第2話 ジークの秘密

 ジークはレイリーとの散歩から戻り、上機嫌で上着を脱いだ。


 (姉様は、今日もお美しかった)


 ジークは姉が好きだった。光沢のある黒髪も、翡翠のような濃い緑の瞳も。何より慎み深く落ち着いた、彼女の微笑みが大好きだった。


 (姉様にはいつも笑っていてほしいな・・・僕の前では)


 ジークは部屋の机に置いてあった家庭教師の出した課題を見て、鼻で笑った。


 「簡単すぎて、つまんないんだよ」


 先日父が雇った家庭教師は、まったくのぼんくらだ。15歳の僕が片手で解ける様な問題にすら手こずってるのだから。


 「さっさと辞めさせて、もっと優秀な家庭教師をつけてもらおう」


 こんな調子じゃ来年受ける官吏学校の試験で、首席合格するのが危うくなる。


 ジークは本棚から領地経営の本を抜き出した。


 (父には早く引退して貰わないと)


 自分が正当な後継ぎではない事は知っていた。だけど、そんな事はどうでも良い。早く爵位をついで、この家を自分の思い通りにしたかった。思い通りにして、そして・・・


 「兄様、入るわよ」


 妹のリリアがドアを開けた。


 「ノックをしろよ。お里が知れるぞ」


 ジークがそういうと、リリアはキッと兄を睨みつけた。だけど気持ちを落ち着かせるように息を吐くとジークに話しかける。


 「話があるのよ」


 「何だよ?僕は忙しい・・・」


 「お姉様と和解させて」


 ジークは冷たい目でリリアに向けた。


 「何の話?」


 「とぼけないで!もうずっと前から、私にお姉様を虐めさせているじゃない!もう嫌なのよ!」

 

 リリアはそう叫びながら首を振った。


 「大きい声を出すなよ・・・ふうん、その割には今日だって見事な意地悪っぷりだったぜ」


 ジークはせせら笑うようにリリアに言った。彼女は両手を握ると、空を叩くように打ち下ろす。


 「使用人達だって気づいてるわ。私がお姉様を虐めてるって!このままじゃ世間の噂にだってなりかねない。それに・・・私は別にお姉様を嫌いでも何でもないのよ!?こんな事もうしたくない!」


 (うるさい、妹だ・・・)


 ジークは軽蔑したようにリリアを一瞥すると、面倒くさげに彼女に近寄ると、肩に手を置いた。リリアの体がびくっと震える。


 「ねぇ、リリア。僕の可愛い妹。お願いだから、もう少し我慢してくれないか?あと少しだけ、姉様が僕だけを見てくれるようになるまで」


 リリアは怯えたような目をジークに向けた。


 「・・・今だって、この家でお姉様が信頼してるのは兄様だけじゃない」


 メイドのサマンサもだけどね。ジークは心の中で思った。だけどそれは良い。彼女はただの使用人だ。


 「もう少しなんだ。姉様が僕だけのものになるのは。だから協力してくれ」


 「嫌よ!本当は、私だってお姉様と仲良く・・・」


 仲良くしたい、そう言おうとしてリリアは言葉を止めた。ジークの瞳の奥に狂暴な光が走ったのを見たから。


 「あ・・・」


 「良いのか?リリア」


 ジークは微笑み、静かな声で、だけど脅すように囁いた。


 「本当に良いの?お前の秘密を、皆に言ってしまっても?」


 くすくす笑うジークを、リリアは恐ろしい物でも見たような目で見返した。逃げるように兄から離れると、扉の取っ手に縋りつく。青ざめた顔で、兄の方を見ないまま掠れた声を上げた


 「・・・分かったわ。だから約束は守って」


 「もちろんだ。僕が妹との約束を破るわけないだろ」


 リリアは一瞬だけ、兄に対し憐れむような目線を送った。


 「兄様は馬鹿よ。何をしたってお姉様は、兄様を弟以外に見たりしないわ。だって片親と言え血の繋がった姉なのよ!?」


 そう言い残すと、素早く扉を開けて出て行ってしまった。


 一人になった部屋で、妹の捨て台詞がジークの中で、取れない染みのように残る。

 だけどジークはそれを無視するようにポツリと呟いた。


 「そんな事は知ってる。でもやってみないと分からないだろ?」


 答える者は誰もいない。

 ジークは部屋のベッドに腰かけ、寝っ転がると天井を見上げた。


 (姉様・・・)


 何時の頃だったかは忘れてしまった。気が付いたら、姉のレイリーはジークにとって掛け替えの無い人になっていた。


 最初は苦しんだ。異母弟とはいえ、自分達はれっきとした姉弟なのだ。自分でも、こんな恐ろしい気持ちは消してしまいたいと思った。


 だけど出来なかった・・・。姉が自分以外の誰かのものになるなんて、考えただけで焦げるような痛みに襲われた。


 そして覚悟を決めた。誰を利用してでも、そして何を犠牲にしてでも、姉の事を手に入れると。


 幸いジークは並外れた頭の良さと、強い精神力を持っていた。彼はまず、自分の母と妹を使う事にしたのだ。


 (問題は父上だな)


 そう思ったが、不思議とフリーマン子爵は、レイリーの事に関心が無さそうだった。彼女を社交界にデビューさせるつもりも無いようだ。


 それはジークにとっても都合の良い事だった。


 (姉様を他の男の目に触れさせずに済む)


 こうして何年も、ジークはレイリーが自分だけを愛するように仕向けてきた。レイリーの目に、自分しか映らないように。


(もう少し・・・きっともう少しだ)


 姉の心に自分に対して、姉以上の気持ちが宿るのを、彼は切望していた。

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