第3話 不可解な心の動き

実戦がない日は模擬訓練が行われる。それはいつも通りの日常のはずだった。


(……何故、ここに彼女がいるんだ)


部隊混合で行われることは珍しくない。だがラウルはエルザをこれまで一度も見かけた覚えはなかったのだ。

新人にしては動きが良かったため、中央からの派遣組だろうと推察していた。現場の把握と実践を経験するためだけに戦場に入り、すぐに帰還するエリートと呼ばれる兵士だ。


軍隊でも拠点と王都に常駐している人間では役割がまったく違う。王都は戦略をたてる上級階級の軍人がいて、エリート兵士はその予備軍だ。なお拠点にいるのは実行部隊が中心でそのトップが上官長、その下に上官がいて指揮系統となる彼らは戦場には出ない。


「おい、敗北の女神がいるぜ」


密やかな、悪意にみちた言葉に思わず振り返る。


「敗北の女神…?」

「馬鹿、声がでかい!」


陰口を叩いていた男から目立たない場所に引っ張られる。


「お前、知らないのか?……結構有名なんだけどな。あいつが戦場に入ると負けるっていうジンクスがあるんだよ」


だからしばらく戦場に出てなかったんだけどな、と名も知らない兵士は付け加える。


(――警告音はそのせいだったのか?無意識に彼女が危険だと判断した?)


合図が鳴り散り散りにその場を離れる前に、もう一度彼女に視線を向ける。鋭く真剣な瞳は他者を拒絶しているかのように見えた。



訓練とはいえ、本気でやる必要がある。そのため殺傷性と性能が些か劣るが、銃器の使用を許可されていた。


前方にエルザの姿を見つけて、ラウルは慎重に木陰に身を潜める。彼女がこちらに気づいた様子はなく、彼女を危険だと思うならこのままそっと立ち去ればいい。

だがよぎったのは別の考えだった。


(――殺してしまおうか)


懲罰対象になるがそこまで重いものではなく、不幸な事故として処理されるだろう。殺傷性は低いものの適切なところを狙えば命を落とす。銃の扱いには自信があるし、何よりこんな絶好の機会は二度とないだろう。


相手の腕前は昨日確認済みだ。慎重に、でも気配が伝わらぬよう緩やかな動きで銃を構える。

風向き、射程距離、角度、いずれも問題ない。

引き金に指をかけ力を入れようとして、そのまま数秒の時が流れた。


(――どうして引けない?)


その時エルザが動いた。前方から破砕音が響き、それに続く銃撃音。別の兵士がエルザに攻撃を仕掛けたようだが、あっさり撃退されたようだ。

見つからぬようそっと木陰に身を隠し、息をひそめていると立ち去っていく気配があった。肩の力を抜いて、ため息を吐く。


(困ったことになった……)


初めて見たあの時、恐らく彼女に見とれていたのだろう。誰かの外見にこれまで特段の感想を抱いたことなんてなかった。

エルザに話しかけられたときの緊張感と対応処理の低下、そして不可解な心の動き。


(……話には聞いたことがあったけど、僕は彼女に恋をしてしまったのだろうか?)


『他人を愛したりするなよ?』


ギルバートの言葉が頭をよぎり、深くため息をついた。感情を持たず余計なことを考えない優秀な兵士、それがラウルの存在価値だ。


もしこれが恋だとしたのなら、上官には話せない。部隊内で明確な規律があるわけではないから馘にはならないはずだが、ギルバートの命令に違反することになる。


不自然に動いた茂みに間髪なく引き金を引く。

うめき声に背を向け、次の標的を探すべく移動しながら考えた。


未知の事柄に遭遇した時はまずは観察することが重要だ。



次の戦いまでは訓練と自習を繰り返す日々だが、基本的には拠点にいるため観察するには最適なタイミングだった。もっともエルザとは過ごす棟も違えば隊も違って、接点がない。


そこで実地訓練以外は自習室に足を運ぶことにした。過去のデータや戦略、最新の銃器情報などが詰め込まれているこの部屋は、2棟並ぶ拠点の中間地点にある。両方の建物の様子を伺うにはちょうど良いポイントだった。


窓際の本棚に腰掛け、さりげなく様子を見ていると彼女が姿を現した。艶やかな黒髪が太陽の光に反射して宝石のように輝いている。


気づかれないよう細心の注意を払いながら様子を窺うと、どうやら彼女は棟の裏手、森を目指しているようだ。昼間でも薄暗く、あまり足を運ぶ場所ではない。

もう一つ気になるのは彼女が手にしているものだった。


(――行けば分かるか)


自習室をあとにしようとしたところ、声を掛けられる。


「おい、元の場所に戻しとけよ」


窓際に置いた読みかけの本の存在をすっかり忘れていた。どれだけエルザに気を取られていたのだろうか。

元の場所に戻すとラウルは足早に森へ向かった。


もういないかもしれないと思っていたものの、杞憂に終わった。


森を少し入った場所でエルザは両腕を胸の前で組み、真剣に祈っているようだった。瞳は閉じられていたけれど、凛とした佇まいは初めて彼女に会った時のまっすぐな眼差しを思い出す。


エルザの前にぽつんと置かれている数輪の白い花は薄暗さの中で目を引いた。先ほど彼女が手にしていたものだ。


「……何か用?」


やっぱり彼女は優秀だ。気配を隠すのは得意なほうなのに気づかれてしまった。だが今の自分の能力が低下している可能性も否めない。


「何をしているの?」

「貴方には関係ないわ」


冷たさを伴った拒絶の言葉に少し戸惑う。


(非友好的な態度だ。この前会った時は礼を言われたのに……)


「僕は何か君の気に障るようなことをしたのかな?」


彼女ははっとしたように目を見開き、俯きがちに言った。


「……いいえ、あなたに怒っているつもりはなかった。ごめんなさい」


謝ってもらう必要はない。それでも彼女の表情は硬いままであることのほうが気になった。不快、怒り、煩わしさ、どれだろう。他人の感情は豊富で分かりづらい。


答えを探しているうちに彼女は無言で立ち去ってしまった。

礼を口にした時も彼女の表情は硬く、元々友好的な態度とは言い難かった。だが軍人らしく凛とした態度の中にも感謝の意を含んでいるように感じられた。


それに引き換え、今のエルザの視線からは憎しみすらこもっていたように気がした。感情に疎い自分のことだから、全て見当違いなのかもしれないが。


(――嫌われているのだろうか)


そう考えた途端、胸がぐっと締め付けられるような感覚に襲われる。

他人にどう思われるかなんて気にしたことなんてない。いつだって感情は自分ではなく相手の判断によって生じるものだから、制御するのは無駄なこと。


(不快な感覚……僕は、エルザに嫌われたくない)


嫌われないようにするにはどうしたらの良いのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る