第三十話 三度目の相対

 山岳を拓き、そびえ立つ防壁。

 手綱を握る手は小刻みに震え、視界がつい泳いでしまう。


 過剰に血が巡り火照った顔を冷たい空気で冷まされる。

 激しく高鳴る胸の音を、吹き荒ぶ風が掻き消す。

 

「兄ちゃん、どうした?あまり顔色が優れないな」


「心配するな。問題ない」


 声の震えが伝わらない様に、俺は囁き程度の声で返す。


「目の下にくまが出来ているね。催し事の前日は眠れなくなるのかな?」


 サイディルのからかう様な口調、何時もなら煩わしさしか感じないが、今に限っては程よく緊張を解してくれる。


「……子供じゃあるまい」


 重圧に押しつぶされそうだった思考が、次第に平静を取り戻し始める。

 不意に目を遣った前方の馬車、荷台に座る人物に目を細める。


「朝から、姿が見えないと思ったが……レイラ、何故ミーナが此処に居るんだ?」


「言ったでしょ?私はリアムに寄り添いたいって!」


 問い掛けた筈のレイラよりも数段早く、間髪入れずに答える。

 そんな返答がサイディルにも聞こえていたのか、此方へ少し気持ち悪さを感じる笑みを向けている。


 全て片付いたら、何回か小突いてやろうか……。

 気づけば胸の高鳴りは、すっかり治まっている。


「あの……ミーナさんは私と一緒に負傷した方の手当てに努めますので……余り危険は無いかと」


 ミーナが出した答えだ、今更否定する理由も無いだろう……それに呪縛を与えたのは俺だ。


「あぁ。レイラ、ミーナを頼む」


「はい」


 否定してまえば其れこそ、呪い縛りつけてしまう様な物だ。

 共に戦うという選択をしたのなら、俺だけでも其れを否定してはいけないな……。



「――支部長、門が開きます」


 兵の一人が声を上げると同時に、重厚な門が大きな音を立てゆっくりと動き始める。

 やがて露わになる防壁の内部。


 正に、大軍と言うべき量の兵の数、もう一重の壁の様に立ち並ぶ。

 だが、此方も数では劣っていない。


 目の前に備える人壁、その先頭に立つ白金色の鎧を纏った老齢の人物……イニールドと三度目の相対。

 馬を降り、門へと俺達は歩み寄る。


 イニールドは、やおらに腕を天へ伸ばし口を開く。


「総員、抜剣ばっけん


 号令と同時に立ち並ぶ兵が、一斉に剣を掲げる。

 それに呼応するかの様に、俺達の背後に立つ集団も同時に剣を掲げる。


 風が止み、辺りが異様な静けさに包まれる。


「忠臣よ、着いて来たまえ」


 一言、そう放ちながら振り返る……人壁が真っ二つに割れ、道が開かれる。


「サイディル、クルダー……頼むぞ」


「任せておきなさい。後で合流するよ」


 安心させる様な微笑み。

 手の震えがむ。


「じゃあ、行って来る」


 確かな足取りで、イニールドの元へ歩む。

 既に互いの間合いの中に入っている。


「少し話をしようか……だが、彼等も其れでは手持無沙汰と言う物だ……分かるだろう?」


「あぁ、為に此処へ来たんだ」


「フッ、聞くまでも無かったか……総員、殲滅せよ」


 再びの号令と共に、二つの壁が互いに距離を詰める。

 戦闘状態へと入る。


「では行こうか」


 以降、言葉の一つも無いまま誘導され辿り着いたのは、数多の刃が入り乱れる戦場がよく見える壁上。

 立ち止まり、戦場へ向けていた視線が此方へ移る。


「良い目をしているな。以前とはまるで別人の様だ……真実を知ったのだろう?」


「そうだ」


「そうか。以前君は私にこんな質問をしたな?……目的は何だ?と。その質問を君へ返そう」


 迷うな、目的は決まっている。


「お前等を打ち倒し、隠された情報を全て開示させる。魔族彼等への迫害を止め、国王が望んだ真の平和を築く」


 イニールドの顔に浮かぶ、嘲る様な笑みと漏れる失笑。


「何を今更……迫害を止める?散々、自身の復讐の為に殺して来た君が?其れこそ真なる偽善では無いか」


「あぁ、そうだ。偽善かも知れない……だが例え、偽善だとしても其れは隠された情報を放って置く理由にはならない。何かを知って尚、行動へ移さない理由にはならない」


 そう、偽善だ……偽善でも良い。

 過去を変える事は出来ない……だが、現状を変える事は出来る。


「ほう。では君は私の行いを何と捉える?」


「……あんたが思う、最善の選択したんだろう?俺も同じだ。だが其れが正しい事なのかは、全てが終わる迄分からない……結果を見たとき、もしかすると、あんたの行いの方が正しいかも知れない」


「では何故、君は再び私と刃を交える事を望む?目的は同じ筈だ。何故、共に手を取り合う事が出来ない?」


 そうだ確かに目的、目指す所は同じかもしれない。

 


 だが、俺は――



「俺はこの先の未来で、正しかったと思える様な判断、選択をしたい。何百、何千の命の上に築かれた平和を目の前にした時、俺はきっと後悔する……だからこそ、再び刃を交える。其れに、あんたが一番分かっているだろう?手を取り合い共に戦うこと等、出来ないと」


 イニールドの口角が僅かに上がる。


「そうだな。私は君達を否定する為、多くの兵を率いて戦わせ、そしてその多くを死なせた……今更、共に戦う事等、誰が許してくれようか。最早、立ち止まる事も、引き下がる事も許されない」


 イニールドは柄に手を掛け、ゆっくりと刃を露わにさせる。


「だが、安心したまえ。此処で君が倒れようとも、必ず理想は実現して見せよう……君が思う形では無いかも知れないがな」


「奇遇だな。俺もあんたと同じで引き下がれない理由が有ってな……此処であんたを倒し、平和を……国王の理想を実現させる!」

 

 緊張が全て解けた手で、俺は剣を引き抜く。

 鏡の様な刃に、血濡れの戦場が反射する。


「そうか!ならば此方も全力で答えよう!」


 三度の相対、遂に制止の縄がほどかれる――


 二刀を上段に掲げた突撃、瞬時にお互いの間合いが詰まると同時に振り下ろされる刃。

 風を斬る轟音と共に迫る、その刃を躱し、背後へ回り込む。


 無論、反撃の余地等無い。

 振り下ろした剣を、背後に居る俺へ向かって振るう。


 異なる軌道、異なる速さで振られる二振りの剣。

 僅かに早く、到達する一振りを素早く回避し、続く二振り目を剣で受け流す。


 イニールドの剣撃……以前より動作が大きく感じる。

 だが、生じる隙は刹那。


 此処を逃すな!……顔面へ目掛け刺突を放つ。

 手応えは無い……顔を逸らし、紙一重で躱されたか。


 腹部と首へ斬撃が迫る。

 受けは通用しない……何方か一振りが確実に俺の命を刈り取る。


 刺突を放った際の勢い。

 其れを殺さず、そのままイニールドの股下へと滑り込む。


 即座に整えた体勢、渾身の斬撃で後頭部を狙う。

 しかし、一瞬の内に振り返ったイニールド……二振りの剣によって斬撃が挟み殺される。


「背中に目でも付いてんのか?」


「年の功と言う物さ」


 挟み込まれた剣へ、更に力を込めるも、鉄壁の防御は崩れる兆しは見えない。

 懐に潜り込めても、異常な迄の勘の鋭さで、あらゆる攻撃が躱される。



 ――ならば、打ち合いへ持ち込む!



 幾多の打ち合いの中で、不意を突き、必殺の一撃を狙う。

 後ろへ半歩下がり、受け止められた剣を逃がす様に反対方向へ振る。


 更に一歩、軸足を固め……回転、防御の無い逆側面へ再度、渾身の一撃を振るう。

 まだ、及ばない。


 振るった剣は、綺麗に受け流される。

 だが、無駄では無い……受け流した後の一瞬、微かによろめく。


 畳み掛ける!。

 腰から短剣を引き抜き、連続の追撃。


 視界から外れぬ様に、左右から素早く、そして絶えず攻撃を続ける。

 撹乱し、確実な隙を作り、其処へ飛び込み一撃で仕留める。


 手を止めるな。

 今は唯、剣を振る事に集中しろ。


 相手は防戦一方……だが、まだ余力が見える。

 しかし、その背には壁上の端が迫っている。


 まだだ、まだ油断するな……一瞬の隙も――


 イニールドの顔に浮かぶ、ニヤリとした不敵な笑み。

 短剣が弾き飛ばされる。


 焦るな……落ち着け。

 追撃が迫る……寸前でなし、即座に体勢を立て直す。


 畳み掛けが来る!。

 形勢不利……此方が防戦一方に陥る。


 躱し、受け流し、次の攻撃に備える。

 即座に状況を持ち直さなければ……。


 刺突、斬撃、合間に入る蹴り……一つずつ確実に受け流し、再び出来る隙を伺え。

 目の前を横切る、素早い斬撃……僅かだが速度に衰えが見える。


 長期戦だ。

 このまま、戦闘が長引けば確実に反撃の機会が訪れる。


 唯、衰えているのは速度だけだ。

 無数に降り注ぐ手数は一向に減らない。


 怒涛の如く、四方八方から放たれる連撃。

 来た!


 内の一つが有らぬ方向へと向かう。

 飛び込め!


「……!」


 一瞬にしてイニールドの姿が視界から消失する。


「――まずっ」


 すぐさま、視界をずらすが、既に振り下ろされ迫る刃……回避は間に合わない。

 迫る刃が、右肩へ触れる寸前、身体へ強い衝撃を感じる。


 視界が揺れる、刃の残像と噴き出す大量の鮮血が映る。

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