第10話 イライラしてても小動物には当たれない・前編

 期末テストの時期はどこの高校も似たようなもので、優貴とことみの高校と暁の高校は、日程がほとんど同じだった。

 自分たちが生活している世界は誘惑が多い。手元のスマホに少しでも触れば、SNSやニュースの通知が見てよ見てよと飛び込んでくる。

 というわけで、優貴もことみも世界をまたぎ、薬屋のラウンジで勉強することにしていた。特に言葉を交わすわけでもなく、互いに干渉せずに教科ごとに暗記と文章題を進めて行く。

 暗黙の了解のように二人とも自室に引っ込まないのは、そこまで自分たちを追い込みたくないからだ。ラウンジにいれば、インティスが来た時に話し相手にもなってもらえる。息抜きは大事である。

 優貴はインティスとフェレナードに、テスト期間中の文献調査を休めないか相談したことがあった。彼らはことみと暁から定期テストの存在を聞いていたようで、休みについては快く応じてくれた。


「……ねえ、暁は?」


 調査が休みだと、ここに来ること自体は任意になる。

 暁の姿が見えないのが何となく気になり、優貴はことみに聞いてみた。


「こっちに来てるとは思うけど、どっか散歩じゃない? 中間テストの時もそうだったから」

「さ、散歩……?」


 テスト期間なのに勉強しないのは、既に完璧だから必要ないのか、最初から諦めているかのどちらかだと思う。暁は後者のような気がした。


「赤点とか大丈夫なのかな……」

「そんなの、自分で何とかするでしょ」

「う、うん……」


 ことみがあまり気にしないこともあり、優貴も大人しく勉学に勤しむことにした。



    ◇



 優貴たちがラウンジで教科書と格闘している間、暁はずっとネラスの街中を散歩していた。

 ここに来た最初のうちはインティスやフェレナードから外出許可が出なかったが、中間テストの期間になって、どうしてもネラスで時間を潰したいと迫った(相談した)結果、なんとか近所なら外に出てもいいと言われたのだった。

 薬屋は街の一番北西の隅に位置しているので、建物を出てから東の中央通りへ向かってまっすぐ歩いて行った。これなら、戻りたい時は引き返すだけで済む。

 薬屋から中央通りまではいわくつきの人間用の店も多いので、昼間でも薄暗く、人通りは少ない。

 やがて街の真ん中を通る橋を渡って中央通りに到達したが、時間はまだたっぷりあるので更にまっすぐ東へ歩くことにした。

 街は区画がわかりやすく、広い道と細い道の区分がはっきりしていて、来た道さえ覚えておけば迷わずには済みそうだ。

 中間テストの時は中央通りの向こうに足を伸ばすことはなかったが、そこは左手側に大きくて立派な屋敷が並び、右手側に図書館を始めとした公共の建物が並んでいる。その街並は歩くだけで景色が変わることから、自分たちが住んでいる所よりも小さな街なのだろう。

 右手の景色が公共施設から今度は四角い石がいくつも並ぶようになった。石が白いだけで、その景色はさながら墓地だ。綺麗に整備されて荒れている様子はないが、道幅がだんだん狭くなってきた。通りが終わりに近付いているのかもしれない。

 この世界で時間を潰したい理由は、日本に戻って同じことをすると、大体トラブルに巻き込まれるからだ。顔もよく知らない相手と喧嘩するつもりはないのに、向こうが勝手に道を塞ぎ、かかってくるというのが毎回のパターンだ。

 なぜ絡まれるのか、具体的な理由は、恐らく自分のこの目付きが気に入らないとかなのだろう。最初に喧嘩になった時にたまたま殴り合いで勝ってしまったので、その逆恨みの連鎖という可能性もある。無視して通り過ぎようとすると逃げるのかと煽られ、ついその流れで喧嘩になってしまうのだった。

 かといって、家でじっとしているのも居心地が悪い。母親が夜間の仕事の前に、一度帰って来てしまうから。

 右手側に広がる墓一帯の一番奥に一際大きな四角い建物が見えた。そして、通りを挟んだ屋敷の前で少女が座り込んでいて、それはうずくまっているようにも見えた。


「……おい」


 ここまで来て、何もなかったように引き返すことはできない。

 暁が近付いて声をかけると、少女ははっとして顔を上げた。

 肩で切りそろえたふわふわの髪は、大きな目と同じ、澄んだ明るい茶色だった。


「あの、ごめんなさい。花壇に座るのを手伝ってほしいの」

「は?」


 少女が指さした花壇は屋敷の門にあり、暁の腰くらいの高さだ。誰でも手をつけば座れそうだが、少女は恥ずかしそうに、後ろめたそうに笑う。


「花をよく見ようとしたら落ちちゃったの。あの……お願い」


 少女はそう言って、両腕を暁の前へ差し出した。小さな子供がだっこをせがむような仕草だ。それは、恐らくそろそろ家に帰ってくるはずの、七つ下の妹の姿に重なって見えた。


「…………」


 妹はまだ小学生だが、目の前のこいつはどう見てもそれ以上はある。自力で座れそうなものだ。

 だが、からかっているようにも見えなかったので、花壇に座る手助けをしてやることにした。

 布の厚みで膨らんだスカートは幼い外見の割に落ち着いた色で、ドレスのように長かったが、座らせると新品のように綺麗な靴を履いた爪先が覗いていた。そして妹と同じくらい軽い。


「ありがとう、今度は落ちないようにするわ」

「はぁ……」


 そよ風に揺れる花壇の花を、少女は満足そうにしばらくの間眺めていた。




「ケイト様、ケイト様! こんなところに!」


 門を開けて慌てて走って来たのは召使いのようだ。少女の名前はケイトと言うようだった。


「もうすぐ日が暮れますよ、戻りましょう」


 そう言って、召使いはケイトの体を抱きかかえ、ゆっくりと下ろす。

 その後も召使いが手を差し伸べると、ケイトはその手を取って少しずつ歩き始めた。おぼつかない足元から、どうやら足が悪いようだ。先ほどの召使いの慌てっぷりから、恐らく一人でこっそり外に出て、自力で花壇に座ったもののバランスを崩して落ちてしまい、そこに暁が通りかかったと推測できた。怪我がなかったのが幸いすぎる。

 すれ違いざま、召使いから睨まれた。側にいたせいで、大事なお嬢様に何かしたのかと思われたかもしれない。

 すると、召使いが先導を始めてすぐに、ケイトが小声で話しかけてきた。


「さっきはありがとう。助かったわ」


 彼女はそれだけ言うと、暁が返事をする前ににこっと笑って屋敷に戻って行った。


「…………」


 何だったんだ。

 呆気に取られていたが、自分が散歩中だったことを思い出した。進行方向は道が終わっていた。

 改めて見渡すと墓地の敷地は広かったが、墓石が全て白いせいか日本と違っておどろおどろしい雰囲気はなく、花畑や緑の多い明るい土地だった。

 一つあたりの規模は日本の墓と変わりなく、ケイトが入って行った屋敷の通りを挟んだ向かい側の奥には、先程も目についた墓地の中で一番大きな、建物にすら見える墓。

 石造りで、外観は完全に四角い。一辺は大人が腕を広げて三人は立てそうだ。内部も相当広いのだろう。

 だがそれでも、家の目の前が墓場というのは、どうにもいい気がしなかった。



    ◇



 引き返して、薬屋に戻る頃には陽が沈もうとしていた。


「おかえり、道にでも迷った?」


 一階の奥の物置を整理していたインティスが、帰って来た暁に声をかけた。


「は? いや……」


 一瞬言葉の意味がわからなかったが、昼過ぎに出て夕方に戻ってくれば、確かに途中で道に迷ったと思うかもしれない。


「墓があるところまで行った」

「墓? あんなところまで?」


 この建物と、大通りを挟んでちょうど反対側にあるようなところだよ、とインティスが教えてくれた。

 印象に残っているのは、やはり墓の中でも一際目を引いた四角い建物だった。

 暁がそれを伝えると、インティスは更に追加の情報を寄越してきた。


「ああ、その四角いのはトリ・ネルロスの墓だよ。いつも魔法陣で行ってるだろ」

「何だって?」


 予想外な情報に、暁は思わず聞き返してしまった。

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