お清め

 真っ黒い煙が人の形を作り、ボクらに詰め寄っていた。

 サオリさんに手を引かれて、厨房の奥に行く。

 サオリさんは列を成して向かってくる怪異に脇差を構えた。


「ハルト君! を探して! 食塩じゃないよ! えーと、岩塩。もしくは粗塩!」


 サオリさんが黒い煙に向かって、脇差を抜く。

 びちゃ、と粘り気のある水音が聞こえた。

 見ると、白かった壁は、黒い体液で汚れている。


 ――早くしなきゃ。


 ボクは急いで、手当たり次第に厨房を探した。

 今まで味わった事のない緊張感で、脳みそが焼き切れそうだ。


 細長い厨房。

 パッと見ただけでは、銀と白の二色で構成された景色。

 ボクは照明が点滅する視界不良の中、落ち着いて目を走らせる。


 棚を開けたり、シンクの周りを見たりしながら、冷静に考える。


「調味料……。たぶん、高い所には置かないよね」


 奥の方に進みながら、今度は中央の台。その下の棚を手当たり次第に開けていく。

 棚を開く自分の指が、目に留まる。


 夏場だというのに、かじかんで赤らんでいた。


「あぁ、……サオリさんの言ってたこと。こういう事か」


 先ほど、非常階段の場所でサオリさんが言っていたこと。

 怪異の数が多いか、厄介な相手がいると、磁場が乱れる。

 そのため、温度に変化が表れる。


 これで、二度目だ。

 改めて、痛感したボクはかじかむ指を折り曲げ、白い息を吐きながら、周りに目を走らせる。


「あれ? 奥の方……」


 厨房にある奥行き。

 端の方にラックが見えた。


 近寄ってみると、茶色や緑などの大ビンがズラリと並んでいる。


「ど、どれが、酒なんだろう」


 当然ながら、酒を飲まないボクには、『お酒』と言われても違いが分からない。角ばったビンや小さなビンまであり、緊張と混乱で目が回っていた。


「サオリさん! 清酒って、どれですか⁉」

「ラベルに書いてる! 清酒か! 米酒! 日本酒なら米使ってるから! どれでもいい! 痛っ」

「サオリさん……ッ!」

「チッ、この、毛虫がッ! どきなさいよッ!」


 入口の方では、サオリさんが荒っぽく煙を蹴り飛ばしている。

 元々、ラフで動きやすい恰好ではあったけど、服の生地が上から下まで擦り切れ、所々肌が露出していた。


 まるで、墨でも被ったかのように、体は黒い液体で汚れている。


 ボクは片っ端からビンを手にして、ラベルに目を通した。


「見にくいよ!」


 照明が点滅しているために、小さな字の羅列を確認するのは骨が折れた。とりあえず、清酒か米酒の字を探す。


 ラベルに英語で書かれてるのは、全部無視した。

 サオリさんの話だと、清酒って日本のお酒だ。

 表記に微妙な違いがあるのだろうけど。それでも、飲まない人間が理解するために、頭の中で分かりやすく整理しながら、ラベルを確認していく。


「これ、じゃないかな」


 大きな文字の横に、『純米酒』と書かれている。

 落とさないように両腕で抱え、ボクは急いでお酒を持って行った。

 サオリさんは、もはや綺麗に抜刀する事はしていない。

 余裕がないのだろう。

 金属バットでも振り回すように、掴みかかってくる人型の煙の頭部を叩き、乱暴に腹を抉っていた。


「サオリさん!」


 ボクが声を上げると、奪うようにビンを取る。

 一瞬、攻撃を止めた隙に、煙がわらわらと中に入ってきた。

 距離を取るために、ボクらは奥に走り、サオリさんは股に挟んで蓋を取る。


「ふぅ。次は塩をお願い」


 ビンに口をつけ、含んだ酒を刀身に掛ける。

 同時に、サオリさんへ覆い被さるように煙が迫り、弾かれるように真後ろへ飛んだ。


「ぎゃ、いぎっ! ぎゃああ!」


 悲鳴が大きくなる。

 離れた人型の煙は発火し、炎によってぼやけていた輪郭りんかくがハッキリと浮かぶ。


 お酒を吹きかけた刀身は、確かに相当な威力を宿している。

 灯油を撒くのと、着火が同時に行われている風だ。

 次から次へと斬り伏せていくため、炎によって周囲の闇が消えていく。


 ボクはその間に、ビンのラックの周りを探した。

 大きな冷蔵庫を通り過ぎ、向かいの調理台を探す。

 下の棚を開けると、中に何かを見つけた。


「ソルト……。オリーブ」


 小さなビンには、オリーブと書いている。

 他には、醤油や味噌のラベルが貼られたビンや箱がある。

 その中に、『ロイヤルソルト』の文字を見つけ、ボクは手に取った。


 ラベルの裏を確認すると、『岩塩』と書かれてる。


「あった! これだ!」


 サオリさんの方を向き、ビンを見せて「ありました!」と叫ぶ。

 サオリさんは燃える異形を踏みつけ、脇差を突き刺している所だった。


「それじゃあ、ここから出るわよ。いい? 食堂の四隅に、酒を撒いて。それから、次に塩で円を描くように撒いて!」


 ボクはお酒のビンと塩を手に取り、落とさないようにサオリさんの後に続く。


 相手は数が多く、次から次へとサオリさんに掴みかかるが、手を伸ばした次の瞬間には、火だるまになっていく。


 とりあえず、塩はポケットに入れた。

 散らかったテーブルや椅子を避けて、角の方にお酒を撒く。

 同じように、残りの隅にもお酒を撒いていく。


 残ったお酒は使うだろうし、真ん中の広いスペースに置いておく。

 それから、言われた通りに塩を撒き、ボクはグルグルと回った。

 作業に夢中で気づかなかったが、塩を撒いていく途中で、照明の揺れや点滅はおさまった。


 パチン、パチン。

 ラップ音が数回鳴ると、先ほどの騒ぎが嘘のように、静けさが戻っていく。


 懐紙で刀身を拭き、サオリさんは酒ビンの隣に腰を下ろした。


「はぁ……。信じられる? まだ一分しか経ってないのよ」


 苦笑いをするサオリさん。


「夢中で、時間なんて考えてなかったです」

「そうね。わたし達がから、だもの」

「……え?」


 食堂の時計を見る。

 そこには、20時3分と表示されていた。

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