穴(原題:無題3)

中原恵一

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 ある日の朝、僕が朝起きて学校に行ったら、

 みんなが校庭に一列に整然と並んで一生懸命穴を掘っては埋めていた。


 昨日まで普通だった同級生のみんなが一心不乱に、汗をだらだら流しながら一斉に人ひとり入れそうなほどの大きな穴をひたすら掘っている。


 僕はあまりに異様な光景に頭がくらくらして、校庭の隅に立ってヘルメットをかぶっていたタナカ先生に「これはいったいなんですか」と聞いた。


 すると振り向いたタナカ先生は神妙な顔つきをして、「何をバカなことを言ってるんだ。お前も早く作業にかかれ」と一喝した。

 そしてぼうっと突っ立っていた僕に、大きなスコップとヘルメットを投げ渡してきた。


 僕は言われるがままにスコップで地面を掘り始めたのだけれど、

 地面は堅いし、日照りの中の作業なので非常に暑くて疲れるし、なかなか掘りすすめられない。


 となりで穴を掘っていたスズキ君に、「ねえ、君こんなことして疲れないかい? というか、これ何の意味があるんだい?」と聞いたが、彼は笑って「アハハ、どうしたんだいきなり」と言った。「穴を掘るなんて当たり前のことに理由を聞くなんて、今日の君はどうかしてるよ」と怒られてしまった。


 しかし掘るのをやめると周りで常に見張っている先生に怒鳴られてしまうので、やめることができない。


 何時間も強制的に労働させられた後、僕を待っていたのはとても食べることのできない「昼食」だった。


 昼のチャイムが鳴ると、クラスメートのみんなが一斉に職員室へ向かっていった。「労働」の報酬が出るのだという。


 先生たちは肥料を入れるような、大きな米袋に何かを入れて持ってきた。

 タナカ先生がスピーカーで「列に並ぶように」叫んでいるから並んでいると、前にいる女の子たちがキャーという歓声を上げ始めた。


 そんなにいいものなのかと思って前の方を見ると、学級委員のフジタさんが手いっぱいに赤いムカデを掴み取って大喜びしていた。


 僕は顔からどっと冷や汗が出るのを感じて、思わずその場から逃げ出したくなった。午前中ずっと炎天下で何時間も働いた報酬がムカデらしい。


 驚くことに、みんな大喜びで掴み取ったムカデをほかの友達に自慢している。


 やがて僕の番が来て、僕はタナカ先生に袋にひしめくムカデに手を突っ込めと言われた。いざ10cmほどもある巨大な光沢を持ったムカデが何百も重なりあっているのを目の前にして、僕は恐れおののいた。「いや、できません。気持ち悪いです」というと、「お前ムカデをもらえることがどんなに栄誉なことかわかっていないのか。小学校の道徳の教科書を読み返してこい」と言われてしまった。


 午後になって、先生は生徒たちに掘った穴を埋めるように指示した。

 言われるままに僕は、校庭に山積みになった土を使って穴を埋め始めた。

 なんでこんなことをしなければならないのか最後まで全く意味がわからなかったけれど。


 はじめは普段使っていなかった体中の筋肉が悲鳴を上げているように感じたが、疲れはだんだん麻痺し、少し腕や足の動きが鈍くなったとしか考えなくなった。


 結局夕方まで作業はかかったが、午後五時ぐらいになってなんとか解放された。僕はくたくたになって家路についた。


 僕は家に帰ると、玄関で靴を抜いですぐお父さんとお母さんに「今日学校でひどい目にあった」と話した。


 全てを打ち明けたのはほかでもなく、少しでも同意してもらいたかったからだ。


 しかし彼らはかわいそうなものを見るような目で僕を見つめてきた。

 どうやら本気で僕の頭がおかしくなってしまったと思っているらしい。


 その晩はずっと「何か具合が悪いの?」とか「疲れてるのよ」とか的外れなことをたくさん言われた。


 僕は途中で彼らの言うことを聞き飽きて、叫びだしそうになるのを必死で堪えながら部屋に戻って涙を流しながら寝た。


 これは悪夢なのだ。目が覚めればきっとまた、普通の世界が戻ってくるはずだ。

 ただそれだけを願って僕は固く目をつぶった。疲れもひどかったせいですぐに寝てしまった。


 しかし目が覚めてもそれは変わらなかった。


 次の日も次の日も、目が覚めると僕はよくわからない「労働」を強いられた。

 地面にばらまかれた何千何万の小豆を拾い集めたり、自分の全身の毛をセロハンテープとガムテープで抜いたりした。


 先生たちはそれが素晴らしいこと、世の中の役に立つことだと言い、生徒たちは面倒くさいといって少しは反発するが結局日課としてこなしている。


 僕は意味が分からなくて最初抵抗したが、次第に気力を失っていった。

 そして異常なのは自分だと思うようになった。

 時にはこの世界で「正しい」といわれることをわざとしてみせて、先生に褒められてみたり、友達にそのことを自慢したりした。


 もともと欠いていた正常さを失うことによって、僕はこの世界に順応したのだ。


 同時に僕は心をすり減らしていった。

 無理をしていたのは言うまでもなかった。


 あるとき僕は朝早くから学校に行き、スコップですごく深い穴を掘った。

 二メートル、三メートル……。

 どれほど深く掘ったかわからないところでいったん地上に上がり、僕は校舎の上からその穴目指して飛び込んだ。


 簡単に言うと自殺しようとした。


 だが僕が再び目を醒ましたとき、座っていたのは病院のベッドだった。

 激痛とともにゆっくりと、包帯でぐるぐる巻きにされた体を動かすと、ベッドの周りを取り囲むようにタナカ先生や友達がにやにやと笑いながらこちらを見つめていることに気付く。


 そして校長先生が出てきて、僕に何か薄っぺらい紙を差し出してこう言った。


「今回君がしたことが表彰されることになったんだ。喜びたまえ。君は我が校の誇りだよ」


 一様に気持ちの悪い笑みを浮かべる人々が僕を取り囲んでいる。

 僕は表彰状を片手で持ったまま止まらない全身の震えを必死で抑えていた。


 受け取ったこのよくわからない紙きれをくしゃくしゃに丸めたい衝動に駆られたが、僕はうずくまってとりあえず叫びながら泣いた。

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穴(原題:無題3) 中原恵一 @nakaharakch2

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