第10話 イライラしてても小動物には当たれない・後編

 散歩で見かけた大きな四角い建物が、文献調査で入っていた墓?


「そう。ここからあそこまで大勢で歩いたら人目を引くだろ。だから魔法陣で繋いでるんだ。向かいの大きな屋敷がネルロス家」

「え……」


 ということは、昼間会ったケイトという少女は、その屋敷に帰って行ったからネルロス家の人間ということか。

 インティスが暁の様子に気付いたようだった。


「その顔、何かあったみたいだな」

「あ、いや……」


 言い方に含みを感じた暁は否定しようとしたが、インティスはそれ以上追求してくることはなく、肩をすくめただけだった。


「と言っても、俺も詳しくは知らないんだ。あの墓と屋敷がネルロス家のもので、昔その家にいたトリ・ネルロスっていうやつが、王家の呪いの調査をしてたってことしか」


 インティスからは事実だけが伝えられる。

 つまり、いつのものかは知らないが、その調査結果を今自分たちが掘り起こしているというわけだ。

 言われてみれば、いつも魔法陣で直接内部に転移するから、墓自体の外観を見たことはなかった。


「許可はちゃんと取ってあるから、何か聞かれても調査のことは秘密にしなくていいよ」

「はぁ……」


 それだけ言うと、インティスは物置の整理に戻って行った。



    ◇



 翌日、別に何かを期待しているわけではなかったが、暁の足は何となく昨日と同じ方向へ向かっていた。

 歩きながら改めて感じるのは、日本との空気の違いだった。

 向こうでは存在しているだけで喧嘩を売られるのに、この世界ではそのようなことは一度もない。

 後ろでまとめ切れずに落ちて来る自分の金髪が視界に入り、溜息をついた。

 日本では目を引くこの髪色も、ここでは当たり前だ。むしろもっと派手な人間もいるし、いつも因縁をつけられる目付きも同様だ。誰からも気にされない。

 外見で人格を判断されない世界を、肌で感じてしまっていた。それは思っていたよりも心地良く、つい日本に戻る足を躊躇わせるくらいにまでなっている。

 ただ、夜はどうしても戻らなければならない。母親が昼間の仕事から戻り、夜間の仕事に向かう前に夕食を準備して行く。その食材は自分が用意しておかなければ、すぐに支度に取りかかれないからだ。妹をなるべく一人にしたくないというのもある。

 母親とは仲が悪いわけではないが、あまり顔を合わせたくなかった。


「あっ、こんにちは」


 かけられた声に顔を上げると、いつの間にかネルロス家の前まで来ていた。

 肩までのふわふわの髪をそよ風が撫でる中、ケイトは今日も晴天の下、花壇に座っていた。


「また会えたわ。昨日はありがとう」


 大人しそうな、だが人懐こい笑顔でケイトは暁を迎えた。


「ねえ聞いて、この花、ヒノハナって言うんだって。形がお日様みたいよね。昨日帰ってから本で調べたの」


 暁が側に来るなり、ケイトは友人を相手にしているかのように話し始める。


「あっ、ごめんなさい。もう知ってるかしら」

「いや……」

「本当? 良かった」


 花壇に座っているケイトは、風に揺れるヒノハナを眺めていた。チューリップの花部分がひまわりになっているような花だった。色とりどりに咲いている。

 そうしているうちに、いつの間にかケイトの視線が自分に向けられていることに暁が気付く。


「……なんだ」

「ううん」


 目が合うと、ケイトは笑って視線を落とし、首を横に振った。

 が、少し間をおいてから俯いていた顔を上げ、もう一度暁を見上げた。

 それは、ようやく話し相手が見つかったと言わんばかりの、嬉しそうな顔だった。


「……あのね、私……本で色んなことを調べたの。そしたら、太陽の光は人を元気にするって書いてあって」

「はぁ……」

「私、小さい時から体が弱いから、毎日太陽の光に当たってたら、元気になれるかなって思ったの」

「…………」

「あら? 向こうの花壇には、こことは違う花が咲いてるわ」


 急に身の上話をしたかと思えば、暁が返事に困っている間に一つ向こうの花壇に咲いている花をじっと見ている。

 そして、座っている花壇から下りようとし始めたが、見ていて非常に危なっかしい。着地を考えずに、とにかく必死だ。


「待てよ」


 このままでは間違いなく落ちると思い、思わず声をかけてしまった。

 そして、手っ取り早く体幹を抱えて地面に下ろす。


「まあ、ありがとう。歩くのは一人でも大丈夫よ」


 彼女はそう言って、花壇伝いにゆっくりと移動した。

 体が弱いと言っていたが、それを証明するように歩き方が頼りない。支えがなければ歩くこと自体難しそうに見える。

 ケイトが目的の花壇まで進んだので、今度はさすがに体幹を抱えて持ち上げるのは乱暴だと思い、背中と膝裏に腕をやって抱き上げ、花壇の上に座らせた。妹と同じくらい軽い。


「助かるわ。私一人じゃ外にも出るだけでも大変だから」

「昨日の召使いにでも手伝わせりゃいいだろ」

「え?」


 暁の言葉にケイトは驚いた顔をした後、すまなさそうに笑った。


「……そんな……私のことで誰かに迷惑をかけるのは悪いわ」

「それは……」


 彼女の遠慮がちな目が妹によく似ていて、思わず言葉に詰まってしまった。



『ねえお兄ちゃん、お昼ご飯はインスタントラーメンがいいな』

『お母さんがね、日曜だけならいいって言ったの。……いい?』



 いつかの日曜日のことを思い出す。

 母子家庭ではあるが、栄養が偏るからとインスタント系は週に一回までという決まりで、妹はまだ一人で火を使うことを禁止されていた。


「……迷惑かどうかはお前が決めることじゃねぇ。やりたいなら言えばいいだろ」

「……! そうね、そうしてみる」


 人生の大きなヒントを得たような顔で大きな目を更に丸くしてから、ケイトは笑った。

 その時、屋敷の扉が開く音が聞こえた。恐らく昨日の召使いだ。

 ケイトが暁に手短に声をかけた。


「ねえ、私は晴れた日は毎日この時間にこうしてるんだけど、明日も会える?」

「明日? いや、多分日による……」

「そう。じゃあ、また会えたらお話しましょうね」


 暁の中途半端な返事にも気を悪くすることなく、最後にようやくお互いに名乗って別れた。



    ◇



 夕方頃に暁が薬屋に戻ると、インティスが薬屋に来ていた。いくつか本を持っている。


「何かあったのか」


 暁が声をかける。昨日も会ったばかりだが、勉強の邪魔になるからと、彼なりにあまり顔を出さないようにしているらしい。

 そういえば、フェレナードが暗号をようやく解いたと散歩の前に聞かされていた。

 彼は短く答えた。


「あと少しでフェレの文献の解読が終わりそうでさ」

「ああ……」

「ようやくこの間持ち帰った箱にも手をつけられるから、その調べ物の準備」


 箱には文献が入っている時と、それ以外の物が入っていることがあると聞いていた。この間持ち帰った箱とは、以前馬の守護獣を倒した時の物だ。


「あ、だからって調査を早めることはないから。そのテストってやつ、大事なんだろ」

「んー……」


 思わず言葉を濁してしまう。

 大事なやつには大事かもしれないが、少なくとも自分にはそれほど大事ではなくなっていた。



    ◇



 ダグラスの特訓の期間とは違い、なぜかテスト勉強の期間はあっという間に過ぎた。

 それは期末テストが三日前に迫った六月下旬の土曜日のこと。

 その日はテスト対策で覚えること以上に、情報量の多い一日だった。

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