第8話 大団円

 裏表というと、

「歴史における重大事件」

 と呼ばれるものには、絶えず、

「黒幕説」

 というものがあった。

 一連の暗殺事件などがあれば、当時の権力者の関与が疑われる。

 鎌倉時代初期の、暗殺などにしてもそうではないか。最初こそ、

「若い将軍を補佐するために、合議制でいく」

 という、史上初の合議制というものが生まれたが、実際には、

「権力を握りたい一族が、他の一族の独裁をさせたくない」

 という、自分勝手な都合である。

 考えてみれば、当時の封建制度に、民主主義の基本のような考え方があるということ自体があること自体がおかしいのだ。

 そもそも、封建制度というのは、

「ご恩と奉公」

 という関係ではないか。

 領主が家臣の土地の保証を行い、そして、保証された家臣が領主のために、いざとなった時のための兵役ということではなかったのか。

 つまり、れっきとした上下関係であり、

「主君絶対主義」

 でなければ、うまくいかないのではないだろうか。

 だからこそ生まれた、

「いざ鎌倉」

 という言葉ではなかったのか。それを考えると、合議制という、まるで民主主義のような生ぬるいことで、体制を維持出来るわけはないのだ。

 それだけ、

「主君が家臣の土地を守る」

 というのは大変なことであり、それだけの権力が主君にあってしかるべきである。

 それなのに、合議制などにすれば、そこは、まとまるものもまとまらない。元々は北条氏が比企氏の力を抑えようとして始めたことだったのだが、比企氏を首尾よく滅ぼせた後は、

「合議制」

 なるものは、邪魔でしかない。

 かといって、急にやめるわけにはいかない。そこで、考えたのが、合議制に参加している連中の粛清である。

 ここまでくると、共産主義による粛清を思い出される。

「邪魔な勢力は次々排除」

 ということである。

 確かに、

「絶対君主制の中で邪魔な勢力は、排除する必要がある」

 と考えるのは、新しい政治体制ができた時の、常套手段かも知れない。

 考えてみれば、古代の律令制確立のため、当時強大な勢力を持っていた蘇我氏を、

「乙巳の変」

 で潰したのも、そのせいであろう。

 当時政治体制がうまくいっていなかったことで、数々のことが起こった。

 蘇我氏による、

「物部氏の滅亡」

「山背皇子暗殺においての、聖徳太子一族の滅亡」

 などがそうであろう。

 そして蘇我氏へのクーデターによって、新たに、

「大化の改新」

 というものが行われた。

 しかし、これだけを聴けば、

「大化の改新は成功した」

 と思われるであろうが、実際には大失敗だったといってもいいのではないだろうか?

 なぜなら、百済一国を救おうと、朝鮮半島の諍いに首を突っ込み、大敗してしまったことで、国内は混乱した。

 奈良の平城京に都を移すまでの間の、約70年間くらいの間に、10回近くも遷都したのである。これは、どう考えても、異常だといえるのではないだろうか?

 そもそもが、蘇我氏の政治は、海外に対しては、平等外交であり、貿易にも力を入れてきた。

 しかし、大化の改新では、百済一辺倒になり、国を危険にさらしたことは事実であり、貿易という意味でも、何ら成果があったわけでもない。

 肝心の律令制度も中途半端に終わってしまい、結局、天智天皇が、本当であれば、弟の大海人皇子に王位継承を行うべきものを、勝手に息子の大友皇子を王位継承と決めたことで、吉野に逃れた大海人皇子が決起することで、起こったのが、古代最大の戦争と言われた、

「壬申の乱」

 だった。

 ここで、大海人皇子が勝ち、天武天皇として即位することで、やっと律令制度が前を向き始めたのだった。

 しかし、実際にはその天武天皇の死後、皇后が、自分が生んだ皇子を帝にということで、策謀を巡らし、第一の皇子を謀反の罪という濡れ衣によって、滅ぼしてしまった。

 しかし、その自分の息子で天皇となった皇子も、結局早死にをしてしまったので、その子が大きくなるまで、自分が女帝として即位し、持統天皇として、君臨しなければいけなくなったのだ。

 それが、大化の改新から、奈良時代までのあらましだったのだ。

 この時代に代表されるように、史実のように伝わってきたのは、

「朝廷の力を失墜させ、自分たちの一族で政治を行おうとしていた蘇我氏を、中臣鎌足らによって、蘇我氏が滅ぼされることで、新しい世の中である律令国家が生まれた」

 とでもいうようなことが言われてきたのだが、実際には、混沌とした時代だったということが言えるのではないだろうか?

 歴史というのは、そういうことの繰り返しで、今までは、

「悪者と言われてきた人の汚名が挽回されてきて、逆に、英雄視されてきた人が、実は暗躍によって、地位を得た」

 ということが、どんどん分かってきたのだった。

 発掘や、その時代の前後の見方が変わってくると、いろいろな違った見え方ができてくる。それが歴史というものだ。

 時代小説というものが、フィクションであるが、これには、二つの考えがある。

 一つは、

「結果が分かっていて、その結果に対しての過程が違っていたということで、原因と結果という史実と言われていることをいかに結びつけるかということが、一番の問題である」

 ということだ。

 もう一つは、

「原因も結果も、どちらも、信憑性がないのだから、原因だけは正しいとして、結果を正反対のこと、つまり戦であれば、勝者と敗者が逆という結論にしてしまい、そこに至るまでにどのようなストーリーが生まれるかということを作り上げていくものである」

 ということであった。

 それをテーマに考えることとして、歴史上の謎と言われるものに、

「本能寺の変」

 と、

「竜馬暗殺」

 というものがある。

 竜馬に関しては、また別の機会で話すことになるかも知れないが、本能寺に関しては、前述の、

「キリシタン暗躍説」

 というものを考えた。

 さらに、その少し前の時代において、

「武田信玄、現代人説」

 というものも発想として出てきた。

 その両方において、

「裏表の発想」

 というものがあり、この発想が、

「時代小説と歴史小説の関係」

 に関わっているかのように感じたのだ。

 そして、ここにSFの発想が絡んできて、

「パラレルワールド」

「タイムパラドックス」

 などを絡めたのだ。

 時代小説では、最近では、

「タイムトラベル」

 という発想は結構ベタになってきている。

 というのも、

「若い人たちは歴史に対して、どうにも苦手意識しかないだろうから、なかなか普通の時代小説では食いついてこない。何と言っても、時代小説が、フィクションであっても、そのまわりは、史実に基づいていることが多いからだ。史実の中に、フィクションを混ぜることで話を面白くしようとしているのに、何が史実なのかということすら分からない連中に時代小説の面白みが分かるわけがない」

 本来なら、そんな連中は、放っておけばいいのに、そんな連中まで取り込もうとして、「SF、しかも現代からのタイムスリップなどという手法を使わないと読まれることはない」

 と考えることで、本来の時代小説が好きな人が離れていく可能性があることに、気付かないのかも知れない。

 これだって、一種の裏表ではないか?

 そう考えると、

「時代小説で、最後に辻褄を合わせるという、タイムパラドックスと、パラレルワールドのような関係は、本当にいいのだろうか?」

 と思えてきたのだ。

「結局は、歴史という者を理解していないと、時代小説も書くことはできない」

 ということなのだろう?

「本能寺キリシタン関与説」

 さらには、信玄タイムスリップ説」

 というような小説も、どこか裏の部分を書こうとして、

「実は表だった」

 というオチではないだろうか?

 とにかく、時代小説を書くにしても、歴史をしっかり認識していないとできないということを思い知らされた。

 これこそ、合わせ鏡のような、マトリョシカなのかも知れない。


                 (  完  )

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合わせ鏡のようなマトリョシカ 森本 晃次 @kakku

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