第10話 本の虫
さっき数秒だけ見えた『人型の虫』を倒せってことだけどさぁ……これ、想像よりかなりムズいんじゃないの?
こちらは部屋がどんな造りで、障害物がどこにあるかが一切分からないのに対して、向こうは熟知している。それだけアイツを捕えるのが困難ってことだ。
「師匠! その虫がどれだけつえーかは知りませんが、オレたち勇者なら倒せるはずですよね!」
「落ち着いてイルガ。ここは図書館の中、さっきみたいに暴れられないよ」
「確かに……なんか、一気に自信なくなってきました!」
イルガの言う通り『倒すだけ』なら簡単だ。ウチ一人だけですぐに追いついて、一発殴れば倒せるだろう……。
だけどここは図書館の一室……他に利用しているお客さんもいるし、何より戦闘で魔導書に傷がついたら、せっかくここまで来た意味がない。本末転倒ってヤツだ。
「――イルガ。虫のことはクラリスに任せて、私たちは魔導書を安全な場所に運ぶわよ」
「分かりましたー! 館長さん、コイツらって一旦部屋の外に出してもいいですか?」
ナイスだマキ。守るべき魔導書の数が減れば、その分ウチも加減せずに戦える。だとしても、この数の魔導書を持ち出すのはかなりの時間がかかるだろうけど……なんたって、四角い箱の中全部にぎっしり詰まってんだもん。
「それはなりません! あの虫は魔導書を持ち出そうとする者に、襲いかかる習性がありまして……だから『厄介ごと』なのです……」
あの虫は、魔導書を自分のものだと思っているのか? だとしたら借りようとした者に襲いかかる、ってのは分かる。そりゃあ取られたくないもんな。
別に『借りる』だけで取ろうとはしてないんだけどなぁ。どうにかして誤解を解けないもんだろうか……?
「それは大丈夫ですよ~……うちのクラリスが負けるわけがないので」
――言うじゃん。まあ、本当のことなんだけどね!
どこに行ったかも知んない虫の行方は一旦気にせず、まずは両脚に力を込める。どんな相手か分からない以上、魔法じゃなく神様としての力で対抗しないとこちらが倒されかねないからな。
「では皆さんは、マキさんの指示で魔導書を外に持ち出してください。私は皆さんが虫に襲われるまでに倒しますんで!」
マキたちが一度外に出たタイミングで、ウチは脚に溜めた力を解放する先を探す。もしイルガや館長さんにウチが神様なのがバレたら、ま~たありもしない噂で溢れかえるんだろうし……!
「魔導書を返して……!」
――その姿を捕捉した時には、虫は扉のすぐ近くまでやって来ていた。
「速いっ……でも追いつける!」
すかさず溜めた力を解放、間一髪で四本腕のうち一本を捕えた。脚力の余韻でできた風圧で、ヤツの銀色の髪と触覚がゆらりと揺れる。
「離して! アイツら魔導書を……シルフィナの魔導書を盗んだんだもん! シルフィナのコレクションが盗まれたんだも~ん!」
シルフィナと名乗る人型の虫は涙ながらに語る。やっぱりこの魔導書たちを自分のものだと思っているんだな……だからって、いきなりマキたちに襲いかかるのはヤバいと思う。
「取ってないから! ウチらは魔導書を借りたいだけなの、ちゃんと返すから!」
「そう言われて、返ってこなかったことがあるんだもん! 三百年前に借りパクされたんだもん! 借りたヤツはどうせ死んでるから、絶対返ってこないんだもん……!」
三百年って……コイツはどんだけ長生きなんだ? ウチと同等か、もしくはそれ以上かぁ? そして、よくもまあそんな昔のことを覚えてんな。魔導書へのこだわりがすごいんだなぁ……だから借りられなくなっちゃってるのか。
「そっか……でも『厄介ごとを解消する』って、あの館長さんに約束しちゃったんだ。だからウチとしては、あんたを倒すしかない。もう二度と魔導書のコレクションを楽しめなくなる……それは嫌でしょ?」
シルフィナはおそらく三百年以上もの間、この部屋で魔導書を護っていることとなる。あの館長さんが生まれるずっと前から……。だから『自分のもの』だと主張するし、持ち出そうとしたマキたちを襲おうとしたんだ。
「それは嫌だけど! でも魔導書たちを……シルフィナが貰ったものたちを、一冊でも誰かに奪われる方が嫌なんだもん! 盗まれるくらいなら、死んだ方がマシなんだもん!」
「貰ったもの……?」
嘘でしょ、これ全部貰い物なのか……この量を全部譲るヤツもマジにヤバいだろ。でも、シルフィナはそれだと好かれてたんだなぁ……。
「うん! リュエルおじさんは、シルフィナみたいな
どうやらシルフィナは、そのリュエルおじさんというヤツに優しくされたんだな。その辺りに詳しく触れるつもりはウチにはないけど、昔の人間はシルフィナに対して、あんまりよくは思ってなかったんだろうな……。
「昆虫人は人間と違って触覚や羽があるし、腕も四本あるから、差別されてたんだもん……! だけどリュエルおじさんはこの部屋に住ませてくれて、時々魔導書をシルフィナにくれたんだもん! シルフィナはそれを取られるのが許せないんだもん……!」
ウチが雲の上からぼんやりと世界を見ていた間、知らない所でこんな悲劇があったなんて……。ウチは結局、助けを求める声にしか耳を傾けられなかったんだ。シルフィナが
「――なるほどね。だからあなたは、魔導書を貸し出したくないわけだ」
聞き慣れた声とともに、仄暗い部屋に一筋の光が差し込む。一往復目を運び終えたマキが、シルフィナに対話を試みる。
「外からうっすら聞こえてたよ。盗まれるくらいなら死んだ方がマシだ~……なんてね。だけどもしあなたが死んだら、私たちは容赦なく魔導書を奪っていくつもりよ。つまりあなたは無駄死に。天国にいるリュエルおじさんとやらも、浮かばれないでしょうね~……」
それは対話というよりは脅迫に近かった。なんとしても『魔導書を手にする』という意思表示のようで、再び密閉された部屋の中に、不穏な空気が溜まっていく。
「だったら! ここにいる全員ぶっ倒してやるんだもん! シルフィナは死なないし、魔導書も護るんだもん!」
シルフィナは四本の腕を突き出しながら、マキに向かって飛び出す。しかし彼女は避けるどころか、両腕を広げて攻撃を受け止めようとすらしている。
「ちょっと、マキさん逃げて! あんた死ぬよ!?」
「おい言葉遣いが乱れてるわよクラリス! それに私は死なない! ……聞いてシルフィナ、神様はきっと昆虫人のことを差別しないわ。だから神様のことを信じてる私やクラリス、イルガはあなたのことを迎え入れるわ……!」
襲いかかるシルフィナを逆に捕えるように、マキは両腕をシルフィナの背中に回し、ぎゅっと抱きとめたのだった。
シルフィナがマキの胸に顔を埋めて涙を流している中、一瞬だけマキと目が合う。まるで『そうだよね~?』なんて言わんばかりに。ちゃんと分かってる、そのつもりだよ。
「えっ……なんでなの……?」
「そうね~……あなたが『世界一魔導書に詳しいから』ってことにしようかな。シルフィナ、うちの教会に来て。魔導書たちと一緒に、お引越しといきましょう?」
やがて銀色の四本の腕が、マキの背中を傷一つつけずに優しく包む。
また一人、ゼラヴィア教会の仲間が増えた瞬間であった。
「ありがとう、マキ……」
「敬語」
「あっ、ごめんなさい……ありがとうマキさん……」
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