プラトンの記憶

@EnjakuUkai

プラトンの記憶


 プラトンは迷っていた。紀元前388年頃のことである。


 古代ギリシャのアテナイに、日没が訪れる。温暖湿潤な気候だ。アクロポリスに潮風が吹きこみ、小高い丘の上にあるその日のパルテノン神殿は、アテナイに住む男の目には不思議なほど沈痛に見えていた。かつて栄えたアテナイは、近ごろスパルタという都市国家とギリシャを二分する戦争を戦い、そして負けていたのである。

 男は、原稿を書くために家に戻った。髭が生えそろい、肩幅は広い、壮年の、体格のいい男だった。白い鳥が暮れなずむ海の上を飛んでいた。プラトンという名の男だ。ソクラテスの弟子だった。


 彼は、そしてソクラテスという男はアテナイという街に暮らしていた。海が近い、城壁に囲まれた都市である。彼らはこの街で生まれ、この街で育った。とりわけソクラテスという男は、アテナイからほとんど出ていこうとはしなかった。アテナイで死んだ。

 アテナイの中心には小高い丘があり、その周辺をアクロポリスという。かの有名なパルテノン神殿もそこに聳えていた。神殿の鮮やかな彩色はまだ落ちる気配もなく、昼夜絶えることなく神々の偉大さを賛美している。近くには小川も数本流れている。オリーブやブドウの木が風に揺れている、美しい地域である。

 そう、アテナイは美しい。だがしかし、プラトンにとってはソクラテスを殺した街だった。決していい思い出ばかりではない。彼は机に向かい、黙々と原稿を書き始めた。


 彼らの暮らしたアテナイは、民主制を採用している。そのアテナイ市民の投票は、彼の師であるソクラテスを死に至らしめてしまった。ゆえに彼は、師を殺した民主制を信じていない。アテナイの名家の出身であるプラトンは、しかしソクラテスの処刑を機に、政治に失望していた。


 プラトンはふと、うるさく喚く海鳥の鳴き声に耳を傾けた。そしてしばし考え込んだのち、再び手を動かし始める。40歳近い彼は、ここ数日、その行為を続けていた。ソクラテスの処刑から十年ほどが経ち、彼は自分の師の処刑当日の姿を描こうとしていたのである。

 だがそもそも、彼は処刑当日あの場所には居なかった。


 彼の書くスクロールの中では、デロス島から、祭事の終わりを告げ知らせる船が戻ってきていた。アテナイの街ではアポロン神への誓いにより、この祭事が行われている最中は、公権力の名において何人たりとも殺してはならなかった。その終わりを知らせる船が、戻ってきたのである。ゆえにそれは、ある人間の死を許すための船でもあった。


 ソクラテスは彼の原稿の中で、この世の真理と、より善い社会を追い求める哲学者になった。天上のものを追い求めた。だが、どれだけ師の言行を忠実に書き留めても、かつて自分の前で生き生きと動いていた人間は蘇らないことに彼は気付いていた。プラトンの心は揺れる――まして私は今、ソクラテスを忠実に再現しようとせずに、師の姿を歪めようとしている。

 牢の中で横になっている老人、わが師たるソクラテス。友人たちが狼狽え、奥方であるクサンティッペは子供を抱いて取り乱す。作中のソクラテスは彼の親友であったクリトンにこう頼む――誰か、妻を家まで送ってくれないか。また事も無げに呟く。


「足枷を外すと楽になった。苦しみと快楽とは、表裏一体であるようだ」


 海風とオリーブの香りの中で、プラトンの筆は走る。太い腕を細やかに動かして、かつて生きていた師の姿を書き出そうと試みる。

 スクロールの中のソクラテスは死に臨み、なお気高い様を見せている。

 私は師の声を思い出しながら手を動かそうとしていた。


「……違う」


 ――本当に、こんな方だっただろうか? 湧き上がる疑念の声に耳をふさぎつつ、私の手は不器用に、不当に処罰されながらも、果敢にそれを受け入れる人間の勇壮な姿を描こうとする。ぎこちなくギリシャ文字を書きつらねれば、語り手であるエケクラテスが、再びソクラテスを褒めたたえる。ねえパイドン、死刑を前にあれほど落ち着いた人間が、世の中にどれだけいるでしょうか? そう、エケクラテスはわが師が――ソクラテスが、激情に駆られる友人をゆっくりと宥める様子を目にしたのだから。その驚きといったらない。敬愛するわが師、ソクラテス。あの人は何にも心を乱されることなく、落ち着いた様子で死後の世界を語ろうとした。


「ああ、分かっている。違うのだ。わが師は違う……」


 目を固く瞑り、私は空を仰いだ。そうだ、私は師のことを知っている。要するに、悩んでいたのだ。哲学者ソクラテスは完璧な男ではなかった。有り体に言ってしまえば、わが師はそのような人間ではないと思う。アテナイのソクラテスは、蛙のような顔をしていた。不細工だった。ソフィストを気取り屋として嫌っていたし、相手を論破することを少し楽しんでいる部分のあった人間だ。死に全くおびえない、などということは決してなく、だとしても私は、一人の人間として彼のことが好きだった。今まさに私は、敬愛する師の姿を、自分のために歪めようとしている。

 やり遂げねばならない。彼が忘れ去られることは、歪められるよりもあってはならなないからである。誰に何を言われても構うまい。不幸なことに、その罪の重さをもっとも理解していたのは、ほかの誰でもない私だった。


 わが師は頬に皮肉っぽい笑いを浮かべてこう言った。


「君、僕にもどうか教えてくれたまえよ。なにせ僕は無知らしいからね」


 ソクラテスが生きていたころ、私はアテナイに暮らす一人の取るに足らない若造にすぎなかった。スパルタ率いるペロポネソス同盟と、アテナイ率いるデロス同盟の激突。ギリシアの覇権を争う戦争の中でプラトンという人間は産声を上げた。

 名門の生まれだ。だが政治には関わろうと思わなかった。悲劇作家になりたかった。当時は流行り病で偉大な軍人ペリクレスが死に、アテネの民主政治は憂き目にあっていた。まともな指導者は少なかった。扇動家は言葉を正しさではなくもっともらしさで選び、民衆は諸手を挙げて自信ありげな人間に着き従った。

 そういう状況だったから、政治家を志す者は弁論術を修めねばならなかった。知性と判断力よりも、自信ありげな立ち居振る舞い、流麗な言い回し、演説の際の身振り手振り、どれだけ多くの人間に「自分と目が合っている」と感じさせるかについての秘訣などを学ばねばならなかった。

 それを教授することを生業とした人間を、ソフィストという。


「おかしい。こんな状況は、間違っているはずではないか」


 野太く、ささくれた印象の声がアテナイの街路に響く。

 当時のソクラテスは、そういう状況にいらだっていた。金持ちの貴族から、わが師にそういった仕事が来ることはなかった。無論、教えようと思えば教えることはできただろう。ソクラテスはそれどころか、弁論術のような事柄については、それなりに自信を持っていたはずだ。

 当時人気だったソフィストに思いを巡らし、ソクラテスは獣のように息を吐く。


「おお、下らん。人の価値は、そこに宿るのではないというに」


 ソクラテスは嘆いていたことだろう。ただ私は、老いた師がなお若い青年の裸体を目にして、はっとため息を吐くのも見たことがあった。実際、わが師は節制の徳を説きながらも、自分の言葉を耐えがたいと感じている瞬間があったにちがいない。師は物憂げな目をして、大きな体を震わせつつ、トーガに覆われた美少年の尻の影が、歩くたびに左右に揺れ動いているのをじっと見ていた。誰も声に出しはしなかったが、ソクラテスにはそういう癖があった。

 見た目はお世辞にも良いとは言えなかった。頭髪はちぢれて薄かった。筋肉の詰まった顔は歪んでおり、丸い目がじろじろ周囲を睨んでいる。唇は突き出したように腫れぼったく、何度も従軍した傷だらけの体には土塁のような重たさと、蛮族に似た野暮ったさがあった。

 軽い吃音だったが、発する言葉のユーモアがそれを和らげている。それでも、見た目の悪さを救うには至らなかった。若枝のような手には似合う動きを、丸太のような手でなぞっては、少々説得力が不足する。人柄も腕も悪くないが、相性が悪い。黒を白だという行為にも、師は嫌悪感を抱いていた。そこで、この醜い男よりも、多少綺麗なソフィストたちの弁論の方が、若者には参考になったのである。


 私が成人するころ、ソクラテスは既に50歳を過ぎていた。やはり私は悲劇作家になることを夢見ていた。戦争は既にアテナイの負けで決まりかけている。そのころには、口は達者だが手は動かさないソフィストたちが、不格好な人間に言い負かされているという噂が広まっていた。あの当時、重い液体のように流動する敗戦の責任は、ソフィストという器に注ぎ込まれつつあった。

 初めて目の当たりにしたソクラテスは、かろうじて見苦しくないと言える格好をしている。されど見た目が悪かった。硬い枝の周りに、密度の高い泥がついているような重々しい肉体。野犬の親玉か、蛙に似た顔をしていた。劇場の前に立ち、ぎょろりとした目を据え、顔かたちの整ったソフィストに、頬に皮肉っぽい笑いを浮かべてこう言うところだ――君、僕にもどうか教えてくれたまえよ。なにせ僕は無知らしいからね。

 太い唇を動かして、言った。ソフィストは顔を赤くしてどもっていた。彼の顔は若い私に似ていて、なにか恐ろしいものに心臓を鷲掴みにされているように感じた。

 そうだ。私が師の姿を見たのは、それが最初だった。


 若いころの私は、年頃の男子が好む運動を放り出してへ向かう。 


「なるほど。君は、自分が誰にも劣らず正しい人間であると思っているわけだ」

「ええ。少なくとも、アテナイの市民として恥じぬ程度には」


 ソクラテスはまた微笑みを浮かべ、灰色がかった顔を歪ませながら若い男に聞く。相手は身なりの整った上流階級の息子、といったところか。私が政治を志していればこんな風になっただろう。アテナイの広場の一角に、今日も何やら人だかりがある。師はやはり笑みを浮かべて言った。


「そうか、確かに君の評判は素晴らしいのだから、どうも正しい人間のようだ。それでは、君は何が正しいのかも知っているというわけだろう。なぜかと言えば、正しいことを知らずに、意識して正しい人間であることはできないだろうからね――」

「もちろんです、ソクラテス。いかに未熟の身でも、私の良心という奴は、しっかり善と悪を見分けてくれますよ」


 若い男は爽やかに笑った。

 師の言葉を肯ったその瞬間から、対話する人間は魔法にかけられる。ソフィストはわが師と話すのを避けていた。そのやり口を苦々しく思いつつも、ついに打ち破れなかったのであろう。あえて師に挑もうとする若者もいた。名を挙げようと思い立ったのだろう。アテナイにも色々いた。

 広場にある大理石の柱廊には、議論を好む成人男性が多く訪れる。わが師はそこへ朝早くからに出かけて行って、日夜人々に問いかけていた。よく生きるとはどのようなことか、人間の生きる目的とは何か、などといったことを話す。我々のように、ソクラテスを慕うことを覚え始めた人間は、年齢を問わずみな彼についていった。師に対する尊敬が半分、それに怖いもの見たさと野次馬が混ざっていた。


「不思議なこともあるものだ。それなら、どうも君の言うことは矛盾しているということになってしまう」


 ソクラテスは、心底奇妙だという風に口を開いた。議論は長いことも短いこともある。相手の口が回らないことも、わが師がじっと考え込むこともあった。今日は短い方で、結論は既に見えていた。もし魂に顔があれば、師のそれが不細工な薄ら笑いを浮かべているのが見えるだろう。若者は苛立ったように言い返した。


「……困った方だ。これには深遠な理由があるのですよ、ソクラテス。今にお答えしましょう」

「おお、そうかね? ならば教えてくれたまえ。愚か者を導くのは、知恵ある者の役目だ。ソロンの時代からこう決まっているからね」


 ソクラテスは、議論を交わしたいものを誰であれ平等に扱おうとする。故にわが師は亡くなった。公衆の面前で言い負かされたことを恥とする市民の恨みを買い、十数年前に毒杯を仰ぐことになったのだ。

 『ソクラテスの弁明』を書いた時から、私も変わった。多くの場所を訪れた。彼を死に追いやったこの都市国家に失望し、各地の政治形態を研究した。だというのに、今この場所で師のことを書いている。

 師がオリーブの木陰で体を熊のように揺らしていたことは、残るまい。多くの場で議論しているゆえに、私の記憶には、何かに誘われたようにアテナイの城壁から出て、イリッソス川の清流に誰も伴わず一人立ち止まる、人々と言葉を交わしていない時のソクラテスのことの方がより強く刻まれていることも、残るまい。

 だとしても、議論の記録までが、その死と共に葬り去られねばならない理由はないだろう。犬に誓ってもいい。多くのことを取りこぼしながら、私は、プラトンという男は筆を走らせる。議論の筋を書き留め、師の足跡が少しでも歴史に刻まれるように。


「諸君、覚えておきたまえ。書かれた言葉は残り、話された言葉は飛び去る」


 わが師はかつてこう言った。思い出さないように努めていた、正反対の言葉だ。宴席でソクラテスは酒を飲み、大きな口に唾を溜めながら言った。

 彼の口癖だった。


 酒宴の席につくとき、彼の弟子たちは各々の奴隷に食べ物を取らせ、やいのやいのと囃し立てた。


「プラトン、君はあれを食べないのかね?」


 ソクラテスは私にそう聞いた。

 わが師はよく話し、よく食べた。体の大きな方だった。広場に並ぶチーズや無花果に目を引かれることはなかったが、食事に饗された際は、本当によく話し、よく食べる。そして飄々とし、普段よりへりくだるような態度をとった。おそらくは自分で酒宴を開くことのできない負い目も、あったのではないだろうか。わが師は一人でも楽しめていない人間はいないかと、周囲に常に心を砕いている――お恥ずかしい話ですが、私はチーズが苦手で。私がそう答えると、ソクラテスは鷹揚に頷いた。


「そうか、覚えておくことにしよう。まあ、何かが食べられない程度で、人生は決まりはしない。恥ずかしがることはない。それでよいのだ」


 わが師は肉厚な口元をちょっと曲げて笑う。善い人だった。このような下らない記憶は、きっと後世に残ることはあるまい。だが、私は覚えていよう。若いころの私も、誰に言うでもなくそう思った。

 ソクラテスは他の客の下に歩いて行った。弟子たちは相変わらず美や善について言葉を交わしながら、饗宴に浮かれていた。自分の盃に目を落とすと、葡萄酒は風のない日の泉のように奇妙に澄みきっていた。

 年を取ったからだと誰かが話していたが、わが師は肉をあまり好いていなかった。師は葡萄酒を好み、いくら飲んでも一向に酔いが回る様子はない。水で酒を割らないのは品のない行為ではあるものの、ソクラテスは出来れば薄めずにそのまま飲みたいようだった。そして、ごく稀にではあるが、甚だしく酔いが回る日もあった。そういう日にわが師は必ずこう言う。


「諸君、覚えておきたまえ。書かれた言葉は残り、話された言葉は飛び去るのだと――」 

「ソクラテスよ、それはもう分かりましたから」

「いいや、分かっていまい。話された言葉は飛び去る。酔っぱらいの寝言でさえそうだ。その言葉は生きている。花にも似て変わってゆく。誰かが蒔いた種は、別の者の内にいずれ咲く」

「ええ、そして生き永らえるでしょう」

「そして生き永らえる。梢を渡る風のように」


 酔いが回った日は、まだ歩ける若者たち何人かで彼の妻であるクサンティッペの下へソクラテスを運ぶのがお決まりだった。大概私か、クセノフォンという男がその役を務めていた。

 今、私はわが師の言葉を思い返しながらも、それに真っ向から立ち向かうかのように、ソクラテスの記憶を作り出している。

 師の脈拍は早く、息は荒い。体は汗ばんで、薄くなった白髪が頭皮に苔のように張り付いていた。湯あみを嫌っていたため、犬の糞か鳥の巣のような匂いがしただろう。それにも構わず、私は肩に師の固い体を負った。


「善く生きなさい、プラトン。善く生きなさい」

「ええ、故にあなたに従っているのです」


 若き日の私はそう答える。


「プラトン、覚えておきたまえ。もし君が本当に決めたことならば、何が起ころうと、決して歩みを止めてはならない」


 何があろうとな。ソクラテスは自嘲するように笑い、こう告げる。師の家が見えてきた。貧しい家だった。

 その日、ソクラテスの奥方のクサンティッペは、遅くまで火を焚いてソクラテスを待っていた。普段の様子を知っているだけに私は驚いた。激情家らしく烈火のごとく怒る日もあれば、深い情のためにこんな時間まで起きていることもある。師の酔いは徐々に醒め、ソクラテスは俯いた。暗い海に鳥の鳴き声が聞こえた。肩に熱っぽい滴が、二、三滴かかるような気がした。

 ソクラテスは、家に辿り着く直前にこんなことを言った。


「善く生きなさい。私の魂でさえ真理を求めて、未だ恋の炎に燃えているのだから。私はただ、間違った道を塞いでいったにすぎん。いいかね、私の魂はもうここから離れる。その時何が善い生き方かは、君たちが決めなさい」


 私はまた筆を動かす手を止めて、己に問いかける。自分は善く生きているだろうか。わが師の魂は今、いかなる場所にあるのだろうか。


 忘れられない瞬間がある。どんな経緯でそうなったのかは分からないが、私は雨の中で、ソクラテスが街角に一人でぽつんと立っているのを見た。冬のアテナイには大粒の雨が降る。狭い大地を潤ませる雨の中で、オリーブの実やブドウの枝が露に濡れているだろう。人々は石造りの家の中で雨を凌ぎ、学童たちは屋根のある建物の中に屯して様々なことを語り合う。私も家へ帰ろうとしていた、わが師を見かけたのはそんな折である。師が亡くなる二年前のことだった。

 晩年のわが師は歯の痛みに顔を歪めていた。あの時のソクラテスも、アテナイを覆う雲の湿っぽい大気の中で、眠りを妨げるほどの歯の痛みに頬を引きつらせながら、押し黙ってある宙の一点を凝視し続けていた。


「それは神の仕業だ」


 わが師が正気にに戻ってから尋ねると、ソクラテスは鼻を鳴らしてそう表現した。私にはしばしば内なる神の声が聞こえる、師はそう言った。その神に取りつかれるや否や、私の思考は有無を言わさずに深い海のようなところへと誘われてしまう。戦争に従軍していた時でさえそうだったという。雪の降る日も裸足のままで寒い地面を踏みしめ、そして立ち止まる。


「家に帰ってからお休みになるのではいけませんか」

「出来ることなら、私もそれを望んでいる。だが神がそれを許さなかった」

「ですが、風邪をおひきになってはいけない」


 私がそう言うと、ソクラテスはしばし口籠った。わが師の皮膚は分厚く、それは何物にも臆さない自信と、不細工な容姿に、そして頑強な体とを与えていた。私は風邪をひいたことはない。普段ならばソクラテスはそう言いかけるところであろう。それにも拘らずわが師は歯痛に痛む顔を歪め、こめかみに皺を作った。そして自身の濡れたトーガに触れ、小さく言い直す。


「そうか。そうだな。風邪をひいてはいけない」


 きっと、ソクラテスは弱っていた。漠然と抗い難い何かを恐れて、避けられない死や病の苦しみなどを予感していた。わが師の魂の奥底には、癒されない傷があったように思う。わが師に従った者の内の一人は戦時中にアテナイを裏切った。もう一人は私の叔父で、戦後間もない混乱のさなかに、三十人で暴政を敷いた。少なくとも、ソクラテスは美しき敗者ではなかった。しかし私が書いているあの男は、恐らくそのようなことを一度も言わないままに、堂々と死を迎えるのであろう。

 そしてわが師は雨上がりの空の中で、曰く言い難い表情で太陽を仰いだ。


 太陽を仰ぎ、己はあそこまで登るのだと止まらなかったソクラテスも、アテナイの街角に、淡い藍色の雨の中に一人ぽつんと立っていた師も、私にとっては等しく真実だ。だが世界には前者しか残らない。あるいは、何もかも消えてしまう。もう年若くはないが、堪らなく悲しかった。あの日わが師は寂しかったのではないか。雨に濡れる師は、孤独だったのではないか。

 彼の人生には、哲学になりえない部分が存在する。それは原理的にという意味でもあり、私の感情が許さなかったという意味でもある。書くという行為は、ある意味で人を殺すことでもあった。自分の書いたものを読み返して想像されるのは、厳かな体つきや、尊厳ある醜さを備えた神か悪魔のようなソクラテスだ。成程、ソクラテスはそこに居るだろう。それはわが師と同じ名前の、到底本物とは似ても似つかない男でしかなかった。


 紙面の中で、ソクラテスはオケアノスの神話について語った。ソクラテスの友であるクリトンが牧童に目配せをすると、摺り潰された毒の入った盃を持った男が、牢に入ってきた。彼が何の逡巡もなく、静かに毒杯を仰ぐのを見て、今まで泣かずに堪えてきた友人たちもとうとう泣き崩れる。しかし、私には本当に目にしたソクラテスの姿が思い起こされた。英雄ではない、一人の、不細工で偏屈な情熱のある老人の姿が。分厚い唇や、膨らんでいるのに硬い横腹。潰されたように丸みを帯びた鼻、重たく勢いのある仕草、時折体から漏れる人間臭い欲望などを見た。もう一度会いたかった。鍛え上げたはずの手はひどく震えた。わが師の声が聞こえはしないかと思い、外に耳を傾けた。鳥の鳴き声が響いていた。

 わが師はもういない。それを示すようにしっかりと冒頭部分に一文を書き足した。これは私の矜持である。最後に、震える手でそっと師に別れを告げた。涙は胸の内に迸り、雨のように魂を濡らしていた。


「プラトンは確か、病気だったと思います」


 一言、私の書く紙面の中で、誰かがそう言っていた。ソクラテスの牢からプラトンの姿が消える。これが別れの挨拶だった。スクロールの中のソクラテスは、クリトンに短く話しかけ、私のいない場所で静かに息を引き取った。


 ソクラテスの死後、プラトンは対話篇と呼ばれる多数の書物を書き残す。ソクラテスを主人公とした哲学的な対話の記録である。だが、その中にはプラトンが目撃していないはずの話、或いは創作であろう若き日のソクラテスの話も存在する。それらは概ね後年に書かれたものであるらしい。


 興味深いことに、プラトンがその著作の中で、自身の存在に言及した場面は僅か三つしかない。そのうち二つは、初期作品である『ソクラテスの弁明』において、プラトンがその裁判を傍聴していたことを示す場面。あと一つの場面は、中期対話篇にあたる、『パイドン』の中である。死刑当日のソクラテスについて語る、という体を取る作品であった。ソクラテスが刑死する直前に行われた対話を描く作品だ。


 私は家を出て、ソクラテスがよく話していたアテナイの市場に足を伸ばした。アクロポリスの麓、広場の中に設置された、煌びやかな彩色の柱廊の側にある市場で、私は政治家などと談笑し、いくらか品物を買った。もうずいぶん前からチーズは買っていない。見栄を張る必要はなかった。そして三舞台の道を辿り、ディオニュソスの劇場までしばし歩いた。


 プラトンはソクラテスの死後、民主制に代わるより善い政治制度を求め、旅に出た。イタリアやその南部にあるシケリア島、そして先進国だったエジプトなどに。彼が辿り着いた結論は、理想的で完全な支配者による王政、即ち哲人王政治であった。


 昔、悲劇作家になりたかったのを思い出した。その経験がソクラテスの偶像を形作る。善く生きなければならない。歯の痛みは治まりましたか。毒杯がさほど苦しくはなく、あなたが体を穏やかに横たえられたことを祈っております。アテナイは間違えましたが、それでもあなたが愛した国でしたね。


 紀元前386年ごろ、プラトンは理想の王を育てるためにアテナイに学園を建てた。アカデメイアという場所に建てられたこの学園は、現在のアカデミーという言葉の語源である。プラトンはこの政治理念の実現のために、老齢を押して奔走した。しかし最後には失敗に終わり、彼もアテナイに戻ることとなった。


 『パイドン』の中で、ソクラテスの友人の一人はプラトンにこう言及する。『プラトンはたしか、病中だったと思います』。プラトンはこの言葉を書き残した後に、果たしてどのような感慨を抱いたのであろう。我々はそれを後世から想像することしかできない。我々が、プラトンの文献からソクラテスを想像するほかないのと同様に。


 おやすみなさい、アテナイの老人。醜く太っていた、私のソクラテス。


 プラトンは80歳でアテナイに没した。ソクラテスよりも、10年長く生きたという。





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