最終話 ハーデンベルギアの再会

 「お待たせしました。イチゴヨーグルトパンケーキとカフェラテです」

コースターの上に、グラスに当たり氷が音を立てるカフェラテを載せ、パンケーキが盛りつけられた皿をテーブルの上に置く、いつもの店員。

「ありがとうございます」

「今月は二度目ですね」

「そうですね」

少し余所行きの返事をしてしまう。

「今日、卒業式だったんですか?」

「はい。でも、どこでわかったんですか」

そう聞いたとき、愚問を口にしたことを恥じた。胸元に残るバラのコサージュ。学校から送られた花束と、後輩からもらった花束が入った紙袋。そのどれもが卒業という現実を物語っているのに。

「見たらわかりますよね」

「ですね」

店員はクスっと笑みを浮かべ、「ごゆっくりお楽しみください」と言って、次の客の元へと向かった。

「先にカフェラテで乾杯しようぜ」

「そうだね」

いつものデート日はパンケーキしか頼まない。しかし、今日は特別な日。卒業と合格祝いを兼ねてのデート。だから、いつもよりは少し豪華に。

「卒業と高校合格を祝って」

「乾杯」

寒いのに、キンキンに冷えたカフェラテを飲む。アウターが少しは役立ってくれればいいのに。

「食べようぜ、勇希」

「そうだね、食べよう」

目の前では、コートを羽織ったままの陽馬が目を輝かせる。その唇はキスしたくなるような艶めきと、イチゴのような美しい赤身を帯びている。

 ナイフとフォークを器用に使い、慣れた手つきでパンケーキを四等分にする。二層のパンケーキは、生地がふんわりとしていて、「切るときの感触がたまらなく好き」と、陽馬が前に語っていたことを不意に思い出す。

「毎月パンケーキ切ってるけど、やっぱり切る感触はまだ好き?」

「相変わらず。他のトコじゃ、このフワフワとした感触、味わえないからさ」

二年生の頃は、この店以外のお店にも行ったことがあった。しかし、陽馬が気に入るパンケーキはこの店の、しかも、イチゴヨーグルトパンケーキだけだった。それからと言うもの、月一度のデートは必ずこの店のパンケーキを食べていた。

 陽馬は持っていたナイフを置き、手を合わせ「いただきます」と呟く。僕もあとを追うように、「いただきます」と手を合わせてから食べ始める。一口目、口いっぱいにヨーグルトの酸味と、パンケーキの甘さが広がる。この瞬間の幸せは、上手く言葉にすることができない。

「何回も食べてるし、つい二日前にも食べたけど、やっぱり美味いな」

「うん、美味しいよね。飽きないし、ずっと食べ続けてたい味って感じがいいよね」

「そうなんだよな。でも、ただパンケーキが美味いってだけじゃなくて、勇希と一緒に食べてるから、何倍も美味しく感じるんだろうな」

「そんなことないでしょ」

嬉しくもあり、恥ずかしくもあり、適当な返事が見つからなった。でも、そんな返事を気にしていないのか、陽馬はパンケーキを頬張っては満面の笑みを浮かべている。

 時間が進むにつれ、僕たちの周りは貴婦人や女性グループ、若いカップルで溢れ、各所から「盛れてる!」「かわいい!」などと言う声がしたり、写真を撮る音までも聞こえてくる。僕たちは、未だパンケーキの写真を撮ったり、ワイワイしたりするといった余裕は、持ち合わせていなかった。でも、こうして陽馬と巡り合い、月に一度パンケーキデートへ行ったり、笑って過ごせる何気ない日々は、天運だと思った。

 いつもより味わいながら食べたパンケーキと、少し特別なカフェラテ。店内が混み始めたため、僕らは店を後にすることにした。

「このあとどうする?」

「勇希と行きたい場所があるんだ。電車と徒歩で四十分ぐらいかかるけど」

「もしかして、合格したら行きたいって言ってたところ?」

「そう」

「行こう! 今日は遅くなっても問題ないから」

「おう。じゃ、決まりってことで」 

 伝票を持ち、レジへと向かう。そのことに気付いたのか、いつもの店員がレジ前に立つ。二人分の代金を支払い、財布をバッグに片づけていると、店員が「あの」と声をかけてきた。

「ご卒業おめでとうございます。お二人とも、まだお持ちではないですよね?」

渡された名刺サイズの紙。そこにはパンケーキ柄のスタンプが六つも押されていた。

「持ってないです」

「そしたらこれ、お渡ししますね」

「ありがとうございます」

「ここまで貯まると、ドリンク一杯を無料にさせていただいています」

「そうなんですね」

「毎月来ていただいていることを知ってから、ずっとお二人にお渡ししようと思っていたのですが、遅くなってしまって申し訳ございません」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

「無事にお渡しできてよかったです」

店員は支払われたお札と小銭をレジの中に入れる。

「僕たちのこと、覚えていただいてるんですか」

「はい。毎月同じ陽に同じメニューを食べる二人の男子学生がいるって、働く仲間の間で話題になってるんです」

「俺たちって、店員さんから見て変だと思います?」

「思ったことないですよ。私たちはお二人のこと応援しています」

言われた瞬間、これからはこの関係をちゃんと伝えよう、そう思った。

「お二人のご来店、お待ちしてますね」

「はい、変わらず来月も来ます」

陽馬が則座に答える。店員はフフッと笑みを浮かべ、「はい」と頷いた。


 お昼になっても気温があまり上がらず、三月にしては寒い一日。そんな天気は恋人たちの距離をぐっと近くする。寒いときに限ってポケットの付いていないアウターを着てきた僕。そして、忘れたカイロの存在にありがたみを感じていた頃、「あーあ。何で今日に限ってカイロ忘れたんだろ」と、独り言を呟いていた。すると、陽馬が「少しだけ抜けてる勇希、めっちゃ可愛い」と聞き取れる声量で言ってきたものの、僕は聞こえなかったフリをして、「えっ、何て言ったの?」と言ってみる。

「可愛い」

ハッキリと聞こえる声量で、頬を赤らめて言ってきた。そのことに対して、「可愛いのは陽馬の方だよ」と言うと、陽馬は僕のアウターの袖を徐に掴み、そのままコートのポケットに突っ込んだ。

「こうすると暖かいだろ?」

コートの中で組まれていく手。

「このまま駅まで行くぞ」

人混みの中を、花束が入った紙袋を前後に揺らして駆け抜ける。僕らの周りにいる人たちはスローモーションで動いていく。木々は風で揺れ、寒さの音色を奏でる。

 パンケーキ代のお釣りで切符を買って、電車が来るのを待った。発射メロディーが流れるホームを全力で走るスーツ姿の男性。手にはお土産の紙袋を持っている。

 駅に着いてから目的地に向かう電車がホームに入って来るまでの十五分間は、瞬く間に過ぎ去り、僕にとってワクワクしたものだった。何か特別な会話を交わしたわけじゃない。陽馬とコートの中で手を結び続けた時間そのものが、僕を興奮させた。

 電車内は、僕らと同じように制服を着た人はおらず、大体がスーツを着た会社員や、お年寄りで席が埋められていた。空いている席に座り、花束が入った紙袋を前に抱える。スマホを取り出し、母に、陽馬と一緒に追加で出かけてくる。また連絡するね、とメールを打った。数分後には既読が付き、楽しんできてね、というメッセージのあと、OKと書かれた絵文字が送られてきた。

 西に移動するにつれ建物は低くなっていき、やがて山が目立ち始める。山の麓には広大な面積の田んぼが広がっている。田んぼを指差す子どもは、母親の右手を握っていた。

「次の駅で降りるから」

「わかった」

電車は川に掛かる橋をスピードを落として渡る。釣りをしている男性。飛び石で遊ぶ小学生。背負われたランドセルは、前後左右に跳ねていた。

 眩しい日差しには似合わない冷たい空気が僕らを出迎える。陽馬は何も言わず右腕を伸ばす。僕も何も言わずに陽馬の右手を握る。

「ここから大体二、三十分ぐらい歩くんだけど、いいか?」

「うん、大丈夫」

 車通りが多い道も、抜け道だという住宅街の道も、手を繋いだままで歩き続けた。すれ違う人は如何わしい存在と感じているのか、色眼鏡で見てくる。

「なんで裏道とか歩かないの? 他にも道はあるよね」

「わざと。裏道とかあるけど、歩かない」

「どうして」

「人目に付きたいから」

「それだけ?」

「俺と手を繋いで、身を寄せ合って歩くの、嫌か?」

陽馬は唇を尖らせて言う。

「嫌なわけないじゃん。むしろ嬉しいよ。でも、変な目で見られてる気がするから、陽馬が傷つかないか心配なの」

「変な目で見られても大丈夫。俺は傷ついたりしない。そばにいるから。勇希を守るから」

陽馬はコートの中で強く握り直した。顔には出さない強がりな一面を肌で感じる。

 信号で止まろうと一度も手を離すことなく、目的地に着くまで握り続けた。僕の手はいつの間にか陽馬の優しさとカイロによって温められていた。

「ここを登った先に目的地があるんだ。俺が手を引くから、合図するまで目瞑っててくれないか」

「わかった。ちゃんと手引いてよね」

「当たり前だろ。絶対に離さないから」

 離した手はが息に触れ徐々に指先から冷たくなっていく。陽馬に手を引かれたまま歩き続けた。傾斜を感じていた身体は、足裏から砂利を感じ始める。

「勇希、目、開けて」

太陽の光が強く突き刺さり、思わず目を細める。ゆっくりと馴化していく目。眼下に広がっていたのは地元だった。遠くには通っていた小中学校も望むことができるこの場所。渡ってきた川に沿うように植えられた河津桜は、薄いピンク色と濃いピンク色のコントラストを生んでいる。

「ここって」

「ここが、合格したら勇希と一緒に来たかった場所。やっと来れた」

「あぁ、ここだったんだ。でも、なんでここなの?」

「実は、この場所、俺ら二人が初めて出会った場所なんだ」

「えっ、初めて出会ったのって学校じゃないの?」

吹き付ける風が髪の毛に悪戯する。

「最初は学校で出会ったのが、俺らの始まりだと思ってたんだけど、違ってたんだ。小三の夏休み、父親の実家に遊びに来てたんだけど、俺は近くで父親とはぐれて迷子になった。不安と寂しさで泣いてたとき、『大丈夫?』って優しく声をかけてくれた男の子がいて」

記憶が一斉に頭中を駆け巡る。

「俺は強がって『大丈夫』って言ったんだけどさ、その男の子は『そんなの嘘だよ』って言って、何も言わずに俺の手を引いて、この場所まで連れてきてくれた。着いてから、『家の近くにどんな建物があるの?』とか『あそこは中学校だよ』って小さい身体で一生懸命指差したりしながら色々教えてくれて』

登山道に植えられた木々は寒風に吹かれる。

『その男の子のおかげで、俺は父親の元へ帰ることができた。最後に、その子の名前を聞いたんだ。そしたら、その男の子が『僕の名前は、ユウキ。君は?』って。俺も名前を言おうとした。でも、親族が俺の姿を見た瞬間に走って来て、抱き付かれて。お礼も含めて言おうとしたんだけど、結局伝えられないまま別れたんだ」

男の子は身体を大きく揺らしながら、僕に手を振る。

「憶えてる?」

「憶えてる。思い出した」

陽馬の思い出と、僕の記憶が結び付いた瞬間。あの過去を、もう一度。

「僕の名前は、ユウキ。君は?」

「俺の名前は、ヒウマ」

運命的な出会いを果たしたのは、あの時からだった。

「ありがとう。ユウキ君」

「よかったね。ヒウマ君」

当時を思い出し、笑い合う僕ら。咲き始めたばかりのハーデンベルギアの花が、愛嬌を振り撒きながらそっと包み込む。

 陽馬は目にキラキラとした星を光らせる。頬に咲いた淡いピンク色の桜。ベリーのように色付いた唇。二人の影は長く伸び、やがて口づけを交わす。陽馬との絆が永遠に続きますように。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

パンケーキ 成規しゅん @Na71ru51ki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ