第3話 過ぎゆく季節
xx君、そこにいるの?
か細い腕を掴もうとした私の手は暗闇のなかで空を切る。勢いで上体をかばっと起こす。漆黒の闇。冷蔵庫から聞こえる重低音。遠ざかるバイクのエンジン音。枕もとの時計を見る。深夜2:00。直後に、それは夢だったと認識する。でもただの夢ではないと誰かが言っている。それは、あまりに現実の手触りがあった。背中を中心に全身が汗でぐっしょり濡れていることに気づく。布団から出た私は、下着からすべてを取り替える。台所に行き、冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターをコップに注ぎ一飲みする。すこし落ち着いてきた。頭の中を先ほどの夢がフラッシュバックする。現実のように鮮やかな色彩で。何度でも繰り返し再生することができる。もはや、夢を見ていたでは片づけることはできない。私はそのあと、布団に潜り、目を閉じようとした。しかし、昂った意識はなかなか静まってくれなかった。私は眠ることを諦めて、書斎に移動し、机に突っ伏したり、窓から見える月を見たりしながら、朝が来るまでの時間を過ごした。あの人はすぐ近くにいる。手を伸ばせば届きそうな距離に。でもそれは、何か異質な距離だった。私とあの人を隔てる空間は、おそらく、五感では感知できない、特異なものなのだろう。それは、永遠に届くことのない、絶望すら感じさせる距離なのかもしれない。朝日が昇る。やがて冷静な思考が戻ってくる。今回の一連の現象には、なんら物理的な証拠もなければ根拠もない。すべて私の脳内で起こっていることであり、誰かに話しても妄想の一言で片づけられてしまうことだろう。私は少し、疲れているのかもしれない。それに今後もし、同じような現象が起こったとして、私に一体、何ができるだろうか。ただあの人の気配を感じ、過去の記憶を想起し、もどかしい感情が渦巻いては、それを掻き消す。その繰り返しに何か意味はあるのだろうか。それでも、何か奇跡のようなことが起こる気がして、期待している自分もいる。もしかしたら、突然街中で、ばったりとあの人と再会できるかもしれないと。この一連の現象は、その予兆なのかもしれないと。そんな淡い期待を抱きながら、日々は過ぎる。しかし、あの日以来、その気配はぱったり途絶えてしまった。桜の季節の終わりとともに。
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