第24話 二人が、大好きだ



「ふぅ……ここまで来れば、一安心かな」


 先輩に手を引かれて、アタシたちはひと気のない場所にやってきた。

 建物が影になっていて、そう簡単に見つかることはないだろう。


 アタシは、アタシの手首を握っていた先輩の手を、じっと見ていた。


「あ、悪い。痛かったか?」


 それに気付いたのか、先輩が手を離す。

 なんだか、触られていたところが熱い……それは、強く握られたから? それもあるかもしれない。


 でも、これは……


「って、これ腫れてるじゃないか!」


「あ……」


「こ、これ俺の!? ご、ごめ、ごめ……!」


 先輩は、アタシの手首を見る。

 そこには、手で握られた痕がくっきりと、残っていた。



「そうだよ? 先輩が、強く握りすぎたから」



 ……いつもなら、こんなからかい方をするだろう。

 でもなんでか、そういった気持ちは湧いてこなかった。


「違うよ」


「ごめごめご……え?」


 慌てている先輩は、なんだかとてもかわいらしかった。

 ふふっ、さっきまであんなに……


「さっき、ナンパ男に握られたせいかな」


「!」


 あーあ、痕になるくらいに強く握っちゃって。

 自分でも、こんなになっているとまでは、思っていなかったけど。


 まあでも、しばらくしたら元に戻るか。


「そこまでは痛くないし、大丈夫……って、どうしたの先輩、その顔は」


 なぜだか先輩は、沈んだ表情を浮かべていた。


「ごめん、俺がもっと早く来ていれば」


「……」


 自分がもっと早く来ていれば、アタシがこんな目に遭うことはなかった。

 そう、考えているんだろう。


 そんなこと、考える必要なんてないのに。だって、そもそも先輩が来てくれなければ、アタシは……


「って、お姉ちゃんは? どうしたの?」


 先輩がここにいる。ということはつまり、お姉ちゃんを置いてきたということだろうか。

 なんで、どうして。お姉ちゃんは恋人でしょ? 置いてきて、いいの?


左希さきの様子がおかしい、って右希うきが言っててな。自分は気にせずに左希を追いかけてって。

 俺も、気になってたし」


「……!」


 お姉ちゃんが……アタシを、気にしていた?

 なんで……せっかく、先輩と二人きりになれたんだよ? アタシのことなんて、気にしなくてもいいじゃん。


 先輩も、先輩だ。アタシなんて気にせずに、お姉ちゃんと楽しめばいいのに。

 アタシはお邪魔虫だ。二人の空気を、悪くしてしまった。せっかくのプールなのに。


「……っ」


 アタシは、お姉ちゃんとするときのための練習相手。そう、割り切った。

 先輩への想いは断ち切って、せめて先輩とお姉ちゃんの仲を応援しようと、思った。


 なのに……なんで、あんなにかっこいいとこ、見せるの……!


「なにがあったかはわからないけど、一人で行動するのは危ないぞ。

 あ、右希は人が多いとこから動くなって言っといたから、心配な……っ!?」


 先輩が、なにか言っていたけど……アタシの身体は、勝手に動いていた。

 目の前の、愛しい人の身体に飛び込むように抱き着いて……その唇を、奪った。


 プールに入っていたせいか、すでに濡れている。

 触れるだけの口づけ……のはずだったのに。再び唇を押し付ける。


 荒くなっていく吐息が、お互いの口の中へと侵入していく。それに、侵入するのは吐息だけではない。

 やめさせようとしているのか、先輩の手が肩に触れて……引き離そうと、していた。


 とても、弱い力で。


「……んで……」


 アタシは、唇を離した。

 お互いから離れたくない、とでもいうように、しばらくの間糸が互いを繋いでいた。


「なんで、なの……」


「ぷぁ、はぁ……さ、左希?」


「なんで本気で、抵抗しないの?」


 口を離したことで、アタシたちの顔は鼻先がくっつくくらいに、近い。

 口づけのせいか、瞳が潤んでいる。頬も上気している。


 アタシは、自分の気持ちがぐちゃぐちゃになっていくのを感じた。


「っ……お、驚いたよ、先輩。あんな、強かったんだ」


 さっきの、ナンパ男を殴った時のことを、思い出す。


「あれは……相手の隙を突けたから、たまたま……」


「あんなに、力があるなら……アタシのこと、拒めたでしょ! 無理やり、引き離すこともできた!

 今だって! 優しく、触れるだけで……抵抗しようとはしても、本気で抵抗はしてなかった! なんで!」


 先輩は、優しい。幼馴染を、彼女の妹を、力任せに拒絶できない。

 それは、わかっている。わかっているのに……感情が、溢れてくる。


 先輩が拒んでくれたら、アタシはこんな気持ちにならなかったかもしれない。先輩が拒んでくれたら……

 ……なんて、最低なことを考えているのだろう。


「先輩は、ずるいよ……」


 優しいから、その優しさに甘えたくなる?

 お姉ちゃんとするときのための練習相手? そんなの、ていのいい言い訳だ。


 先輩のためじゃない。本当は、アタシの……


「……左希、俺は……お前のことを……」


「いやだ、聞きたくない」


 ここで先輩の答えを聞けば、アタシは楽になれるのか?

 先輩は、お姉ちゃんのことが好きだ。それは、ずっと前から……ずっと前から、両思いだった。アタシの入り込む隙なんて、ない。


 だからアタシは、あんな方法で先輩に迫った。少しでもつながりが欲しくて。先輩が……たっくんが、欲しくて。

 彼の優しさに甘えて、アタシは……取り返しのつかないことをしたんだ。


「ねえ……先輩。先輩は、お姉ちゃんのこと好きだよね」


「あぁ……」


「そっか……それだけ聞けたら、もうなにもいらない」


 アタシは、バカだな。アタシは、大バカだ。

 アタシは、先輩が好きだ。そして、お姉ちゃんのことも……好きだ。

 二人が、大好きだ。


 アタシは、ただ先輩が好きなんじゃない……お姉ちゃんを好きな、先輩が好きなんだ。

 これはきっと、普通の恋愛感情とは違うのかもしれない。アタシはどこか、おかしいのかもしれない。


「先輩、お願い……もう少しでいいから、こうしてて」


「……あぁ」


 アタシは、先輩の胸に身を預ける。

 アタシはきっと、お姉ちゃんから先輩を取ってやろうとか、そういうことを考えているわけじゃないんだ。


 きっと……自分の存在を、残したい。好きな人たちに、自分を見てもらいたい。

 ただ、それだけだったんだ。

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