第2話 光

・ひかり・


「ん?」

光は、名前を呼ばれて、反射的に返事をした。

光と呼ぶのは、母親か【声】だけだ。どうやら、友達もいないらしい。

・今日は何か思い出した?・

【声】が問う。

・うーん……・と、頭の中で答える。

光は、答えたものの意識はゲームに向いたままだ。牧場を経営する平和なゲーム。人参の収穫中だ。

日常生活に問題がないとされ、光は退院した。

母親は、また光が自殺を図るのではないかと大層心配し、しばらく光が家でひとりでいることに気が気じゃない様子だった。しかし、母子家庭の母親はだいたいが働かねばならない。


父親は、例の5歳の冬の事件で逮捕された。

仕事から帰宅した母親が救急車を呼んだのだ。

病院に警察が来た。

虐待が明るみになった。


母親は、5歳の娘が死にかけるまで無力だった。

自分の夫を愛していたし、娘も愛していた。

だけど、夫が娘に手を上げるのを止められなかった。泣きながら、懇願するだけだった。


しかし、あの日。

娘をベランダに閉め出したまま、酔っ払い寝ていた夫のだらしない寝顔。

ベランダで氷のように冷たくなっていた娘。

唇が白く、一瞬死んでいると思った。

……かすかな呼吸。

慌てて、119番をした。

起きた夫が、何か喚いていた。

全て無視して、娘を抱き抱え、ヒーターの前で毛布で包んで、腕をさすった。

涙が溢れて止まらない。

なんて愚かな母親なのだ。ようやく気づいた。

娘に生きて欲しいと願い、夫に死んで欲しいと願った。

光が病院に運ばれ、一命を取り留めたのは奇跡だった。




午後2時。

本来なら、光は学校に行っている時間だ。

しかし、学校には行かなくていいようだ。

言いにくそうに、理由を説明する母親の顔を、光は思い出していた。

「光ね……お母さんは知らなかったの」

「光が……その……クラスメイトに」

その後を光が自ら繋いだ。

「いじめられていたとか?」

ぱっと母親の視線が上がり、光と目が合う。

「覚えてるの?!思い出したの?!」

母親が早口で言う。

慌てて光は、申し訳なさそうに呟いた。

「違うの。クラスメイトって言うから何となくそうなのかなって」

母親は、目に見えて肩を落としたあと

「ううん、ゆっくりよ。焦らなくていいんだから。今は、のんびりして元気でいてくれたらいいの」

そう言っていた。

自分のことも元気づけるように。

光は、母親が好きだ。

だから、早く記憶を取り戻したい。

いじめられていたのは悲しいけれど。

でも、今は【声】がいる。










  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る