スタンダップ! アオハル!

高田正人

スタンダップ! アオハル!



 学園都市パイオニアは、三大学園を中心に数十の学園が集まって形成されている。

 ここは、人類に課された命題を解くためならばあらゆる手法が許され、才能のある学生は超法規的な措置で入学することもできる都市だ。



「真尋の奴……まだサボってるな。これで一週間だぞ」


 セントラルタワーの前で、俺は上階を眺めてため息をつく。ここは、三大学園の協力で建てられた学園都市の司令塔だ。

 俺は神原貴之(かんばらたかゆき)。パイオニアの生徒の一人だ。

 科学技術や情報工学が幅を利かせる学園都市だけど、俺が専攻するのは神秘学だ。民俗学的な観点から調査もするけれど、呪術や魔術を「ロジック」として活用できないか研究している。

 そして今日は、真尋と共同開発したプログラムの調整をする日だった。



 音無真尋(おとなしまひろ)は同じクラスの女子で、正真正銘の天才だ。外見は小学生と間違えそうなくらい小柄で運動神経もゼロだけど、物理学に関しては異常な才能がある。素粒子力学の論文を海外で発表しているらしい。


「どうせ部屋にこもってゲーム中だろうな。まったく、プログラムの調整はあいつしかできないのに」


 真尋はほぼ引きこもりで、たまに授業に出ても大抵寝てる。

 そんな彼女が作ったのが、俺のような神秘学を学ぶ学生が扱う呪術系のロジックと、真尋のような物理学を学ぶ学生が扱う科学系のロジックを組み合わせた、最先端のロジックプログラムだ。

 思考が法則に干渉する現象がロジックなんだけど、真尋のプログラムは理解不能そのものだ。

 六次元のベクトルにアーキタイプごとねじれて、カラビ・ヤウ多様体がエゴグラムを模倣している(……と本人が言っていた。わけが分からん)。

 呪術の神秘性と科学の普遍性を融合させたものが「シンセシス」と名付けたロジックプログラムなんだけど、真尋はそれをほぼ完成させた。

 でも、あいつはプロトタイプを渡したら後は知らん顔だ。内部が完全にブラックボックスになっている。

 結局こうやって、俺が自分の足で真尋のところに行く羽目になるのだ。

 俺は入り口でロボットのセキュリティに学生証を提示して、エレベーターに乗った。



 セントラルタワーの居住区にたどり着く。超高級マンションさながらの内装だけど、ここにいるのは筋金入りの研究マニアばかりだから、内装なんてどうでもいいのだろう。メイドロボットが掃除しているのが空しく見える。

 俺は真尋の部屋のドアの前に立ち、インターホンを鳴らす。


「……ふぁ~あ、ええと……誰?」


 スピーカーから眠そうなか細い少女の声が聞こえてきた。真尋だ。


「おい、カメラくらい見ろよ。俺だよ、神原だ」

「だって今いいところなんだから――よーしそこだっ! 撃てーっ!」


 人を玄関前に待たせて自分はゲームかよ。


「おい真尋、いい加減にしないと怒るぞ」

「ん……ああ、貴之ね。はいはい、分かってるってば。今ロック空けるから待ってて。あ、こら、逃げるなー!」


 まったく……と思いつつ、ドアのロックが解除されたので中に入る。


「あ~あ、こりゃひどいな」


 俺を玄関で出迎えたのは、ゴミ袋の列だった。廊下には脱ぎ散らかした制服や段ボール箱やファストフード店の紙袋が散乱していて、足の踏み場もない。

 俺は潔癖症だ。

 民俗学を専攻して呪術をロジック化する過程で、神道のケガレの概念がフィードバックしたらしい。

 足元から不快感が這いあがってくる。これが知り合いの部屋じゃなかったら、俺は息を止めて逃げ出している。


「あいつ、こんな生活続けてたら死ぬぞ……」


 俺は真尋の部屋に向かって歩き出す。セントラルタワーの維持費を考えると、この惨状は嘆かわしい。メイドロボットをレンタルしろよ。

 そうやってゴミと私物の隙間をくぐり抜けていくうちに、真尋の部屋の前にたどり着いた。俺はノックをする。


「お~い真尋、来たぞ。開けてくれないか?」


 部屋の中から返事が聞こえた。


「はっはっは、勇者よ、よくぞここまでたどり着いた」

「変なロールプレイはやめろ。現実とゲームの区別がつかなくなってるぞ」

「ちぇっ、しょうがないなあ。ちょっと待って、セーブポイント探すから」


 俺はため息をつきながら待つことにした。やがて中から声が聞こえる。


「お、あった。セーブ完了っと。じゃ、入っていいよ」


 ロックが解除され、俺は中に入る。

 そこは、引きこもるために徹底して改装されたゲーマーの部屋だった。カーテンは全部閉めてあり、ロジックで外光が遮断され空調が維持されている。

 最新鋭のPCとゲーミングチェア。そして床に散乱する分厚い専門書。英語の物理学の本が目立つ。それと日本の民俗学関連の書籍。

 部屋の真ん中にあるテーブルの上には、食べかけのお菓子とジュースのペットボトルと栄養ドリンクの空き瓶が並んでいる。

   

「あ~疲れた。さすがに昨日の夜中からぶっ続けでハクスラは肩が凝るなあ」


 くるりとゲーミングチェアが回ると、小柄な少女が姿を現した。

 髪型は一応ツインテール。ちんちくりんな体形。手足は細くて色も白い。童顔でいたずらっ子っぽい感じは可愛いけど、今は目の下に隈が少しある。

 こいつが音無真尋。俺と共同で(九割は真尋が書いたんだが)シンセシスというプログラムを作り上げた天才少女だ。


「脚閉じろ。だらしないぞ」


 猫のようにゲーミングチェアの上で伸びる真尋。大股を開いてスカートがめくれ、細い太ももが見えていた。


「ん? 別にいいじゃん。貴之だし」

「俺は男として見られてないのか」

「貴之を異性として見るのは難しいかな。私にとって異性は一種の未知なんだ。だからちょっと怖くもある。その点貴之は気心が知れているから安心だね」

「そりゃどうも」

「あ、でも、私だって女の子なんだから、男子が部屋に来るのはちょっと恥ずかしいかな」


 何が恥ずかしいだ。俺は思いきりため息をつくしかない。


「うああ……疲れたあ。で、貴之、今日はあれだっけ。シンセシスに質問? それとも一緒にブラッシュアップ?」

「まあ、調整。やっぱりお前は天才だよ。どうして九天応元雷声普化天尊の極小ロジックと既存の物理ロジックを組み合わせただけで、こんなに高度な処理ができるんだ?」

「それは企業秘密。あ、お茶出すから座って」


 真尋が椅子からずり落ちてきた。俺はテーブルの近くのクッションに座る。


「真尋、お前ってまだ引きこもり生活続けてるんだな」

「ん……まあ、ね。外、怖いから」


 部屋の隅の小型冷蔵庫からペットボトルのお茶とコーラを出す真尋。ふにゃふにゃした感じで笑うけど、目は笑ってない。


「……貴之も知ってるけど、私は小さい頃心臓が弱くてずっと病院にいたんだ。だから友だちなんていなかったし、学校行事にも参加できなかった。手術が成功してからやっと学校に行けたんだけど……思ってたのと全然違ったなあ」


 真尋は急にしゃべり出した。ずっと誰とも会話していなかったから、聞き手に飢えていたんだろうか。


「アオハルとか青春とか言ってもさ、みんな他人が嫌いなんだよ。誰かの悪口ばっかりで、自分より下を見つけないと安心できない。そういうのが嫌になって……不登校になって……そのままずるずると、こんな感じ」

「真尋……」


 俺はパイオニアの学生だけど、学園内がギスギスしていると思ったことはない。でも、真尋には憧れの学生生活がそんな風に感じられたんだろう。


「だから貴之が私を助けてくれた時、ちょっとだけ嬉しかった。学校は怖いから、貴之がたまに来てくれるだけで私は充分。あとはゲームしたり漫画読んだりしていれば楽しいから」


 助けてくれた、と真尋は言った。俺が何をしたんだろうか。

 こうして俺が真尋と関わるようになったのは、俺の書いたレポートに真尋が興味を示したからだ。最初はメールでのやり取りが続き、電話で話すようになり、今は面と向かって話をしている。

 学園では真尋は誰とも会話しないし目も合わせないのに、俺に対してだけは緩みきった姿を見せている。


「私のアオハルポイント、全然溜まってないなあ」


 けぷっ、とコーラを飲んで小さくげっぷをした真尋は、寂しそうに笑った。


「なんだよ、そのアオハルポイントって」

「ん? 青春らしいことをしたら、私の中でカウントされる仮想通貨みたいなもの」


 わけが分かるような分からないような。


「友達と外に遊びに行く、とか?」

「10点」

「オシャレなコーヒーチェーン店で注文する、とか?」

「30点」

「インフルエンサーの紹介してるテーマパークで自撮り、とか?」

「50点」

「異性とデート、とか?」


 真尋が派手にむせてからうつむきがちに言う。


「……200点」

「で?今の真尋のアオハルポイントはいくつなんだ?」

「0点」

「そんなに卑下するなよ。お前はパイオニアが認める天才だろ? 自信を持てよ」

「でもさあ……アオハルって貴之も憧れるでしょ? 私は外に出たくないから、青春なんて縁のない話だよ」


 真尋がこんなに絡んでくるのは珍しい。


「まあ、学生の間でしかできないことってあるよな。もし真尋がどこかに行きたいって言うなら付き合ってもいいぞ」

「……ん、ありがと。考えてみる」


 真尋ははにかんだ様子で、空になったコーラのペットボトルを床に転がす。そういうことをするからゴミがたまるんだぞ。


「……ごめんね、暗い話しちゃって。シンセシスの調整だったよね? うん、やろう」


 真尋はちょこんと俺の隣に座った。俺は持ってきたPCを開こうとして……気づいてしまった。



 なんかこう、アレがする。

 普通隣に女の子が座ると、シャンプーとかのいい匂いがするのがお約束だろう。真尋の場合は違う。言いたくないけど……うん。


「……おい、真尋」


 女の子にこういうことを聞くのは気が引けるけど、俺は潔癖症だ。


「ん? なにさ~」

「あえて聞く。お前、最後に風呂に入ったのはいつだ?」

「……え?」


 真尋がフリーズした。


「いいか。正直に言え。昨日は入ってないよな?」


 俺の詰問に真尋は焦る。


「アッ、ハイ」

「じゃあいつ入った? 一昨日か?」

「ええと……■■■くらい、前?」


 ……イマ、コイツハナンテイッタ!?

 ――■■■、風呂に、入って、いないだと?

 ■■■!!??


「不潔! お前なあ! いい加減にしろよ! 汚いだろうが!」


 俺が超失礼な反応をしたせいか、真尋は唇を尖らせる。


「だ、だって、面倒くさいんだもん! ずっと引きこもってるから代謝が少ないし、汗かかないし、寝る前に歯を磨いて顔洗えばそれで充分だもん!」

「それでもお前は女の子だろ! 身だしなみには気を遣え!」


 知り合いだし放っておけないから、このゴミ屋敷寸前の真尋の部屋にも入って行けた。でもさすがに限界だ。■■■風呂に入ってない女子なんて我慢できるわけがない。

 俺は鞄を開けると、常日頃持ち歩いているゴム手袋をはめる。


「真尋」

「な、なに? 貴之、目が怖いよ……」

「俺は潔癖症なんだ。■■■風呂に入ってない女子はなあ、生きたゴキブリと同じくらい不快なんだよ。だから……今からシャワー浴びるぞコラァ!」


 俺は真尋につかみかかった。ゴム手袋をはめた手でそのきゃしゃな体を捕まえる。


「うわああああ! やだあああああ!」

「大人しくしろ! さあ一緒に風呂に入って俺が隅々まできれいにしてやるからな!」

「いーやー! 自分でシャワー浴びるからっ!」


 じたばたと暴れる真尋の小さな体を俺は抱え上げ、バスルームに連行する。こいつ本当に軽いな。


「いいから早く脱げ! 脱がねえならこのままバスタブに沈めてやる!」

「自分で脱ぐから! 自分でやるからやめてー!」


 俺はバスルームのドアを乱暴に開ける。


「特殊清掃の時間だオラァ!」

「私の家を壊さないでよぉ!」

「この程度で壊れるわけないだろ! ゴミをその辺に放置する方がよっぽど家に悪いわ!」


 バスルームはあまり使ってないのかピカピカだ。

 給湯器のスイッチを入れて、バスタブにお湯を満たしていく。でも待っていられない。バスルームの床に真尋を下ろすと、シャツの裾に手をかける。


「えっっっち!!!!」


 真尋の叫びで俺は少し正気に戻った。いや、そうだな。さすがにそれはまずい。


「うう……貴之がいじめる……」

「いいか、真尋。俺はいったんここを出るから、しっかりシャワーを浴びるんだ。バスタオルを体に巻け。分かったな?」

「バ、バスタオルって……な、なんで?」

「俺がお前の頭を洗うからに決まってるだろうが!」


 一瞬で真尋の顔が沸騰したかのように真っ赤になった。


「はああ!? 女の子のお風呂に入るなんて何考えてるのさ!? ヘンタイ!」

「カラスの行水にならないように俺が洗うんだよ! それに俺は変態じゃない。潔癖症だ!」

「やだやだやだ、貴之にヌードなんて絶対に見られたくない!」

「いいから――風呂に入れぇ!」


 俺は真尋を置き去りにしてドアを閉めると、近くのゴミ袋でバリケードを作った。端末を開いて物理ロジックを起動し、それを床に固定する。中で真尋はバタバタと暴れていたが、やがて観念したらしく静かになった。


「よし……やるか」


 俺は深呼吸して気持ちを落ち着ける。真尋の部屋に戻ると、服を脱いで鞄から取り出した自分専用のタオルを腰に巻く。これからゾンビのあふれかえる墓地に突入する戦士の気分だ。

 バスルームに戻り、物理ロジックを解除してゴミ袋を取り除けた。ドア越しに中に呼びかける。


「真尋――入るぞ」

「ひいっ!? た、貴之!?」

「体をちゃんと隠せよ」

「わーわーわー! ヘンタイヘンタイヘンタイ!」


 俺はバスルームの中に足を踏み入れた。バスタオルを体に巻いた真尋が、隅っこで縮こまっている。バスタブにはお湯がたまってきたが、まだつかるには早い。


「よし、そこに座れ。頭を洗うぞ」

「いやぁ……恥ずかしい」

「今さら恥ずかしがるな。徹底的にきれいにしてやる」


 真尋は俺の剣幕に圧されたらしく、半泣きでバスルームの椅子に座った。俺はシャワーのノズルを取ってお湯を出す。いい感じの温度になってから、真尋の頭にかけていく。


「ふわぁ……」

「ほら、すっきりするだろ。ちゃんと毎日入った方がいいぞ」

「すぐにのぼせちゃうんだ、私」


 振り返った真尋がそう言うけど、ふにゃ〜とした顔で気持ち良さそうではある。


「お前なあ……女の子なら髪とか肌の手入れはちゃんとしろよ。せっかく綺麗な顔してるのに、もったいない」

「えっ? そうなの?」

「……まあ、可愛いと思うぞ、俺は」

「えへへ……ありがと」


 俺の言葉を聞いて真尋は嬉しそうに笑みを浮かべる。やっぱり女の子だ。

 俺は近くのシャンプーを取る。しばらく迷った末に、思い切ってゴム手袋をはずした。潔癖症からすると一大決心だ。素手でシャンプーを泡立てて真尋の髪を洗ってやる。


「あ~結構いいかも……」


 リンスは軽くにして、時間をかけてしっかりと洗い流した。最後にちょっと苦戦しながら、タオルで真尋の髪を一つにまとめる。


「うわ、貴之上手だね。お姉さんか妹にやったことあるの?」

「いや、見よう見まね。こんな感じでいいか?」

「うん、ありがとう。私面倒くさいから髪とか適当でお風呂入ってたし」

「信じられないな本当に……」


 横のバスタブを見ると、だいぶお湯がたまってきた。


「お湯もたまったからちゃんと入れ」

「うん……一緒に入って?」


 真尋が甘えた声で言う。


「だめだ。後は自分でやれ」

「そんなこと言わずに~。ほら、背中流してあげるから」


 吹っ切れたのか真尋が積極的になってきたけど、潔癖症の俺は他人と同じバスタブに浸かるのはごめんだ。

 俺は真尋を振り切り、自分の体と頭を念入りに拭いてから服を着て、ようやくひと息つくことができた。



 バスタオル一枚の真尋が、しばらくして髪を拭きながら戻ってきた。手には、床から拾ったと思しきTシャツと短パンを持っている。


「あ〜、のぼせちゃった。なんか時間を無駄にした気分」

「次同じことしたら、洗濯機に放り込んでやるからな」

「あはは、冗談だってば」


 俺が凄むと、真尋は冷や汗をかきながらクローゼットに向かう。


「着替えるからこっち見ないで」

「分かってる。今のうちに準備しておく」


 真尋が服を着ている間に、俺は自分のPCの電源を入れる。シンセシスの動作確認をするためだ。OSが起動すると、真尋がモニターを覗き込んできた。


「ふむふむ、やっぱり市販のPCじゃダメだね。どうせなら全部自分用にカスタマイズしちゃえばいいのに」

「そんな簡単に言うけど、組み立てなんて面倒なんだよ」


 真尋が俺の肩越しにくすくす笑うと、自分のPCの前に座る。


「じゃあ、私が貴之専用のを組み上げてあげようか? タワー型の奴なら、そんなにお金かけないですぐにできるよ」


 そう言いながら、真尋はものすごい勢いで指を動かし始めた。キーボードが立体的に展開しているの見て、俺は唖然とする。


「おい、お前なんだよそれ……」

「あ、私、両手利きなんだよね。右脳と左脳を同時並行処理できるって感じ」


 天才のやることはやっぱり違うな。


「でもリラックスしてないとできないんだ。ちょっと緊張しただけで混線しちゃう感じ。でも今ならこれくらい楽勝楽勝」


 同時に複数のウィンドウが開いて、ロジックプログラムが処理されていく。たぶん、複数のロジックが干渉する際の共鳴とかをシミュレーションしてるんだ。こんなことラボがないとできないぞ。それをたった一人でできるのかよ。


「よし、とりあえず基本のチェック完了。貴之は情報を提供して。私、民俗学や各国の呪術とかは貴之の説明がないとロジック化できないから」

「あ、ああ」


 俺は言われた通りに専門知識を説明していくと、真尋はふんふんと聞いて変な図形みたいなメモを取っていく。そしてまた猛烈な勢いでタイピングを始めた。


「よし、私の方もちょっとブレイクスルーできそうだから、なんだか楽しくなってきたなあ」

「ブラックボックス満載の完成品を作らないようにな」


 俺がそう釘をさすと、真尋はにっこりと笑った。


「大丈夫だよ。貴之が提出するものだもん。頑張るから任せて」


 そう言って真尋は深くゲーミングチェアに腰かける。尋常じゃない速さで両手だけが動き始めた。脊髄の反射だけで手を動かして、頭はたぶん自分の構成しているプログラムの青写真を描いているんだろう。しかも――


「楽しいね、貴之」


 こうやって俺と会話する余裕まであるし。


「お前が楽しいならいいけどな。でも、俺にできることとかないか? お前だけに作業させてるからな」

「いいのいいの。私だってさ、ずっと一人でゲームをしててもいいんだけど、たまには側に誰か怖くない人がいると、すごく落ち着くの。だから貴之は一緒にいるのが作業なんだよ」

「お前って、ほんといい性格してるよな……」

「えへっ」


 真尋は舌を出して、いたずらっぽく笑ってみせた。


「ねえ、今日は泊まってよ? 徹夜してやれば、朝には完成させられるかも」

「お前、徹夜明けで授業受けられるのかよ」

「あはは、無理かな」

「じゃ、二人でサボるか」

「さんせ~い」


 俺たちは笑いあう。

 真尋は言わなかったけど、こういうのって絶対にアオハルの一瞬だと俺は思った。



 シンセシスを学園に提出してしばらく後。

 休日のセントラルタワーのエントランスは静かだ。生徒の姿はほとんどない。

 エレベーターのすぐ近くにあるソファの前で、俺は真尋に話しかける。


「で、どうだ。覚悟は決まったか」

「う、あ、ま、まだ、ダメかも……」


 ソファには長袖に長ズボン姿の真尋が座って震えている。頭には帽子、顔にはサングラスをかけ、口元は大きなマスクで覆っている。久しぶりの外出は相当緊張するらしい。

 以前口にしていたアオハルポイント。それを取得するために、ついに真尋は行動を開始した。具体的には――


「今日は俺と一緒にテーマパークに行って、おしゃれなコーヒーショップで注文して、買い物して、一日中目一杯遊ぶんだよな」

「あうっ! む、無理……かも」

「真尋が外に出るなら俺も付き合うって言ったけどさ、ちょっと詰め込みすぎじゃないか?」


 俺はにやにやしながら真尋の顔をのぞき込む。


「た、貴之もそう思う? 思うよね?」


 真尋は自分で企画しておきながら、いざ出発となると弱気になっていた。そんな姿に、つい俺は追撃してしまう。


「しかも、これってどう見てもデートだよな」


 自分で言っていて恥ずかしい。真尋と同じく、俺だってデートなんて今日が初めてだ。服装には気を遣ってみたんだけど、真尋は全然気づいてくれなかったりする。

 デート、の一言で真尋は壊れた。


「うわあー! やっぱり帰る! 所詮私にはアオハルなんてないんだあ!」


 奇声をあげてエレベーターに乗り込もうとする真尋の服の袖を、俺は慌ててつかむ。


「いや、あるだろ、アオハル」

「へ?」


 真尋の動きがぴたりと止まる。


「だ、だって私……引きこもりだし、おしゃれなんて分からないし、プログラムとかロジックとかは分かるけど、それ以外は全然ダメだし……」


 そんなわけないだろ。お前物理学関係の天才のくせに嫌味か。


「貴之だって、私とデートしてもアオハルなんて体験できないよ」


 すっかり自信をなくした真尋が俺を悲しそうに見る。俺はため息をついた。天才の真尋でも言葉にしないと分からないか。


「いいか真尋。恥ずかしいから一度しか言わないぞ。よく聞け」


 俺は真尋を引き寄せる。体重の軽い真尋はよろけつつ俺に密着した。上目遣いで見つめる真尋に、俺ははっきりと告げた。


「俺のアオハルは――青春は、今ここにあるんだよ」

「……え?」

「女の子とデートだそ。これが青春じゃなくてなんなんだよ」


 真尋はぽかんとした顔で俺を見ている。


「で、でも私とじゃ……」

「真尋とこうやってデートできて俺は嬉しかった。って言うか、結構舞い上がってるし緊張してる」


 その場の勢いで俺はまくしたてる。


「俺は真尋と知り合えてよかったって思ってるんだ。天才のお前が楽勝でプログラムを完成させるのを間近で見られたし、一緒にゲームで超低確率のレアアイテムを探し回ることだってできた。正直に言って、楽しかった」


 こんな恥ずかしいこと、冷静に考えていたら絶対に言えないからな。もう勢いで押し切るしかない。


「俺にとって真尋は、引きこもりでちんちくりんで、天才だけど困った奴で、対人恐怖症だけどかわいくて、放っておけなくて――■■■風呂に入らないとんでもない女子だ」

「さ、最期は余計だってば! それはもう忘れてよ~。最近はちゃんとお風呂に入っ……」

「とにかく、真尋は俺にとってそういう奴なんだよ」


 俺ははっきりと言葉にする。気恥ずかしいから視線は逸らしたままだ。でもこれはちゃんと伝えないといけないんだ。


「クラスのほかの女子じゃない。真尋とこうして過ごすこの一日が――いや、毎日がアオハルなんだよ」


 俺は真尋に手を差し伸べる。小さな引きこもりの天才に。


「だからさ、行こうぜ。俺と一緒に青春ってゲームをクリアしようじゃないか。協力プレイだ」


 こっちを見上げる真尋。その頬に少しずつ朱が差してきた。俺は頭をかく。こんな台詞をしらふで言うものじゃないな。


「……すまん、変なこと言った」


 案の定、真尋はふにゃっとした顔で笑う。


「貴之、かっこつけすぎ。映画とかの受け売りで、コピー&ペーストって感じ」

「それは言いすぎだろ。せっかく俺が――」

「でもね、嬉しかったよ」


 真尋が俺の言葉をさえぎって俺の手を握った。俺は潔癖症なのに、なぜか少しも嫌ではなかった。


「しょーがないなー。貴之も人を乗せるのが上手だよね。ゲームって言われたら、ゲーマーとしては挑戦するしかないよ」


 真尋が一歩を踏み出した。俺を先導して、セントラルタワーの出入り口に。その外へ。


「行こう、貴之。毎日のアオハルに、今日を加えてランキング入りだね!」


 真尋が青春っぽいことをすれば入るアオハルポイント。だとしたらきっと、今日は高得点なんだろうな。


「なあ真尋、今日のデートはお前の中で何点だ?」


 俺の問いかけに、真尋は少し考えてから満面の笑みを見せてくれた。


「……秘密! でも殿堂入りは間違いなし!」


 俺たちは一緒に自動ドアをくぐって、セントラルタワーの外に一歩を踏み出した。

 俺も真尋も、ここから出入りすることはある。

 でも、こうやって二人で手をつないで外に出たのは、間違いなく今日が初めてだった。



 真尋はまだ他人が怖い。

 俺たち凡人には分からない世界が見えていて、だから凡人の作った世界にはいられない。

 でも、俺のような凡人が、真尋という天才が少しずつ、恐る恐るでもいいから外に出ていく時に、その手を取って晴れ渡る空の下に連れて行けたら。

 それはとても素敵なことだ、と俺ははっきり言えるのだった。



 引きこもりの天才で、三大学園から注目される音無真尋。

 こいつが俺の隣で登校するようになったことがきっかけで、学園から「メトロポリス理論」の解決が依頼されるのはまだ少し先の話だ。

 天才と凡人は本来、交わるはずはない。

 でも、俺と真尋は、今こうやって同じ時間を共有している。


 それが俺の日常であり、俺の青春――アオハルだった。


[了]

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