師団には原則、レイトーマ人しか入隊できないのだから。

 しかし、亡き父と母が知った上で緋媛を入隊されたとすると、確かに納得がいく。


「そ、それはそうですね。それにしても変装がお上手なのですね……」と緋倉に声をかけた。


「ああ、それは――」


「話はいいから、さっさと行くぞ。雲行きが怪しい」


 緋倉が答えようとすると、長話に痺れを切らしたゼネリアが不機嫌そうに言い切った。

 だが、空を見上げると満天の星空。ゼネリアが言うような、怪しい雲行きは全くない。雨の一滴も降りそうにない。


 森の中へと歩を進めたゼネリアの後を、スボンのポケットに手を突っ込んだ緋倉が一歩下がるようにして歩き始めた。

 マナもその後を追うように駆け出すと、緋媛は彼女の耳に囁くようにこう言った。


「いいか、絶対に俺から離れんじゃねえぞ」



 歩き慣れない森の中を進んで行く事十五分。

 土の上で足を取られるマナの息が上がり始めた。あまりにも彼女の体力が無さすぎるので、マナの後ろを歩いている緋媛は適度に運動させておけばよかったと心から後悔した。


 すたすたと軽い足取りで先を行く緋倉とゼネリアは約五メートル先にいる。その緋倉は時々後ろにいるマナの様子を見、あまり離れないように気遣いをしているらしい。一歩の幅が狭く、遅くなっている。


(待たせるのは失礼ね。歩きづらとはいえ、追いつかないと)


 それにしても道なき道を進み、一体何があるのか。江月へマナを連れて行く為に人目に付かない場所を選んでいると考えられるが……。

 いや、そういう事にしておこう、とマナは首を横に振って土を踏みしめた。


 するとその時、先を行く緋倉とゼネリアの足が止まった。

 追いつくまで待ってくれるのだろうかという考えが頭を過った瞬間、「下がってろ!」という言葉と共に、血相を変えた緋媛がマナの前に立った。


 ガサッという音がするや否や、刀を持った黒服達に四方八方を囲まれたのだ――その数、約二十。

 顔は目だけ残して黒い布で覆い、月明かりでしか黒服達の場所がはっきりと判らない。


「その女を渡してもらおう」


 狙いはマナ。前も後ろも、右も左も黒服達がじりじりと彼女を狙っている。

 怯えているマナは、祈るように両手をきゅっと握った。


「渡せと言われて渡す馬鹿がいるかよ」


 と、文字通り馬鹿にした緋媛。その瞬間、黒服達は一斉にマナと緋媛に向かって飛びかかった。

 刀を抜き、目の前の敵を切り捨てる。

 マナを捕らえようと黒服数名が手を伸ばしており、振り向いた緋媛は瞬間的に彼女の背後へ回り、黒服達の腕を切り捨てた。


 緋媛の背中で視界が埋まっていたマナの瞳には、一瞬の瞬きで血と血に溺れる黒服の海が移った。

 一体、一瞬のうちに何が起きたのだろう。

 黒服達が呻き声を上げて苦しんでいる。少し先にいる緋倉は全く笑っておらず、ゼネリアのような冷たい目に緋媛のような鋭い目。そしてゼネリアは黒服の心臓を一突きで、その命を終わらせていた。


(何……? 何なの一体……!)


 自分が狙われて襲われたとはいえ、ここまで傷つける必要があったのだろうか。

 恐ろしくなったマナは腰を抜かし、ぺたりと地面に座り込んでしまった。


 その目の前で、緋倉は黒服の一人の胸倉を掴み、鋭い視線で睨みつけた。


「おい、誰に頼まれた」


 すると黒服達は一斉に、その問いに答える事なく自らの口を封じた。隠し持っていた短刀を心臓に突き立てて。

 目の前で起きた衝撃の出来事に息を飲んだマナは青ざめ、思わず両手で口元を覆った。

 ちっ、と舌打ちをした緋倉は、眉間に皺を寄せて刀を鞘に納めた。どうやら一旦は事態が収拾したらしい。

 周りをぐるっと見渡した緋倉は、ゼネリアに向かって仕方がないといった表情で声をかけた。


「あーあ、イゼル様に知られたら怒られるぞ、また」


 返事をせず、気まずそうに視線を逸らしたゼネリアは、ある人物を指さした。

 その先はぺたりと座り込んでカタカタと震えるマナだった。


 カタカタと震えるマナを確認した緋媛が近づき、彼女の前でしゃがむと「怪我してねえか?」と優しく声をかける。

 怪我はないが、黒服達を斬っていく緋媛達の姿が瞳に焼き付いている。月明かりのせいか、恐怖はより強い。

 それでも緋媛の声に安堵したマナは、緊張の糸がぷっつりと切れたようにボロボロと涙を流した。


「こ、怖かった」


 静かな森の中で、肉を斬る音や血が飛び散る音が鮮明に鼓膜に焼き付いたのだ。実際に目にしなかった事がせめてもの救いだろう。


 肩眉を上げて哀れに思った緋倉は、なかなか立ち上がれないマナの目の前――緋媛の隣へ行く。

 両手を出し、マナへにっこりとほほ笑んだ。


「姫さーん、こっち向いて」


 その声に、マナはふと緋倉の方を向く。

 通常は視界に相手の顔が移るだろう。ところがマナの瞳には緋媛と緋倉の顔は映らない。代わりに視界いっぱいに片手が見えたのだ。誰ものか分からず、一瞬マナの焦点が合わずにぼやける。

 するとその時、指からパチンという音が鳴った。


 何かのスイッチを切ったように、急に目の前が真っ暗になったマナ。

 緋媛は倒れる彼女の体を支え、思わず緋倉を睨みつけた。


「兄貴、てめえ何を……!」


「軽い暗示だよ。ってな」


 ***


 ――どれぐらい眠っただろう。何か嫌な事があった気がするが、思い出せない。そろどころか疲れが吹き飛ぶほどよく眠った気がする。

 瞼の向こうに明るさを感じ、つい深く嗅ぎたくなるような木々の匂いやどこか懐かしい匂いが鼻腔を通過する。


「えっほ、えっほ」


 マナの耳には、女の子の掛け声と共にパタパタと走る音が聞こえた。


「リーリ、姫は?」


「まだ寝てるー! ねえねえ、レイトーマのお姫様って可愛いね! リーリの方が可愛いけど♪」


 女の子の名前はリーリというらしい。高くて元気いっぱいな可愛らしい声をしている。

 レイトーマ城にそのような名のメイドはいただろうか。いや、いない。という事は新入りかもしれない。

 そんな思考が夢と現実の間で過っている中、マナはゆっくり目を覚ました。


「何よ、その目! 緋倉様はいっつも可愛いって言ってくれるもん!」


「あいつは雌ならガキから婆までそう言うんだよ」


 視界いっぱいに広がる天井は、レイトーマ城の自室の白い天井ではない。茶色い木造のものだ。

 体を起こそうとし、ベッドに手を付ける――が、ベッドではない。床に直接敷かれている。これは布団だ。

 近年、床に布団を敷いて体を休める事が流行りになっていると、数ヵ月前にメイドから聞いたマナ。ここもその流行に乗っているのだろうか。

 と、思いきや布団は床ではなく畳の上に敷かれている事に気付く。どこか懐かしい匂いは、この畳の匂いだったのだ。

 十歳を境に城から出た事がなかったマナは、僅かならも感動を覚えた。


「あ、お姫様起きた!」


 周りを見渡したマナは廊下にいる黒の着流しを着た緋媛と、ツインテールで桃色の着物を着たリーリを見つけたのだが、それよりも興味は視界に広がる見慣れぬ景色にある。

 ここは木造建てのようで床の間がある和室らしい。特にこれといった物は置かれていないが、和室と廊下を隔てている襖には、龍の絵が描かれている。


「素敵……!」


 廊下から更にその先には庭があり、大きな木に鮮やかな緑の葉が生っている。どうやらこの庭、廊下で囲まれているようだ。差し込む日差しが暖かく気持ちよさそうに見える。


 部屋から出てみようと立ち上がると、着ている服が違う事に気付いた。

 城を抜け出す為に来ていたメイド服ではない。灰色の薄い布を巻き、太い布で腰回りを縛っている。だ。

 ふわりとしたワンピースドレスを着ていたマナは少々窮屈かと思ったが、案外そうではない。

 感動と歓喜に溢れたマナは、ここでようやく緋媛の方を向く。


「緋媛! 見てください緋媛! 着物です! 初めて着ました! 似合いますか?」


 頬を桃色に染めてクルクルと回っているマナに、緋媛は少々呆れた顔をして言った。


「着物には違いねえけどそれ、っていうんだよ」


 湯気が立つほど真っ赤な顔になったマナは、恥ずかしさで目が点になった。

 しかし緋媛の姿を見るともっと赤くなり、今度は目が真ん丸になる。緋媛の着流し姿が新鮮で、興奮してしまったのだ。


 廊下にいた小柄なリーリ――リーリ・クロイル十歳――はマナのもとへ駆け寄り、下から彼女の顔を覗き込む。ようやく黄色い髪のリーリに気付いたマナは、「こんにちは」と身を屈めて挨拶をした。

 そのリーリ、マナに全く返事もせず自身の興味のあった事を口に出したのだ。


「お姫様の顔真っ赤っかで面白ーい! ……あれ、でもお姫様の目の色が金じゃない。あっ、そっか! 触ればいいんだ!」


 と、リーリがマナの手を掴み、マナの金の瞳を見たいが為に目をキラキラ輝かせて見つめた。


 過去が見えてしまう――。すぐに手を振り払おうとしたマナの瞳が金色に変わった。

 リーリの過去の一部が見えてしまったのだが、それは悲しいもの。

 楽しそうに家事をしているその裏で、遊ぼうと同年代の子供を誘っても相手にされなかった過去だったのだ。


(この子、こんなに辛い想いをしているのに、どうしてこんなに笑顔でいられるの?)


 初対面のリーリに笑って接したくても、その過去を見てしまった今は笑顔など作れない。

 複雑な感情が入り混じったマナは困り果ててしまう。


 その様子を察した緋媛は、リーリの両脇を抱えてマナから引き剥がした。


「いい加減離れろ! 姫が困ってんだろ!」


「あーっ! 何すんの! もっと金の瞳見たかったのにー! 緋媛の馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ー!!」


 と、その緋媛から逃れようとバタバタと暴れるリーリ。

 これ以上辛い過去を見ずに済んだと、マナはほっと胸をなでおろした。

 すると――


「姫は起きたらしいな」


 その声と共に、赤紙で紺色の着流しを着た穏やかな表情をした男が部屋に入ってきた。


「あっ、イゼル様!」


 腕組みをしているその男の名はイゼル・メガルタ。

 彼こそが、この世界でなのだ。




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