来夏サマーデライト
①
夏休みが始まった。
海浜高の生徒会は夏休みにも活動する。二学期早々に控えている海浜祭の計画や準備、学校見学にやってくる中学生たちのヘルプが主な仕事だ。
学校見学の予約が入っているときは別として、大体は九時くらいに集まって昼前に解散する。
時折、生徒会顧問の八戸先生が差し入れを持ってきてくれることもある。
『明日って暇ですか』
篠森からそんなチャットが飛んできたのは、差し入れのガリガリしているアレ(梨味)を食べていたときのことだった。
なんとなく、周囲の視線が自分に向いていないことを確認してから返信する。
『暇だよ』
『今週、親と旅行に行ってたんですけど』
一瞬、反応に詰まった。
以前、篠森は両親と上手くいっていないことを打ち明けてくれた。父親が再婚してから、家に居場所がないのだと。
その状態で家族旅行とは、さぞかし気詰まりだっただろう。
『お土産で、賞味期限が短いのがあって』『要らないならいいですけど』
『いるいる』
甘くてもしょっぱくても、食べられるものなら大歓迎だ。
『どこで会う? 海浜美浜の駅前とか』
すぐに既読がつき、しかし返信は中々来なかった。咥えたアイスが崩れそうになって、慌てて木の棒を持ち直す。
返信がくる。
内容を見て、思わず目を瞬いた。
『先輩の家に行ってもいいですか』
おお、って感じだ。
別に断る理由はないけれど、篠森と二人で間が持つかな。
……待つか。普段、わりとくだらない話をしているし。
『いいけど、遠くない?』
続けて、住所を打ち込む。
今度はすぐに返信が返ってきた。
『ここなら、自転車で行けますよ』
そんなものか。まあ公立高校だから、不思議ではない。
それなら今度、彼女の父がやっているという定食屋へ行ってみてもいいかもしれない。
今回だって、こちらが出向く選択肢もある──いや、微妙か。多分篠森は、口実を設けて気詰まりな家を出たいのだろう。
昼間なら、叔母で同居人の藤乃ちゃんは大抵寝ている。気兼ねする必要はない。
外堀が埋まってしまった。
オーケーのスタンプを返して、仕事に戻る。
誰かを家に招き入れるなんて、いつぶりだろう。
小学生の頃は、そういう機会もあった気がする。中学時代の前半も。
けれど、藤乃ちゃんと住むようになってからは、間違いなく初めてのイベントだ。
なんだかそわそわする。配信サービスで、一緒に見る映画でも見繕っておこうかな。
浮き立っている自分を見つけて、つい口元が緩む。なかなかどうして、悪い気分ではなかった。
†
あくる日は、絵に描いたような猛暑日だった。
シリアルで朝食を取り、自室とリビングの目につく場所を掃除する。悩ましいのが服で、ルームウェアは恥ずかしいけどよそ行きもなんだかおかしい。
迷った末、オーバーサイズのシャツにショートパンツを合わせる。
ちょっと足が出過ぎている気もするが、よく考えると普段のスカートとそこまで変わらなかった。
だから、まあ、いいか。
そう思うことにする。
リビングのスマートテレビでYouTubeの料理動画を観ているうちに、約束の時間になる。
十時ちょうどに、カメラ付きインターホンが鳴った。
小さな液晶画面に、どこか所在なさげな篠森の姿が映っている。
私は通話ボタンを押して、「開けるね」と伝えて、ロック解除のボタンを押した。エントランスに入ってくる篠森の姿が画面に映る。
今日の彼女は、意外にもラフな感じのサマージャケットを着て、つばの広い野球帽を被っていた。
「いらっしゃい」
「……お邪魔します」
マンションの扉を開けると、むわっと夏の湿度が襲ってきた。
「夏の篠森はそういう感じなんだね」
「なんですかいきなり」
カメラで見えなかった下半身には、キュロットスカートを履いている。全体的にスポーティな感じだ。
あと、白い紙袋を手に持っている。これが例のお土産だろうか。
「まま、上がって上がって。暑かったでしょ」
「歩いてるだけで溶けそうです。あ、これお土産」
紙袋を受け取る。
中を確かめると、石村万盛堂の「鶴乃子」、そして明月堂の「博多通りもん」の包み紙が見えた。
時折飛び出る方言から察するに、彼女の地元は博多近辺だ。今回の家族旅行は、おそらく父親の実家への帰省だったのだろう。
「鶴乃子のほうから食べてください。賞味期限二週間なので」
「せっかくだし、後で一緒に食べようよ」
リビングに通して、冷えた麦茶を注いで渡す。篠森は、すーっと一息で飲み干した。よっぽど暑かったみたいだ。
「なにしよっか。そこのテレビで映画観るか、漫画でも読むか。それとも、どこか出かける? 近所にカラオケくらいはあるよ」
「……。」
篠森はグラスをシンクに置き、後ろを向いたまま言った。
「先輩の部屋、見てみたいです」
「お、おお」
率直な物言いに、ちょっと身構える。
そうか、見たいのか……。いや別にいいのだけど。
「別に面白くないと思うけどな」
「でも、折角なので」
「じゃあ、こっち。どうぞ」
リビングから続くドアを開けて、中に入るよう促す。
私の部屋に踏み込んだ篠森は、ぐるりと室内を見回した後、何故かほうっと息を吐きだした。
そんなにマジマジ見ないでほしい。
私は照れ隠しのつもりで言った。
「ほらね。別にフツーでしょ」
実際、私の部屋に特筆するような点はない。
六畳一間に、システムデスクとシングルサイズのベッド。そこに居座るイルカのぬいぐるみ。クローゼット。小さな本棚。ウォールナットの三段ラック。サボテンの鉢植え。
ありふれたインテリアの中で、篠森が目を留めたのは本棚の一角だった。そこには、高校受験で使った学校別過去問集──いわゆる赤本がささったままになっている。
「先輩って、美浜大附属も受けてたんですね」
語り掛けるというより、ぽろりと零れたみたいに篠森が言った。
私立美浜大附属高校は、私たちが通う海浜高校と同じ海浜美浜市内にある私立高校だ。
ちょうど、海浜美浜駅を挟んで点対象の位置にある。
名前のとおり、名門私立大学である美浜大の付属高校であり、生徒のほとんどがエスカレーター式に内部進学する。
そのせいか、偏差値は海浜よりもずっと高い。
「あー、うん。まあね。落ちたけど」
「そうなんですか? でも先輩って、いつも学年トップですよね。なら、美浜も普通に受かったと思いますけど」
なんとも直球でデリケートなことを聞いてくる。
とはいえもう一年半近く前の話だ。受験に失敗した当時はそれなりに凹んだけれど、さすがに今はもう吹っ切れている。
私はなるべく重く聞こえないよう、普段通りのトーンで答えた。
「美浜の受験日に、風邪引いちゃったんだよ。だから、滑り止めで受かってた海浜に進学したの」
「美浜の滑り止めで海浜……?」
納得がいかない様子で篠森が小首を傾げる。
確かに美浜と海浜ではかなり合格ラインに差がある。海浜はいい学校だと思うけど、学力だけを基準とするなら、もっと他の学校が滑り止め候補に挙がるだろう。
でも、私にとっては美浜の次は海浜だった。それには極めて個人的な理由がある。
打ち明けるかどうかひととき迷って、でも結局、私は口を開いた。
「中学のとき、色々良くないことがあってさ」
「え……」
「そのとき、生徒会長だった先輩に助けてもらったの。その人が美浜大附属に進学したから、私も後を追いかけて美浜を受験した。でも、さっき言ったとおり病気で駄目だったから、せめてと思って、近くの海浜高校に進学したわけ」
私が中学二年生のときだ。
父が起こした事件によって、私は全ての居場所を失った。
クラスで孤立し、行き場を無くした私を迎え入れてくれたのは、当時の生徒会長だ。
目を瞑れば、今でも瞼に姿が浮かぶ。
淡い色の地毛と、ぱっちりとした大きな目。鈴が鳴るような澄きとおる声。彼女との思い出は、今も胸の一番深い場所に刻み込まれている。
──青葉先輩。私の憧れの人。
去来した郷愁にひととき浸った後、顔を上げると、何だか篠森が怪訝そうな顔をしていた。
「どした?」
「いえ。なんか、先輩に先輩がいるっていうのが、すごく不思議で」
「そりゃいるでしょ。ていうか私、まだ二年だし」
神楽坂会長とか、普通に尊敬している先輩もいる。
「でも、私にとって『先輩』は、先輩だけですから」
「……お、おぅ」
真顔で、なんだかすごいことを言われた気がした。
ずっと立っているのも何なので、並んでベッドに腰掛ける。硬いスプリングが、二人分の体重に軋む。
「それで、その。結局、その人と再会できたんですか?」
「できてない。その人、家が厳しくてさ、中学のときはスマホ持ってなくて。連絡先とか知らないんだ」
「美浜大附属に行ってみたりは……」
「考えたけど、ちょっとキモいでしょ。中学のときの後輩がさ、わざわざ近くの高校に進学して、校門前で出待ちとかしてたら」
もしそれで忘れられてたりしたら目も当てられない。
私と青葉先輩が一緒にいたのは、半年にも満たない期間でしかなかった。私にとってはかけがえのない記憶でも、先輩にとってはどうか分からない。
──なんて。
結局、私は臆病なのだ。再会して、よそよそしくなってしまうのが怖い。
でもそれは、そんなに悪いことだろうか。誰だって、箱にしまったままにしておきたい思い出の一つや二つ、あるものだと思う。
「それにほら、私、高校入ってかなり見た目変わったし」
「え、ホントですか。わたし、中学時代の先輩、見てみたいです」
しまった。余計なことを言ってしまった気がする。
「卒アルとか、ありますか?」
「あー、いや……一応、あるけど。でも、ほとんど私の写真はないんだ。集合写真くらい」
「どうしてですか? 友達いなかったとか」
「もうちょっとオブラート大事にしよう」
「いなかったんですね」
いなかったけども。
父が事件を起こし、青葉先輩が卒業した後、私は別の中学へと転校した。藤乃ちゃんと暮らし始め、母方の姓を名乗ると決めたのもこのときだ。
転校によって、私は久しぶりに呼吸ができるようになった。あのときの決断は我ながら正解だったと思うし、後悔はしていない。
けれど、中三の転校生がクラスに溶け込むことはどうしたって困難だ。
だから、卒業アルバムに私の写真はほとんどないし、寄せ書き用の欄も空白が目立つ。
私はため息をついて、無遠慮な後輩の言葉を肯定した。
「そうだよ。いなかったの、友達」
「……まあ、それはわたしもですけど」
「篠森は現在進行形でしょ」
「いいんです、わたしは。もう、先輩が見つけてくれたから」
ひゅ、と間の抜けた声が出た。
聞き流すには、ちょっと重たい言葉だ。
はっとしたように、篠森が弁解する。
「や、その。今のは、深い意味はなくて──あ!」
勢いよく立ち上がる。篠森は慌ただしく左右を見渡して、壁に掛かった時計を見て言った。
「お、お昼にしましょう。わたし、何か作りますから」
逃げるように部屋を飛び出していく。
その背中を見つめて、私は自分の口に手を添えた。
先輩が見つけてくれたから。
鼓膜を震わせた甘い音の連なりが、耳の奥で残響する。
「……。なんなの」
焼けるような体温が、指先へ伝わっていく。
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