彼とふたりの秘密の味

くれは

ふたりのひみつ

 休日の待ち合わせ。たくさんの人の流れ。いろんな秘密の味が混ざり合って流れ込んでくる。気にしないようにして改札を抜けると、彼はもう来ていた。少し離れていてもわかる、その秘密の味。

 駆け寄れば、彼はスマホから顔をあげて微笑んだ。この秘密の味はとびっきり甘い。

 わたしが秘密の味を愉しんでぼんやりしていると、彼に「行こうか」と声をかけられる。わたしは慌てて味わうのを中断して、彼を見上げて頷いた。

 歩き出す。彼はわたしに歩調を合わせてくれる。

「今日はどこに行くの?」

「科学博物館。特別展の展示、面白そうだよ。ちょっと並ぶかもしれないけど」

「大丈夫」

 彼はわたしを見て目を細めた。

「こんなふうに二人で会ってることは、学校では秘密、だよね?」

 ああ、秘密の味がより一層香り豊かで複雑な味わいになる。舌の上で転がして、喉を流れて──味わうのを抗えない。

 わたしが秘密の味にぼうっとしてしまったからか、彼はくすりと笑った。




 わたしには秘密の味がわかる。子供の頃からそうだったから、そういうものだと思っていた。そのおかげで小さい頃は人付き合いがうまくいかなかったものだけど、あるとき「そうか、これは普通ではないのだ」と気づいてから、それはわたしの秘密になった。それからは、なんとか普通の枠に収まって生きてきた。

 秘密の味は人それぞれ。わたしにわかるのは味だけだ。それがどんな秘密なのかまではわからない。たまに味が濃くなったり薄くなったりするな、みたいなのはあるけど、それがどうしてかまでは知らない。知らないし、興味ない。

 そして、人はみんな多かれ少なかれ秘密を抱えているものだ。学校の教室なんか、いろんな味がする。それでもわたしは、知らんぷりで生きてきた。わたしの秘密を知られないように、普通でいられるように。

 けれど高校に入学して二年目、わたしは彼に会ってしまった。とびきり甘い、美味しい、秘密の味を持った彼に。

 特上のチョコレートを食べてるみたいな、そんな甘さだった。その味はあまりの衝撃で、わたしは彼の近くを通るとき、いつもこっそりとその秘密を味わっていた。それはわたしだけの秘密。

 そう、秘密。だったのに、ゴールデンウィーク明けに、彼から告白されてしまった。つまり、彼はわたしのことが好きだと言うのだ。

「どうしてわたしなんか」

 わたしはすっかり挙動不審だった。うろうろと視線を泳がせて、どうやったらこの場から逃げられるかを考える。わたしはただ、彼の秘密の味が好きなだけ。本人に興味があったわけじゃないのだけれど。

 彼は首を傾けてわたしを見下ろすと、ふふっと笑った。

「そういうところ」

 彼の言うのがどういうところなのかもわからない。わたしがあわあわと何も言わないでいるからか、彼は言葉を続けた。

「それに、しょっちゅう俺のことを見てたよね。それで俺、割と自惚れてたんだけど……違うのかな」

 わたしがこっそり秘密の味を愉しんでいたのは、本人にばれてしまっていた。そのことで、わたしは一層混乱してしまった。

「そ、それは……」

 そしてわたしは混乱したまま、彼に打ち明けてしまったのだ。今まで誰にも言ったことのない、わたしの秘密を。

「秘密の味がわかる?」

「そう。で、あなたの秘密の味がとびっきり美味しくて、こっそり愉しんでた。それだけ。だから、その……」

 言いながら、自分でも何を言ってるんだって思った。わたしは彼をそっと見上げた。言ってしまった後で、不安になってしまった。

「こんなこと信じなくて良いよ。変なやつだって思ってくれて良い。でも、誰にも言わないでくれると嬉しい」

 彼は口元に手を当てて、少しだけ考えるそぶりを見せた。それから、にっこりと笑う。

「信じるよ。そして誰にも話さない。その代わり、俺と付き合って」

「え……」

「俺の秘密の味が好きなんだよね。俺と付き合えば、いっぱい味わえるんじゃない?」

「で、でも……」

 彼が背中を丸めてわたしの顔を覗き込む。その近さにわたしは息を呑む。

「それで、二人でたくさん秘密を作ろう。とりあえず、付き合ってることは秘密にしようか」

 その秘密の味は、びっくりするほど甘くて、うっとりするほど美味しくて、今までで一番の味わいで、わたしはぼうっとした頭で彼に頷いてしまったのだった。

 わたしが好きなのは彼の秘密の味で彼自身じゃないのに、彼はそれで良いのだろうか。そんなふうに考える罪悪感すら、彼の秘密の味の前ではほろ苦く良いアクセントになってしまった。




 ともかく、二人の関係は秘密だから、学校ではお互いに知らないふりをしている。わたしも学校では、彼の秘密を味わうのをできるだけ我慢するようになっていた。

 夏服になったばかりで、みんな白いシャツを着ていて、学校全体がなんだか軽やかに見えた。先日梅雨入り宣言を聞いたけれど、空は晴れていた。雨はどこにいってしまったのか。

 晴れているなら今日の体育は外だろうな。きっと走らされるんだろうな。なんてちょっとばかりうんざりしながら、体操着の入ったバッグを抱えて更衣室に向かう。途中で彼の近くを通る。

 見ないようにと思ったのに、甘い味わいを感じてふと見てしまう。彼もわたしを見て、一瞬目が合う。彼が微笑む。

 わたしは慌てて目をそらす。秘密の味が、喉を焦がすほどだった。顔が熱い。学校で、こんなこと。

 家に帰ってから、彼とメッセージのやり取りをする。

 ──今日、ばれるんじゃないかって心配になった

 ──大丈夫だよ ばれてない

 ──秘密がばれたら秘密じゃなくなっちゃう

 ──でもどきどきしたでしょ?

 彼の言う通りだった。秘密がばれたらと思うと、酸味が舌を刺激した。きらきらと輝くオランジェットのように、甘くて酸っぱい。不安さえ、秘密の味を彩ってしまう。

 彼のつくる秘密は本当に、何もかも美味しい。




 休みの日には相変わらず、待ち合わせをして二人で出かける。二人だけの秘密として。

 今年はから梅雨らしい。雨はなく、空は気持ちよく晴れていた。

「今日はどうするの?」

「天気良いし、散歩しようか。どう?」

「良いよ」

 それでわたしたちは公園を散歩する。立ち並ぶ木々の木漏れ日が、きらきらと輝いて地面に鮮やかに映っていた。

 人が多いからいろんな味がする。でもやっぱり、彼の秘密の味は特別だ。わたしは彼の隣を歩きながら、ひとりその味を愉しむ。

 不意に彼が、わたしに手を差し伸べてくる。わたしは少しだけ考える。わたしが好きなのは彼の秘密の味で、彼じゃない。なのに、良いんだろうか。

「駄目かな?」

 彼の言葉に目を伏せる。

「駄目っていうか」

「だったら……良い、よね?」

 彼が首を傾けて誘惑してくる。その甘さ。わたしはその誘惑に乗っかってしまった。指先から、体温が伝わってくる。

 彼が微笑んでわたしを見る。

「こんなふうに手を繋いでいるの、二人だけの秘密、だからね」

 わたしはほうっと息を吐く。飲み込んだ甘さが、体の中で熱を持ってしまったようだった。くらくらとするような、そんな心地になる味。お酒って飲んだことないけど、もしかしたらこんな感じかもしれない。




 翌日学校に行って自分の席に座ったら、三人のクラスメイトに囲まれた。何事かと彼女たちの顔を眺めまわす。

「昨日、二人で手繋いでるの、見ちゃったんだけど」

「ね、付き合ってるの?」

 好奇心に溢れた視線を受け止めて、わたしが思ったのは秘密じゃなくなってしまった、ということだった。

 彼との秘密が秘密でなくなってしまったら、その味はどうなるんだろうか。こんなときにそんなことを考えている自分は、ひどいやつなんじゃないだろうか。

 ぼんやりとしたまま、わたしは何も答えられなかった。追求の手は弱まらない。どうなの、と彼女らの視線に問われている。

 そのとき、ふわりと穏やかな甘い味がした。ああ、この味は、彼だ。そう思うと同時に、背後から彼の声がする。

「実は、そうなんだ。付き合ってる」

 彼の声が秘密を明かす。それでもまだ、ほのかな甘さが感じられる。そしてそれはやっぱり美味しい。

「やっぱり」

「ね、いつから?」

「どっちから告ったの?」

 クラスメイトたちははしゃぐ。そして好奇心をさらに膨らませた。わたしは背後の彼を見上げる。彼はわたしを見下ろして、微笑んだ。

「それは、秘密」

 クラスメイトたちの好奇心をそうやって遮断してから、彼は自分の席に向かった。

 わたしは、新しい秘密の味をこっそりと愉しんでいた。そうか、秘密がばれても新しい秘密は作れるのか。

 そんな小さな秘密でも、彼の秘密はやっぱり特別な味がした。




 昼休み、クラスに付き合っていることがばれたわたしと彼は、堂々と二人で教室を出た。なんだか落ち着かない。

 屋上へ続く階段。突き当たりの扉は鍵がかかっているけど、その手前に手すりに隠れるようにスペースがある。そこに二人で並んで座る。体温が感じられるくらいに、距離が近い。

「ばれちゃったね、ごめん」

 彼の謝罪に首を振る。

「大丈夫、まだ秘密の味するし」

「なら良いけど……いや、どうかな。そろそろ俺の秘密の味だけじゃなくて、俺自身にも興味が湧いてきたりしない?」

 顔を覗き込まれる。息を詰める。

「わたし、は……」

 正直、自分の気持ちはよくわからない。彼と彼の秘密の味は、わたしの中ではもう離れようもなく一緒のことだ。そして、彼の秘密の味が好きなことは変わらない。でも、それはやっぱり彼に対して不誠実なのかもしれない。

 困って何も言えないでいたら、彼は小さく微笑んだ。

「ごめん、困らせた。答えが出るまでは待つよ」

「あの……ありがとう」

 彼が首を振って、それからわたしの手を取る。指を絡める。顔が近づいて、声をひそめる。

「表向きは普通に付き合ってることになってるけど、本当はこんな関係だなんて、二人だけの秘密だよね」

 秘密の味がぎゅっと濃くなった。あまりに濃厚な甘さを流し込まれて、わたしは溺れそうだった。しばらく立つこともできなかった。

 あわあわしているわたしの隣で、彼は愉しそうに微笑んだ。



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