幼馴染の妻と血の繋がらない娘から嫌われている私

うさこ

スズキの人生


 私、スズキは家では邪魔者であった。


 幼馴染のユメと結婚して早十年。恋心を抱いていたはずの幼馴染。

 魔導高等学校を卒業と同時に結婚した。

 ……子供ができたと言われたんだ。


 だが、私にはユメと付き合った記憶がない。幼馴染のユメは――

『あんたは酔っ払って記憶にないかも知れないけど、あの日わたしと寝たのよ』

 とすごい剣幕で詰め寄ってきた。意味がわからなかったけど、ワガママな幼馴染に逆らえば私はいじめられる。

 ……ほんの少しの打算と、幼馴染への恋心によって私は首を縦に振った。


 そもそも高校生なのに酒なんて飲むわけない。あの日がいつの日かわからない。確かに、いつのまにか幼馴染が私の横で寝ている時があった。


 魔導高校を卒業したらユメと結婚する。現実味が沸かなかった。

 高卒で社会に出る。不安だったが、私はアルバイトをしていたファミレスに就職することができ、妻子を養うために一生懸命働いた。

 ……私の夢であったプロ冒険者になることは心の奥底にしまい込んだ。


 ファミレスで必死で働いた給料はすべて幼馴染の妻に手渡した。


『あんたに渡すとろくなことに使わないから私が管理するわ』


 私は知っている。

 幼馴染の妻は……私が家にいない事をいいことに遊び呆けていた。娘が大きくなると、娘と遊び呆ける。


 ――私はそこにいない。


 いつしか娘は私を毛嫌いするようになった。反抗期だと思っていたが、尋常ではないほどの嫌われ方であった。


 小さい頃は――


『パパ〜、一緒に遊ぼ! ……仕事終わるまで待ってるよ』

『パパ、また仕事に帰っちゃうの? 寂しいよ……』


 段々と――


『……はぁ、どうせ仕事でしょ? 無理して魔導武道大会に見に来なくていい』

『は? なんであんたの洗濯物と一緒に洗ってんのよ』

『うざ、消えて』

『……はぁ……死ねよ』



 娘のサクラのイベントがある時は会社に無理を言って休みを取った。だが、妻が私に命令をする。


『あんたは家で留守番してなさい。あんたみたいなキモい男が見に行ったらサクラちゃんもいい迷惑よ。それに家事溜まってるでしょ』


 私に反論は許されない。妻に逆らうことはありえない。なぜなら私が妻を無理やり襲って子供を孕ませたという、重責がある。

 ……記憶にない。事実だけがある。


 ……どんな事があろうと、私は幸せだと思うことにした。大好きだった幼馴染と結婚ができた。懐いていないけど可愛い娘がいる。それだけで満足であった……。


 幸せを実感しようと胸に手を当てると、なぜか胸がズキリと傷んだ。





 **************




 その日は結婚記念日であった。

 私は仕事を早く終えて家に帰ることにした。

 


 結婚して十年。水晶通信スマホは会社から支給されたものしか持っていない。友達はいた。だけど、仕事が忙しい事と……妻に友達と会うなと言われて、いつの間にか疎遠になっていた。



 結婚記念日。

 この日だけは三人でご飯を食べる。妻がそう決めたからだ。

 ご飯はもちろん私が作る。今回は娘の魔導武道大会優勝のお祝いを兼ねている。

 早起きして料理の仕込みをしておいた。

 仕事から戻ったらすぐに作ろうと思っていた。


 急いで職場から家に帰ったら誰もいなかった。

 きっとすぐに帰ってくるだろうと思い、私は料理の準備だけ始めた。

 料理の準備ができてないと妻に叱られる。

 娘に罵倒される。


 あらかた準備を終える。台所で何をするわけでもなく具材が入る前の空のフライパンを見つめながら、ただ一人待っていた。





 妻も娘も帰ってこない。

 そろそろ深夜になりそうな時間だ。

 私が先にご飯を食べることはありえない。妻に罵倒されるからだ。

 娘にモノを投げつけられるからだ。


 いい加減お腹が空いてきた。

 それでも私は妻を待っていた。これは私の責任だ。妻と結婚した私の責任。


 部屋の空気が揺れるのを感じた。玄関のドアがあいた。

 妻と娘は楽しそうに話しながらリビングに入ってきた。


 二人は買い物袋を両手にいっぱいぶら下げて、充実した顔で荷物を床に置いた。

 そして、私を見ると……二人は驚いた顔をしていた。いつもと雰囲気が違う。

 ……私は気が付かないふりをした。


 妻は慌てながら私に話しかけてきた。


「あっ……、か、帰ってたの……。そ、その……」


「……ご飯は? お風呂も沸いてる」


 妻の雰囲気がいつもと違った。なにやら難しい顔をしていた。


「サクラと食べてきたからいらないわ。え、なに? ご飯用意してたの? ていうか、そんなの聞いてないわ。先に食べてくれれば……。あっ……、も、もしかして……結婚記念日……」




 娘のサクラはそっぽを向きながら私に近づいた。

 眉間にシワがよっている。理由はわからないが私の事が憎いのだろう。


「はぁ……、キモ。料理なんてどうでもいいから……、あ、あのさ……、い、いままで……」


 私はのそりと引き出しに向かった。そして、本当は食卓で渡そうと思った優勝祝の包を手に取った。

 それを娘に手渡した。なぜか娘の手が少し震えていた。


「あ、ありが……、ふ、ふんっ、さっさと渡せばいいのよ!」


「……お腹は空いてないのか?」


 できるだけ感情を抑えながら私は娘に聞いた。

 娘からは返事がない。少し不貞腐れている感じだ。娘は包をあけて現金を取った。

 中に入ってあった私のメッセージごと、袋をビリビリに破いてゴミ箱に捨てた。

 思わず声が漏れそうであった。


 大丈夫だ。何も感じない。もう慣れている。


「あっ、お、お風呂入ってくるね。きょ、今日は……ううん、何でもない……。その、ご、ご……」


 妻は口をモゴモゴさせながら、風呂場へと向かった。


 娘は何故か青い顔をして両手でゴミ箱を抱えて自分の部屋へと向かった。


 私は大丈夫、何も感じない。

 店から持ってきてあったパンをかじりながら、私は二人の明日分の食事を作るために料理をし始めた。






 妻と寝室は別々である。


 私はリビングのソファで布団を敷いて寝る。

 もう慣れっこだ。


 何やら妻がリビングでウロウロしている。いつもなら寝る時間なのにワイン片手に随分と薄着のパジャマを着ている。私はなるべく妻を見ないようにした。見ると怒られるからだ。

 妻はしばらくしたら残念そうな顔をして自分の部屋へと向かった。なんだったんだ?




 妻と私は結婚している。だが、私は妻と夜の営みをしたことがない。私が奥手という事もあったが、勇気を振り絞って誘ってみたら――


『……いやキモいから来ないで』


 この一言で私の自尊心は粉々になった。

 それ以来わたしから誘おうと思ったことはない。誘われたこともない。……もちろん妻以外の誰かと寝た事はない。……唯一の経験は私が記憶にない妻との出来事だけであった。


 それでも私は幸せな人生を送れていると思っている。

 なぜなら美しい妻がいて、可愛い娘がいる。二人とも健康だ。

 仕事は忙しいけどやりがいがある。

 家に居場所ないけど、二人が幸せならそれでいい。


 ……

 …………

 ………………まただ、胸が苦しくなる。頭が痛くなる。


 そろそろ健康診断の時期だ。

 きっと何事もない。この幸せがずっと続くんだ。

 そう思ったら――


 私はトイレでパンを吐いていた――――






 ****************






「――さん、再検査の結果をお伝えします。……落ち着いて聞いてくださいね? ……脳内の魔素濃度が異常でした。……重度の忘却症です。すぐに治療を――」


 医者の言葉が耳から通り抜けて行った。

 忘却症? 自由都市が難病指定している病気であった。誰もが身体の中に持っている魔素。魔力の源であり魔法を使うための力。私は高校では随一の魔力保持者であった。


 忘却症は徐々に昔の記憶がなくなり、最終的には一日しか記憶が保持できなくなる。


 医者によると、無くした記憶を取り戻す治療は不可能であった。しかし、適切な薬と高位聖職者せいじょの治療で進行を遅らせたり、止めたりすることができる。だが、それにかかる費用は……数億イェンは必要になる。

 私の月給は手取り40万イェン。お小遣いはゼロ。


 高位聖職者と高価な薬。――魔導健康保険に入っていれば、金銭的な負担は少なかったが……、私は生命保険しか入っていない。



 私が死んだ時、妻に、お金が、支払われる保険、だ。



 その日はどうやって職場に戻ったか覚えていなかった。

 私は、齢28歳にして、人生の終着点を見据えた。





 ***************




「ええ!? スズキさん、エリアマネージャーやめちゃうんですか!? そんな……、私、マネージャーがいたからバイトが楽しかったのに……」


 私が職場を退職することを告げると、みんな悲しんでくれた。私にはそれが驚きであった。



 私の横で泣いてくれている彼女、アリスは娘と一緒の魔導小学校に通っている。


「……はぁ。サクラちゃん、羨ましいな……。あっ、今日も学校でサクラちゃんがスズキさんの自慢してたんだよ!」


 私は首を傾げた。私はサクラから嫌われている。ゴミ虫だと思われている。


「いっつもスズキさんの自慢してさ……。わ、私は孤児だから、親がいないのに……、だから、ここでスズキさんに会えると……嬉しくて……」


 私は困ってしまった。

 どうしていいかわからず、周りを見渡すと、職場の仲間が温かい目で見守ってくれていた。

 私の胸の奥からなにかがこみ上げてきた。

 それが何かわからない。だけど、それを忘れないようにしようと思った。






 *****************





「よっ! てめえから連絡よこすなんて珍しいな。ったく、魔導高校の主席争いしてたのが懐かしいぜ。で、どうした?」


 私は記憶がなくなる前に、昔の友人と会いたくなった。あの頃は友人がたくさんいた。


 幸い、まだ高校の時の記憶は残っている。……小学校の低学年の時の記憶は全く思い出せない。これが、忘却症……、自分が自分で無くなる感覚だ。


「いや、最後に顔を見ておきたくて。高校卒業してから、ユージと連絡できなくて……ごめんな、あれ? おかしい? 私はなんでユージに連絡できなかったんだ? ……なんで私は自由ではなかったんだ?」


 本当はわかっている。妻であるユメが私を孤立させたのだ。

 私はユメに逆らえなかった。ユメが私を縛り付けた。だが、それを許していた私も……悪い。


 ……そうだ、私は自分の意志が無かったんだ。もっと子供の頃から、ユメに自分の意志を伝えられたら違った形の家族になれたのかも知れない。悔やんでも悔やみきれない……。もう、私はそんな記憶が失うんだから……。


 ……感情がおかしい。ユージを見たら魔導高校時代に戻った気分だ。


 ユージは頭をかきながら私に言った。その仕草は高校時代と変わらない。胸に来るものがあった。


「ったく……、お前は悪くねえよ。……なあ、お前って今でもユメの事好きなのか?」


「……好き……、わからない。だけど、言うことを聞かないと……」


 ユメとの幼少の頃の思い出は消えた。……だけど、あの時の恋心は胸の奥に秘めている。

 好きかわからない。そう誤魔化しているだけだ。本当は――


 ユージはいきなり自分の顔を俺に近づけた。俺の目を真っ直ぐに見つめる。


「はぁ……、魔力の流れが異常だな。やべえな、これ? なんの病気だ? もう長くないのか?」


 私は驚きながらもユージに静かに伝えた。


「……脳内の魔素異常による忘却症だ。もう小学校の頃の記憶がない。……お金が無いからこのまま病気と向き合おうと――」


 ユージはため息を吐きながら俺に言った。


「ったく、普通の奴だったら金でもせびりに来たと思うが……、おめえは違うからな。本当に俺の顔を見に来ただけだし、俺が金を貸すって言っても断んだろ?」


 ああそうだ。最後に友人の顔を見たかっただけだ。

 ちゃんとメモを取る。ユージという友人がいた、ということを。


 ユージはいきなり俺の肩を叩いた。


「俺の見立てではあと二週間ってところか。なあ、最後に俺と冒険者しようぜ? なんなら薬でも手に入れっか? あの薬は最高難易度SSSクエストになっけどな! がははっ」


 冒険者……、私がなろうと思っていた職業。

 結局は生きるためにファミレスの道を選んだ。私の半生はファミレスとともにあった。

 嫌いな仕事ではなかった。良き同僚と部下、バイトにお客様に恵まれた。


 ――だが、もしも、私が冒険者になったら?


 私は頭を振った。妻に怒られる。もう危険な事はするな、冒険者だけはやめてくれ、と――

 ……もしかして、私の事を心配していたのか? 

 そういえば、結婚記念日のあの夜から妻と娘の雰囲気が随分と柔らかくなった。

 ほんの少しだけ淡い希望を持ってしまった。

 


 私がもっと早く……妻と娘と向かい合っていれば……。

 強く自分の気持ちを出せば……。

 妻に愛してると言えたら……

 血が繋がって無くても、愛してる娘と手を繋げたかった……。


 

 だけど、私の記憶は全て無くなる。今感じた事が全て消えて無くなる。

 ……メモをしなくては。


 ユージと話している間にも、私の記憶が一日一日消えていく感覚がある。 


 ――頭の中で冒険者という言葉がこびりついて離れなかった。





 ***********





 私、ユメは馬鹿な女よ。

 どこにでもいる普通の平民の女が貴族に憧れた。魔導学校は魔力の強さがすべてであった。貴族も平民も同じクラスであった。


 私には幼馴染がいたわ。

 子供の頃は感じなかったけど、高校になると、幼馴染のスズキはどんどんカッコよくなっていった。私にとってスズキは、一種のステータス。勉強も実践も超高校生級のスズキが私の隣にいれば私の地位が上がるわ。

 私がスズキを顎で使えば、クラスのみんなが私を恐れ敬う。幼馴染の頃からの私達の関係性。


 同級生の貴族は私に一目置いて、話しかけてくるようになった。

 そして、私は貴族の息子と付き合う事ができたわ。

 私も貴族になれると思った……。この自由都市は身分差の結婚には寛容。




 ――が、私は卒業間際に捨てられた。

 相手にとっては私と付き合っている意識さえなかった。ただの路傍の石。

 悔しくて悔しくて私は泣き叫んだ。


 お腹の中には赤ちゃんがいる。

 もうどうしようも無かった。

どうしていいかわからなかった。

 だから――、私は――、ただのお人好しの幼馴染であるスズキの寝室に忍び込んで――


『責任取りなさいよ。あなたは私を幸せにしなさい――』


 これが私達の結婚の始まり。私の嘘の始まり……。

 今となってはなんでこんな事をしたかわからない。





 私はスズキの事を異性として見ていなかった。だってずっと一緒にいた幼馴染だもん。

 顔が良いからただのファッションの一部。

 あいつはファミレスに就職をしてお金を懸命に稼いでくれた。

 自分の子供じゃないのに、娘であるサクラに愛情を注いでくれた。顔が全然似ていないから絶対気がついていると思う。……でも、スズキは何も言わなかった……。



 そんなスズキの周りには常に女性の影があった。スズキに惚れている女性たちだ。

 初めは気にしていなかったが、むしろ私の見る目は間違っていなかったと思った。


 だけど、段々とスズキを慕う女性を見るとイライラしてきた。

 あれは私のもの。ひどい嫉妬心が心に渦巻く。


 スズキは私のために何でもしてくれた。スズキは私達のために精一杯ご機嫌取りをする。私の自尊心が満たされる。


 娘は本当はスズキの事が大好きであった。子供だから素直になれないのか、常にツンツンしている。



 私は――、私達のために一生懸命働くスズキを見てて―――段々と本気でスズキに惹かれていた。

 スズキは私にとって何でも言うこと聞いてくれる都合の良い男。

 だから、私が好きだなんて……、私があいつが必要なんて……。

 プライドが許せなかった。でも……、気持ちが止められない。どうしていいかわからなかった。

 今さら、恋してるなんて言えない……。




 だから意地悪をしてしまう。後悔しても止められなかった。私がスズキに意地悪するから、娘も一緒になってスズキをいじめる。愛情をどうやっても表現できなかった。



 段々と胸の奥から罪悪感が広がる。

 私はスズキの人生を駄目にしてしまった……。その事実を認識すると、死にたくなった。

 謝りたい、強くそう願うようになった。



 娘のサクラも大きくなり、いい加減このままでは破綻する、と思い、サクラと会議をすることにした。


 娘と一緒にこれからの事について一生懸命話した。私達がスズキとどうやって向き合っていくか、ずっとずっと話し合った。


 ……結果、私達はスズキに優しくしよう。たまにはみんなで旅行に行こう。貯金が貯まったから仕事を減らして私達とのんびり過ごそう。たったそれだけしか思い浮かばなかった……。


 それでも私達は上機嫌で家に帰った。スズキの私服をデパートで買って帰った。スズキの笑顔が見れると思って楽しみにしていた。――が、帰った瞬間、私は失敗を犯していたことに気づいた。結婚記念日を忘れていた……。どんな態度を取っていいかわからなくなってしまった。


 娘のサクラもひどいものであった。本当は感謝と謝罪を伝えたいのに伝えられない。

 ……サクラは後になって封筒にメッセージが入っている事に気がついて、ゴミ箱を自分の部屋に持っていって泣きながら漁っていた。

 私に似て本当に不器用な娘……。



 大丈夫、明日の夜にスズキと話し合おう。……絶対謝るんだから。今まで、ごめんなさいって……、もうワガママも言わない。昔騙してた事もちゃん言う。……娘が違う子だって伝える……。


 これ以上迷惑は掛けない。


 次の日の夜、スズキは仕事で帰って来なかった。だから私も先延ばしにしてしまった。

 謝れていないけど、冷たい言葉をかけなくなった。それだけで私は成長したと思った。

 娘もスズキに八つ当たりをしなくなった。


 今度、謝ればいい。そう思っていた。


 ズルズルと日にちだけが経った――




 その日、スズキは随分と早く帰ってきた。

 そして、私達をリビングに呼んだ。私たちも謝るチャンスだと思った。これで新しい家族に――

 スズキは抑揚のない声で私達に告げた。いつもと目が違った。



「――私は忘却症だ。数日後に全ての記憶が無くなる。まだ認識できるが、いつかお前たちの事を忘れる」



 私は何を言われたか理解できなかった。

 スズキは自分の事ではないように淡々と話す。

 職場を退職した事。保険に加入していないから治療のお金が払えない事。記憶を全て忘れる時、どこかの森でひっそりといなくなって魔物に殺されようと思っている事。


 私達に保険金を渡すためだ。そんなお金なんてどうでもいい! あなたの貯金があるの!? 私は――、私はやっと自分の醜さに気がついて、これからスズキに尽くそうと思って――


「い、いやよ!? わ、私はやっと気づいたのよ!! あ、あなたがいないと私達はだめなのよ!! 今までごめんなさい……も、もうワガママなんていわない……。わ、私はあなたを愛して―――」

「パ、パパ……私の事忘れちゃうの? い、嫌よ!! あ、謝るから……わ、私はパパの事が――」


 スズキは首を傾げながら席を立った。

 なんで、どこかに行こうとするの? ここは、あなたの家よ?


「……私はもう、君たちとの思い出が無い。メモした事しか覚えていない。……この病気になって自分を見つめ直した。君たちとの思い出を記録として客観的に見ると、どうやら私は家族から愛されていないと判断した。ここにいても迷惑かけるだけだ。……私はここを出る」


 私はこの時になって、初めて――全てが手遅れだと理解した。

 一生かけてスズキに償いたい。――そんな事さえ私達にはできない。

 

 私は泣きじゃくっている娘の手を強く握った。


 こんなひどい女は忘れてもいい。涙を流す価値さえない。

 それでも――


 私は立ち上がった、スズキの前に懇願する。


「……お願い。絶対死のうとしないで……。あなたの、好きなように生きて欲しい。私達がこの家から出ていくわ。私たちが……あなたの病気を……」


 私は想いを込めてスズキに抱きついた。今まで抱きあった事さえない……。こんなにも、私は馬鹿で――

 それでもスズキは――


「……ふむ、死んでほしくない、か。なら、私は好きなように生きる。……幸い、昔の知り合いが冒険者にならないか、と誘ってくれてな」


 スズキの目は私達を見ていなかった。

 そして、スズキは……家を出ていった。

 



 私と娘は……この日、心の大部分が死に絶えた。

 それでも、一つだけ思う事がある。

 それは――スズキのために薬を手に入れる事だ――




 ************




「おっしゃ、新人冒険者スズキ行くぞ!」

「ああ……、えっと、ユージさん? で良かったか?」

「おうよ!! こっちはてめえの元同級生ハナコ、新人アリス、玄人のチョコだ! 新人とベテラン混合パーティーだぜ!」

「しかし君は奇特な人だ。こんな忘却症の男を……」

「はっ? 新人でブランクがあるくせに、チャラいS級冒険者をぶちのめしたじゃねえかよ!? どんだけつえーんだよ!! 意味わかんねーよ!」

「いや、身体が勝手に……」

「えへへ、スーさん今日もよろしくね!」

「……君は確か、アリスさんだ。うん、今日は調子がいいから昨日の事はわかる」

「すりすり……」


 アリスさんは私の横から離れなかった。きっと娘がいたらこんな感じなんだろう。

 そう言うと、アリスはなぜか膨れた顔をする。



 私はもう記憶を取り戻す事はない。

 だが、これ以上記憶を消したくない。魔導メモの一番初めに書かれてある言葉。

『人を信じろ』


 私は大切な仲間をこれ以上忘れたくない。だから――強くなって、この病気をぶち壊す――


 そう決めたんだ。





 ***************





 冒険者を続けた私はいつしか王国の英雄と呼ばれていた。

 大冒険の末に薬を手に入れ、戦争中の王国に行き、激しい戦いの末、聖女と出会った。

 その後、召喚された魔族との戦い。龍神族との死闘。

 短い時間の中で本当に色々な事があった。


 聖女様の治療によって、私の記憶が消えることは無くなった。

 私はこの世界で同じ病気で困っている人を助けたいと思った。忘却症対策のノウハウはばっちりだ。






 ある時、時間を持て余して、メモから消去された箇所の自由都市に向かった。

 全てのメモの記録が消えたわけではない。なぜ消えたか気になった。


 行く宛もなく街を彷徨っていると、気になるファミレスを見かけた。あれはメモに書かれてあった元職場ではないか? そこが非常に気になって入ろうとした時――声をかけられた。


 



「ス、スズキ? ね、ねえスズキでしょ!! や、やっと見つけられた……」

「パパ!! ああ……、パパ、パパ……、ひぐっ……」


 知らない親子が私に走り寄ってきた。子供は足が悪いのか、片足を引きずっていた。

 私の記憶にはない人物だ。メモにも書いていない人相だ。


 母親は全身傷だらけであった。娘も同じだ。使い込んだ皮の鎧はボロボロで、顔はブレスで焼かれたのか火傷に覆われていた。

 二人はきっと冒険者なんだろう。


 母親は革袋から何かを取り出そうとしていた。手が震えてうまく動いていない。

 私は訝しみながら待つと、その手には忘却症の薬の元を持っていた。ボロボロで使えるかどうかわからないレベルの素材だ。しかし、これを手に入れられる事自体すごい事だ。


 母親が小さく呟いた。


「王国でも……、帝国でも会えなくて……やっと……これを……」


「それは忘却症の薬の元ですね。……私も数年前に手に入れて忘却症を治したんですよ」


 私がそう言うと、二人は泣き崩れた。二人を【心眼】で見ると、心底わたしの身体を案じていた事がわかる。だが、私の身体を案じている場合ではない。二人は冒険者として無理をしたのか、身体の中がボロボロであった。何もしなければ余命は後数年だろう。


……私は冒険者になって人の嘘がわかるようになった。


 よくわからないが二人からは喜びと悲しみと、安堵と罪悪感と、色々な感情がごちゃまぜになっていた。


 泣き止まない二人。



 私はなぜか懐かしい感情になった。

 記憶はない。知らない人。

 だけど――

 口が勝手に動いていた。


「……どうやら私はここらへんの土地勘がないらしい。もし時間があるなら案内してくれないか?」


 二人は泣きじゃくりながらも何度も頷く。

 歴戦の冒険者の雰囲気があるのに、まるで少女のように泣いている。

 大丈夫、私はこの人たちとは初対面だ。初対面なんだ。だから大丈夫。



「改めて、はじめまして、私はスズキです。よろしくお願いします」



 母親が泣きながら私に微笑んでくれた。邪気を感じさせない笑顔。

 見覚えがないのに懐かしさを感じる。



 私の突然胸が苦しくなった。様々な感情が現れては消える。

 ずっと昔からあった胸の奥にある何かが消え去るのを感じた――


 浮かび上がってきたのは『人を信じろ』というメモの言葉――



「ほら、泣いてないで行こう」



 妙な感覚をごまかすように、私は知らない子供の手を引いて歩き始めた。

 知らない子供は泣きじゃくりながらも頷いて、恐る恐る私の手を握ってくれた。片足を引きずりながら子供は私と歩く。

 泣き止まない母親も子供の隣を歩く。



 夕焼けが私達三人の影を映し出す。



 ……なんだか、今日は久しぶりに料理を作りたい気分になった――





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幼馴染の妻と血の繋がらない娘から嫌われている私 うさこ @usako09

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