第八話 月下の相対

 ――月明りだけが辺りを照らす深夜、ふと目を覚ます。

 少しずつ意識が明瞭になると同時に、胸に激しい痛みを覚える……。


「つっ……」


 思わず声を上げそうになりながら、傍らの小瓶を手に取り寝床から立ち上がり階下の広間へと向かった。

 壁にもたれながらゆっくりと階段を下りていくと、焚かれている暖炉と人影が見える。


「どうした?……大丈夫か?」


 その人影は、此方へ振り返り俺へと呼び掛ける。


「旦那、まだ起きてたんですね」


 どうやら、この宿屋此処の店主がまだ起きていた様だ、暖炉の前の卓上には書類やらが散らかっている。


「こんな時間まで仕事とは……熱心だな」


「あぁ、中々に繁盛しているおかげでな……そんな事よりどうした?……歩くのもやっと、って様子だったが」


 俺が店主に事情を説明し手に持った小瓶を差し出すと、それを手に少々早足で厨房へと向かっていった。

 尚も感じる激しい痛みに耐えながら椅子へと腰を掛けると、僅か数分もしないうちに店主がポットを片手に戻って来る、そして慣れた手付きで手早く火に掛ける。


「随分と慣れてるな」


「……何かあった時、大事なお客さんに何も出来ないんじゃ仕方ないからな……せめて、薬草の煎じ方くらいはな……」


 やはり随分とこの仕事に熱心なようだ……聞いた所によると宿屋此処は数年前まで、店主とその妻の二人で切り盛りしていたようだが、二人の間に子を授かったのを境に、妻は子育てそして店主は二人を養うべく宿屋此処を現在も一人で切り盛りしているとの事らしい。

 以前より店主の人柄の良さからか、此処を利用する者は多かったそうだが単身で切り盛りする様になってからと言うもの、以前より増した献身的な接客とでも言うだろうか……客に対し寄り添った接客をすることから利用客は日々増え、歓喜の悲鳴を上げているらしい。


「――ほら、入ったぞ」


 店主の慣れた手付きを見てそんな記憶を巡らせている間に、そう言いながら店主は湯気の立つカップを差し出す。


「あぁ、ありがとう」


 俺はそれをゆっくりと飲み干す。


「はぁ……」


 勿論、これを飲んだ瞬間に痛みが引くわけでは無いが、安心感からか思わず小さく息が零れる……そして俺は、店主と話をするには良い機会だと思い以前から気になっていた事を問いかける。


「なぁ、ずっと気になっていたんだが……さっき言った様に繁盛している此処で不定期に帰って来る様な俺の部屋をそのままに、しておいてくれるんだ?……それに代金も後からで良いってのは?」


 店主は暫く黙り込み、俺の顔見つめ口を開く。


「実はな――」


 ――ドスッ。

 店主が口を開くのとほぼ同時に、外壁へ何かがぶつかった鈍い音が響く。


「旦那……少し様子を伺って来る」


 席を立ちゆっくりと出入口へと向かう……静かに扉を開け外の様子を伺う、幸いにも月明りで周囲は明瞭だ。慎重に外へと踏み出し辺りを見渡す――

 周囲に人影などは見当たらない……建物の周囲を確認すべく扉を閉める。




 ――脳から爪先に掛けて瞬時に緊張が奔る。


「旦那!誰もこの建物から出すな……後悪いが俺の部屋から剣を持って来てくれ」


 酷く困惑した表情を此方へ向けながらも、店主は頷き上階へと足早に向かっていく。


 再び外へ向かい地面に転がるを確認する……少々痩せている様子だ、まだほのかに温かさを感じる……どうやら鋭利な刃物で一太刀に両断されている様だ……。

 もう一つも其れは同様。


「おい、持ってきたぞ……そいつは一体どういう事だ」


 剣を片手に戻ってきた店主はを目の当たりにするなり、その場に座り込む。


「そ、そいつは……人間の頭か?」


「あぁ、その様だ……嫌な物見せてしまってすまないな……中に戻って戸締りと、先程言った様に誰もこの建物から出させないでくれ」


 小刻み体を震わせる店主を支え室内へと戻し、周囲の警戒をする……少し離れた所で、宿屋へと向かっている足跡と血痕が目に入る。

 まだ乾いていない事から、先程の頭部から滴ったものだろうと推測する、そしてその隣には宿屋へ背を向ける形の足跡が連なっている。


 続く足跡を辿っていると、何処からか金属音が混じる足音が近づいてくる……近くの物陰へと身を潜め足音の主の接近を待つ――

 呼吸の音が聞こえるまで接近してきた所で、俺は陰から刃を覗かせる。


「止まれ」


 首元であろう所へ刀身を突きつけ呟く。


「オイオイ、冗談が過ぎるぜ兄ちゃん」


 聞き覚えのある声に少々、驚きながら俺は潜めていた物陰から声の主の前へと立つ。


「すまない、クルダーあんただったか……」


「どうした?……酔っぱらってるって訳でもなさそうだな……」


 俺がクルダーへと状況を説明すると、血相を変え返答する。


「そうか……兄ちゃん、駐屯地へ行って直ぐに応援を呼んで来い……この足跡は俺が追う、良いな?」


「……いや、待て俺はギルドあそこじゃ新参者だ、俺が行った所でアイツ等が動くか?」


 俺がそう返すと、クルダーは少し黙り込み……気掛かり、と言った表情を浮かべる。


「……確かにそうかもしれないな……分かった、駐屯地には俺が行こう、兄ちゃんが足跡これを追ってくれ……但し深追いはするな、足跡を見失った時点で引き返せ、俺は後から足跡これ追って兄ちゃんの所へ向かおう……良いか?くぐれも深追いはしてくれるなよ」


 そう言うとクルダーは俺の肩を軽く叩き防壁の大門へと向かっていく。


「分かった、宿屋あそこは頼むぞ」


 俺は走り去る背中に呟き、再び足跡を追い始めた。

 続く足跡を追っていると、どうやら商業地区の外れにある小門へと続いている様だ。


「まぁ、大門あっちは見張りが居るからな……当然か」


 小門をくぐると、すぐに川が見える……足跡は其処で途切れている。

 その場で辺りを見渡すと、対岸に生い茂る草が倒され膝が浸かる程度の川底には未だ、土が舞っている。


対岸向こう側か……」


 俺はせめてもの痕跡として足元の草を踏み倒し対岸へと渡ると、案の定再び足跡は続いていた。

 暫く足跡を追って行くと、やがて雑木林へとたどり着く。


 その地面には大量の落ち葉が敷き詰められている。

 此処までだろうか……そう思い、踵を返そうとした折に白金色に光るが目に映る。


 白金色に光る……次第に其れが露わになる。

 ――月明りが差し込む。


 月光に照らされ露わになる何か……否、白金色の鎧を身に着けた人影……それは刹那の内に此方へ迫り来る――

 迫り来る人影に俺は咄嗟に剣を構える……しかし、怯みもせずに一直線に此方へ向かって来る。


 目前、何かを取り出し俺を目掛け振りかざす。

 凄まじく重い一撃、何とかそれを跳ね除ける……後退した相手と再びにらみ合う。


 手中にあるのは短剣……短く軽い刀身からの凄まじい一撃。




 ――一瞬の出来事だった。

 背中が地面に叩き付けられる、剣を握る腕はまるで岩で押さえつけられたように動かないそして喉元には切っ先が迫っている。


 『死』


 今、それが目の前に在る全てだ。


「王の忠臣よ……余り、生き急ぐな……」


 布で覆われた口元からそんな言葉を発すると突きつけた短剣を仕舞い、俺を解放し背を向ける。


「……待てっ、あれはお前がやったのか?」


 何も言わずに立ち去っていく……背後からるか?……いや、短剣ですらあの威力、背後を襲った所で腰に携えるあのを抜かれれば、俺など造作もなく殺されるだろう……だが、それでも左手は再び剣を握る。


「三度目は無いぞ……案ずるな、いずれ再び相まみえる事になるだろう……」


 俺の発する殺意を感じ取ったとでもいうのか、此方に背を向けたままそう言い残し、去っていく。

 背後を見つめ、唯立ち尽くす……其れしか出来ない。


 『深追いはするな』


 こみ上げる悔しさと怒りをその言葉で押さえつけながら、踵を返す。

 歩き始め、間もなく夜闇の中で幾つかの影が目に入る。


 幾つか重なる蹄の音と共に此方へ近づく。


「大丈夫か?」


 複数人を引き連れ、クルダーが馬で駆けて来た様だ。


「……あぁ、だが取り逃がした」


「構わない……兄ちゃんが無事ならな、ほら乗りな」


 差し出された手に掴まり、クルダーの後方へと跨る


「さて、兵を向かわせたとは言え宿屋が心配だ。早急に戻るとしようか」


 跨る馬に、クルダーが合図を出すと軽快に駆け、息を着く間も無くリングランデへと辿り着く。

 同行した数名の兵と別れ、急ぎ宿屋へと向かう。


 建物が大人数の兵に囲まれては居るが慌ただしさは、感じ取れない……だが、宿泊客の何名かが、眠気眼を擦りながら聴取を受けている様だ。

 店主の姿が見当たらず、俺は取り囲む兵を掻き分け建物の中へと向かい見回すと、先刻まで腰を下ろしていた所へ店主の姿を見つける。


「旦那、大丈夫だったか?」


「――あぁ、お前さんか……大丈夫だ」


 あの様な物を見たのだから当然だろう、疲弊した様子で答える。


「なぁ――」


「おーい、兄ちゃんちょっと良いか?」


 店主が何かを発しようとするのを遮る様に、大きな呼び声が響く。

 俺が店主に小さく頭を下げそちらへと向かうと……。


以外の被害は特に無さそうだ。念のため何人か周辺を哨戒させておいて今夜は解散することにした……店主は大丈夫そうか?」


「大丈夫だ、俺から話しておく……アンタが来てくれて助かったよ」


 店主の様子が気掛かりで手短に会話を済まし、礼をし建物へと戻る。


「すまない、話を遮ってしまって」


 店主は、まるで縫い合わされた口を無理矢理開くように話し始める。


「……これは……警告だ」


 思いもよらない言葉に示した動揺には構わず店主は続ける。


「数日前に、不審な男が訪ねてきた……リアム・ノーレンは居るか?と……そして男はこれを差し出してきた」


 紙に包まれた丸薬の様な物を取り出す。


「……毒薬だ……お前さんを……殺せと」


「どういうことだ……?」


 俺を殺せ?……誰が、いったい何のために……。

 店主は唇を震わせながら続ける。


「妻と子供の居場所が知られている……出来なければ……妻と子供を……」


 次第に取り乱し始める店主の眼には涙が滲み始める。


「落ち着け……旦那は、その不審な男に俺を殺す様に命令され、それが出来なければ妻と子供に危害を加える……そうだな?」


 店主が頷く。


「家族は何処に住んでるんだ?」


「……北東に半日ほど行った所に村がある……そこに……」


 北東の村……ノスエイ村か。

 好都合だ、襲撃にあったという村の事だろう、経緯を話しクルダーを頼るか……それが叶わなければ、最低限の準備で俺が向かおう。


「すまない、俺のせいで……迷惑を掛けたな、だがこれだけは……必ず、旦那の家族の無事は約束しよう」


 俺は震える店主の手を握りそう告げ、急ぎクルダーの元へと向かうべく腰を上げる。


「白金色の鎧を身に着けた男だ……その男が毒薬これを渡してきた……」


 俺の背に向かって店主は呟く。


「……そうか、分かった」

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