序 創世暦の始まり 

 マリラは激痛で目覚めた。

 完成間近の軌道エレベーターの基部は瓦礫が散乱していた。案内者は近くで骸になっていた。

 どれくらいの間、気絶していたのか。マリラの声はかすれていた。

「リュス、どこなの、助けて!」

 覚えているのは奇妙で詠うような音声があらゆるネット端末から響いたことだ。電子ノートやタブレット、工場の連絡網から同じ音声が何重唱ものように響いたのだ。

「ネット端末のセキュリティを突破したんだわ……あの声が原因なのかしら」

 マリラは血を失いつつあった。何とか首を動かして天井を見た。それは無くなっていた。遠くに稲妻が光り、空は濃い灰色の激流のような風に覆われていた。彼女はもう一度リュスを呼んだ。返事はなかった。


「あのあと、5分もせずに爆発が起きたわ……いえ、冷たい暴風のような得体のしれない……嵐が、全てを破壊した。

 もし、ここだけでなく、世界中にあの音声が流れたなら……」

 マリラはもう考える力がなかった。死が目の前にあるだけだった。

「誰か!私はここにいるの、生きたいのよ、お願い……生きたいの」


 彼女が意識を失い、最後に目を開けた時、それはいた。

 黒い塊であり、また混沌とした闇の空間だった。巨大なエネルギーの気配があった。

 マリラはなぜか子供の頃に絵本で見た魔物を思い出した。それは突如として彼女に語りかけた。

「ヒトの女よ、死にゆく女よ、死は怖いか」

「死にたくない……」

マリラはすがれるものがあれば、何でもすがりたかった。

「死は怖いか」

それはもう一度訊いた。

「ええ」

「なるほど。ヒトは死が怖いか。もっと生きるとヒトはどうなるのか」

「出来ることをしてから死ぬわ。きっと………」

「ヒトの女よ、儂がお前の生と死を司ってやろうか」

「……あなたは誰……」

 マリラは初めて相手が人外のものと知った。

「儂はヒトにはウーヴァと呼ばれていた。その名で呼ぶヒトは消えた。お前が儂の名を呼べば、儂はまたウーヴァになる」

「私を助けて……命を永らえさせて……!ウーヴァ、あなたは悪魔なの」

「知らぬ。儂はヒトが少し前にアメリカと名付けた大地だ。大地そのものだ」

 マリラは平原を思い出し、大地の精霊を平然と受け入れた。それを不思議とも感じなかった。

 巨大な黒い霧は人と鳥が合体したような形に膨れた。人の顔が真ん中にあった。

「では契約だ。ヒトは儂に年毎に血を捧げ命を預けよ。お前の名を言え」

「アメリカの大地霊ウーヴァよ、私はマリラ、マリラ・ヴォー」

「では、一度死をくぐれ。そののち1年を生きて、再び儂によって死をくぐる。それが続く限り、お前は命永らえる。

 心に描くがいい、お前がすることを。儂はお前に力を預ける」

 マリラは胸に鋭い痛みを感じた。ウーヴァが彼女の心臓を引き裂いていた。地霊の黒い塊が絶命したマリラを飲み込んだ。

「ヒトは相変わらずだ。儂の上でやりたいようにしている。さっきから塵が儂をくすぐっておる。濃い塵の塊が地上の物を飲み込んで広がっておる。ヒトも飲み込まれておろう。

 され、ヒトの女。マリラ・ヴォー。お前が何をやろうと儂は知らぬ。儂は傍らで見ているのみ」

 沈黙のあと、ウーヴァから血まみれのマリラの体が転がり出た。眼には何も恐れる事のない力が宿り、全身から凄まじいオーラが立ち上った。彼女は裸のまま、すべきことをするために瓦礫の中を歩き始めた。

 

 創世暦の始まりだった。

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