第10話 私がやらなくちゃいけない、ことだから



 ――――――



「じゃ、先輩。アタシ、先に戻るね」


 左希は口元を拭い、立ち上がった。そして扉の鍵を開けて、俺に笑いかけてから教室を出る。

 ただ、その直前俺に振り向き……


「言っとくけど、これも初めてだからね?」


 そう言って、今度こそ教室を出た。

 俺はというと、すっかり力が抜けてしまっていた。壁に寄りかかり、倒れないようにするのが精一杯だった。


 だが、いつまでもここにいるわけにはいかない。

 着衣を正してから、力の入らない足になんとか力を入れ、教室を出る。

 直後、屋上から下りてきた生徒たちと鉢合わせたが、知り合いでもないのでお互いスルーした。


 空き教室とはいえ、屋上に繋がる階段近くの教室で、あんなことをしてしまった……

 まだ、胸の高鳴りが収まらない。それは、誰かに見つかるかもしれなかったという危機感からか、それとも……


「はぁ……」


 ともかく、俺は……っ……自分の意思の弱さに、情けなく思ってしまっていた。

 屋上で、決めたばかりではないか。左希とはもう、あんなことはシないと。正確には、俺はなにもシてはいないが……


 そんな問題では、ない。はっきりと、左希を拒絶すればよかったんだ。乱暴にでも、振り払ってしまえば。

 それができなかったのは、なぜ? 女の子だから? 幼馴染だから? 彼女の妹だから?


 それとも……俺は……


「いやいや、しっかりしろ俺」


 また考え込んだら、泥沼にハマってしまいそうになる。今はとにかく、頭を冷やそう。

 まさか、学校であんなことをしてくるなんて、思っていなかった。気持ちよかっ……じゃなくて!


 左希さきは嘘をついてまで、俺と右希うきを二人にしてくれた。……なのに、俺を待ち伏せておいて、練習を……と。

 左希がなにを考えているのか、わからない。


 もしも右希が、ラブレターの呼び出しに応じて先に帰らなければ。左希があんな行動を起こすことも、なかったのだろうか。



『でも、本当に納得できてる? せっかく手を繋げたのに、それより他の男を、優先したんだよ?』



「……!」


 左希の言葉が、頭の中でフラッシュバックする。やめろ、変なことは考えるな。

 世の中の彼女は、彼氏がいるのにラブレターを貰ったらどうするのか……ちゃんと断るのか、それとも無視するのか。そんなのは、知らない。


 だが、彼氏がいても律儀に返事に応じてしまうのが、右希だ。

 あいつは優しくて、人一倍気持ちに敏感で……だから、ラブレターを貰って放っておくってことが、できない。



『ううん、心配してくれてありがとう。でもこれは、私がやらなくちゃいけない、ことだから』



 他の人に、代わりに断ってきて……なんて頼むことも、できない。

 中学の時だって、そうだった。ラブレターを貰ったと、聞いたことはあっても……断るのは、全部自分で、やってきた。


 それは、俺も左希もわかっている。誰にでも優しい、そんな右希だからこそ、俺は好きになったんだ。

 だけど……



『アタシだったら……』



 ……あの言葉は、いったいどういう意味で……


「いやぁー、しっかしかわいいよなぁ晴嵐せいらんさん」


「!」


 廊下を歩いていると、廊下にたむろしている男子生徒たちとのすれ違いざまに、声が聞こえた。

 盗み聞きをするつもりはなかったが……その会話に、知った名前が出てきたので足を止めてしまった。


「それって姉の方? 妹の方?」


「そりゃどっちもに決まってんだろー?」


「いいよなぁ、後輩の美人姉妹。けど、姉の方には彼氏がいるらしいぞ」


「あー、らしいな。顔は知らんけど、一つ上の先輩なんだろ?」


「しかも、そいつには晴嵐さんの方から告ったって話だ」


「かぁーっ、羨ましいねぇ! ってことは、あの身体をめちゃくちゃにできるわけだ。前世でどんな徳を積んだんだよ」


「ゲスだなお前」


「清楚でおとなしい系の女子ってやつ? すげー好みだったんだけどなぁ。

 あぁ、けどよ、妹の方はフリーなんだろ? なら俺、アタックかけてみようかな。姉と同じく顔もスタイルも申し分ないしよ。てかそっくりだし」


「ゲス野郎極まれりだな」


「ま、彼氏がいても関係ないっちゃないよな……」


 ……ずっと足を止めて聞くのも怪しまれるので、俺は足を動かす。


 正直、今の男の言葉に俺は、腸が煮えくり返りそうだった。左希は、左希だ。右希の代用品じゃない。

 男に殴りかかりそうになったのを、残った理性で必死に押し止める。


 左希には左希のいいところがある。もしあいつが誰かと付き合うことになっても、右希と比較されることになるのか?

 あいつに彼氏ができるなら、もうあいつが俺にちょっかいをかけることもなくなると、そう思ったのに。


 もし左希を、右希の代用品として見ている奴が、いるのだとしたら俺は……


「……ははは」


 俺はうつむいて、渇いた笑いを漏らした。自分で自分が、おかしくなったからだ。

 そう、左希は左希だ。右希の代用品じゃない。


 右希との練習? そのために自分をお姉ちゃんだと思え? ……なにを、バカなことを。

 そんなこと、できるはずがないと……わかっている、はずじゃないか。


 なのに俺は、あんな言葉を真に受けて、流されて……なにを、やっているんだ。

 さっきの男子生徒に怒りの感情を抱くのも、おこがましい。

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