勘違い

@d-van69

勘違い

 高額な報酬に釣られて来てしまったが、果たして大丈夫なのだろうか?もしかたら未承認の薬を打たれたり、あるいは得体の知れないものを食べさせられたり、はたまた何かしらの臓器を抜き取られたりするのではないだろうか。そんなよからぬ思いが次から次へと頭をよぎる。

 とあるビルの5階に位置する小奇麗なオフィス。ネットで実験参加者募集の書き込みを見つけ、そこに記された電話番号にかけるとここに案内されたのだ。会議室と思しき一室で待たされる間、不安がどんどん大きくなってきた。やっぱり止めますと言おうかと思い始めた矢先、白衣を来た男女が入ってきた。

 2人は俺の対面に座ると、この度はご協力有難うございますと言って深々と頭を下げた。

「それではまず、こちらをお読みいただきまして、ご納得がいただけましたらご署名をお願いいたします」

 誓約書だった。実験内容を口外しないなど、お決まりの文句がずらりと並んでいる。だが肝心なその実験内容に関する事柄が書かれていない。

「あの……」と俺は2人に視線を向けながら、

「実験って、どんな実験なんですか?」

「申し訳ありません。詳しくお教えすることはできないんです」

「お教えしてしまうと、実験結果に影響が出る恐れがありますので」

 男と女が順に答えた。

「まさか、健康を害したり、命の危険があったりはしないですよね?」

 恐る恐る訊ねると、男のほうが朗らかに笑って見せた。

「ご心配には及びません。命の危険も健康を害することもありませんよ」

 その言葉でとりあえず不安は和らいだ。他にご質問は?と言われたので、下世話だがお金のことを訊ねてみる。

「報酬に100万円もらえるって、本当ですか?」

「謝礼のことですね」と女が応じる。

「もちろんお支払いいたします。そちらの誓約書にご署名を頂いた時点でまず1割を、実験がすべて終了した後に残りをすべてお渡しします」

 10万円でも大学生の俺にとっては大金だ。その10倍貰えるのだから、ぐだぐだ考えずに実験に参加するべきだろう。命の危険はないのだから。

 誓約書の下欄に自分の名前を書いて、テーブルの向こうへ滑らせた。それを確認した男が結構ですと言って女に目配せをする。

「では、こちらをお納めいただいてから、もう1枚ご署名をお願いします」

 女の手から封筒と1枚の紙が俺の前に来た。封筒には謝礼の文字、紙の頭には受領書の文字があった。10万円受け取った旨を確認するものだ。

 封筒の中身を検めてから受領書にサインして女に返した。

「それではこれから、あなたに簡単な質問をさせていただきます。すべて終えるのに1時間ほどかかるのですが、お時間は大丈夫ですか?」

 このあと何も予定はないので俺は首を縦に振った。

「ありがとうございます。次に、その質疑応答の様子をビデオに録画させていただきたいのですが、よろしいですか?」

 男の視線がちらりと部屋の隅に向けられた。俺もそちらを見る。天井と壁の隅にビデオカメラが設置されていた。別に撮られたって不都合はない。それにだめだと言えばここで実験は中止になるかもしれないと考え、再び肯いて見せた。

 男はもう1度、ありがとうございますと言って頭を下げてから、

「それでは、質問に移らせていただきます」

 持参していたファイルをおもむろに開いた。

 男が言ったとおり、質問はすべて簡単なものだった。俺の生年月日から始まり、幼少期はどうだったとか、学生生活に関することとか、交友関係や恋愛事情など、プライベートに関するものばかりだ。まるで俺の伝記でも書くのかと思えるほどに細かな質問だった。

 記憶を掘り起こしながら答えるうち、1時間が過ぎた。

「お疲れ様でした。今日はこれでお帰りいただいて結構です」

「1週間後に、もう1度こちらにお越し願えますか」

 そう言った女に向けて、

「と言うことは、その日から実験が始まるんですか?」

「いいえ。1週間後にはもう実験はほぼ終了しています。その日も今日のように、質疑応答をさせていただいたあと、謝礼のお渡しになります」

 わけがわからない。俺は何もしなくていいということか?

「あの、実験に参加するんですよね?」

 自分のことを指差しながら言うと、男のほうがもちろんですと言って大きく肯いた。

「あなたにはこの先1週間、普段どおりに生活していただきたい。それが我々の実験につながるのです」

「但しひとつ注意点が」と女が口を挟む。

「いつもどおりに生活していく中で、何か違和感があったり、いつもと違うことが起きたりした場合、それを記録してもらいたいのです。簡単なメモ書き程度で結構ですので」

「それだけで、いいんですか?」

 怪訝な思いで2人を見る。どちらも絵に描いたような笑顔で肯いて見せた。

 たったこれだけのことで100万もらえるのか。なんだかキツネに化かされたような気持ちになりながら、俺はこのオフィスをあとにした。



 1週間後、約束の時間に俺は再びこの場所にやってきた。前と同じ部屋に通され、前と同じ2人が俺の前に座った。

「まずは、簡単な質問をさせて戴きます。前回同様1時間ほどかかりますが、よろしいですか?」

「大丈夫です。あと、録画も」

 男はちらりとカメラを見てから、

「ありがとうございます。それでは質問を始めます」

 それは先週とまったく同じ内容だった。答えながらも何かの手違いじゃないかと2人を観察するのだが、どちらも表情をぴくりとも動かさず、淡々と質疑応答が続いていく。1時間ほどして男はファイルを閉じた。

「ありがとうございました」

「次に、先週お願いしてあったことなのですが」

 女の言葉の意味が即座に理解できずに「え?」と言ってから、メモをとるよう言われたことを思い出した。

「ああ、あれですか。実は、特に変わったことってなかったんですよね。一応手帳は常に携帯して、メモを取れるようにはしていたのですが」

「そうですか。ではこちらから少しお尋ねします」

「はい」

「この1週間で、何か勘違いや思い違いをしたと言うことはありませんでしたか?」

 そう言われて思い出した。確かに何度かあったのだ。見知らぬ他人だと思っていたらそれが昔の友人だったとか、どういうわけか彼女の名前を間違えたりだとか、学校に行こうとしたらぼんやりして別の学校に行ってしまったりだとか。挙句の果てには帰る家を間違えたこともあった。そのときはただのうっかりだとしか思っていなかったが、考えてみればおかしな話だ。

 そう説明すると、女はなるほどと応じただけで、真剣な表情でファイルになにやら書き込み、次の質問に移った。

「あと、体に異変はありませんでしたか?例えば、何もないのに寒気がしたりとか」

 その問いかけに、またひとつ記憶の扉が開いた。

「そういえば、寒気ってほどでもないんですけど、確か急に首筋がひんやりしたことはありました」

 女が男に向けて肯いて見せた。すると男が口を開く。

「その、ひんやりした経験は、どれくらいの頻度で起こりましたか?」

「毎日、だったように思います」

「時間は決まっていましたか?」

「たぶん、だいたいお昼過ぎだったかと」

 俺の言葉を聞いた男は無言のまま満足げに肯いた。その表情に、なにか得体の知れない不安を覚えた。

「あの……。これって、何なんでしょう?」

「ご心配はいりませんよ。実験は我々の思い通りの結果に至りましたから」

「思い通りの結果って、ひんやりしたこととか、思い違いをしたことがそうだって言うんですか?」

「その通りです。実験は終了しましたので、その内容をあなたにご説明しておきましょう」

 男はちらりと女と視線を交わしてから、

「我々は、タイムマシンを開発しました。それを用いて歴史の改変は可能かどうかの検証を行っております」

「ですが、いきなり世界的な歴史を変えてしまうことはあまりにもリスクが大きすぎますので、まずは個人の歴史を変えるところから始めたのです」

 女の説明に男は小さく肯くと、

「つまりそれは、1人の人間の人生を変えるという実験。そこにあなたが参加されたということです」

「え?と言うことは、俺の過去が書き換えられたってことなのか?」

「大きくは変わっておりません。現にあなたは今ここにいて、話もちゃんと通じている。もしも根本から大きく過去が変わっていたなら、あなたはこの実験に参加しなかったかもしれませんし、我々との会話も成立しなかったはずなのです。いやそもそもここにいないかもしれない」

「じゃあいったい何が……」

 と言いかけて思い当たった。見知らぬ友人、彼女の名前、学校、そして自分の家。

「あの勘違いは、俺の過去が変わったってことなのか?」

「ええ。過去を変えると、本人の記憶に反映されるまで少々タイムラグが発生しますので、どうしてもそのような混乱が起きてしまうのです。それと、過去が変わった瞬間、個人差はありますが、寒気を覚えるということもわかっております」

 毎日感じたひんやりは、俺の過去が書き換えられていた証だったのか。思い起こせば勘違いや思い違いは必ずひんやりの後で起こったような気がする。

「あと、ペットも犬から猫に変えさせていただいたのですが、それにはお気づきにならなかったようですね」

 のんきな女の台詞にカチンときた。そんなものどうだっていい。犬だろうが猫だろうが所詮はペットだ。だがそれ以外のことは大問題だ。大きく変えていないと男は言うが、大きいか小さいかは俺が決めることだ。

「ちょっと待ってくれよ。過去を変えるとわかっていたら、俺はこんな実験には参加しなかったぞ」

「そうでしょうか?」

「当たり前だろう」

「ではひとつ質問です。我々が手を加える前の、あなたの恋人の名前を思い出せますか?もちろんマミさんではありませんよ」

 それは今の彼女の名前だ。当然それはわかる。でもマミ以外の名はどうしても思いつかない。俺が口を噤んだままでいると、

「改変前に通っていた学校も、住んでいた家も思い出せないはずです。なぜならそんな人生は最初からなかったのですから。思い出せないということはないものと同じ。つまりは今あなたが生きている人生こそが本当の人生。こうして私が実験のことを話したから過去を変えられたとお思いでしょうが、それを聞いていなければ、あなたは何の疑いもなくその人生を生きていくはずなのです」

 詭弁だ。たとえ元々の人生のことを思い出せなくても、変えられたという事実は記憶に残るじゃないか。それを抱えて生きて行けというのか。

「では、残りの謝礼をお渡ししますので、ご確認ください」

 女が事務的な口調で分厚い封筒をこちらに差し出した。こんなものいらないとつき返してやろうかと思ったがそれも一瞬のことだった。悲しいかな現金の魔力には抗えない。この実験に怒りを覚えていたはずなのに。

 不本意ながらも封筒に手を伸ばそうとしたそのとき、急に首筋がひんやりした。

 身震いしながら視線をあげると、目の前に見知らぬ男女がいた。

え?と思いながら辺りを見回す。見覚えのない部屋だ。

わけがわからずおどおどしていると、男が口を開いた。

「恐れ入りますが、弊社ではアルバイトの募集はしておりません。もしかしたらフロアをお間違えではないですか?もうひとつ上のフロアの企業の方がそんな風なことを話していたと思いますので」

 ああ、そうだ。時給のいいバイトを見つけてこのビルにある会社へ面接に来たんだった。どうもうっかりしてエレベーターのボタンを押し間違えたらしい。

 けど、なんだかしっくりこないのは、気のせいだろうか……。


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