最後のカートリッジ
扉を開いた先にいたその怪物は最初イリスに背を向けていた。
雨音に交じって、そいつの荒い息とぐちゃぐちゃと生理的な嫌悪を催す音が響き渡る。
人の気配を感じたそれは、立ち上がりイリスを見る。
その口には、赤黒い何かを咥えている。
立ち上がったことでその背後にあったものが、僅かに目に飛び込んでくる。それは、人の死体だった。とはいえ、怪物に食い荒らされてそれが人間であった痕跡すらも失われつつあるが。
口に咥えたままの死体の一部を咀嚼し、飲み込んでから、怪物が改めて口を開く。
「よぉくきたなぁ……! ヒャハハッ!」
その声は、ガエルのものだった。
見れば顔も仕草も、ガエルそのものだ。ただ筋肉が異様に膨らみ、身長も伸びている。服は破れまるで獣の様な体毛が露出していた。
角が生え、人間のものとは思えない目つきと裂けた口。例えそれがガエルであったとしても、最早人間ではないことは明白だった。
イリスは部屋の中に立ち入り、その顔を見上げる。
「それが水晶の力かい?」
「ああ、そうだ。このクソ親父が隠していた本体の力だ。それを手にしたとき、声が聞こえたんだ。俺に力をくれるってな!」
「その肝心の水晶は何処にある?」
「ここだよ」
ガエルが自らの胸を指さした。確かにそこには、紫色の輝きが灯っている。
「こいつが俺の中で叫ぶんだよ。もっと血と肉を寄こせってな!」
「ならば君は、その力に利用されていることになる。ここでボクと対峙して時間を稼がせるのが、『それ』の目的なんだろう」
その問答に意味があるのかは、イリス自身にすらもわからない。
そう口にしながら、まだ目の前の男に言葉が通じるのではないかと心の何処かで期待していた。
だが、そもそもにして。
ガエルと言う男は最初から、同じ言葉こそ話していたものの意思の疎通が取れたことは一度としてなかった。
「うるせぇ! 俺は力を手に入れた、これでお前をいたぶって、殺して、骨までしゃぶってやる! そのために力を手に入れた、これは運命が俺にお前を殺させたがってるんだよおぉ!」
天を仰ぎ、ガエルが叫ぶ。
その異様な姿、そして口の端から零れた彼の父であるドロウの肉片。
それらを見たイリスは、彼が本当に人間ではない別の何かになってしまったことを悟った。
魔導の果てに人の姿を捨てたものの話は枚挙にいとまがない。
だが、これは違う。
何か別の意思によって、その恨みや怒りを利用される形で変質させられたものだ。
それも何の儀式も魔法もなく、一瞬にして。
そこに込められた力の恐ろしさに、イリスは息を呑んだ。
「フヒハハハハっ! ヒャーッハッハッハッハッハハッハ! 俺が怖いか? その顔だ、その顔が見たかったんだよぉ! 最初からお前が気に入らなかった、いきなり現れて、俺に反抗的な目を向けるお前がなぁ!」
イリスを睨みつけるその目は、既に赤黒く濁っていて人間のものではない。
だが、その奥にある憎悪や怒りは、まぎれもなく人間であったガエル・ケンドールのものであった。
「どうして俺に道を譲らない? 俺に逆らう? 俺は貴族だぞ、ケンドール家の息子なんだぞ! お前等みたいなゴミとは、生まれも育ちも違うんだよおぉ!」
「もう御託はいらないだろう」
掌を上に向ける。
この時、部屋の中にいるガエルにはわからなかっただろうが、空には白い魔法陣が広がっていた。
「死いねえええぇぇぇぇ!」
ガエルが床を蹴る。
石床に罅が入るほどの踏み込みだったが、それはイリスにとっては何の意味もなさない。
「降りろ、天空の裁き。《ディヴァイン・レイ》」
光の属性に分類される魔法。
本来ならば使用者は神の祝福を受けた者のみとされているそれすらも、イリスは容易に操ることができた。
その中でも扱いが難しい、攻撃魔法の一つ。
神聖なる光によって悪しきものを滅ぼす一撃が、天井を貫いてガエルの身体を包み込むように焼き焦がした。
「ぎぃやあああああぁぁぁぁぁぁ!」
屋敷全体に響くほどの悲鳴を上げて、ガエルがその巨体を光の重圧と焦熱に焼き尽くされていく。
長々と降り注いだ光は、やがて彼の悲鳴が収まるのと同時に細くなって消えていく。
咄嗟に防御のために掲げた左腕が、灰のようになって消えていった。
穴の開いた天井から降り注ぐ雨の重みにも耐えられず、ガエルの身体が崩れ落ちる。
――膝をつき、倒れそうなところで、ガエルの顔が笑った。
「ぐ、ぎぎっ……がああああぁぁぁぁぁ!」
獣の様な声。
最早意味などないただの咆哮をあげながら、ガエルは立ち上がる。
その身体を灰のように散らせながら、片腕を失いながらも。
勝利を確信した、心底愉快そうな表情でイリスを睨みつけながら。
鞄の中のカートリッジが消費される。
これで残りはゼロ。もうそれを消費して魔法を使うことはできない。
イリスは目を伏せ、溜息を吐いた。
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