懐紙の意味
ホテルは迷路と化した。
気を抜けば、意識を持っていかれそうだ。
「エレベーターの中は、Rと1階だけですか?」
「1階に下りて、下から乗ると4階に行ける」
「なにそれぇ……」
サオリさんはボクの手をしっかりと握り、辺りを警戒している。
それもそのはずで、サリィが斬りつけた跡からは、血が滴り落ちていた。壁やエレベーターの扉など、無機物はまるで生きているかのように、傷跡から太い血管を伸ばしている。
血管を辿ると、部屋の中や床下などに繋がっている。
ジッと立ち止まると、脈の振動が足元から伝わってきた。
「う、うぅ。気持ち悪い」
「慣れてないもんね。無理もないよ」
「サオリさん。よく平気ですね」
「うん。喧嘩売られたら、片っ端から殴ってきたし」
「……へ?」
「あ、大丈夫。人間じゃないよ。さっき見た、気持ち悪いの。目を凝らすと、そこら中にいてね。一番頭にきたのは、トイレに入ってる時かな。上から落ちてきたから、ひとまずペーパーで拭いてからさ。ホウキで喉仏潰したんだ」
壮絶な過去を送ってきたようだ。
「そんなんだから、各地転々としてきてさ。関西の方だと、不良娘のレッテル貼られてるし。本当に良い思い出ないから。二度と関西弁なんか使わない」
サオリさんの目つきが鋭くなり、空気を通してイライラが伝わってきた。
「そっか。サオリさんって、……向こうの人なんだ」
東北に住んでるボクからすれば、関西に住んでいる人は、異国の人と同じだ。それぐらい遠くて、文化に違いがある。
共通する所は、言語くらいなものだと、ボクは勝手に思っている。
「実家は、兵庫県ですか?」
「……まあ。元ね」
「こっちとは違って。都会なんだろうなぁ」
「田舎な所は、この町よりもずっと田舎だよ。おまけにイライラする事が多いし」
繋いだ手を離し、今度は手首を掴んできた。
荒っぽいけど、絶対に離さないようにしているのが伝わってくるので、別に怖くはなかった。
「怪異の数が桁違いで、イライラする」
「へ、へえ」
怪異って、そんなにたくさんいるものなのかな。
「怪異って、どういうのですか?」
「人間的な物が多いよ。皮を剥いで干したり。他人の家に土足で上がり込んで、住み着く奴。こっちの人とは違って、向こうはおかしい物をおかしいって言ってくれるから。まあ、……助けやすいっちゃ、助けやすい」
「ヒーローみたいですね」
「あはは。全員、生きたまま焼き殺すのと同じ仕打ちしたけどね」
「わあ……」
今、サオリさんが挙げた例は、一部だろう。
それでも、普通に生きてる人たちが嫌悪感を抱くような怪異だったり、他の何かと常に戦ってきたに違いない。
悪さを働いた怪異は、漏れなくサオリさんに殺されてきたのだ。
「今言ったやつらは、地獄の底に叩き落とした奴ら。本当は、交渉が先にくるから。お母さんや本家。それから、他の呪術師が束になって粘るんだ。元は人間だったりするから、話せば分かる怪異だっている。ていうか、そっちの方が多い」
ため息を吐いて、サオリさんは前を指す。
「こういうのがね。わたしが、地獄の底まで追いかけて殺してきた奴」
指した方角の先には、暗闇が続いていた。
後ろを振り返ると、そこにも暗闇が続いている。
「あれ? 403号室……」
――から、まだ離れていない。
5分は歩き続けている。
こんなに長い廊下など、あるはずがなかった。
「き、ひひひ。逃がさないよぉ」
「逃げたのアンタでしょ。バカじゃないの?」
暗闇からは、ペタペタと血塗れのサリィが現れた。
両腕は完治しているが、肌にこびりついた鮮血はそのままだ。
壁に跡をつけながら、前方より歩いてくる。
「掛かってきなさいよ」
サオリさんがボクから手を離す。
「わたしから目を離さないで」
「は、はい!」
薄暗い廊下なのに、サリィの姿だけはハッキリと見える。
胴体の顔は歯を食いしばり、口端からは血の泡を吹き出す。
怒りの形相だ。
頭の方はニタニタと笑い、白目を剥いていた。
これは勘だが、胴体の方が素直に感情を表しているんじゃないか。
「おか、あさんはね。息子と、子供を作るの」
「邪魔しちゃいけないんだぁ」
サオリさんは怯むことなく前に進み、一言放つ。
「さっきみたいに切ったら、お母さんの子が死ぬわよ?」
「は、れ?」
パン、と頭部を斬り飛ばし、続けざまに両腕を斬りつけた。
「……チッ。クソ」
胴体の方に脇差を刺そうとしたが、また液体化して消えてしまう。
ブクブクと泡立つ床を踏みつけ、サオリさんは激昂した。
「頭くるなぁ! こいつッ!」
ポケットから懐紙を取り出し、脇差の汚れを拭い取る。
それから、戻ってきてボクの手を取った。
「紙の方がなくなるわ!」
「か、紙がなくなったら、どうなるんですか?」
「脇差が腐る!」
「……そんな」
だからこそ、サオリさんは脇差についた汚れを必ず拭き取っていた。
何度も拭き取り、放り投げた懐紙は火となって消えていた。
「でも、さっき、血が付いたまま納めてませんでしたか?」
「鞘の方は、
「刀の方が、腐る……」
「そう。あと、本当はね。清酒があればいいの。あいつがあれば、斬っただけで燃やせる」
ボクの頭には、初めて六条家を訪れた時の事が浮かんだ。
入口で御堂がやってくるのを待っていた時、サオリさんはペットボトルに入った水を脇差に掛けていた気がする。
まさか、あれって水ではなくて――。
「厨房とかに行けば、お酒あるんじゃないですか?」
「……1階よね。どうやって下りようかな」
「非常階段とか」
「む。冴えてるわね」
ちょっとだけ、ムッとされた。
生意気言っちゃったかな。
「じゃあ、こっち。ついてきて」
「はい」
また手首を掴まれ、今度は非常階段に向かった。
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