【幕間】 歪んだ愛国心 第四話

 ――初の人体への投与実験から、一月程が経過していた。

 成功とも失敗とも言えない実験結果だったが、実験を続けるほか俺に選択肢は無かった。


 それでも、この数日間で幾つかの事が明らかになった。

 先ずは、身体能力を向上させる薬剤を投与した直後に何らかの動物や昆虫等の細胞が血液内に混入する事で、その生物の特徴が人体へ現れると言う事


 そして、其れとは逆に細胞等が混入しなかった場合は、大幅に能力は向上するものの身体はやせ細り、やがては皮膚と肉が剥がれ落ち、その身は骨だけになってしまった。

 もう一つは、投与する対象の年齢だった。

 

 投与した者が年齢を重ねているほど、体長が大きくなる傾向が有った。

 反対に、年を重ねていない十代や二十代となると隊長は投与前と殆ど変化が見られなかった。


 しかし、体長等の外見的変化が多くは見られなかったものの年が若ければ若い程に大幅な能力の向上が確認できた。

 その中でも特に、とある施設で保護され被験者となった少年は現在の被験者の中でも最高位の能力だろう。


 だが、分かったのはその程度の事。

 未だに分からない事の方が多い中でシェルズはこの計画の被験者達を実戦へと投入した。


 幸いにも今回は、其れによって一旦は敵勢力の上陸を防ぐ事が出来た。

 当然、国議会はその功績によって国民からの絶大な支持を得る事になった……其れだけで留まればよかったのだが。


 支持を得た国議会は更なる技術の躍進の為と称し、権力を求め始めた。

 戦争と言う極限状態は人を狂わせ、正常な判断を阻害する……。


 国を愛する者達ですら今や権力を……いや、この国の主導権を欲している……其れも全て、この国を守る為。

 だが、其れは俺も変わらない……他が無いとは言え、こうなる事を予見した上でも実験を続けた。


 今回、敵を退けたのも、たまの奇跡の様な物だ。

 恐らくこの状況も長くは続かない……きっと今は頼りにされている彼等も……。


「やはり身体は戻りませんか?」


「あぁ……異形となった者達を元の姿に戻す方法は未だ見つからない……この様な異形では、いずれ彼等は――」


「言うな。其方には悪い事してしまった。全ては沈黙を貫いた余の責任である。彼等を裏切るのが……裏切られるのが怖かった。彼等の愛国心を信じる事が出来なかった余の責任だ」


 淡々と言葉を放つラルフの瞳に光は無く、虚無の様な寂しさを感じさせる。


「国王、其れは違います。彼らが真に国を愛していたのであれば、貴方がどの様な選択をしたとしても、この様な結果にはならなかった筈です」


 励まし、そんな意図は無い……だが其れが事実だ。

 だが、そんな言葉に返って来たのは沈黙だった。


「彼らが愛したのは貴方が統べるこの国では無く、権力を与えてくれる国です……いや、権力そのものを愛していたのかも知れません。何れにしても其処に純粋な気持ちは無く、在るのは恐らく歪んだ愛国心でしょう」


「――だが其方は違った!権力を欲さず、真に国を愛し……そして志を同じくした者達に戦う為の、守るための力を与えた」


 怒り、後悔……頭の中を言い表せない感情が埋め尽くす。

 無意識に力が篭る拳、食い込む爪が皮膚を裂き、鮮血が滴る。


「その結果がこれだ!同志を異形に変え兵器として使った。挙句にその技術、資料まで奪われ私利私欲や歪んだ愛国心によって多くの望まぬ者が、その身体を異形へと変えた」


 湧き上がる感情が次第に思考すらも許さぬ程に脳を支配する。


「もう限界なんだ、どうして……」


「余はきっとこのまま、何も果たせぬままだ。民の安寧、国の……世界の平和。何一つ果たせぬままだ。だからせめて其方との約束くらいは」


 約束……犯した罪を不問にする。

 そんな事等、到底許されない程の罪を犯した。


「俺は……」


「其方の事を誰が責めようか?余の……いや、国の為に尽くした其方をざんする事は許さない。故に証明せねばならない、其方の身が潔白で

ある事を」


 掲げる信念は理解できる……だが、決して俺は潔白なんかじゃない。

 どんなに強い信念であっても、事実を捻じ曲げる事は出来ない。


「……ですが」


「黙れ!良いか?これは勅命である。今この場より其方は自由の身、残る命は全て自身の為に捧げよ。そして直ぐにこの場を去れ!」


 そうか、俺と一緒なんだ。

 このまま俺が此処から去らなければ、何も果たせずに後悔と罪の意識だけが残ってしまう……ならばせめて。


「勅命、承りました。最後に国王、お言葉ですが……アンタが持つその信念、俺は嫌いじゃねぇ。だがな、その信念はいずれ其の身を滅ぼす事になるぜ」


 一瞬目を見開き、柔らかく微笑みを見せる。


「既に滅びの兆しは目前です。崩れ落ち、全てが終わる迄の暇を余が……其方が愛してくれたこの国の為に捧げよう。ありがとう友よ、其方……いえ、あの時貴方に会えて本当に良かった」


「友……か。其方なんて堅苦しい呼び方より、よっぽど嬉しいぜ。俺から見ればまだ年端も行かないんだ、もう少し肩の力を抜いたほうがぞ。俺の方こそありがとうな友よ」


 笑顔に背を向け扉に手を掛ける。

 決着を着ける為の一歩、取ってを握る手に力が入らない。


 此処を去れば全てを終わらせる事が出来る……其れなのに。


「また何時か会える事を願っています。きっと何時か……」


「……あぁ、必ずな」


 果てに踏み出した一歩、頭上から燦々と陽光が降り注ぐ。

 聞き慣れた喧騒、当ても無く彷徨い辿り着いた、少し寂れた石橋。


 ふと目を遣り釘付けになった視界に映るのは、広がる波紋と澄んだ川面から見える水底。

 全てを受け入れる様な透明さに、吸い込まれる様な感覚を覚える。


「――オッサン、此処から飛んでも死ねないぞ」


 傍らから声が響く。

 声の主は、まだ幼さを残す青年。


 この顔、何処かで……。


「馬鹿を言うなよ、友人と再会を誓ったんだ……其れとな小僧、初対面の人間に向かってオッサンは辞めておけよ」


「そうかい。アンタ、国家転覆を目論んだジルベルト・キーンメイクだろ?」


 何故それを……?。

 見た所、年は十代そこそこの様だが。


「何処で其れを?」


「少しヘマをしちまってな……その時に、アンタが何者で何をしたのかを知ったんだ」


 ヘマをした?……あぁ成程な、何処かで目にした顔だと思ったら。


「お前さん巷でよく噂になっているゴロツキ集団の奴だな?……名前は確か……」


「エヴェルソルだ、ゴロツキ集団じゃねぇ。そして其れを束ねているのが、この俺ライドだ」


「そうだエヴェルソル……で、そんなお前さんが俺に何の用だ?」


 俺が問い掛けると、一つ大きく息を吐き深刻そうな表情を見せる。


「アンタは知ってるか?この国が化け物を作っている事を」


「……!」


 どう言う事だ?……戦闘に投入される際は民衆の目に止まらぬ様に区域の封鎖等の細心の注意を払った上で行われたはずだが。

 何故それを……。


「三年程前か?俺と兄貴は妙な施設に迷い込んだ。助けを乞う悲鳴、耳をつんざく慟哭が響く、柵に囲われた妙な研究施設だ」


 頭蓋の中へ響く筈の無い、けたたましい悲鳴が響く。


「あの光景は忘れもしねぇ……拒み、逃げ惑う者へ刺し込まれる注射針、瞬きの内にその姿を異形へと変貌させたんだ。俺は思わず声が漏れちまった。見間違う筈が無い、血眼になり俺達を追いかけて来た国議会の制服を来た連中……俺は何とか逃げる事が出来たんだ、兄貴のお陰でな」


「……兄は?」


「捕まったよ」


 嫌な予感はしている……此処で何も聞かなければ、何も言わなければ、きっと俺も彼も多くの事を知らないまま過ごす事が出来る。

 何かに縛られる事無く生を全うできるかも知れない。


 いや、もう逃げるのは……現実から目を背けるのは止そう。


「マイド・ゾンディス」


「アンタ……何故その名前を?」


「被験者番号三十二、特異管理。国王の勅命の下、被験者となった者……実験担当者は俺だ」


 そうだ、これで良い……今の俺に出来る事は真実を伝える事くらいだ。

 せめてもの贖罪だ。


「後悔はしているか?」


「あぁ、償う事が出来ない程の罪を犯した……全てを終わらせてしまおうかと思っていた。だが、その前にほんの一部でも罪を償う事が出来るのなら俺の時間を捧げよう」


「そうか……俺は兄貴を、彼等を助けたい。彼等の行く末をアンタは分かっているんだろう?俺はどうしたら良い?」


 助けたい……そうか、ラルフが俺に対して自由の身であって欲しいと望んだのは、きっと俺にこうさせる為だったんだ。

 どうやらまだ出来る事は……やるべき事は多く残っている様だな。


「もうすぐ、この大きな戦争は終わりを迎える。英雄の凱旋だ、しかし彼等を待つのは蔑視の眼差しと罵詈雑言の嵐だ。悲嘆に暮れ、悲しみはやがて怒りへと変わるだろう」


「何が言いたい?」


「全てでなくて良い、完全でなくて良い。彼等を律し率いるんだ……そして真実を示せ」


 ラルフ、勝手で悪いがお前さんの命、ライドこいつへ賭けるぞ。

 果たせなかった理想、コイツならやり遂げてくれるかもしれない。


「真実を示す?どうやって?」


「王城だ。其処には王政の承認印が押された研究資料がある。今は実質、国議会の活動拠点となっているが其処にあるその資料が、彼等を助ける為の強力な武器となる。機を伺うんだ」


 真っすぐに向けられる瞳には決意が満たされている。

 やはり、コイツならやり遂げるだろう……例え其れが阿鼻叫喚の汚れ役であろうと。


「固く閉ざされ光を通さない深淵をいつの日か切り開く事が出来ればお前さんの望みは必ず成就する」


「……アンタはどうするんだ?」


「暫くはお前達に協力するつもりだ」


 沈黙、そしてゆっくりと手を差し出す。

 俺はその手を強く握り締め、視線を重ねる。


「頼むぞ」




 ――冷たい風に曝される小高い丘の頂上、都市を見渡す石碑。


「友よ、遅くなったな。約束果たしに来たぞ。ついでに良い報告だ……必死こいて回した発条ぜんまいが、やっと歯車時代を動かし始めたぜ」


 感じた事が無い程の穏やかな気持ちで胸が覆いつくされる。

 俺もあんたと一緒で何も果たせないかもしれないと思っていた……だが、この約束のお陰で俺は止まる事無く此処まで来れた。


「友よ……ラルフよ見ておけよ?この国は、この世界は今まさに平和への一歩を踏み出した」


 柔らかな風が石碑の傍らに置かれた小さな花束を揺らす。


「じゃあ、また何時か……友よ、平和になった世界でまた」




 歪んだ愛国心【完】  次回 三章 革命

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