4話 深夜の脱出

 マライアとの口論の後、マナは赦しが出るまで「部屋から出るな」と命じられた。

 ドアノブに手を掛けてガチャガチャと動かすが、外から鍵を掛けられたらしく、中から開ける事が出来ない。

 もしやこの扉の向こうで背を向けるようにで護衛の緋媛がいるかもしれないと思い、「緋媛、緋媛!」と名を呼ぶ。しかし、反応は全くない。


(どうしよう、江月の方々に連れて行って下さいと言ったのに……)


 焦るマナは、部屋をうろうろと往復しながらどう脱出するか考える。

 外に出る方法は、外から誰か開けてくれる事を待つか、窓から飛び降りる二択しかない。今緋媛がいない以上、前者の希望はないので実行するならば後者だろう。


 上下に可動する部屋の窓をカタンと上に上げて開け、身を乗り出して部屋と地面までの高さを確認した。マナのいる部屋は三階にあり、とても飛び降りる事の出来る高さではない。だがよく見ると、真下には生け垣も芝生もある。上手く生垣に降りる事が出来れば、擦り傷程度で済むかもしれない。

 と、考えたものの、怪我は負いたくない上に外の見張り兵士が数名立っている。これでは飛び降りた所で見つかってしまうだろう。ここでマナは思い出す。夜になると見張りの兵士は二名体制で城をぐるぐると回って警備すると、緋媛から聞いた事があると。ならば日が落ちてから動いた方が良さそうだ。


 こんな考えが甘いという事は解っているマナだが、行動しなくては始まらないとバクバクと動く心臓の音を聞きながら決意し、窓を閉めた。



 窓の外が暗くなり、実行する時が来た。

 食事を終えたマナは、食器を下げに来たメイドの一人に幾つか尋ねた。


「緋媛の姿が見えませんが、今どこにいるのでしょう」


「私達も存じておりませんが、恐らく本日の謁見に関する会議が長引いているのかと……」


 会議があるなど、緋媛は一言も言っていなかった。昼間、マナを部屋に送り届けた後、何も言わずに去ってしまったのだから。会議の内容も気になるが、それより今は脱出の事を考えなくては。


「お願いがあります。私をこっそりこの部屋から連れ出してくださいませんか?」


「そ、それは……!……申し訳ございません。国王陛下のご命令ですので」


 丁寧に頭を下げるメイドの表情は、マナを出したい気持ちと国王の命令で葛藤している様子が窺える。口に出さずとも心だけは味方だと察したマナは「そうですか」と微笑を浮かべ、部屋から出ていくメイドを見送った。


 それから数時間後、城内が静まり返った頃。

 再び窓を開けたマナは、心臓をばくばくとさせながらも冷静に周りを見ていく。

 緋媛から聞いた通り、やはり見張りは時々通るだけのようだ。これならば城を抜け出しても気づかれないはず。

 これから飛び降りるのだと思うと、急に怖くなってきた。もしかすると擦り傷だけでは済まないかもしれない、きっと怪我をするだろう。そうなると騒ぎになってしまい、護衛の緋媛にまで迷惑が掛かってしまう。

 やはり浅はかな考えだったのだろうか。諦めかけたその時、各階の部屋の壁に足を掛けられるスペースがある事に気づいた。これなればゆっくり足場に足をかけて降りて行けば、きっと地面に着くだろう。


 ドレスの裾を縛り、窓に腰をかけ、そーっと足場に降りた。

 ――高い。脚が震えて動けない。戻ることも降りる事も出来ず、マナは泣きそうになった。


「ひ、緋媛……」


 助けて、と思ったその時、何者かに腕をぐいっと引っ張られた。それは焦りの色を浮かべた緋媛。

 強い力で部屋の中へ引き込まれると、彼の腕の中にすっぽりと収まった。緋媛の胸に耳が当たり、速い心臓の鼓動が聞こえる。


「このバカ姫! 何してんだてめえ! 飛び降りたかと思ったじゃねえか!」


「こ、怖かった‥‥…」


 瞳を金色に輝かせながら涙が浮かんでいるマナは、余程怖かったのだろう、ぎゅっと緋媛を抱きしめた。

 これに緋媛は、反射的にマナを突き飛ばしてしまう。彼の角度からはマナの瞳が見えなかったものの、『触れている』ので過去が見られてしまっているのではないかと、瞬間的に頭を過ったのだ。

 ――まだ、自分の正体を知られる訳にはいかない。


 突き飛ばされた事で床に体を打ったマナは、緋媛の顔を見るなり頬を赤く染め、慌てて脚を隠した。母である亡き先代王妃より「男性の前で脚を出す事は、はしたない事ですよ」と教わっていたのだ。

 そんな彼女の瞳はもう元の青色がかった灰色に戻っている。触れた者の過去を見てしまう能力は、瞳の変化に現れる為分かりやすい。「やはり一瞬だけか」と緋媛は安堵した。


「すみません、どうしてもここを出たくて……」と反省の色を浮かべるマナに、


「いや、俺も悪かった、つい……」と頬をかきながら答える緋媛だが、まだ心臓の鼓動は速い。


 過去を見られたのだ、冷静になれ、冷静になれと呪文のように心の中で唱えながら深呼吸をした緋媛は、部屋の入口へ戻ると床にくしゃくしゃになって放置された服――マナを助ける為に手に持っていた服を放り投げた――を拾い上げた。

 すっとマナの前に出す緋媛。何かと手に取ったマナは、それが毎日目にしているメイド服だと気付いた。

 ――これが何なのだろう。マナの頭に疑問符が浮かぶ。緋媛は呆れたため息をついてこう言った。


「着替えろ。城抜け出すんだろ? 手伝ってやる」


「……はいっ!」


 ずっと部屋に顔を出さなかったのは、会議だけでなく、この服の調達をしていたからかも知れない。マナは緋媛が自分の事を考えてくれたのだと、涙目になって喜んだ。


 マナが着替えをする為、緋媛は静かに部屋を出た。その背中を見送ったマナは、自分の部屋に鍵を掛けられた事を確認すると、真っ赤になりながら困惑して着替え始めた。

 何故困惑しているかというと、緋媛の腕の中に収まった時に触れた肉体があまりにも筋肉質であった為。父である先代国王の腕の中はあまり覚えておらず、異性の体の事など知らないマナにとっては何とも照れくさい体験だったのだ。

 着替え終わったマナは、ベッドの上にころんと横になった。ふかふかの枕を抱きしめて、再び思い返す。緋媛はただの筋肉質ではなく、鍛えられて引き締まっているのだ。枕のように柔らかくない。


 そんな温もりを忘れられないマナだったが、「そういえば……」と、その時見えた事も頭に浮かぶ。そう、緋媛に触れられていた間に見た過去の事を――


(お父様と緋媛は何を話していたのかしら。それにあの書面は何?)


 マナが見た緋媛の過去は、亡き父であり先代国王のマクトル・キール・レイトーマと何度も談話していた事。それも親し気にしていたのだった。特別師団長とはいえ、一国の王と兵士ではそれなりの身分での距離があるはずなのだが、それが皆無のように思える。まるで対等だったのだ。

 更には十年前だというのに緋媛の姿は現在と全く変わらない。十年経っても変わらない人もいるので、緋媛はその類なのだろうとマナは思った。


 そうして父の事を思い出したマナの瞳から、急に涙が流れてきた。


「お父様、お母様……」


 彼女の両親は亡くなっている。

 マナが十歳の頃、緋媛と共に城下へ遊びに行っている時に侵入者に殺されたという。その時の侵入者はまだ捕まっていない。弟の第二王子であるマトもその時から行方不明、後に亡くなったと聞かされていた。その両親の姿を、緋媛の過去の中で見る事が出来、嬉しさと寂しさで涙が出てきたのだった。



 それから数時間が経過した。

 城内の見張りの数が減り、音を立てると響く程静かになった頃、黒いフードを持った緋媛はマナの部屋のドアを小さくノックした。……が、反応がない。

 鍵を開けてそーっと中へ入ると、疲れたのかそのままベッドで寝息を立てているマナがいた。顔には涙の跡が付いている。


 ベッドに腰かけた緋媛は「抜け出す気だったくせに寝てんじゃねえよ」と呆れ顔だ。

 マナには起きて貰わないと困るが、安易に手で触れてしまうとまた過去を覗かれてしまう。それを避ける為に、刀の柄でツンツンとマナを突いた。


「おい、さっさと起きろ」


 緋媛の声にはっと気づいたマナは、むくりと起き上がって辺りをきょろきょろと見渡した。窓から差し込む月明かりで部屋が照らされ、ベッドに腰かけている呆れた緋媛の表情が視界に入ると慌てて謝った。


「ごめんなさい、寝てしまって……」


「いいから、これ被ってろ」


 緋媛がマナに黒いフードを渡す。これを被って身を隠し、城から抜け出そうという魂胆らしい。

 頭からフードを被ったマナは、顔が見えないように深く身を隠した。一応、寒がりメイドが布をストールを巻いているようにも見える。


 ――脱出の時間だ。

 音を立てないようにマナの部屋の扉を開けた緋媛は、彼女を廊下に出すとそっと部屋の鍵を閉める。翌朝、開けていないのにマナがいないと思わせる為だ。

 廊下には見張りの兵士がいない。どうやら寝静まっているらしい。そろりそろりと、足音を立てないようにゆっくり歩き始めた。「やってはいけない事をしてるみたい」と思うマナは、内心面白がっていたのかもしれない。子供の遊びをしているような気がしたのだ。


 見張りに気を付けながらゆっくりと階段を下りていき、二階から一階にたどり着くその時、ばったりと師団長に遭遇してしまった。


「あれ? どうしたのネ、緋媛。もう寝る時間なのネ」


 それはレイトーマ師団第一師団長アックス・レッスク。三角帽を被って、左手に大好きなぬいぐるみを抱きながら目を擦っている。大きなあくびをしたアックスは黒いフード――メイド服のマナ――を見るなり、「それ誰なのネ?」と緋媛に問うた。


「具合悪いって俺のとこに来てな、夜風に当たらせてやろうと思ったんだよ。外の空気吸えば大分楽になるだろ?」


 誰なのかとマナの頭の上から下までをじーっくりと眺めたアックスの眼に、メイドの履いているスカートが入った。むっとやや機嫌を悪くしたアックスは、「モテ男は大変なのネ」と吐き捨て、のっしのしと二階へ上って行った。

 どうやらマナだと気付いていないらしい。マナから安堵のため息が漏れる。


 その後、見張りの兵士二人と遭遇したが、同じ理由を付けて城外で出る事に成功した。

 城から暫く離れ、街の中の大通りにある建物の間に着いたマナと緋媛。追手がいない事を確認したマナはくすくすと笑い出した。その理由を緋媛が問うと、マナはこう答えた。


「この国の王女である私が城から抜け出すという大問題を起こしたのですよ。いけない事ですけど、その危機感が楽しかった……。まだ、少し興奮しています」


「あー、はいはい」


 そんなマナの心境など分からず、冷たくあしらう緋媛。

 それよりも気になるのは静かな街の中。

 レイトーマは食の品質が高い国であり、レストラン等の食事処や酒場が多い。マライアが国王となってからは食事処はめっきりと減ってしまったが、酒場は衰え知らず。それは民衆の「飲まずにやってられっか!」という心理があるらしい。そんな酒場で朝まで騒いでいる珍客も少なくないので、酒場のほとんどが店を閉めているこの街の様子に緋媛は「おかしい」と怪しんでいたのだ。

 とはいえ、酒の匂いが充満している。更には人が少ないのは好都合。人が多いとその分マナに気付く民が増えてしまうのだから。


「今のうちに街から出るぞ。そこに昨日来た使者の奴らがいる」


 こくんと頷いたマナは、緋媛の後を付いて行くように歩を進めた。いよいよ他国へ行き、歴史を探る事が出来るのだと、心を躍らせて――。



 そのマナの様子を別の建物の隙間から見守る男がいた。どこか愛しそうに、懐かしそうに、彼女の背中を見送っていたのだった――。


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