第1話 ノースヒルの白竜

 青々とした葉の隙間から木漏れ日の射し込む、昼下がりの森。

 浅くわだちが刻まれた道を、3台の荷馬車が進んでいます。

 その周囲には、馬に乗った5人の男性の姿。荷馬車の持ち主である商人と、護衛として雇われた傭兵たちです。

 幌付きの荷台は、様々な品が満載でした。

 塩や香辛料の入った壺、珍しい作物の種の袋、書物の収められた箱、加工用の金属の塊。その他にも細々とした商品や、近隣の町からの郵便物などもありました。

 そんなぎゅうぎゅう詰めの馬車たちの、3台目の最後部。荷物の隙間に挟まる様にして、二人の女性が座っていました。

 一人は、白髪をきっちり編み上げ、杖を片手に空を見上げる、腰の曲がった老婆。

 一人は、黒髪をざっくり纏め上げ、栞を片手に本を見下ろす、背中を曲げた女性。

「……エルマ、暗い所で読んでるとまた目を悪くするよ」

 老婆の声に、エルマと呼ばれた女性が顔を上げます。

「ご心配なく。そう思ってこの前、度数の調整機能も付けました」

 彼女は自慢げに言いつつ、眼鏡を外して見せました。

 そのフレームにはいくつものダイヤルが付いており、それぞれ〔度数〕〔望遠〕などと添え書きされています。

「まーたごっつくなってると思ったら……そんなんじゃ、前を向く時重いだろう?」

「まあ、はい。なのでこうして、見下ろしながら読んでる次第でして」

 エルマは眼鏡を掛け直すと、再び本に目を落とします。

「背中が曲がるよ」

「大丈夫です、もう曲がってます」

「はあ……」

 老婆が諦め顔でため息を吐いていると、先頭の御者から声が掛かりました。

「ドロシーさーん、見えましたよー!」

 ドロシーと呼ばれた老婆が、御者の声に振り向いた瞬間。

 エルマは本を閉じるが早いか、荷台から飛び降りて先頭へと駆け出しました。

「そんなに走ると馬が驚くよ!」

 ドロシーはそうたしなめつつ、自身も後を追いかけます。




 ドロシーが追い付くと、先頭の荷馬車は森を抜けた所で停まっていました。

 その横にいるエルマは興奮した様子で、眼鏡の〔望遠〕ダイヤルを弄っています。

「真っ直ぐ正面、石垣で囲われてるのが見えますか? あれがノースヒルの村です」

「竜がいるのはどこですか!?」

「村よりやや右手前の辺り、ちょっとした丘になってますよね?

 あそこが村の名前の由来になった『ノースヒル』で、あの上にいつもいらっしゃいます」

「いたーーー!! すごーい、本物の竜だーー!!」

 望遠眼鏡を両手で支えつつ、子供のようにはしゃぐエルマ。

 ドロシーは彼女の隣まで来ると、右手の指を筒の様に丸め、そのまま覗き込みます。するとその中に、数㎞ほど先の様子がくっきりと映し出されました。


 視界の中央、真北の方角には村が見えます。

 周囲に張り巡らされた石垣の高さは、大人の男性の頭がちょうど出る程度でしょうか。その外側は牧草地となっている様で、あちこちに放牧された牛の姿が見えます。


 村の左奥、北西部には森が見えます。

 今抜けて来た森より規模は小さいようですが、葉を揺らす木々の背の高さは、樹齢を感じさせます。


 北西の森と村との間には、一本の川が見えます。

北から南へ向かう流れは、村を越えた辺りから徐々に東へと曲がって行き、ドロシー達が抜けて来た森の東側へと緩やかに流れ去って行きます。


 そして、村の右手前。川を越えた先の、南東部に見える丘。

 一面が草で覆われたその頂上に、一頭の竜が居ました。


 4本の脚に、1対の翼。大きな2本の角と、長い尻尾。

 それらの全てが、純白の鱗に覆われています。

 全長にして数十mはありそうなその竜は、雲の様子でも眺めるかのように、静かに空を見上げていました。


「……へえ、本当に白竜だねえ。アタシも長い事生きてるけど、初めて見たよ」

 右手の筒を覗き込みながら、ドロシーが呟きます。

「記録の上でも、100年以上前の文献に時たま出てくる程度ですからね。凄いなあ、全然染まってない……」

 エルマはうっとりとした表情で、彼方の竜に見惚れています。

「5年前に来られた際は、もう少し赤みがかっていたそうですよ」

「じゃあ多分、元は北の方の火山にでもいたんでしょうねえ。あ~~、早く間近で見たい~!」

 うっとり顔のまま地団太を踏むエルマ。その間も、竜を見る視線だけはピタリと動かしません。

「変なとこ器用だねお前さん、まるで手の中で揺らされるニワトリみたいだよ」

 そうして二人が竜を見ていると、後方から馬の歩く音が近付いて来ました。

「ほお、遠見の術ですか」

 荷馬車の持ち主の商人です。横には、護衛の傭兵も伴っています。

「そんな上等なもんじゃないよ。水で手の中に望遠鏡を作っただけさね」

 振り返ったドロシーはそう言うと、商人にを見せました。

 筒状にした右手の中には、精巧な2枚のレンズが連なっています。彼女が手を開くと、それらはパチン! と泡のように弾け、そのまま霧散してしまいました。

「ははは、いやすみません。焚火に火を点けるのも一苦労する私では、貴女が使う魔法のどれがどれだけ凄いのやら、皆目見当も付きませんで」

「それが分かる様になりたけりゃ、王都で授業を受けてみたらいい。良い魔導師を紹介してあげるよ」

「ふむ……今からでも訓練すれば、いずれは護衛なしでやっていけますかな?」

 商人は顎に手を当て、真面目腐った顔をしながらチラリと傭兵を見ます。

「浮いた護衛代で授業料の元が取れるなら……アリですな」

「ちょっと旦那ぁ!? 食い扶持が勝手に強くなられちゃ困りやすよ!?」

 傭兵は割と酷い事を言いつつ、大げさに慌てて見せます。

「それならアンタ達も授業を受けて、もっと気前のいい旦那に付くんだね。

 そうすりゃアタシには、全員分の紹介料が入る」

 ドロシーはウィンクしながら、親指と人差し指で輪を作って見せました。

「こりゃ敵わねえや……!」

「ははは! ドロシーさんもなかなか、商売上手ですなあ!」




 再び進みだした荷馬車隊。ドロシーとエルマはそれぞれ、商人と傭兵の馬の後ろに乗せてもらっています。

「それにしても、ドロシーさんが獣除けの術を掛けてくれて助かりました。いつもなら森を迂回するので、急いでも日暮れ前になりますからね」

「エルマが言うには、夕方から雨が降るそうだからねえ。もう術は解いても良いかい?」

「ああ、そうですね。この辺りはもう白竜様の目が届いていますから……おっと、お気付きになられたようです」

 一行が橋を渡り、川を越えた辺りで、丘の上から竜がこちらを見て来ました。

 馬を止め、竜に向かって深々と一礼する商人達。それに習って、ドロシーも頭を下げます。

「はぁあ~、近付くとやっぱりおっきぃぃ……」

「これエルマ、あんたもだよ!」

 ドロシーの杖が、見惚れるエルマの頭を小突きました。

「あだっ! うぅ、でも目に焼き付けたくってぇ……」

「あんまりじろじろ見てちゃあ気に障るだろう、ほどほどにおし!」

「はい……」

 しょんぼりと項垂れるエルマ。しかし諦め悪く、まだチラチラと髪の隙間から覗いています。

「おやめったら!」

「ははは……ともかく、ああして白竜様が目を光らせて下さるお陰で、この辺り一帯は害獣などが寄り付かなくなりました。

 我々も往復しやすくなりましたし、村の牧場や農家も大助かりだそうですよ」

「なるほど、そりゃ白竜様々だねえ」

 相槌を打つドロシー。その隙に竜の様子を窺うエルマ。エルマを小突くドロシー。

 そんな一行の様子を、丘の上の竜は見つめ続けていました。




 日が傾きかけてきた頃。村に着いた一行を、フサフサの白髭を生やした老爺が出迎えてくれました。

「お早いお着きでしたなあ。白竜様が空を気にしておられたので、ひと雨来そうじゃと心配しておった所です。ささ、まずは宿の方へどうぞ」

「村長、お出迎えありがとうございます。

 その宿の事なのですが、追加でもう二人泊まらせて頂く事は可能でしょうか?」

 そう言った商人の横に、ドロシーとエルマが進み出て来ます。

「おや、こちらの方々は……?」

「急に押しかけてすまないねえ。アタシはドロシー、王都で魔導師をやってる者さ。こっちは魔具師のエルマ」

「エルマです! よろしくお願いします!」

 今日一番の元気で挨拶をするエルマ。丸まった背をピシリと伸ばした姿は、この場の誰よりも背が高いです。一般的な成人男性より、少し上くらいでしょうか。

 彼女がブン! と音の出そうな勢いでお辞儀をすると、重たい眼鏡がすぽんと慣性で外れ落ちます。

「ああっ、眼鏡眼鏡……」

「……訂正、賑やかしのエルマだ」

「ちょっとドーラ!? わたし依頼人なんですけど!?」

 ドーラ、というのはドロシーの愛称でしょう。

 拾った眼鏡を掛け直しつつ、憤慨するエルマ。どうやらレンズは無事のようです。

「……はて。その魔導師様方が、この村に何のご用事ですかな?」

「コホン、失礼しました……わたくし、魔具師の傍ら個人的な興味で、竜の研究をしていまして」

 ピクリ、と村長の眉が動きます。

「ほう、竜の……?」

「はい。あの丘の白竜は、5年もあそこに住んでいるのに一度も村を襲わず、しかも害獣や魔物を追い払ってくれまでするんですよね?

 竜がここまで人間と共存している例は、大昔の文献にしか記録が無いんです。な・の・で!」

 エルマはガシッと村長の手を取ります。

「是非とも! 詳しく! 調査を! させて! 頂きたく! なるべく近くで!」

「近過ぎるよ」

 ガッチリと村長の手をホールドしたまま詰め寄るエルマ。その頭を、後ろからドロシーの杖が小突きます。

「えー……と、申されましても、ですな……

 我々も普段、自分から白竜様に近付く事はありませんで、その……万が一にも、白竜様のご機嫌を損ねるような事があっては、困ると申しますか……」

 しどろもどろに返す村長。

 エルマはなおも手を放さず、レンズ一杯に目を見開いて、じーっと村長の顔を覗き込みます。身長差もあってほとんど見下ろす格好になっており、すっぽりとエルマの影に覆われた村長は、今すぐにでも逃げ出したそうな様子です。

 と、その時。ポツリ、と地面に染みが出来ました。

「おお、いかん! 降り始めましたな! お二人の分の部屋もご用意いたしますので、今日の所はひとまず宿にお泊り下され!

 調査に関しては明日にでも、村の衆と相談致しますので……!」

 これ幸いとばかりにまくし立てる村長。

「分かった、よろしく頼むよ。押しかけちまってすまないねえ。

 ほらエルマ、いい加減に手を離しな!」

 ドロシーの声で、パッと手を放すエルマ。

 村長は赤く手形の付いた手をさすりつつ、逃げるように去って行きます。

「では、今日の所はこれで失礼致します。ごゆっくり……」

「よろしくお願いします! 何卒!」

 エルマはまた、勢いよくお辞儀をします。

 眼鏡もまた、すぽんと外れ落ちました。




 商隊に用意された宿は、村の南東部にありました。

 元は普通の民家だったそうで、1階部分は居住スペースとなっています。宿泊用の5部屋は全て、後から増築された2階にありました。

 全室二人部屋ではありますが、ベッドは各部屋に一つしか無く、二人目はソファーで寝る仕様です。商人と3人の御者、4人の傭兵で計8人。彼らが4部屋を使い、ドロシーとエルマが残りの1部屋を使う事になりました。

 ちなみに普段は、商人と傭兵の隊長がそれぞれ個室になっているそうです。

「アタシがベッド、アンタはソファー」

「わたし依頼人なんですけど~」

「年寄りは労わるもんだよ。大体ここのベッドは、アンタにゃちょっと狭いだろう」

 ちょうど成人男性が寝られる大きさのベッドなのですが、エルマが寝ると足がはみ出しそうです。

 とはいえ、ソファーの方はもっと窮屈になるので、単にドロシーがベッドを使いたいのでしょう。

「また背中が曲がる……」

「もう曲がってるんだから良いじゃないか」

 言いつつドロシーは、手際良くベッドサイドに私物を並べてゆきます。自分のテリトリーを作り上げ、もう絶対に譲らないという構えです。

「……で、何か読めたかい?」

 ふと、唐突にドロシーが尋ねました。

「なーんか隠し事してますねえ。少なくとも『機嫌を損ねる』のが理由ではなさそうです」

 手を開いたり閉じたりしつつ、エルマはそう答えます。

「ああ、あとドーラの事も知ってるみたいでした」

「ふうん……面白くなって来たねえ」

 ドロシーは窓の外を覗きました。

 夕方からの雨は既に止み、穏やかな風が吹いています。しっとりと濡れた草むらが、満月の光に照らされて、微かにきらめきながら揺れていました。

 月はちょうど、丘の頂上と重なって見えます。

「ま、相手は竜だ。せいぜい臨機応変に行こうじゃないか」

 ドロシーはそう言って、パタンと窓を閉じます。

 その表側にはくっきりと、丘から見下ろす竜の影が落とされていました。

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