第2話 彼女からの提案

 それからというもの、週明けの月曜日から智香ちゃんに向けての宮内くんのアプローチはより一段と勢いを増した。


 校内では、智香ちゃんを見かける度に宮内くんから積極的に声をかけに行ったり。


 昼休みには、宮内くん自らがLINEで智香ちゃんと連絡を取り合って昼食の約束を取り付けてきたり。


 放課後にも、帰ろうとする智香ちゃんを引き止めてサッカー部の見学に誘おうとしていたり。


 週末の二日間でよほど気合いを入れてきたのか、智香ちゃんを前にしたときの宮内くんの表情は誰が見ても納得するほどに爽やかな生気に満ち溢れている。


 そして、その様子は二年二組内でも決して小さくない話題となっていた。


 恋愛面に興味がなかったはずの宮内くんが智香ちゃん──つまりは特定の女の子と仲良くしている場面が増えていることから、あの二人は裏ではひっそり付き合ってるんじゃないかとの噂まで立てられるように。


 そんな日々が火曜日、水曜日、木曜日と変わらず続いていく内に、初めは不安げだった智香ちゃんの表情にも少しずつ余裕が生まれてきていて──。


『⋯⋯実を言うと、まだ苦手意識はあります。それでも宮内先輩が優しい人だというのはわたし自身理解できていて、LINEでも宮内先輩から面白い話を持ちかけてくれたりするので⋯⋯なので、話すという面ではだいぶ落ち着いてきました』


 木曜日の放課後の帰り道。


 俺と隣り合って歩幅を合わせる智香ちゃんは思い返すように小さく微笑み、そう口を開いた。


『先週の金曜日はどうしても慣れなくて、怖くなってしまって、なので思わず嘘をついて教室から逃げ出してしまって。でも、今はその時ほど辛くはないです』


『⋯⋯無理、してない? 確かに宮内くんは優しいからそこまで心配はしてないけど、智香ちゃんの男子への苦手意識って相当だと思うから』


『お兄さんのお友達だと思えば、気が楽になるので』


『⋯⋯そっか』


『はい。⋯⋯男性が苦手だからって、いつまでも怖がって逃げていたらダメですもんね』


『⋯⋯』


『お兄さんにばかり迷惑はかけられないので、これを機に、頑張って一人で克服してみたいと思います。お兄さんから言われている通り、無理をしない範囲で』


 静かに決意を宿した智香ちゃんの瞳は綺麗に澄み切っていて、俺からはそれ以上口出ししなかった。


 智香ちゃんがそう思っているということは、それだけ宮内くんの積極的な姿勢が功を奏している証だ。であれば、第三者である俺から順調に段階を踏んでいる恋路の邪魔をするわけにはいかないだろう。


 智香ちゃんにとっての『お兄さん』として、宮内くんにとっての『友人』として、両者が困っていたらいつでもサポートできるよう近くで経過を見守るだけの目付け役。


 俺の存在意義とは、それでいいのだ。


『そーそー、お兄は私の物なんだから早いとこ克服してよね。そうすれば必然的に私がお兄を独占⋯⋯ッ』


『美乃里は余計なこと言わないの』


『あうっ』


 横から顔を出してきた美乃里の側頭部にチョップを入れて軽く成敗。相変わらずどうあろうとも智香ちゃんを好きにはなれない美乃里だった。


 ⋯⋯ただ、そんな心境の変化に伴って悪化の一途を辿っていくだけの、決して忘れてはならない重大な問題がある。


 それは──


「⋯⋯もう、完全に勝ち目ないじゃん私⋯⋯はあ」


「げ、元気出して? 長田さんだって智香ちゃんに引けを取らないくらいすごく魅力的な女の子だよ? だからさ、いつもの長田さんらしく自信を持たないと」


「⋯⋯」


 あっという間に巡ってきた金曜日の昼休み。


 今日は智香ちゃんからのLINEで昼食を断られてしまい、ガックシと落ち込んでいる宮内くん。


 だが、その様子を目撃してさらに自信を喪失している長田さんを俺は慰めつつ、先週の金曜日と同じ北校舎三階付近の踊り場までやって来ていた。


 お互いに弁当はすでに食べ終え、胃袋を満足させてひと息つけるかと思った矢先での長田さんのこの落胆ぶり。せっかくの美人がこれでは見るに堪えない。


 階段の段差に腰を下ろして長田さんの隣に寄り添う俺は、色々と言葉を模索しながら励まし続ける。


「ほら、長田さんには去年から同じクラスっていう付き合いのアドバンテージがあるんだし、もしかしたら今頃宮内くんが寂しがって長田さんのことを探してるかもよ?」


「別に、むしろ清々してるんじゃないの。こんな気難しくてめんどくさい女がいなくなってさ⋯⋯」


「そ、そんなことないって。こうやって落ち込んじゃうくらい長田さんは一途なんだよね? それって、すごく女の子らしくて可愛いなーって俺は思うけど」


「⋯⋯お世辞はいいから」


「お世辞じゃないよ。長田さんは可愛い」


「⋯⋯ッ」


 嘘偽りなく俺が心を込めて言うと、長田さんは恥ずかしがるように俺から目を逸らした。


「⋯⋯あ、あのさ。早海くんって、そうやって平気な顔して可愛いって言うけど⋯⋯」


「う、うん?」


「⋯⋯いつも、そんな感じなの? 女たらしっぽいっていうか⋯⋯その⋯⋯こ、こういう恋愛経験とか、過去にあるわけ?」


「⋯⋯気になる子くらいならいたけど、恋愛経験ってほどではない、かな?」


「じゃあ、素で言ってんの?」


「だって、長田さんが可愛いのは事実だし⋯⋯?」


「ま、またそうやって、平気そうな顔して言う⋯⋯」


 目を逸らしたままゴニョゴニョと言葉を濁らせる長田さん。


 ⋯⋯意外にも、こういう褒め言葉には慣れていないのだろうか?


「恥ずかしいからやめてよ」


「ご、ごめん」


「別に謝んなくていいから」


「⋯⋯き、気を付けます」


「⋯⋯ん」


 長田さんは小さく返事をして、両手で持った紙パックジュースをストローでちびちびと吸いはじめる。その紙パックにはいちごミルクとの表記があった。


「いちごミルク、好きなの?」


「⋯⋯まあ、うん。甘いものは好きだし」


「へえー⋯⋯! 俺の妹も甘いものが好きでさ、特にいちごミルクに関しては毎日飲んでるくらいに大好きなんだよね。もしかしたら長田さんと気が合うかも」


 俺が声を明るくして言うと、少し興味を惹かれたように長田さんの顔がこっちに向いた。


「妹、いるんだ?」


「うん。この高校の一年生だよ」


「可愛いの?」


「この世で一番可愛い」


「⋯⋯あはっ、めっちゃ真顔。シスコンじゃん」


「いや、別にシスコンじゃないし」


「なに意地張ってんの、ふふっ」


「い、意地を張ってるつもりはないんだけど⋯⋯」


「自覚してないんだ。じゃあ相当重症ね、あんた」


「え、ええー⋯⋯?」


 ⋯⋯拓郎からシスコン呼ばわりされたときには疑問でしかなかったが、間違いなくまともな長田さんにまでこうキッパリと言われてしまうと⋯⋯俺は、シスコンであると認めざるを得ない、のか?


 ──考えさせられる俺ではあったがさておいて、甘いものから美乃里の話題へと転じたことがきっかけとなって、暗い表情が続いていた長田さんは心を許してくれたかのように、ようやく笑みを零してくれた。


 そう、これでいい。精神面が不安定な今の長田さんに最も必要とされるものは、こうして俺のように気兼ねなく力を抜いて話し合えるような、心の拠り所。


 宮内くんへの想いを途切らせて心に一生残るような傷跡を負わせないために、恋とは関係のない別の話題を提供しながら適度に息抜きをさせる必要がある。


 長田さんにおける俺の役割とは、メンタルケアだ。


「──⋯⋯ありがと。早海くんのおかげで、少し気が楽になったかも」


 数分経って調子を取り戻してきた長田さんは手を組んで腕をググッと前に伸ばすと、糸が切れたかのように優しげに微笑んでいた。


「なら良かった。最近の長田さんはずっと心に余裕がなさそうに見えたから」


「まあ、今も余裕なんて全然ないんだけど。隼太のやつ、今週は相川さんにずっと付きっきりで私なんかには目もくれないし。欲にまみれた淫獣よ、ホントに」


「あ、あはは」


「⋯⋯どうすればアイツの気を私に引かせられるんだろ⋯⋯やれることはやってるけど、所詮、私は相川さん以下のモブ扱いってこと⋯⋯? アイツにとっては私なんてその程度の価値だったのかな⋯⋯それとも、まだ私に足りない部分があるの⋯⋯?」


「⋯⋯」


 ブツブツと独り言のように呟く姿を不安に思いながら様子見していると、あるタイミングで長田さんは突然「──はあっ」と強く息を吐いた。


「だめね。いくら考えててもキリがないっていうか、スッキリしない。こういう時ってどうすればいいんだろ」


 助言を求めるように目配せをする長田さんに対し、俺は腕を組んで少し考えたのちに、パッと出た答えを口にする。


「明日は土曜日だし、気分晴らしに外にでも出かけてリフレッシュしてきたら?そうすれば心も落ち着いてきて考えがまとまってくるんじゃないかな」


「⋯⋯出かける、ね。明日は特に外に出るような用事もないんだけど、早海くんは具体的にどうリフレッシュすればいいと思う?」


「え、えっと⋯⋯女の子なら街に出かけてお店を回ったりとか、時間があれば映画を観に行ったりカラオケを歌ったりして、あとは暇つぶし程度にゲームセンターで遊ぶとか?」


 男ならゲームセンター等にブラついて適当に盛り上がっておけば十分に満足いくだろうが、自分なりの理想を求める傾向にある女の子の場合はそう都合良くはいかないだろう。


 長田さんの場合は印象のみで想像すると、人混みを避けてカフェのような安らげる場所でカフェラテでも飲んでいそうだが。


「まあ、大体はそんな感じよね。でもそれって一人での過ごし方というよりは、二人か三人での過ごし方のように思えるんだけど」


「あー⋯⋯確かに、そうかも。でも長田さんならクラスに友達も多いし、誰かを誘って明日を楽しんでくるのもアリなんじゃない?」


「⋯⋯」


 ──すると、長田さんは俺の表情を伺うように首を少し傾けて、クスリと笑った。


「なら、早海くんが付き合ってよ?」


「⋯⋯へ?」

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