シュークリーム

多田羅 和成

第1話 桜の白鳥

 人は誰しも秘密を抱えている。橘 真にも秘密はある。彼は秘密を甘いお菓子に隠して、苦い想いを恋と名付けた。客はそれに気付かず、いつの間にか近所で有名な洋菓子店にまで成長を遂げるまでとなる。お菓子作りの才能をくれたが、恋の才能を神様は忘れてしまったらしい。拗らせて早七年目。愛しの男がマカロンを買って帰っていくのを見送ることしかできなかった。どうせ叶わぬ恋ならば、せめて友達になれたならばと、たられば妄想に花が咲く

「いらっしゃいませ。おや、旭くんおかえりなさい」


「た、ただいまです」


 カランとベルが店に鳴り響く。入ってきたのは日本人らしく黒色の髪が目までかかりそうなぐらい長いマッシュショートに学ランとリュックサックを背負った中学生だった。旭と呼ばれた子供は軽くお辞儀をした後に、か細い声で返事をする。彼は開店時からの常連客で、前まではお母さんと来ていたのだが中学生に上がると一人で来るようになった。そして、あるお菓子を注文するのである。


「シュークリーム一つください」


 旭のおやつはいつもカスタードがたっぷり入ったピッコラのシュークリーム。これを買わないと一日が終わらないのだ。橘は小さな箱にシュークリームを入れて旭に渡す。


「最近学校はどうだい?」


「あっ、その、学校自体は楽しいです。ただ、もうすぐ受験生だから友達と別れるの寂しいなって」


「そかそか、もうすぐ中三か。残りの中学生活も楽しむんだよ」


「は、はい。ありがとうございます」


 旭はシュークリームを受け取ると小さく笑って小さくお辞儀をすれば、家へと帰っていくのを橘は見守って送り届けた。それが旭との当たり前であった。


 冬が終わり春が訪れた。新社会人や新入生たちは誇らしげに、楽し気に道を歩いているのを橘は微笑ましそうに見ている。ただ一つ気になることが増えた。それは、いつもシュークリームを買いに来る旭が暗い表情で店に来るのだ。最初は叱られたのかなで終わっていたが、一週間も続くと何かあったのではないかと心配になってしまう。もしやイジメにあっているんじゃと橘は考えて、今日話してみようと決めた。


カランコロン、客が来たことを知らせるベルが鳴る。旭だが、やはり暗い顔をしており、人より白い肌は死人のように青ざめている。


「シュークリームを1つください」


 今にも消えそうな声で旭は橘に注文をする。橘はシュークリームを渡す時に話を持ちかける。


「最近元気ないけどどうしたんだい? 何か不安なことがあるなら、お兄さんに話してみない?」


「えっ?」


 橘から聞かれると思っていなかったのだろう。旭の大きく丸い黒目がますます大きくなった。少し戸惑った様子で目をキョロつかせた後に、シュークリームを受け取ると重い口が開かれる。


「実は受験で迷っていて。僕、芸術系の学校に行きたいなと思っているけど、親に言えてなくて。親は知らないので進学校を進めていて、どうしたらいいか分からなくて」


「親御さんには言えないのかい?」


「言う勇気がなくて」


「そうなんだ……」


 旭の姿に橘は自分を重ねてしまう。もう七年も言えずに腐りかけの恋を患っている。このままでいいのかという焦りと、言わない方が傷つかずにすむという諦めの狭間で苦しむのは正直大人の自分でも苦しい。ましてや、今後の人生を決める受験となれば、やりきれないと、後悔は一生付き纏うことだろう。橘は自分のようになって欲しくなかった。


 だが、言葉を送るだけじゃ旭の性格上一歩も踏み出せないだろう。丸まった背中を見守るしか出来ないのかと、歯がゆさに拳を握ったが、ある考えから直ぐに解いた。


 自分はパティシエではないか。想いを伝えるならば、お菓子で伝えたらいい。旭の為に新作のシュークリームを作ろう。春風に背中を押され頭の中で思い浮かべていった。


 橘は閉店後一人だけ残り、アイデア帳に書いていく。イチゴクリームを使ったものや、抹茶で若葉をイメージしたもの。爽やかなオレンジにチョコレートを使ったもの。しかし、どれも今一つときめかなくて、思いついてはボツ。思いついてはボツを繰り返している。


 頭を掻きむしり、どうしたらいいんだと悩みながら本を見ていると、白鳥型のシュークリームのページに桜の花びらが挟まっていた。近くの公園の桜の下で読んでいた時に挟まってしまったのどろう。淡い鴇色の花弁は、時間が止まったのか鮮やかに色づいていた。シルクのような触り心地にあの日の風の温もりと桜の絨毯が瞼に浮かぶ。


「そうだ。桜のスワンシュークリーム作ろうかな」


 思いついたら色鉛筆は止まらなかった。桜の塩漬けを刻んだ淡いピンクの生クリームに、抹茶の葉と桜の花びらの形したチョコレート。ピンク色のシュー生地をスワン型に絞れば、桜の白鳥を連想させるだろう。大体のレシピを書いていると日付が変わっていることに気付けば、慌てて店じまいをし橘は家へと帰って言った。


 橘は閉店した後に作業をすることにした。まずは桜のクリームの調整をすることになった。ただ生クリームに桜の塩漬けを入れるだけでは、軽すぎる気がする。白あんを混ぜると、和の雰囲気も出てまとまりがある気がする。そう思うと、白あんを生クリームに入れて泡だて器で混ぜていく。


 生クリームを混ぜていると、次第に頭まで動き始める。あれは中学の肌を焼きそうなほど暑い夏のことだった。橘が同性愛者だと気付いたのは、中学二年生のこと。そして、それが普通じゃないと思い知らされたのも中学生の頃であった。橘にも初恋の人がいた。野球部のキャプテンを務めていた硬派の男の子。教室の隅でただ眺めているでけでも幸せだったのを覚えている。ある日、仲のいい野球部の友達と彼が話しているのを、ひっそりと聞いていた。恋の話の中で、同性を好きになる人もいるらしいと話になった時、心臓が跳ねた。


「男に言い寄られるのマジでイヤだよな。耕哉はどう思うんだよ」


「俺も嫌だな。男が男に惚れるとか信じられない」


 その言葉以降の会話を橘は覚えていない。気が付けば家に帰った後、ご飯も食べずに自分の部屋に戻り、声を漏らさないように枕に顔を押し付けて泣いた。分かってはいた。自分が周りとは違うことぐらい。分かっていたのだが、好きな人に拒絶された事実は、ガラスのように繊細な心を打ち砕くには十分だった。三日ほど学校を休んだ時、橘は決意をする。もし、これから恋をすることになっても打ち明けることなく、枯れるまで閉じ込めてしまおう。二回目の恋をしているが、七年も経つのに風化することはない。むしろ、忘れようとするほどに、火のように燃え上がり、花のように恋の香りが鼻につく。


「こうなりたくてなった訳じゃないのにな」


 鴇色のクリームを絞り袋に入れれば、冷凍庫の中に閉じ込める。自分だって普通の恋が出来るならばしたかった。しかし、神様が自分を作る時に間違えて女性の心を入れてしまったのだろう。それならば、黒髪の似合う大和撫子にしてほしかった。こんな欠陥品誰も受け入れてなんかくれないのだから。暗い夜は既に明日を告げていた。重たい足を動かしながら、誰もいない家へと帰って行った。


「いらっしゃいませ」


 閉店間際にカランとベルが客が来たことを知らせるから、橘は穏やかそうな笑みを浮かべていると、七年間片思いをしている彼、清水が訪れた。仕事終わりなのだろう。スーツ姿に赤い薔薇が一輪綺麗に包まれている。もしや、彼女さんへのプレゼントかと思うと、橘の心に棘が刺さる。いつも通りマカロンを頼んだので、なるべく表情を崩さないように細心の注意を払いながら小さな箱に詰めて渡そうとした時、清水から薔薇を向けられる。


「橘さんのことがずっと好きでした。お友達からでもいいので、付き合ってください」


 橘は都合のいい夢を見ているんじゃないかと錯覚をした。マカロンが入った箱が僅かに震えてしまう。波打つ心臓を抑えつければ、喉元まで出かかった言葉より先に口からの軽い言葉が飛び出す。


「すみません。考えさせてください」


「……いきなりですからね。こちらこそすみません。連絡先は入っているので、いつでも待っています」


 そう言い、寂しそうにマカロンを受け取ると清水はお店から出ていった。哀愁漂う背中を見守るしか出来なかった橘のお腹にはぐるぐると黒いものが渦巻いている。何故、自分は返事をしなかったのだろう。せっかくのチャンスだったのに。後悔の波が津波のように襲いかかり、橘に息苦しさを与えてくる。


 スワン型の薄ピンク色のシュー生地も、抹茶の葉も、桜の飾りも出来て後は組み立てるだけだった。それだけなのに何故か橘は迷ってしまっている。告白を迷っている自分が、旭の背中を押していいのだろうか。迷惑にならないだろうか。バラバラのパーツは、まるで橘のようであった。いっそこっそり自分で処理しようかと考えていると、裏口の扉が開かれた。


「あっ、やっぱり開いてたっすね」


「田中くん。どうしたんだい」


「いやー、忘れ物しちゃって」


 そこにいたのは、ピッコラで働いている田中という若い従業員だ。チャラいけれど作業は真面目にする青年だ。どうやら、忘れ物をしてしまったついでに見に来たのだろう。


「あれ、これ新作すか?」


「あっ、あぁ、これは違うんだ。旭くんっていう男の子いるだろう? その子がね、芸術系の高校に行きたいけど、親に言えずにいるんだって。だから、夢に走って欲しいなと最初は思っていたんだ」


「いた? なんで過去形なんすか?」


「いやね、大事な決断もできない自分が背中押していいのかなって」


 橘は目を伏せて未だ組み合わせていないパーツ達を見つめる。その様子に田中は不思議そうな表情を見せる。


「いいんじゃないすか? 俺なら速攻背中押すっす。そして、自分のもそれを気に自分のも歩みだすっす」


「いいのかな」


「いいんすよ。応援したい気持ちは本物なんすよね。なら、いいと思うすよ。むしろやらないでいた方が自分も、相手も苦しいじゃないっすか」


 その言葉に橘はハッとする。確かに言わないと旭は誰にも背中押してもらえず、いつの間にか夏が来てしまうかもしれない。そうなると、芸術系の高校に行きたいと言えずに進学校に行って、自分みたいに後悔の根が蔓延ってしまい、貴重な高校生活の三年間苦しんでしまうかもしれない。自分だってもう告白されたのだから、返事はしないといけない。いつまでも中学校時代のトラウマに足を取られていてはいけないのだ。そう思うと曇天の心に一筋の光が差し込んできた。


「そうだね。ありがとう。迷いが吹っ切れたよ」


「いやいや、気にしないでいいっすよ! じゃあ、お疲れ様っす!」


 田中は頭を下げた後に店を後にする。もう、橘の心に迷いはなかった。手は止まらず桜の白鳥は生み出されていく。


「出来た」


 桜の香りがする店内に一羽の白鳥が生まれた。桜の塩漬けが刻まれた淡い桜のクリームに抹茶の葉と桜のチョコが寄り添っている。今にも羽ばたきそうな翼を抱えて、未来へ飛び立とうとしているように見える。先ほどまで曇りかかっていた視界は、透き通っている。


「喜んでくれるといいな」


 冷蔵庫の中に白鳥を眠らせれば、店じまいをして鍵をかければ家に帰っていく。その足は軽いものであった。


「よし、がんばろう!」


 今日が戦いの日。ショートケースにはいつも通り、新鮮なフルーツを使ったケーキや美味しそうに焼けた焼き菓子達が並んでいる。だけど、お菓子達も違うように橘には見えていた。今日こそ旭くんに渡して背中を押すのだ。これが自分の自己満足だとしても後悔はない。


 カラン、ベルの音が鳴る。扉の先にいたのは、やはり暗い顔をした旭であった。


「いらっしゃい旭くん」


「シュークリーム一つください」


 そう言われると橘は裏へと入っていくので、旭は不思議そうに見つめる。ショートケースの中には、まだシュークリームがあるのに。その疑問は橘の持ってきた板には桜の白鳥が泳いでいた。


「これどうしたんですか?」


「これかい?これはね、旭くんにプレゼントしたいなと思って作ったんだ」


「えっ?」


 橘の言葉に旭は驚いてしまう。どうして橘がこんなことをしてくれるのか思いつかないからだ。


「旭くん、お節介かもだけど親御さんに芸術系の高校に行きたいって言ってみたらいいんじゃないかな。やらなくて後悔するよりも、最後まで頑張ってみてほしんだ。白鳥はね、周りからしたら優雅に泳いでいるように見えるけど、実際は水面下では足を必死にばたつかせているんだ。桜だって寒い冬を越して春に咲き誇る。ちょっとでもいいんだ。勇気を持って羽ばたいてほしいな」


 思いを込めていつものシュークリームと、桜の白鳥を箱に詰めていく。その言葉に俯いていた旭は顔を上げる。その顔には笑みが浮かんでいた。


「ありがとうございます。橘さんのお陰で勇気が出ました。家に帰ったら親に話してみます」


 深々と頭を下げた後、箱を受け取り家へと帰る背中は真っすぐであった。橘はその姿を微笑ましそうに見守っていた。


「ただいま」


 家に帰れば自分の声が部屋に響く。電気をつけると机には、清水がくれた一輪の赤い薔薇が無機質な机を彩ってくれている。名刺に書かれた電話番号をスマホに打ち込んでコールを鳴らす。


「もしもし、橘です。清水さんのお電話ですか?」


 桜の白鳥は羽ばたいていく。未来へ続く空は澄み渡っていた。

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