第3話 特別講義

 村の北側から橋を渡り、北西の森へと踏み入ったエルマ。

 南の森より小さいとはいえ、辺りは鬱蒼うっそうとした背の高い木々に囲まれており、あちこちから鳥や小動物の鳴き声が聞こえてきます。

 村から続く痕跡は獣道のようになっており、森の中を曲がりくねりながら、奥へ奥へと続いています。

 足元を確かめつつしばらく歩き続けると、やがて直径50mほどの広場のような場所に出ました。

 どうやら定期的に人の手が入っているらしく、足元の雑草はほとんどが刈り取られ、茶色い地面がむき出しになっています。

 そして、広場の奥。入り口とちょうど反対側に当たる場所には、人が横たわれるほどの大きさの岩の台座がありました。

 エルマは台座の近くまで歩み寄ると、そこである物を見つけます。

「やっぱり、この村は『あれ』をやってる……!」

 地面に深々と刻まれた、巨大な竜の足跡。

 それも、来たのは一度や二度ではないのでしょう。台座の手前の土は、無数の足跡で踏み固められています。

「村長さんが調査に乗り気じゃなかったのは、これを知られたくなかったから?

 いや、あの感じは……知られたくなかった……?」

 右手を開いたり閉じたりしつつ、ブツブツと考え込むエルマ。

「だったら許可なんて出すはずない……とりあえず、ドーラと合流しないと!」

 彼女は曲がりくねった道を突っ切り、まっすぐに村へと戻り始めました。




 エルマが北西の森から戻り始めるより、少し前。


『坊や、どうしてアタシに魔法を習いたいんだい?』

『僕、将来どうしても魔法を使える様になりたいんです! だから本を読んで練習してるんですけど、全然上手くいかなくって……

 父さんも応援はしてくれるけど、最近は「世の中にはいろんな仕事があるぞ」なんて言って、本当は諦めて欲しいみたいで……

 大魔導師のドロシーさんに見てもらって、それでも駄目なら諦めも付くと思うんです。だから、お願いします!』

『なるほどねえ。それじゃどこか、村の人に見つからないところで練習しようか』


 そんなやり取りの後。ドロシーはルーカスの案内で村の北門を出て、北西の森へと向かっていました。

「あの森の中に、大きな広場があるんです。村の人達も普段は近寄らないですし、丘からもほとんど見えないので、白竜様もびっくりさせずに済むと思います」

「坊やもよく行くのかい?」

「前まではよく遊びに行ってたんですけど……そういえば、あの時からは行ってないですね」

「あの時?」

「白竜様が最初に、その広場へ降りて来た時です」

 ルーカスは、当時の事を語り始めます。



 あれは、5年前の事でした。

 あの頃、村には一緒に遊べる歳の子がいなくて、よく一人で村の周りの丘や森へ『冒険』に出かけていたんです。

 そんなある日、いつもの様に森の広場で遊んでいたら、突然周りが暗くなりました。

 それで上を見上げたら、10mくらいある大きな赤い竜(白竜様って、来てからしばらくは鱗が赤かったんです)が、広場に降りて来ようとしていたんです。

「クルォォォオオーーーッ!!!」

 そんな風に吼えながら、見る間に竜が近づいて来て。僕は咄嗟に、自分で作った魔法の杖(あ、いま持ってるこれです)を、竜に向けて構えました。

 不思議と心は落ち着いてて、怖くもなかったです。『怖い』と感じる余裕も無かったと言いますか……

 こう、意識がどんどん研ぎ澄まされて、周りが何も見えなくなって、ただ竜の姿だけがハッキリ見える。そんな感じでした。

「クルルゥゥゥゥ……」

 降りて来た竜の方もその場から動かずに、じっと僕の方を見つめています。

 心の全てが見透かされるような、とても綺麗で、真っ直ぐな瞳でした。

 それからずっと見つめあって、どれくらい経ったか分からなくなる頃でした。

「………」

 竜はゆっくり目を閉じると、そのまま眠る様に地面へ伏せてしまったんです。

 段々『怖い』って感覚が戻って来て、心臓がバクバク言い出して、その音で竜が起きるんじゃないかとまた怖くなって……でも竜の方は、一向に動く様子が無いんですよ。

 しょうがないから覚悟を決めて、目を離さないように後ろ向きのまま、ゆっ…くりと離れる事にしました。

 なるべく音を出さない様に、じわじわ後ずさりながら広場を出て、曲がりくねった道に入って……

 完全に竜が見えなくなった後でも、まだ竜のいる方向から目が離せませんでした。一瞬でも目を逸らしたら、また動き出すような気がしてたんです。

 そんな調子でなんとか森を抜けた時には、もうほとんど日が沈みかけてました。



「その後すぐに、探しに来ていた両親が見つけてくれたんですけど、顔を見て安心したら気絶しちゃいまして……

 村は『竜が来た!』『ルーカスがいない!』って大騒ぎだったみたいで、起きたらこっぴどく叱られました」

「で、それから来てなかったと」

「はい、なんだか気まずくって……あ、ここですここです!」

 曲がりくねった狭い道が急に開けて、頭上に青空が広がります。

「懐かしいなあ、5年前と全然変わってないや」

「なるほど、これだけ広けりゃ充分だね」

 直径50mほどの広場を見渡し、満足そうに言うドロシー。

「えーと……あったあった。この木に傷を付けて、よく背丈を測ってたんですよ。よっ、と……」

 広場を囲む木々の一本に近付いたルーカスは、持っていたナイフで、自分の背の高さに印を付けました。

「うーん、全然伸びてないや……」

「坊や、あの岩は何だい?」

 ドロシーは筒の様に丸めた手を覗き、広場の奥の方にある岩の台座を見ています。

「ああ、あれは村の人たちのお墓です。

 といっても遺体はあそこに埋めるんじゃなくて、森のもっと奥の方へ置いてくるらしいんですけど」

「ああ、風葬とか獣葬ってやつだね。なるほど、村のどこにも墓地が無いわけだ」

「それでもお墓はお墓ですし、確かあの近くまで行くと丘から見えちゃうので……なるべく、広場の手前の方でやりましょうか」

 そう言うとルーカスは、期待を隠せない様子でドロシーを見つめます。

「ではドロシーさん、よろしくお願いします!」

「よしよし、やる気があるのはいい事だ」

 ドロシーが杖でとん、と地面を叩くと、近くの地面が盛り上がり始めます。

 そうして膝ほどの高さにまで達した土は、表面が素焼きの器の様に硬くなりました。彼女は即席の椅子に腰かけると、

「それじゃあ坊や、特別講義といこうか」

 にこりと笑いながらそう言いました。



「まずは確認からだ。普段通りにやってごらん」

「はい! じゃあ、火の魔法をやってみます!」

 元気よく返事をしたルーカスは、お手製の杖を前に突き出し、深呼吸を始めます。

「すーーっ……はーーっ……むんっ……!」

 そのまましばらくの間、手を動かしながらうんうんと唸ってみますが、何も起こる気配がありません。

「……よし、そこまで」

「は、いっ……! っはあ……!

 こんな感じで、本の通りに魔力を集めようとしてみても、全然上手くいかなくって……」

 ルーカスは、持ってきた鞄の中から本を取り出します。その表紙には『はじめての魔法まほう』と書かれていました。

「やっぱり僕、魔法の才能が無いんでしょうか……?」

「どれ、貸してごらん」

 ドロシーは本を受け取り、ぱらぱらとページをめくります。


『まずはれるところからやってみましょう。

 いきおいよくまえしてかまえ、心臓しんぞうあたりに意識いしき集中しゅうちゅうさせます。

 そのままうごかしてみると、のひらになにかがまとわりくような感覚かんかくがあるはずです。これがです。

※ かんれないというひとつえかまえて、つえさきかんりましょう

※ つえっていない場合ばあいは、自分じぶんがよく使つか棒状ぼうじょうものなかで、つくられたものをえらんで使つかいましょう(れい:おたま・ほうき木槌きづち竿ざお)』


 ドロシーは苦笑しつつ本を閉じ、ルーカスに返します。

「……なるほど。間違った事は書いちゃいないが、肝心な事が抜けてるねえ。ま、仕方ない」

 ドロシーが空中で杖を振ると、その先から細い煙が出始めました。

「それじゃあ、大前提から行こうか」



「坊やがさっきから使っている『魔法』と言う言葉。これは文字通り、力を操って何かを行う方の総称だ。その中には、大きく分けて二通りの『魔術』という区分がある」

 彼女は煙を操り、まず空中に大きな四角を一つ。

 更にその内側に、端同士が重なり合う二つの円を描きました。

 大きな四角には〔魔法〕、二つの円には〔魔術〕という文字を書き添えます。

「魔法の中に、二種類の魔術……」

 熱心にメモを取りつつ、真剣に聞き入るルーカス。

 ドロシーは頷くと、話を続けます。

「まず、体の内側で作られる魔力である『オド内魔力』を使う魔術。これを『内魔術ないまじゅつ』と言う。

 魔術という言葉が現れる前は、魔法と言えば基本的にこれの事を指していた」

 二つの円のうち右側の円の中に、〔内魔術〕という文字が書きこまれました。

「次に、体の外側にある魔力。主に自然から生み出される『マナ外魔力』を使う魔術が、『外魔術がいまじゅつ』。

 人間がこれを使いだしたのは、ほんの100年ほど前の話だ」

 今度は左側の円の中に、〔外魔術〕と書き込まれます。

「オドを使う内魔術と、マナを使う外魔術……」

「他に有名なのは、呪術とか錬金術なんかがあるねえ。ただこれらは基本的に、2種類の魔術のどちらか、あるいは両方に含まれる」

 今度は左右二つの円を貫く様にして、横に長い長方形を二つ描くドロシー。

 上の長方形には〔呪術〕、下の長方形には〔錬金術〕と書き込みます。

「……あれ? じゃあ『魔法』と『魔術』って同じ意味なんですか?」

 図を写しながらメモを取っていたルーカスが、不意に疑問を発しました。

「いい質問だ。でも、そこはちょいとややこしいんだよ。単に『魔術』とだけ呼ぶ場合は、呪術や錬金術を含まない場合が多いのさ。

 なにせこれらは、外魔術が使われ出してからのたった100年で急速に広まったもんでねえ。分類がハッキリするより前に、呼び方の方が先に定着しちまったんだ」

 ドロシーがそう言うと、〔呪術〕〔錬金術〕の長方形が薄くなりました。

「あとは、オドもマナも使わない魔法なんてのがあったりするけれど……ま、そういう例外はまたの機会だね」

「分かりました、ありがとうございます!」

 少年の元気のいい返事を聞き、老魔導士はにこやかに頷きました。



「さて、話を戻そうか。

 内魔術に使うオドというのは、生命力とほぼ同義だ。栄養を摂ってよく寝れば体力と共に回復するし、逆に使い過ぎると命に係わる。

 だから内魔術は、魔導師の資格無しに教えちゃあいけないし、一般向けの教本にも詳しく書けない事になってるのさ。

 その本に書いてあったのも当然、マナを扱う外魔術の方だね。ただこれが、今のお前さんには向いてないんだよ」

 今度は、〔外魔術〕の円が薄くなります。

「どうしてですか?」

「見せた方が早いね、ちょいと離れな。ああ、そのくらいでいいよ」

 言われるままに、ドロシーから5mほど離れるルーカス。

 再び杖が振るわれると、二人の周りをそれぞれぐるりと囲むように、細い煙の輪が現れました。

「生物の周りは通常、容量を超えて溢れたオド……『漏出ろうしゅつオド』で覆われている」

 二つの輪の内側が薄い煙で満たされてゆき、そこに〔漏出オド〕という文字が浮かび上がります。

「大気中のマナは密度が薄いから、普通はこの漏出オドの外側に押し出されちまう。

 だからマナに触れたい場合は、こうやって手や杖を漏出オドの外まで伸ばす必要がある」

 ドロシーはひょいと杖を持ち上げ、その先を煙の輪の外側へと伸ばします。

 飛び出した先端近くに、〔マナ〕という文字が大きく浮かび上がりました。

「ところが坊やの場合、この漏出オドが極端に多い。するとこうなる」

 ルーカスの周囲の薄い煙が段々と濃くなってゆき、それに押し広げられるように、煙の輪がググッと大きさを増しました。

 彼も杖を伸ばしてみますが、もう輪の位置までは届きません。

「……そうか、本の通りに何回やってもマナを感じ取れなかったのは、そもそも僕の手や杖がマナのある位置まで届いてなかったから……」

「その通り。普通の教本は、一般的な漏出量を前提に書かれてるからね。

 だからお前さんはまず、過剰な漏出オドの制御から覚える必要がある」

 二人を囲む煙がふっと掻き消え、ルーカスが駆け戻って来ます。

「教えて下さい! どうすればいいんですか!?」

「その前に、『坊やの漏出オドはなぜそんなに多いのか』って話をしよう」

 ドロシーはおもむろに立ち上がると、一本の木に近付いてゆきました。

 その幹には、いくつもの古い傷が付けられていました。それぞれの傷の横には、それらが付けられたであろう日付も書かれています。

「確認だがお前さん、歳は今いくつになる?」

 ドロシーが見つめる先には、さきほどルーカスが付けた真新しい傷があります。

「えっと、16

 11少年がそう答えます。

 新しい傷の高さは、5年前の物と全く変わっていませんでした。

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