第7話(最終回) 1月15日(7日目)&1月16日(8日目) ロンドンでわしも考えた

1月15日(7日目)


 ロンドン最後の朝。 モーニングティーでもすすりつつゆっくりと感傷に浸りたいところだけど、早く支度をしないと集合時間に間に合わないし、正月にひいていたカゼがぶり返して調子が悪い。


 でも、やっぱり頭の中にはいろいろな思いがよぎる。 本当に楽しかったなあ。あっという間の6日間だったよね。とにかく、また来ることを心の中で固く誓う。


 まだ薄暗い曇り空の下、バスで空港へ向かう。滞在中、天気はだいたい曇りだったけど、それほど陰欝な感じでもなかった。 それに思ったより寒くなかった。もっともこれは暖冬のせいで、いつもはもっと寒いらしい。


 飛行機に乗り込む。帰りもヴァージン・エアだ。日本まで15時間。これを長いと見るか短いと見るか。15時間もじっと座っているのはしんどいことは確かだ。10時52分、B747は離陸を開始した。ロンドンよ、また会おう。


 12時、 昼食が出される。ひとたび日本を離れたら和食は絶対に口にするまい、 と誓っていたのだが、疲れた体には油っぽい洋食はつらい。禁を破って和食を頼んでしまう。ごはん、サバ、ゆでたエビ、ササミ、玉子焼、きんつば。体調が悪いときはやはりさっぱりした和食の方がいいね。ノドが痛いので、食事 についていた食塩を水に溶かして洗面所でうがいをする。


 13時59分(モスクワ 16時59分)、モスクワ着。また外は真っ暗。地面が凍っている。主翼に融雪剤のようなものを吹きつけ、2時間半後に離陸。


 17時21分、サンドイッチとお茶が出る。Afternoon teaと言っていたが、ロンドン17時21分、 モスクワ20時21分、 東京2時21分のどれが Afternoonなのだろう。(カクヨム用注:Afternoon teaは正式には15時頃から17時頃らしいので、21分くらいの差は許そうよ俺)


 しばらくうとうとして目を覚ますと、下はシベリアの大地だった。雪におおわれた、何もないなだらかな大地がどこまでもどこまでも続いていた。


1月16日(8日目)


 窓の外はすっかり明るい。もうすぐ朝の日本に着く。ロンドンを出て約15時 間。9時間の時差が乗っかるので、時計は24時間進む計算になる。段々と現実の生活が近づいてくる。ロンドンは幻だったかのようだ。


 10時29分(ロンドン25時29分)、無事、雪の成田に着陸した。下が見えたと思ったら滑走路だったので驚いた。雪雲が低くたれこめていたのだ。スムーズ に入国手続きを終え、現実に戻る。夢から覚めた気分。


 E君と食事をして、別れる。カバンが果てしなく重く力尽き、ぜいたくかと思ったがタクシーで家まで帰ることにする。乗り場に行くと、私を見た係のおっちゃんが、「どうしたの?」と聞いてきた。タクシー乗りに来たに決まってる。


 13時26分、家着。 家の回りも雪が降り積もっていた。ロンドンは、ようやく今日の朝を迎えようとしている頃だ。


 こうして私の初めてのロンドンへの旅はつつがなく終わったが、実を言うと、 行く前は期待と共に不安もあった。イギリスでは、第二次大戦時の反日感情が今も(カクヨム用注:1990年当時)一部には根強く残っているという。現在の日本の経済進出を快く思わない人もあろう。


 そもそも、 東洋を植民地支配していた名残りで、 東洋人を蔑視する風潮もまだ見られるらしい (人の事は言えないが)。 だから、もしかするとイヤな思いをすることもあるかもしれないと心配していたのだ。


 しかし、今回それは紀憂だった。どこでも皆私たちにごく普通に接し、何らイヤなことはなかった。中国人と区別がつかなかったからかもしれないが、それより、思っていた以上にロンドンが人種のるつぼだったせいだろう。


 こういうところでは、相手の国籍・人種を最初から気にして人と接することはしないに違いない。心の中では日本に対して複雑な感情を持っていても、それを持ち出すのは先の話だろう。


 ともかく、この街には想像以上にオープンな印象を受けた。こういうのを「国際都市」 って言うんだろうな。そういえば、道を尋ねられたこともあった。東京で、外国人に道を尋ねる人がいるだろうか。


 だがその一方、まだまだ日本はイギリスから見れば遠い国であることも痛感した。 例えば、私たちと同じ時に海部首相もロンドンを訪れたが、新聞の扱いは小さかった。この間1面を大きく飾り続けたのは、ルーマニア情勢とそれへのソ連の対応だった。


 また、街中の外貨両替所のレート表示板には、ヨーロッパの通貨ならどんな小さな国のでも載っていたが、日本円は載っていないことも多かった。今のイギリスにとって、 日本とは 「電器製品やカメラや資本をやたらに輸出してくる国」程度なのかもしれない。もっともっと幅広い交流や、日本を知らせる努力が必要なのではないだろうか。


 おお、カタいことをまたいろいろと書いてしまった。たった1回イギリスに行っただけの人間に英国論や日本論を振り回されては、読む方はたまったもんじゃなかったでしょうね。許してやってくださいな。ま、ともかく、楽しい旅でした。最後は、これで〆めましょう。

"GOD SAVE THE QUEEN!!"

                                   (終)



※最後までお読みいただき本当にありがとうございました。20代の青臭い文章を載せるのは恥ずかしかったのですが、「そんな時代もあったねと」お許しいただければ幸いです。

 この文章とは別に、自分とQUEENとの出会い、初めてのコンサート鑑賞、最後のコンサート鑑賞、フレディの死、1993年のロンドン再訪といった「QUEENと私の人生」とも言うべき文章を、何のためかわかりませんが書いた記憶があります。

 プリントアウトがどこかにあるはずなのですが、それを発見できて、その文章を読んでなおかつここに載せる度胸があれば、またお見せするかもしれません。

 その際はまたよろしくお願いいたします。

 




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