ボクのバックグラウンド「結城 嶺」

十三月 司

【下書き注意】「仮題」

〈懐旧〉

 いつからだろうか。


 ボクが彼を尊敬するようになったのは。


 ずっと目を離すことができなかった、ボクの永遠の憧れ。


「俺はな。家族のことは、もちろん大切だ。」

「でも、それと同じくらい、患者さんたちの笑顔が大切でもあるんだよ。」

「パパは絶対に、家族みんなを置いていったりしない。」

「次に帰って来られるのが、また遅くなるだけだ。」

「だかられい。泣かないで、笑って『いってらっしゃい』してくれ。な?」


『……うん、わかった!いってらっしゃいする!』


 人格者で、数々の患者を救うヒーローが―――

 ボクは、大好きだったんだ。






〈XXXX年 S月 I日〉

 ガタンガタン、ガタンガタン―――。

 まだ人の少ない電車に揺られ、今日も病院しょくばへ向かう。

 最近の往路は、ひどく憂鬱だ。


 …

「ワシはキミに期待していたのだがねえ。」

「いざ手術室に入ろうもんなら、人が変わったように素人ヘタクソじゃないか。」

「ワシが患者なら、これ以上キミにオペは任せたくないと言うだろうなあ。」

「あの大学の首席医学部生が入職すると聞いて、非常に…非っっっ常に期待していたのだが……。」

「分かってくれよ?これもキミのためなんだからな。」

「オペがしたければ、もう少し大学で基礎を固めた方が良かったと思うがね。」

 …


『…ははっ』


 乾いた声が喉を通る。

 今のボクは、父にどう顔向けすれば良いのだろうか。

 数々の命を救う父とは対照に、ボクはたった1回のオペで院長に命を救えないというレッテルを張られてしまった。

 父の背中を追うことだけを信念に生き続け、どれだけ辛くても、必死に、藻掻き、しがみついてきたというのに。


『―――結局は、人生を棒に振るっただけじゃないか…』


 右腕で完全に覆ったはずの瞳から、一滴の雫が零れる。


[次は、○○。○○。お出口は、右側です―――]


 時間は無慈悲にも過ぎ去る。

 感傷的な気持ちを抱えたまま、今日もせわしない喧騒に揉まれるのだ。






〈XXXX年 Y月 S日〉

「…れい、大丈夫?目の下にクマができてるけど……。」


 向き合っている課題が一段落したところで、同僚が声を掛けてきた。

 いや、たまたま同じ職場に就いた幼馴染、と言うべきだったろうか。

 少なくとも、霧の晴れない頭では、そんな些細な事象を自分の脳内で反芻はんすうすることしかできなかった。


『……………大丈夫だよ、ゆい じゃあ課題も提出したから、ボクは帰るね』


「で、でも……っ。」


 …今、一番彼女に会いたくなかった。


『…大丈夫、だって ずっと、言ってる』


「そんなはず…そんなはずないよ。だって嶺、ずっと辛そうな顔してるもん…。」


 きっとボクは、ひどく嫌な顔をしていただろう。

 自分が一番、分かっていたのだ。


『―――ッ、もう、いいから 話しかけてこないで』


 一方的な言動で、彼女を避けるように立ち上がり、背を向けて歩き出す。


「……うん、また、明日…ね。」


「あぁぁ、ちょっといいかね、東雲しののめさん?」

「……はい、どうされました?院長さん。」


 彼女は優しすぎる。ボクの父親に似て、誰にでも優しくできるのだ。


「明日の実習は、東雲さんを指名しようと思っているのだが……。どうだね?」

「…本当に私で良いんでしょうか?私以上に凄腕の研修医さんがいらっしゃると思うのですが…。」


 だからこそ、今、会いたくなかった。


「いやあ、ワシはキミが一番〝良い〟と思うぞ。いろんな意味でな…ムホホッ!」

「…そうですか?嬉しいです。では…ぜひお願いします。」


 初めて親友ひとに、深い憎悪を向けてしまいそうだったから。






〈XXXX年 M月 T日〉

「―――ねえ、聞いた?院長、実習後に二人きりになるように仕向けて、東雲さんにセクハラしたんだって。」

「あ~、去年入職したあの新人ちゃん?ま~た可哀そうに。それでここ辞めちゃったんでしょ?」

「そうなのよ。しかもテレビとかには大金はたいて無かったことにしたみたいな話も聞いたの。」

「ろくに仕事もできない名ばかり院長だってのに。そんな金あるなら、給料上げなさいよって話よね。」


 唯が退職してから数ヶ月が過ぎた。

 ボクは前までと変わらず、味気も色もない日々を過ごしている。

 忌々しいことに、この職場も変わることなく院長の独裁政権が続いていた。


『………お疲れ様です お先に失礼します』


「! ――あぁ、お疲れ様~…。」


 …やめろ。


「…あの子、院長との問題の前に、東雲さんと大喧嘩したらしいわよ。」

「可哀そうにねえ。新人ちゃんにとっては心の拠り所だったでしょうに。」


 ……やめてくれ。


「なんでも、〝院長のブラックリスト〟に入ってる、みたいな話もあるのよ。」

「あら、そうなの?実力ある子かは分かんないけど、ちょっとでも失敗するとずっとつけ込んでくるような人いるものね~。」


 …もう、ボクの話をするのは、やめてくれ―――。




 ガタンガタン、ガタンガタン―――。

 やや人の多くなった電車に揺られ、今日も自宅へ向かう。

 最近の復路は、ひどく無気力だ。


(どうして、ボクばかりこんな目に―――)


 ふと、海の様子に目を向けてしまった。

 普段は多少荒くも穏やかで、静けさの均衡を保っていたはずだった。

 無色透明の濁流は、防波堤を超えんとする勢いでボクを吞み込もうとしている。

 今日の雨は、どうやらみそうにない。

 今日こそ壊れてしまうかもしれない。直感的にボクは感じ取った。




 電車を降りてからは傘を差すことすら忘れ、ただひたすら帰路をなぞる。


 自分とは一体誰なのか。

 何をたっといとして、生をけたのか。

 少なくとも、濁り切った瞳では、そんな些細な事象すら理解できないことは自明だった。


 家に着いた時。僅かな理性を取り戻し、そこでケツイした。


(こんな日々も、今日で終わりにしよう)


 荷物を投げ棄て、衣服を脱ぎ去り、下着だけの状態になった。


 自炊の為に買い換えた包丁も、キッチンの照明を反射して美しさを彷彿とさせる。


 逆手に持ち替え、刃と見つめ合う。


 辛く苦しい戦いとも、これにて幕を閉じる。



 これほどまでに清々しく敗けをみとめたのは、なんねん前だったろうか。



 今のボクには、このしょうはいは、さほどじゅうようではなかった。



 なぜなら、これで、しょうぶの、せかいとも、おわかれ、するから―――




 …プルルルルルルル。

 固く結んだ筈の決意が刹那、弛緩しかんする。


 リビングに投げ棄てられた携帯電話が、これ見よがしに顕示欲を満たす。

 最期の最期に、電話くらい出てあげようか。

 それからでも、きっと遅くないだろう。


 26時を過ぎた電話の着信先は、父親からだった。


 ―――ピ。


「…あー、もしもし?すまん、起こしたか?」


『……ううん、今帰ってきたところだったよ それで、こんな時間にどうしたの』


「いやーっ、最近会って話とか聞けてないからさ。電話でいいから話そうと思ってな。」


 ―――ふと、今までの思い出がフラッシュバックする。


 彼はいつでもボクのことをお見通しで。

 ボクが辛いとき、悲しいときは真っ先に気づいて寄り添ってくれる。

 …何故、こんなにも、彼はボクをっているのだろうか―――。


『…そっか』

『…でも、大丈夫 は大丈夫だから』


 なんて強がりで。


『父さんも、忙しいでしょ』

『だから、また明日、話そうよ』


 なんて冗談で。


 今のボクには、こんなちっぽけな噓しか、口から紡ぐことができなかった。


「…嶺。また、何かあったんだろ?」

「嶺がに戻るときは、いつも何かあったときだ。」

「パパでよければ、なんでも話してごらん。」

「今は同じ医者として、相談に乗ってやれると思う。」


『…………ぅあ』

『―――うわぁぁぁぁぁん!!』


 それでも、こんなふうに振舞える…。


 ―――彼は、ほんとうに、ずるい人だ。






〈自己認識〉

「―――そんなことがあったんだな。」

「偉いぞ、嶺は。そんな環境で、よくここまで頑張れたもんだ。」


『…でも、ボク……。父さんとのやくそく…守れなかったよ。』

『父さんみたいに、沢山の人の命を救って、活躍するんだって……。』


「…パパはな。家族みんなが幸せなら、それに越したことはないんだ。」

「もし俺が、嶺の枷になっていたなら、俺がそれを否定してやる。」

「嶺。賢いお前ならよく解っていると思うが、よく聞いてくれ。」


医者の道は、何も一本じゃあないんだ。


「パパや今の嶺みたいな救急科もあれば、内科・外科・整形外科……医者の道はいろんな方向に枝分かれしてるんだ。」

「パパは嶺が世界で一番賢い子だと思ってる。言えばすぐに理解するし、言わずとも好奇心で勉強して、定着する。」

「普通の人じゃ難しいことでも、嶺はなんでもできちゃう。パパとママの最高の子だ。」

「…なんて言ったらいいのかな。パパは、嶺の可能性を嶺自身に潰してほしくないんだ。」

「だから、今がダメでも同じことができれば、嶺は医療の世界で切っても切り離せない人間になると思うんだ。」


悲観しすぎるな。世界は広い。


「嶺が今、必要とされていなくても、必ず別の場所で嶺の手を差し伸べてほしい人はいるはずだ。」


『………そう、なのかな。』


「あぁ、絶対にそうだ。パパが保証するさ。」


『…わかった。ボク、もうちょっとだけ、頑張ってみる。』


電話越しに、彼は大きく笑う。

実家にいた時と変わらない、豪快な声で―――。


「がっはっは!もうちょっとだけなんて言わないで、もっと頑張るんだよ!」

「医者としての 〝結城嶺〟 は、まだまだタマゴなんだ!」

「パパを超える人間になってもらわないと不安で死にきれやしないからな!」


『――ふふっ。』


なんだか、自分が悩んでいたことが馬鹿らしく思えてきた。

小さなモヤモヤに振り回されて、うまく自分が表現できずにいたような。


――ただ。

今この瞬間、【自分のことを再認識】した。


ボクはまだここで終われない。

今までのボクが、終わることを許さない。






『…ありがとう。父さんの言葉に、また救われちゃった。』

『でも、まだ救急医の道を諦めたわけじゃ、ないから。』

『ぜったい、戻って来る。そしたら、父さんの病院に行くから。』


「お、言うようになったじゃないか。パパ、期待しちゃうぞ。」


…そこから、とりとめのない話で盛り上がり通話を切った。


『………ぇ、さむ。』


この深夜に、下着だけで1時間以上いれば体も冷えるものだ。


『――よし。まずはお風呂入っちゃおうっと…。』






〈自戒と変化〉

『唯、あのときは本当にごめん。』


お昼時のファミリーレストラン。

お互いが休日だったこともあり、やや疎遠になっていた唯と連絡を取ってこうして相対している。


『きつい当たり方しちゃったり、毒を吐くようなこともした。ボクのことはどうなじってくれても構わない…。』


机と平行になるように顔を伏せる。

許しを請うつもりはない。彼女の決断を、ボクは受け止めたかったのだ。


「―――えっと…。」

「」

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