第38話 唯一の存在

ふらつく足で何とか部屋に辿りついたところまでは覚えている。それからずっと高熱と悪夢にうなされて記憶が曖昧だった。

ようやく熱が収まったものの、エレナは未だにベッドから起き上がれずにいた。


「植物由来以外の毒が含まれておりましたので、特定および改善に時間がかかってしまいました」


毒に慣れていなければ命を落としていた、と付け加えられたドールの言葉に深いため息が漏れた。油断していたわけではなかったが、国王主催のお茶会でそこまでの毒を盛られるとは予想していなかったのだ。


(嫌がらせにしては過剰な気がするが、これはあいつの指示なのだろうか)


これまではただの様子見だった、そう考えるのは少し不自然だ。毒を盛った上で処刑場に放り出したほうがよほど面白い見世物になるだろう。

そうなると一番疑わしいのは王妃だ。カールがエレナを構っていると敵意のこもった視線を痛いほど感じていたし、段々余裕がなくなっていたように思う。


「今日は何日?」


熱に浮かされていたため時間の感覚が曖昧だった。


「教えるなと言われています」

「………ドール、テオは何処!?まさか代わりに処刑場に――」


ドールの沈黙はエレナの予想を肯定したも同然だった。反射的に飛び起きるが、ドールに拘束されてしまう。毒の後遺症で力が入らないのがもどかしい。


「放して!お前の願いを叶える代わりに私の命令に従うと約束しただろう!」

「落ち着いてください。今頃行ってももう遅いのです。彼はあくまでも貴女の代理、処刑が終われば戻ってきますよ」

「いつも通りで終わると思うのか!」


チャーコル国に連れてきたテオとドールはエレナの特別だった。

それゆえに嫌がらせの対象だったが、淡々と受け流す彼らの言動は時に逆効果となり相手を余計に煽ることも少なくない。そして現在エレナに最も嫌がらせを行っているのはカールである。

彼がこの絶好の機会を見逃すはずがない。


(もしもこのために強い毒を盛ったのならば、テオの命が危ない)


多少ドールを傷つけてでもテオの元に、そう思った瞬間首筋にちくりとした痛みを感じた。


「くっ、ドール!」

「貴女の騎士から頼まれました。今回だけです」


抵抗する間もなくエレナの視界が暗転した。



『師匠、師匠!』


もつれる足を必死に動かしながら辿り着いた先にはテオがいた。目元が赤く耐えているかのような表情はエレナを見てわずかに強張った。


『エレナは見ないほうがいい』


そう言って留めようとするテオがエレナを気遣ってくれていることは分かっていた。だけど自分の目で確かめなければどうしても受け入れることができない。


躊躇いがちに布を取るとそこには血塗れで苦悶の表情を浮かべた師匠の顔があった。初めてみる師匠の表情とその苦痛が伝わってきて、頭の中が真っ白になる。気づけばエレナはテオに抱きしめられていた。


『大丈夫だ。俺が必ずエレナを守るから』


繰り返し伝えられるテオの言葉は、自分自身に言い聞かせているようだった。


師匠は戦場で毒を盛られた上に敵からも味方からも命を狙われて死んだ。

アイリス国に勝たなければ国益を損なうにも関わらず、ただエレナを守ろうとしたことが権力に執着した貴族たちに眼を付けられた結果だった。


自分のせいで師匠が殺された、そう口にすればテオは否定するだろう。けれどその考えはエレナの中から消えなかった。

だからこそテオだけは絶対に守る、そう決めていたのだ。


その想いを胸に覚醒すると、オレンジ色の光が室内に注がれている。ふらつく自分の身体を叱咤しながら部屋のドアを開けるが、テオの姿はない。

通常の処刑であればとっくに終わっている時間だというのに、そのことがエレナを不安にさせた。


「テオ……テオ」


テオの名前を口にしていることすら気づかずに、エレナは重たい身体を引きずりながら庭へと向かう。


(私はまた間違えたの?)


大切なものは壊されてしまうと分かっているのに、テオだけはどうしても手放すことができなかった。目まぐるしい変化の中でテオだけが変わらず傍にいてくれた。偽りのない信頼と愛情を互いに与え合うテオの存在、エレナにとって唯一の救い。


「エレナ姫!まだ安静にしていなければ――」


ようやく見つけたテオの姿を見るなり、エレナはテオに抱きついた。テオが生きていることが嬉しいと同時に深く安堵する。

一度だけ抱きしめ返してくれたあと、そっと適切な距離を取ったテオを見てエレナは落ち着きを取り戻した。


「っ……ごめんなさい」

「いえ、勝手な真似をしたせいでご心配をおかけしました」


人気のない回廊とはいえ、軽率な行動を反省する。テオに気遣われながらゆっくりと二人は自室へと向かった。

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