夜のピクニック ふもっふ ⑳

「――枝葉さん、ちょっといいかな?」


 瑞穂に星城高校のジャージを着た、見ず知らずの男子が話しかけてきた。

 街灯の薄明かりの下でもわかる上気した顔と、緊張にうわずった声。


((((――来たな))))


 空高、隼人、リンダ、そして貴理子は、すぐに察した。

 自由歩行が始まり、いよいよナイトブルーの帳がもたらす魔法バフが最高潮に達したのだ。

 決意を抱いて歩行祭に参加した生徒たちの、勝負の時間。

 告白タイムの始まったのだ。


「わたしにですか?」


 瑞穂はキョトンと、知らない男子生徒の顔を見た。

 しかし瑞穂は生来気安く、他者に対するの低い少女だ。


「わかりました。ではそこで――ちょっと行ってきますね」


 他の五人に微笑むと、瑞穂はその男子とパーティを外れていった。

 頼りない街灯の明かりから、わずかに外れて立つふたり。


 その様子を道行は、なんともモヤモヤした思いで見つめた。

 道行とて、そこまで鈍感ではない。

 コクられる瑞穂に、むしろ他の四人よりも動揺していた。

 彼女がどう答えるか、気が気でない。


 隼人は瑞穂に想いを寄せているが、こういったシチュエーションで幼馴染みがどう反応するかをよく知っているので、そこまで動揺はない。

 しかし、道行は違った。

 道行はまだそこまで瑞穂を知らない。

 だから焦慮した。


 だがそれは、


『身近な雌に他の雄が寄ってきたときの、雄の本能みたいなもんだ』

『動揺するのは恥ずべきことだ』


 と、懸命に自制した。


 貴理子はそんな道行の胸中が手に取るようにわかるので当然、面白くない。

 ムスッとした顔で、道行を睨んでいる。

 やがて瑞穂が男子と別れ、首を捻りながら戻ってきた。


「どうだった?」


『まあ、わかってるけど』……みたいなニュアンスで、リンダが訊ねる。


「それがよくわからないのです。『付き合ってください』と言われたので『? どこへですか?』と答えたら、『いや、だから俺と付き合ってください』と言われたので、『だからどこへですか?』と答えたら、なんだか悲しい顔をされてしまって……何かわたしに手伝ってほしかったのでしょうか?」


 再度、小首を捻る瑞穂。


「……あ、そ」


『まあ、わかってたけど』……みたいなニュアンスで、リンダが肩をすくめた。


 道行はホッとしつつも、肩を落として夜の闇に消えていった見知らぬ少年に、共感めいた気持ちを抱いた。

 そんな自分の胸中が手に取るようにわかる貴理子にムスッと睨まれ、道行は慌てて咳払いをした。

 そこからは怒濤の展開だった。



「悪い、好きな娘がいるから」←空高


「ごめん、今はそういう気持ちにはなれない」←隼人


「ごめんなさい。わたし好きな人がいるの」←貴理子


「今、それどころじゃないの」←リンダ



 入れ替わり立ち替わり、男子の場合は本人が、女子の場合はその友人たちが現れ、パーティの面々を次々に連れだし、告白し、そして散っていった。


「……みんなモテるな」


 道行が居心地悪げに述懐した。

 彼だけが誰からも声を掛けられていない。

 いないが……。


((((……おまえが言うな))))


 空高、隼人、リンダから、空間を切り裂くような視線が突き刺さった。

 入れ替わり立ち替わりどころか常時両脇を、星城と新宿北、両校屈指の美少女に挟まれているおまえが言うことか! ……である。

 貴理子も道行の片側に立ちながら、険しいムスッと睨んでいる。

 その反対側で、瑞穂だけがニコニコとしていた。


(わたしたち、いったい何をしてるの?)


 貴理子の中で渦巻いていた憤懣が、限界に達した。

 彼女は本来、安定した穏やかな情緒の持ち主立った。

 ただ生真面目で几帳面、融通の利かない不器用な性格が、今の混沌としたカオティックな状況が許せなかった。


 自由歩行の時間は短い。

 ゴールを目指すなら、そろそろ走り出さなければならない。

 それなのに見ず知らずの人間の恋愛に付き合わされて、貴重な時間を浪費してしまっている。

 貴理子は意を決した。


「枝葉さん」


「はい?」


「お話があるの。ふたりだけで」


 瑞穂は自分を見据える貴理子の瞳に、決意を見た。


「わかりました」


 真摯にうなずく瑞穂。

 対決の時がきた。


「お、おい」


 ふたりのただならぬ雰囲気に、道行は狼狽えた。

 その肩に、空高が手を置く。

 隼人やリンダも、空高と同様の表情を浮かべている。

 道行は黙り込むんだ。

 ふたりの少女は夜の中に消えていく。

 少年は見送るしかない。


「枝葉さん」


 やがて周りから人の気配が遠のいたのを見計らって、貴理子が瑞穂に向き直った。

 マグライトの光だけが、闇の中にふたりの輪郭を浮かび上がらせている。


「枝葉さん」


 闇の中、もう一度貴理子は呼びかけた。

 貴理子は言わなければならなかった。

 瑞穂に自分の気持ちを伝えなければならなかった。

 そうしなければ、この空気の読めない、おそらくは道行を好きだということにすら気づいていない天然なにはわからないだろう。

 そうしなければいつまで経っても、自分のだ。


「はい」


「わたしは――」


 道行が好き。

 子供のころから、ずっと好きだった。

 だから――だから――。

 だから、あなたは――。


「あなた、いったい道行のどこがいいわけ?」


「え?」


「いつもぐったりしてて、眠そうで、若さがなくて、覇気がなくて、そのくせ伝法で、猫背で、全然おしゃれじゃなくて、流行に外れてて、話題は偏ってて、しゃくれ顔で、垂れ目で、三白眼で、貧乏舌のくせに偏食で、寝癖が酷くて、女の子にも全然人気がなくて――本当に、本当にあいつのどこがいいわけ!?」


 突然機関銃のように道行をディスり始めた貴理子に、キョトンとする瑞穂。

 目を吊り上げ、唇を引き結び、睨み付ける貴理子。

 でも瑞穂には、まるで泣きじゃくりながらそれでも虚勢をはる小さな女の子のように見えた。

 瑞穂は、穏やかに語り出した。


「わたしが小学校に入学したときのことです。初めての教室に初めてのクラスメート。わたしの心は、これから始まる学校生活への期待に溢れていました。自己紹介が始まりました。名前と、自分の好きな物をみんなに教えてあげるのです。


 みんな自分の好きなアニメの主人公や、アイドルや、スポーツ選手の名前を挙げていきました。わたしの番がきました。わたしは胸を張って言いました。『好きな物はお父さんとお母さんです』――と。そしてみんなに笑われてしまいました。


 先生はみんなをたしなめて、慰めてくれましたが、わたしはとても悲しかったです。わたしだけでなく、まるでお父さんとお母さんを馬鹿にされたような気がして。


 そしてその時からわたしは、クラスのみんなにとって、空気の読めない鈍臭い不思議ちゃんになったのです」


 瑞穂は寂しげに微笑んだ。


 ある少女は大笑いして、ドジな子だと瑞穂と友だちになってくれた。

 ある少年は笑わずに、落ち込んでいる瑞穂を見て守ってやろうと決意した。

 少女と少年は、瑞穂の幼馴染みに


 奥ゆかしく他者に対して一定の距離を保っている――わけではない。

 自閉傾向がある――というのとも、また違う。

 親離れができてない精神的に未成熟な存在だから――と断じてしまうのは簡単だが、親離れができてなくても親友がいる同年代の少女など山ほどいる。


 瑞穂は自分が変わり者だと思われていることを、知っている。

 鈍臭い不思議ちゃん。

 周囲の多くの人間から、そう思われてきた。

 それは彼女の密かな悲しみだった。


 近づいてくる人間が、自分に対して庇護欲をもっている場合、瑞穂は無意識に距離を取る。

 瑞穂にだってプライドがある。

 瑞穂だって傷つきたくないのだ。


「でも、道行くんなら――あの人なら、きっと笑わないと思うのです。わたしを笑ったりしないと思うのです。『……まぁ、そういう奴もいるだろう』と言って、その後も普通に接してくれると思うのです。だから、だから――」


 そして瑞穂は言った。


「だからわたしは、道行くんが好きなのです」


 穏やかで、柔らかく、晴れ晴れと。


「だから、わたしはあなたと正々堂々戦いたいのです、片桐貴理子さん」


「それは……宣戦布告?」


「はい、宣戦布告です」


 貴理子は呆れた。

 随分とまろやかな宣戦布告もあったものだ。

 だがこの瞬間、自分が独り相撲の地獄から救われたこともわかった。

 一本取られた。

 それも見事な活人剣で。


(なによ、ちゃんと空気読めるじゃないの)


「……そう、ね。道行なら笑わないわ」


 やがて貴理子も同意した。


「道行なら笑わない……それで態度を変えたりもしない」


 貴理子は鋳型に嵌められた少女だった。

 愛情深くはあったが『家』に支配されている両親。

 父親も母親も中心にあるのは常に『家格・家門』であり『家族』ではなかった。

 良い子でいなければならなかった貴理子にとって家は、安らぎの場ではなかった。

 学校も、そうだった。

 彼女は旧友たちの前でも、旧家・良家の娘でなければならなかった。


 ただ道行だけが、本来の子供っぽさをさらけ出せる存在だった。

 何をしても、何を言っても受け入れてくれる、年老いた大型犬のような小学生。

 存分に世話が焼け、存分に本音がいえ、存分に甘えられる存在。

 それでも変わらずに、そこにいてくれる。

 それが灰原道行という少年。


 貴理子はやっと、枝葉瑞穂という少女の一端を理解できた。

 自分とはなにからなにまで対照的な少女。


 貴理子は常に思い出している。

 道行との過去を。


 貴理子は常に思い描いている。

 道行との未来を。


 でも瑞穂は違う。

 瑞穂は常に、今を思っている。

 道行との現在を。


 それでもふたりの少女は同じだった。

 ひとりの少年の本質的な優しさに惹かれ、焦がれ、求めていた。

 自分が自分のままでいられる、灰原道行という少年に。


「わたしも道行が好き。ずっと大好きだった。だからあなたには渡さない」


 やはり晴れ晴れと、挑戦を受けて立つ貴理子。


「夜討ち、朝駆け、抜け駆けに、手料理に色仕掛け―― “愛” の立物のついた兜をかぶって、正々堂々戦いましょう」


 たいへんな “直江兼続” もあったものだ、と貴理子は苦笑した。

 しかし、これで――。


「女に二言はなしよ。わたしの方が道行に近いんだからね」


「ドーントコイ!」


 少女たちは微笑みあい、対決の始まりは終わった。


◆◇◆


(……まさか修羅場になっちゃいないよな)


 ふたりが消えた闇の先を見つめる道行は、気が気でなかった。

 瑞穂と知り合って以来、貴理子の情緒が不安定になっていたのはわかっていたが、まさかここまで思い詰めてしまうとは思わなかった。


 空高は決して認めないだろうが、道行は貴理子の唯一の理解者だった。

 幼児期に病弱だった弟と、そんな弟にかまけてばかりだった両親。

 道行の居場所は、その歪な隙間だけだった。


 貴理子も同じだった。

 家門という堅く融通の利かない鋳型にはめ込まれ、圧殺されかかっていた。

 道行は貴理子に自分の姿を見ていた。

 だから彼女を受け入れることができた。

 自分が幼馴染みの少女の居場所だということを理解していた。

 瑞穂の出現が貴理子に、自分の唯一の居場所を奪われるのではないかという危機感を抱かせたのだ。


 それは正しい理解だった。

 しかし、すべてではなかった。


 貴理子の自分への気持ちが容易に恋情に昇華する想いであることに、道行は思いいたらなかった。

 感情を心ではなく頭で考えてしまう悪癖。

 やはり道行は歪んでいた。


「修羅場ってるわね、完全に」


「ああ、でも必要な修羅場だ」


 リンダと空高の会話が、道行の心を余計に波立たせた。


「戻ってきたぞ」


 少女たちの消えた闇の先を見つめていた隼人が言った。

 夜の緞帳どんちょうが盛り上がり、ふたりの姿が浮かび上がる。


「なによ、妙にまったししてるじゃない。馴れ合ってるわけ?」


 並んで帰ってきた瑞穂と貴理子に、リンダが苛立つ。

 彼女にとって恋敵が表面上仲良くしていることほど、虫唾が走ることはない。


「馴れ合ってなんかいないわ、真剣よ」


「そうです、真剣と書いてガチと読むほど真剣です」


 貴理子が落ち着いて答え、瑞穂が穏やかに同意した。


 道行は驚いた。

 瑞穂はいったい、どんな魔法を使ったというのだろう。

 貴理子から先ほどまでの、今にも泣き出しそうだった不安定さが消えていた。


(そうだ……これが貴理子だ。本来の片桐貴理子)


「道行」


 嘆息する道行を、貴理子が見つめた。


「な、なんだ?」


「走るわよ」


「なに?」


「ゴールするには、そろそろ走らないと。まさかリタイアするつもりじゃないわよね?」


「いや、俺は……」


 ……みんなと楽しく歩けるのなら、別にそれでも構わない。


 道行がそういう前に、貴理子は少年の背中に回って両手で押した。


「わたしが一緒にいる限り、そんな真似はさせないわ」


「お、おい」


「お尻を叩かれないだけマシでしょ」


(優しく手を引くのは、わたしの流儀じゃない。これがわたしのやり方。これまでも、そしてこれからも)


「さあ、一緒にゴールするわよ」


 そして貴理子は、道行と走り出した。


「では、わたしたちも行きましょう!」


 瑞穂が他の三人に向かって快活に拳を突き上げ、道行たちの後を追う。


「行くのか?」


「行くしかないだろう」


「リタイヤはしたくないしね」


 空高が苦笑し、隼人がクソ真面目に走り出し、やれやれとリンダが続いた。

 ここからゴールの湖までは、高低差のあるキツい登り道が続く。

 でも辿り着けば今の季節、朝日に輝く新緑が迎えてくれるだろう。

 それぞれの想いの行方はどうあれ、きっと生涯心に残る美しい景色のはずだ。


 夜のピクニックが終わり、新しい日常がやってくる。



 完



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迷宮無頼漢たちの生命保険? ふもっふ 井上啓二 @Deetwo

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