ifエンド 最高のご馳走、聡くん

 分岐


 智洋くんを美保さんに任せない


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 自分よりも優れた相手といるのは、人によってはかなりのストレスだ。同じ事をやっていても相手の方が上手くできるとわかっていたらどうしてもモチベーションは上がらないし、上手くできないことがある度に、まるで自分が責められているかのような錯覚に陥る。相手が本当にそう思っているかなんて全く関係なくて、ただ自分自身がそのように感じてしまうと言うだけのこと。言葉にしてみるとひどく単純でバカバカしいことのように聞こえるが、人らしく生きていく上で、このストレスに常時さらされるのはあまりよろしくない。


 と、突然そんなことを考えたのは、これまでストレスを与える側だった私が初めて自分より優秀な人間のそばにいるようになったから……などではない。確かに今世の私は優秀だし、主に妹ちゃんや智洋くんにとって大きなストレス源になりうるものではあったが、少なくとも妹ちゃんはそんなに気にしていないからね。もちろん今の環境が苦しいわけでもないよ。そもそも私は前世の幼なじみ、現在の美保さんと比べていつも負けることが多かった。それをいいことに一時期はヒモにまでなっていた私が、そんなコンプレックスをこじらせているわけがないだろうに。


 ではなぜ私がそんなことを考えているのか。これまでずっとそのストレスにさらされていて、解放されてしまった人が目の前にいるからである。幼い頃から賢くて、私のような転生者相手でなければ同年代には負け知らずだった聡くん。そんな聡くんはすくすくと成長して、めでたく下駄履きの私よりもつよつよになった。そしてつよつよになったことで、これまであった何をしても二番という呪縛から逃れることができたのだ。


 これがどういうことかと言うと、……特になんの意味もないよ。私の言うことだから何でも意味があると思っちゃった?あはは、騙されやすいおバカさんなんだね。そんなんだから負けたんだよ。……うそうそごめんね泣かないでっ!すぐにそれっぽい理由考えるからっ!


 思考の流れに任せて考えていたら特になんの意味もオチもないことに気がつき自嘲して、その言葉に悲しくなってしまったことで、何とかするために理由をひり出す。……女の子がひり出すとか言うんじゃありません。言葉としては下品でもなんでもないけど、主に使われる用法が下品な言葉だ。そのせいで風評被害受けてるなんて、言語ちゃんかわいそう。


 表現の品はともかく、少しむむむと頭を悩ませて、呪縛から逃れたということはこれからなんでも出来てなんでもなれるのだと思考を進める。ということは、これからの聡くんはより一層飛躍的に伸びていくはずだ。それか満足して努力を辞めるか。


 そうなれば私がするべきことは聡くんが努力をやめない、やめられないような環境を作ることで強制的に伸ばすことである。そのための具体的な策を考える、急造で用意したにしてはなんだかそれっぽいオチができたのではないだろうか。なお、一つ欠点をあげるなら、その具体策は既に実施済みということである。……お願いだから泣かないでっ!うんうん、いいこいいこ。


 最終的に、私かわいい!私いい子!と鏡の前で自分を褒めることでメンタルを回復させ、安定させる。なにかメンタル由来の不調が会った時に、“でも私かわいいしな”と思えることは生きていく上でとても大きなことなのだ。かわいく産んでくれたママ様に感謝しないとね。ありがとうママ様、可愛いよママ様、愛しているよママ様。


 内側から溢れる愛をママ様にメールで送り、ついでに電話をかけてみるとワンコールで出てくれた。私が独り立ち……聡くんと一緒だから二人立ち?したことで、きっと暇と時間をもてあましているのだろう。私がいた頃から暇そうだったとか言っちゃいけない。ママ様にはふんわりした雰囲気で家を和ませるという大切な役割があったのだから。……うん、ちょっと声聞きたくなって。最近あんまりお話できてなかったから、近いうちにランチでも行かない?いいお店知ってるんだ。妹ちゃんも一緒にどう?


 ところでめっちゃかわいいね、LINEやってる?とナンパみたいなことをしながら女子会の約束を取り付けて、そうしているうちにメンタルは完全回復する。光ちゃんは家族のことになるとおつむがよわよわなので、簡単にだませるのだ。ちゅっ、単純でごめん。


 ちなみに、話が逸れてしまった具体策というのは、私より賢い聡くんに対して金銭マウントをとることで、より良き自分にと聡くんのモチベーションをあげるというものである。私のちっぽけな自尊心も守りつつ、聡くんのプライドをさわさわ刺激することもできる。一石二鳥の策だね。



 と、そんなふうにせっせと献身的に尽くした甲斐あって男の子としてのプライドを刺激された聡くんは、“すぐに俺も稼ぐようになってお返しするから”とバリバリ学業に打ち込んでくれた。授業と関係の無い範囲や、使うかわからない資格の勉強まで同時に進めているのは、素直に関心の一言だね。下駄を失った私は授業に着いていくだけで精一杯なのに、できる天然物はここまでやれるのかと。


「……だから、3.12式をここに流用することで5.7式に幅を持たせることが出来て、それによってこの法則の理解が……」


「なるほど、やっと理解できた。ありがとう。そうだ、この前言ってた資格の本だけど、お母さんに聞いてみたらまだ実家にあるって。今度一緒に取りに行こうね」


 できないまがい物な私が、聡くんに対して精神的優位に立つためには、過去の貯蓄を切り崩すしかない。幸い元資格コレクターである私は、聡くんが取ろうとしている資格を持っているからね。……“どうしても自分が上じゃないと気が済まないの?小さいのは人間性もか……”だって?勘違いしないでほしい。私は別に、自分のプライドのために上に立ちたいわけではないのだ。むしろ嗜好的には相手が優位な状態で従順なわんちゃんになるのも全然ありなくらいである。


 それならばなぜこんなにもと思うかもしれないが、話は簡単だ。私は既に気持ち的な部分で負けていて、けれども最終的には聡くんをめちゃくちゃにしてやりたい。そのためには色々仕込んでおく必要があって、そうするには主導権を委ねるわけにはいかないのだ。……私だって、脳みそスカスカで素直なわんちゃんになりたい。聡くん、たぶんいい飼い主さんになるんだよね。わんっ。


 そう楽な方に逃げそうになる心を溢れんばかりの信仰心で押さえ込みつつ、自分はどちらかと言えばペットにして飼う立場だと言い聞かせる。聡くんを選んだ以上やれないけど、妹ちゃんや智洋くんの人生を狂わせて、迷い犬みたいにくぅんと泣いているところを保護したりしたらきっと楽しいもん。ペットを飼う醍醐味って、か弱く小さな命が自分の手に委ねられている優越感だよね。自分がその気になったら次の瞬間にもこの命は失われるんだと考えた時の、背中がゾクゾクするような快感。……お前は一生生き物に近付くな。


 そう思った直後に聡くんも生き物だったことを思い出して、やっぱり人間にだけは近付いていいよと制限をゆるめる。私の意思の弱さが現れているような、見事なまでの即落ち2コマだった。


「……光?突然虚空を見つめてどうしたんだ?何か変なものでも見えるのか?」


 何かいるのか?フェレンゲルシュターデン現象か?と心配してくれる聡くんに、私が生き物を飼ってはいけない理由を伝えることもできずに、少し曖昧に笑って誤魔化す。大したことじゃないの。少し考え事をしていただけなの。虚空に対して何かを祈っていた訳でもないから、安心してほしいな


 なんともないならいいんだけど……と少し腑に落ちない態度の聡くんを誤魔化して勉強を続け、そうやって真面目に学習を重ねていた甲斐あって私は問題なく学校を卒業できた。比較的成績が優秀だったことも、小さいけれども自慢できることだ。……聡くん?4年連続成績優秀者として授業料が免除されてたよ。授業料くらいなら私が払ってもいいと言っていたのだけれとま、それは男の子のプライドの部分が許さなかったらしい。こだわりが強くてかわいいね。


 卒業後の進路は、聡くんは院進からの研究職で、私は専業主婦()である。前世では途中でやめた大学、最後までやり遂げられてよかった。ちなみに専業主婦とは名ばかりで実際は木工作品を売ってるよ。そうじゃなきゃ家計が破綻する。学生結婚はそこが難しいところだからね。


 聡くんの研究は、将来的には大成しそうだと思っているけれど、初期段階では芽を出すのすら難しそうだ。すぐに稼ぐようになって返すと言っていた聡くんが、なかなか成果を出せずに悩んでいるのは見ていておいしい。単体だけでも美味しいし、そうやって悩んでいるのが、大好きな私に対してなかなかお返しをできないことだと理解していればもっとおいしい。みなぎる愛を感じるとついつい心がドキドキを取り戻しそうだ。……動悸ですか?じゃないんだよ。私はまだまだピチピチだ。


 私の心が普通に堕ちかけているのはともかくとして、聡くんの味わい方だ。普通の恋人……と言うには少し特殊な状況だったかもしれないが、恋人としてある程度関係を深めてきた。もちろん一番深めたのは信頼だね。信用ではなく信頼、困ったことがあったら素直に頼ってもらえるくらいには、私は聡くんの心に根を張ったのである。寄生植物かな?


 それはともかく、要はなんでも相談してもらえるようになったわけだ。日々の些細な困り事から始まり、人間関係の困り事、果ては研究が行き詰っていることなんかまで。本当なら守秘義務があって、誰にも話しちゃいけないことまで話してくれるようになったのは、聡くんのモラルがよわよわなのか、それ以上に私が浸透できたのか。後者だと嬉しいな。


 そんなふうに相談に乗りながら、たまに素人質問や意見を伝えることで理解を深め、少しずつ研究の概要を理解する。そしてついでに家に置きっぱなしになっていた聡くんのパソコンを勝手に覗き見ることで内容を完全把握して、どこにデータを共有するか考える。


 私の当初の狙い通り、とっても優秀だった聡くんは、研究が上手く進めば、それこそニュースとして取り上げられるような立派な才能に育った。そしてそんな才能が今私の前で少しずつ芽を出そうとしている。


 目的の才能は間違いなく手に入れた。私の目は間違っていなかった。そんな素敵な人材と小学生の頃には出会えたという事実に私の上位存在様による作為的な何かを感じてしまうが、それはそれ。私の行動が望まれたものであるという証明なので、とてもいい事だ。とてもいいことである。うん、光ちゃんはそう思います。


 私の感想なんてどうでもいいものはさておき、聡くんの収穫タイミングである。程々の質で良ければ、いつ収穫してもそれなりに楽しめるのだが、わざわざこれと見つけた一人に対してそんな雑ではいけない。故に、聡くんという食材を一番活かせるタイミングにする必要があり、私にとってそれは、例えるなら大輪の花が咲き誇る直前だ。


 誰が見ても、綺麗な花が咲くとわかるつぼみ。そんなつぼみが膨らみかけたところで切り取って、咲かないうちに枯れさせる。想像の中にしかない、咲き誇った時の美しさと、咲くことのできなかった現実。その二つの差こそがいい。


 つまり、発表直前の研究成果を横から掠め取って、倫理観やモラルにかけたところに売り払おうということだね。聡くんが最後まで関わっていれば間違いなくもっと素晴らしい形になった研究成果が、未完成且つ歪な状態で世に出て、そのことに傷つく聡くんを見たい。私が余計な手出をしなければ大成できたであろう聡くんが、私のせいで折れてしまうのを見たい。私だけに心を開いてくれた聡くんが、誰も信じられなくなるのを見たい。



 ……そんなわけでやってみました、研究成果の横流し。毎日毎日研究のために頑張っていた聡くんをゆっくり眠らせて、その隙にデータを丸っとパクった。バレないようにするのは決して簡単なものではなかったが、これまでに築いてきた信頼関係を使えば不可能なものでもない。自分だけを信頼して、結果やデータをパソコンに保存していたのが間違いだったね。保存場所は共有フォルダ、パソコン自体は何かあった時のバックアップくらいの気持ちでいないと、こういう事態に対応できないのだ。まあ、こういう事態を想定していなかったからそうしていたのだろうけど。


 そりゃあ、自分以外の誰よりも信頼している相手が、まさかこんなとんでもない理由で裏切ってくるなんて、想定している方がおかしい。よしよし、聡くんはなんにも悪くないよ。ちょっと備えが甘かっただけ。悪いのはぜーんぶ私だから、気にしないでいいからね。嘘。いっぱい気にして人間不信になってね。


 隠しカメラで録画しておいた動画も、完璧な写りである。珍しく休みの日に家でのんびりしていた聡くんに突然電話がかかってきて、よその所から聡くんと同じ研究結果が上がったと知らされたのだ。特許化も視野に入れてしていた研究が、なんの脈絡もなく奪われたことで聡くんは放心していた。知的メガネに似合わないおマヌケなお顔を見れて私は大満足である。


 そのまま暫くの間てんやわんやの大騒ぎで、家にいる時間もさらに減って。どんどんやつれていく聡くんの心配をしながら主婦をやっていたら、ある日突然怖い顔をした聡くんに問い詰められたのだ。


「あのデータは自分のパソコンの中にしかなかった。そしてパソコンにはハッキングされた形跡も、どこかで勝手に使用された形跡もない。あのデータを盗めるやつなんて俺以外にいないんだ。……光、お前以外はな」


 なんでも、研究成果を自分ごと他所に売ったと疑いをかけられたらしい聡くんは、その事実を受け入れられないかのように苦しそうにしながら、ようやく私に疑いの目を向けた。


「……違うよな。違うって言ってくれ。だって、光がそんなことをする理由がないんだ。お前があそこの企業と繋がっていないことも調べた。家が金に困っているなんてことも、俺に黙って借金をしているなんてこともない。売ったところで手に入るのだって、お前にとってははした金だ」


 私が横流しした先は8桁円くらいで買い取ってくれたけど、確かに私にとってははした金である。……うそ、そこまではしたではないけれど、十分楽に稼げる額だ。大物芸術家って怖い。そしてそのことを知っている聡くんも、最後まで私を信じてくれたのだろう。なんなら、こうやって話している今ですら、そんなことはしていないと私に否定してほしいのだろう。


「ううん、正解だよ。ちょっと気づくのが遅かったけど、やったのは私。聡くんの頑張りは、ちょっとの油断のせいで消えちゃいました。かなしいね?」


 そう言いながらニコッと笑うと、聡くんはとっても傷ついたような顔になった。あーあ、眉毛が八の字になっちゃって。そんな弱った姿を見たら気持ちよくなっちゃうじゃん。


 なんで、なんでと幼児に返ったみたいに言い続ける聡くん。とっても気分が良くなって、聞かれたことになんでも答えてあげれば、聡くんはついにポロポロと涙を流し始めた。


 自分の努力を無に帰されて、これまでの信頼を裏切られて、職すら危ぶまれて。その理由が、ただ自分の絶望する姿が見たかった。努力を全て踏み躙った時の表情を見たかった。そんなものだった時の聡くんの気持ちは、きっと聡くん自身にしかわからないだろう。私には手に取るようにわかる。


 全部を失った聡くんは、きっとこれまでにないほど強い悲しみを感じている。それと同じくらい大きな絶望と、怒りもあるだろう。その内側から沸きあがる衝動を抑えられなくなって、目の前で笑っている私を押し倒すのだ。


 背中が痛かった。後頭部も、少し打った。けど予測できていたものだから、大したダメージではない。そんなことよりも、声にならない叫びをあげる聡くんの方がよっぽど今は大切だ。その声、その目、その表情。今しか味わえないそれを最大限に楽しむ。激情に任せて私の首に回された手の大きさも、かけがえのないものだ。


「……なんで……なんでだよっ!」


 そして心優しい聡くんは、私の首に回したその手に力を込められないのだ。どれだけ怒りを覚えても、どれだけ気持ちが揺らいでも、自分の手に力を込めるほどの思い切りの良さを、冷たさを、聡くんは持てない。まったく、聡くんの両親はとてもいい子に育ててくれたものだ。


 きっとそれはとてもいいことなんだけど、こんなふうに良くない結果につながってしまうこともあるんだね。親御さんは泣いていいと思う。私が泣かせました。泣いているのは聡くんもだね。泣き虫さんでかわいいな。


 これまで見せてくれなかったような、弱々しい姿。きっと私の前ではなおさら見せないようにしてきたであろうそれは、これまでの頑張っていた姿、強く見せようとしていたものが剥がれ落ちて、むき出しになった柔らかい部分だ。


 私のことを見つめる、もう何も信用できないと訴えるような目。頬を伝って私の口にこぼれおちた雫は、とても甘美なものだった。



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 今回の聡くん

 とても頑張ってノーベル賞ものの研究成果を出した。これから全部上手く行き始める!というタイミングで唯一信頼していた人から裏切られ、周囲との信頼関係を築けていなかったことで疑われる。努力の理由を失い、成果を失い、愛する人を失って何も残らなかった。仮に光ちゃんが光落ちしてたら教科書に名前が残ってた。


 一般性癖ちゃん

 聡くんの研究成果を台無しにすることで気持ちよくなった。ついでにそれまで育ててきた信頼が失われることも気持ちよかったし、首を優しく締められたのもちょっと気持ちよかった。

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