第二話その2「キスするたびに好きって言って」

 翌日の四月二三日、日曜日。蓮華さんは昼過ぎに姫宮のお屋敷へとやってきた。姫宮のお屋敷はちょっとした丘の上に位置しており、人が行き来する正門の階段とは別に自動車用の坂道もある。蓮華さんはそれをバイクで上ってお屋敷前に姿を現した。


「こんにちは! ずっと待ってたわ!」


「こんにちは、遅くなってごめん」


 にこやかに笑うわたしに笑みを返す蓮華さん。今日もいい天気で暑いくらいの陽気で、蓮華さんはライダースーツの上を脱いだ――ふむ。昨日の着古したTシャツとは違ってなんかブランドものっぽい、真新しいTシャツだ。午前中のうちに買ってきたものかもしれない。無精ひげもきれいに剃られて髪もさっぱりと整えられていて、これも午前中に散髪してきたのだろう。後ろ髪の、ゴムでくくった尻尾が残ったままなのだが、本人的にはおしゃれポイントのつもりなのかもしれない……いや、まあ、うん。そういう間の抜けたところが一つや二つあっても愛嬌というものじゃないかな?


「……それにしても。今時メイドさんがいるんだから予想できたことだけど」


「何?」


 日本庭園までやってきた蓮華さんが周囲を見回し、お屋敷を見上げて感嘆する。


「君の家ってとんでもないお金持ちなんだね」


 まあね、とわたしは偉そうに胸を張った。


「姫宮家は千年の歴史を持つ名家で、県下最大財閥のオーナーでもあります」


「そしてわたしは『大歳の巫女』。神様から未来のことを神託で教えてもらって、グループを導いているのよ」


 大威張りのわたしに蓮華さんは「そうなんだ」と笑っている。


「あ、信じてないな」


「いや、そういうわけじゃ……」


「それなら何か、神託で未来のことを見てみるね」


 わたしは目を瞑って指を組み、おごそかな表情を作った。そしてわたしの口から神々のおわす天上へと祈りを届ける祝詞が――


「ぴーごろごろごろ、びこーんびこーんびこーん、ぴーがー」


「ダイヤルアップ接続!?」


「……接続しました。今電子メールを受信中」


「神託ってメールで来るんだ」


「件名『夫がオオアリクイに殺されて一年が経ちました』」


「何そのメール!?」


「これはただのスパムだから削除」


「えー、中身がすごく気になるのに」


「こっちね……それでは神託を授けます――ずっと先となりますが、ファーストガンダムの新作劇場版が制作されます。監督は安彦良和」


「おー、それは楽しみだ。どんな内容になるんですか?」


「『ククルス・ドアンの島』のリメイクです」


「よりによってあれ?!」


「鼻の長いザクもそのまま再現されます」


「そこにこだわるの?!」


 蓮華さんはわたしの神託にひとしきり笑った……ただの冗談だと思っているみたいだけど「大歳の巫女」の本物の神託なんだけどね、これ。


「ああ、約束のこれ」


 と蓮華さんが取り出したのは何十枚もの写真、昨日蓮華さんが取材で撮影した写真の数々だ。漫画の背景で使えそうな建物とかの写真が多いけど、単に撮りたかったから撮ったというきれいな空や海の風景写真も含まれている。そして、わたしのポートレート。


「一番よく撮れたのを大きくプリントした。どうかな」


 照れたように言う蓮華さん。わたしとエイラはその写真に見入っている――物憂げな表情で海を眺める、白いワンピースと麦わら帽子の美少女。モデルも構図も、全てが完璧な奇跡の一枚だ。まるで伊青蓮華の漫画に出てくるヒロインをそのまま実写にしたかと思うくらいに出来過ぎで、アイドルの写真集にだってここまで完璧な写真は載ってないに違いない。


「蓮華さん、カメラマンでもやっていけるんじゃない?」


「いや九分九厘モデルの力だから。それに同じ写真はもう二度と撮れないよ」


「んー、わたしも同じ顔をしろって言われてもまず無理ね」


 ……あのときひたすら考えていたのが男の子種のことだったのを、この場でわざわざ明らかにしても誰の得にもならないだろうなぁ。うん、黙っているべきだよね。

 その後は昨日の続きで漫画の話をし、好きなアニメの話となり、とりとめのない話となり。また、


「こういう古い日本家屋って味わいがあっていいよね。漫画で使おうかな」


 と言うのでお屋敷の中を案内し、蓮華さんは写真を撮って回った。

 姫宮のお屋敷は戦前の建物で、補修や増改築をくり返して今日に至っている。建物部分だけで何百坪にもなり、何のために使うのかよく判らない部屋が無数にあった。今日初めて入った部屋がいくつもあったくらいだ。わたしとエイラが生活するのに使っているのは全体の中のごく一部だけ。それ以外の箇所は普段は閉め切り、定期的にハウスクリーニングの業者さんに手入れをしてもらっている。またグループの警備会社に委託して防犯カメラや赤外線センサーでの警備もしていて、エイラと二人でも不用心ということはなかった。

 蓮華さんが建物だけじゃなくわたしの写真も撮りたがったので「どうせなら」と海までやってきた。今日も天気が良く空は夏のように青く、絶好の写真日和だ。


「とりあえず、こんな感じ?」


 防波堤の上に飛び乗ったわたしがくるりと一回転。スカートがふわりと大きく浮かび、彼の位置からならぱんつもばっちり見えたに違いない。実際彼は困った顔で目を逸らしている。


「撮らなかったの?」


「あー、えー、砂浜に行こうか」


 蓮華さんがごまかすように言い、わたし達は砂浜へと降りて波打ち際に近付いた。我慢できなくなったわたしはサンダルを脱ぎ捨てて素足で海に入っていく。


「あはは、冷たい!」


 スカートをたくし上げたわたしはさらに海へと入り、大きな波が服を濡らしそうになったので慌てて逃げた。振り返ると蓮華さんが夢中でシャッターを切っているので、「てい!」と水を蹴って彼にかける。


「うわ、カメラが濡れる!」


 と逃げようとするので面白くなり、さらに水をかけるわたし。もちろんわたしも海水で濡れまくるんだど構いはしない。それで服が貼り付いて身体のラインがくっきり出ても服が透けて下着が見えても、むしろ計算通り! ついわたしに見とれてしまった彼が水をまともに浴びてずぶ濡れとなり、わたしは大笑いした。

 ……そうして楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、気が付けば日はとっくに暮れていた。


「晩ご飯食べていったら? 泊っていったら?」


 とわたしは引き留めたのだが、エイラがずっと「さっさと帰れ」という顔をしていて蓮華さんも遠慮したのである。わたしは別れを惜しんで駐車場まで送っていった。蓮華さんがバイクにまたがってエンジンをかける。……こーして見るとバイク格好いいなー。


「バイクで走るのってやっぱり気持ちいいの?」


「そりゃもちろん。海沿いの道を飛ばすのとか最高だよ」


「――やってみたい!」


 思い立ったが吉日とわたしは蓮華さんの後ろにまたがり、


「さあ、早く早く!」


「それはデパートの屋上に置いてある、百円入れたら動き出す遊具じゃありません」


 エイラの言葉に頬を膨らませるわたし。でも蓮華さんも困った顔をしてわたしをなだめるように、


「その格好でヘルメットもなしじゃ危なすぎるよ。それにもうこんな時間だし」


「じゃあヘルメットを用意してちゃんとした格好をして、昼間なら構わないわけね?」


「それはもちろん……」


「用意するから、明日はツーリングね!」


 え、と戸惑う蓮華さんだけどわたしは笑顔でそれを押し切ってしまう。こうしてわたしは明日も会う約束を取り付けた。そして翌日、わたしは蓮華さんとツーリングに出掛けた。

 午前中のうち蓮華さんがやってきて国道沿いのバイクショップに一緒に行って、ヘルメットやライダースーツを購入。少し早いお昼ご飯を食べてからタンデムでツーリングに出発だ。

 タンデムで高速は走れないし(註・高速道路でのバイクの二人乗りが条件付きで可能となったのは二〇〇五年から)出発した時間がちょっと遅かったのであまり遠出はできず、比較的近い場所をのんびりと走っただけである。北に向かって下道を約一時間半走って、蓮華さんお気に入りの海岸沿いのツーリングコースへ。その途中の海水浴場の駐車場にバイクを停めて休憩する。


「はい、どうぞ」


「ありがと」


 わたし達はコンクリートの防波堤に横に並んで腰を下ろして、蓮華さんが自販機で買ってきた飲物で喉を潤した。そしてそのまま、砂浜と海を眺める。わたしは身体を蓮華さんに預けるようにし、その肩に頭を乗せ、そのぬくもりに目を細めた。蓮華さんが恥ずかしがってか離れようとするけど、知らなかったのか? 「大歳の巫女」からは逃げられない! 離れたところでその分距離を詰めるだけのこと! その結果わたしはおしくらまんじゅうをするみたいに蓮華さんに身体を押し付ける形となった。大きなおっぱいも抱え込んだその腕に押し潰されている。


「……あの、姫宮さん?」


「何? 蓮ちゃん」


 甘い声でささやくようにその名を呼ぶわたし。蓮ちゃん?と彼はちょっと動揺している。


「だめ?」


「いやだめじゃないけど」


「わたしも名前で呼んでくれなきゃいや」


「いぃぇえ?」


 と困惑する蓮ちゃんだけどわたしは大きな瞳でじっと見つめ、無言のままプレッシャーをかけた。それに負けたのか、


「……ええっと、百佳さん」


「はい四〇点。もう少し頑張りましょう」


「えー……。ええっと、百佳ちゃん?」


「うーん、五八点。もう一声!」


「ええっと……ももちゃん」


「うーん七三点、おまけで合格にしといてあげる」


「ああ、うん。ありがとう」


 安堵して大きく息を吐く蓮ちゃんだけど、ふふふ……安心するのはまだ早いのだ。わたしは口を閉ざし、目を大きく見開き、じーっと蓮ちゃんの横顔を見つめた。ただひたすら、訴えるように、じいいいいぃぃぃぃっっと見つめ続ける。


「……あの、ももちゃん?」


「何? 蓮ちゃん」


 恥ずかしいからあまり見ないでほしいとか思っているんだろうけど、おあいにくさま! 目を閉じてほしいならわたしが求めていることを理解しろ! もう判っているんでしょ? あとは行動に移すだけ、さあ!


「……そ、そろそろ帰ろうか」


 でも結局、蓮ちゃんは何もせずにそんな言葉を口にした。わたしに背を向け、防波堤から降りる蓮ちゃん。わたしはその背中に、


「――いくじなし」


 蓮ちゃんは膝から崩れ落ちそうになったけど何とか踏みとどまった。バイクの運転もちょっと危なっかしく思えるところがあったけど特に事故を起こすこともなく姫宮のお屋敷に戻ってくる。そして、


「お疲れさま、今日も楽しかったよ」


「うん! わたしもすっごく楽しかった――でも落第」


 わたしの通告に蓮ちゃんは笑顔のまま凍り付いた。わたしは重ねて、


「しょうがないから追試をします! 明日も会える?」


「ええっと、ああうん。大丈夫、問題ないよ」


「それじゃまた明日! 今度こそ頑張ってね!」


「な、なにを……ええっと、がんばります」


 そうして蓮ちゃんのバイクは走り去っていく。なんかちょっとふらふらしていて心配だったけど、翌日普通にやってきてわたしは安心した。

 この日もタンデムでツーリングをし――結局蓮ちゃんは追試にも落第しました。






 四月二五日の夕方。ツーリングを終えて姫宮のお屋敷に戻ってきたわたしと蓮ちゃんを、エイラが出迎えた。


「お嬢様、二八日のことですが」


「誕生日? 当然蓮ちゃんに誘われているけど?」


 四月二八日はわたしの一六歳の誕生日。決戦は金曜日!とわたしも蓮ちゃんもこの日に照準を定め、色々と準備しているところである。


「それはキャンセルしてください。この日の夜にお見合いをします」


「お見合い? 全部断っといてって言ったじゃない」


「あいにくとそういうわけにもいきません。わたし達も、お嬢様に幸せな結婚をしてほしいと吟味に吟味を重ね、この方を選んだのです」


 エイラが釣書を差し出し、わたしがそれを払いのける。地面に落ちた釣書を放置したまま、わたしとエイラはにらみ合った。わたしの怒気に対してエイラも一歩も退かない姿勢だ。わたしの中で疑問が膨らんでいくけどそれが怒りを上回ることはなかった。

 わたしとエイラの対峙は思いがけないほど長い時間続く。その横で蓮ちゃんはどうしていいか判らずうろたえるばかりだ。気まずい立場をごまかすように彼は地面の釣書を拾い上げた。


「伊青様、それをご覧いただけますか?」


「え? はい」


 言われるままに蓮ちゃんはそれを開き、わたしは横からのぞき込んだ。最初の頁に載っているのは大きなお見合い写真、そこに写っているのは爽やかな笑顔の好青年だ。


「京極高彦、京極グループの御曹司です。今年三月に京都大学を卒業、現在はグループ会社に入社し一社員として研修中。学生時代は柔道部に所属し、インカレ出場の実績もあります」


 インカレに出場――う、ちょっとだけ心が揺らいでしまった。蓮ちゃんの顔を盗み見ると、悔しさ半分悲しさ半分だけど悲しさの方が勝っているように感じられる。でも、金沢美術工芸大学卒も充分自慢できる学歴だし、高校生から商業デビューして漫画家として活躍って経歴は誰にも負けてないと思うよ!


「でも今はどうですか? 連載を持っていない漫画家なんてただの無職でしょう」


 会心の一撃を食らった蓮ちゃんが膝を屈し、両掌を地面に突いて失意体前屈となった。その姿勢のまま声と身体を震わせて、


「い、いまは充電中で準備中……連載の予定はあるから」


「蓮ちゃんは未来の大ヒット漫画家だから! 次は打ち切りだけどその次で!」


 蓮ちゃんの肘が折れて地面に突っ伏してしまった。……あれ? 「大歳の巫女」として蓮ちゃんの大ヒットを保証したつもりだったんだけど。言い方間違えた?

 わたしは蓮ちゃんの手を引いて何とか立たせるけどその身体はぐらぐらとし、そよ風でも倒れそうに思われた。エイラはその彼に向かい、深々と頭を下げる。


「お嬢様の我がままに時間を取らせてしまい、申し訳ありません。ですが、お嬢様の幸せを考えるならどうかここでお引き取りを。これ以上の良縁はそうはありません」


「何が良縁よ。そんなにいい相手ならエイラがお見合いすればいいじゃない!」


「優先して考えるべきはわたしよりもお嬢様の幸せです」


「わたしの幸せ? 考えてるのは家とグループの利益だけじゃないの?」


「わたし達は全てを考慮に入れて総合的に判断しました。この方こそ姫宮とグループを盛り上げ、ひいてはお嬢様を幸せにできると確信しています」


「家もグループもどうでもいいわよ! わたしの幸せは――」


 わたしは満腔の期待を込めて蓮ちゃんの横顔を見つめた。でも彼は悲しげに目を伏せるだけだ。


「蓮ちゃん……」


 わたしがその名を呼んでも何も言わない。何もしようとしない。わたしの目から涙がこぼれそうになった。


「……ごめん」


 蓮ちゃんはそれだけを言ってバイクで走り去っていく。わたしは涙でにじむテールランプを見送ることしかできなかった。

翌日、翌々日と蓮ちゃんがやってくることはなかった。そして二七日の夜。


「……もしもし」


 わたしは蓮ちゃんにケータイから電話をする。正確には携帯電話じゃなくPHSと言うそうだけど、何が違うんだろうか? ……いや、そんなことはどうでもよかった。なお蓮ちゃんはケータイもPHSもまだ持っていないのでかけた先は固定電話だ。


『ももちゃん……ごめん。僕は』


「お見合いは明日の夜の七時から」


 わたしは言うべきことを一方的に言う。


「六時には家を出るから――待ってるね」


 それだけを言って通話を終えて、「よし」と気合を入れて決然と顔を上げる。伝えるべきことは伝えた。後はもう、蓮ちゃんが期待に応えてくれることを信じるしかなかった。

 そして四月二八日。わたしの一六歳の誕生日で、決戦の金曜日。

 朝一番に美容院に行って髪を整え、お風呂に入って玉の肌を磨き上げ、勝負下着を選りすぐり、エイラの用意した服に袖を通す。それはわたしの好みに合わせた白いワンピースで、首元が大きく開き、肩が柔らかく膨らんでいる。フリルやリボンで飾られたそれはブランド物のドレスで、さらにはオーダーメイド。何十万もするそれを着ているだけでいかにも決戦!という気分となり、気持ちが高揚してくる。でもわたしはダイニングテーブルの自分の席に着き、目を瞑って静かにそのときを待っていた。期待と不安が心の水面をかき乱すけど内心で「明鏡止水」とくり返し、それを鎮めることに努める。そこに、


「お嬢様、そろそろお時間です」


「判ってる」


 エイラに声をかけられ、わたしはお屋敷を出て駐車場へと向かった。時刻は午後五時五九分。駐車場にやってくる頃には時刻は六時ちょうどとなり、そこにはリムジンが待っている。運転手さんがドアを開け――わたしはその前で立ち尽くした。

 何かを待つようにただ突っ立っているだけのわたしに運転手さんが困った顔をするけど、知ったことじゃない。時計の針が六時一分となり――爆音を上げてバイクが乗り込んできた。バイクは猛スピードで突っ込んできてわたしのすぐ横で旋回しながら急停止。タイヤが悲鳴と白い煙を上げている。


「ごめん! 遅くなった!」


「ううん!」


 ヘルメットを外しながらそう言うのはわたしの王子様、蓮ちゃんだ。わたしは蓮ちゃんから受け取ったヘルメットをかぶり、バイクに横座りとなって蓮ちゃんの胴体にしがみつく。バイクはウイリーをしそうな勢いで加速、そのまま坂道を降りて車道に出、風となって疾走した。

 バイクは夕陽に赤く染まる県道を走り抜ける。田舎道なので他に自動車はなく、森の中の気持ちいい道を独り占めだ。風は冷たいけど蓮ちゃんの背中は暖かで、わたしは全てをそこに預ける。なんだかこの世界がわたしと蓮ちゃんの二人だけになったみたいで、こんな時間がいつまでも続けばいい。この道が地平線の彼方まで続いていればいいと思う。


「蓮ちゃん、そこ曲がって」


「判った」


 でも、最初の目的地にやってきたのはほんの一〇分足らずのことだった。道を曲がり、田んぼの間を走り、森の中を抜けてやってきたのは大歳寺市にいくつかある海水浴場の一つだ。シーズンはまだまだ先のことで人影はない。バイクを降りたわたしと蓮ちゃんは砂浜へと向かっていた。正確には、駐車場の片隅の資材置き場に用事があるのだが――


「ももちゃん」


「なに?」


 蓮ちゃんに呼び止められて振り返るわたし。蓮ちゃんは初めて見るくらいに真剣な顔をしていて、自然とわたしも真顔となった。真横となった夕陽がわたし達を赤く照らしている。


「ごめん」


 蓮ちゃんがまず深々と頭を下げ、わたしは「なにが?」と問う。


「こんな非常識な真似をして、君と君の家にはとんでもない迷惑をかけることになる。僕にもっと力があれば、僕がもっと賢ければ、僕がもっと大人なら、もっとマシな方法を選べたんじゃないかって……でも、僕は冴えたやり方を何も思いつけなくて、大人になり切れない子供で、こんな方法しか選べなかった」


「でも蓮ちゃんは来てくれた」


「そりゃ、待ってるって言ってくれたから」


「――っ!」


 感極まったわたしが蓮ちゃんの胸の中に飛び込み、彼はそれをしっかりと受け止めた。顔を上げれば蓮ちゃんの顔はすぐそこで、唇は触れんばかりで、その唇がわたしの名前をささやいて……


「ももちゃん……」


「四二点、やり直し」


 容赦ないダメ出しに蓮ちゃんの膝が折れそうになるけど何とか踏みとどまった。そして咳払いをし、仕切り直しをし、


「ええっと、その……百佳」


「百億万点!」


 わたしが蓮ちゃんの首に飛びつき、しがみつき、自然と二人の唇が重なった。触れた唇はすぐに離れたけどまた重なり、それがくり返され、ファーストキスからトゥエルブくらいまでは数えたけどそれ以上は数えるのをやめる。やがてキスは唇を触れるだけから舌を絡める、濃厚なものとなっていった。


「好き。好き。好き。大好き」


「僕も好きだよ」


「もっと言って。キスするたびに好きって言って。そうしたらキスしてあげる」


「君が好きだ。君が欲しい」


「わたしも蓮ちゃんが大好き」


 キスは唇だけじゃなく、額に、頬に、首筋に、耳たぶに。それにキスだけじゃなく耳たぶを甘がみされたりし、あまりの快感にわたしの腰は砕けそうになった。蓮ちゃんの腕がわたしのしっかりと身体を支え、隙間もないくらいに二つの身体が一つとなる。


「愛してる」


「八七点」


「君を誰にも渡したくない」


「七六点」


「もう絶対に離さない」


「八二点」


「ええっと……け、結婚しよう。指輪はまだないけど」


「九七点! 惜しい、ほんの安物でも指輪があれば億千万点でした!」


「ご、ごめん、気が利かなくて。ええと、僕は漫画家としても全然売れない、まだまだ半人前で、君には苦労をかけるかもしれないけど、できるだけ早くちゃんとした家庭を持てるように頑張るから」


「グレートブリテン!」


 わたしは蓮ちゃんに百回くらい「好き」と言わせ、わたしもまた同じくらいに「好き」と言い、そしてそれだけの数キスをした。よだれで口の周りがべたべたになり、唇がしびれて感覚がなくなるくらいキスをして……気が付けば、夕陽は完全に沈んで優しい夜の闇がわたしと蓮ちゃんを包んでいた。

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