畳一畳のお茶室で飲む緑茶と、花咲く庭で飲む紅茶の味は同じだった。

唄川音

畳一畳のお茶室で飲む緑茶と、

「茶道のお茶室ってこぢんまりしてて密室っぽいだろ。閉鎖的だから、昔は密会に使われてたって説があるらしいんだ。それから茶道で有名な千利休。あの人もスパイだったって話があるんだって。おもしろいよな、ただのお茶飲む楽しい時間だと思ってた」

「……うん、知ってるよ、その話は。けっこう有名だし、おもしろいとも思うよ。確か徳川家康のスパイだった説が一番濃厚だよね」

 余裕の表情で正座をして、「さっすが日和ひより!」とはしゃぐ陸に対して、わたし・日和の足はすでに限界だった。

 今「立て」って言われたら一応立てるだろうけど、生まれたてのシカみたいになると思う。

「その話が、今この状況と関係あるってこと?」

「そうそう。日和に話したいことがあって。今日は家庭教師さん来ないから、時間あるだろ」

「家族には内緒で話したいってこと?」

 陸はもう一度「そうそう」と言って、自分の背後に置いてあるエコバッグを漁り始めた。


 ここは陸の家の庭にある納屋だ。

 木製の壁には、陸の祖母であるゆりさんがお庭で使う鍬や、ジョウロ、剪定せんてい用ハサミ、収穫用の大きなカゴやザルがきれいにかけてある。端の方には、ヒモで結われた使いかけのドライハーブもかけてある。

 三角形の天井から吊り下がる灯りは豆電球一つで、小さな窓の外に太陽がいないと、中はけっこう暗い。

 そんな納屋の中に敷かれた一八二センチかける九一センチの畳一畳。

 その上に、靴を脱いだわたしと陸は、並んで正座をしているのだ。

 わたしの隣には、ドライハーブのラベンダーを活けた小さな花瓶が置いてある。お茶室にある生花を模してるんだろうな。ここまで来ると、掛け軸が無いのが残念だ。


 幼馴染の陸は、子どもの頃から突拍子もないことをよく思いついた。

 例えば橋。

 わたしと陸の家は隣り合って建っていて、わたしと陸の部屋の窓は向かい合っている。だからその窓と窓を繋いで、橋を作ろうと言い出したのだ。

『橋があれば、外に出なくてもすぐに会えるだろ』

 そう言って、陸の祖父である草介さんに車を出してもらって、ホームセンターへ行き、店員さんと熱心に話しながら橋の材料を買い集めた。

 まあ結局失敗して、買った木材はハーブガーデン用の椅子に変わったんだけど。


 陸がそういう子だとよく知っているから、特段驚くことはないけれど、圧倒されることはある。

 今回だって、畳なんてどこで手に入れたんだろう。少し毛羽立っているから新品ではなさそうだけど。

 誰とでもすぐに仲良くなるから、きっと予想外の人からもらったんだろうな。


 ぼんやりと考えていると、陸が「はい、どうぞ」と言った。

 用意されたのは、ペットボトルに入った抹茶入りの緑茶と、あんこの最中と一口ようかんだ。

 甘ったるいチョコレート菓子に目がない陸は、わたしが和菓子を勧めてもほとんど食べない。そんな陸とは思えないラインナップだ。どういうことだろう。

 相当怪訝けげんな顔をしていたのか、陸はいたずらっぽく笑った。


「せっかくだから、お茶室を意識してみたんだ。和菓子もたまにはいいなと思って」

「なるほど。それで陸っぽくないチョイスなわけだ」


 わたしがお茶を飲む間に、陸はお菓子の封を開けて、食べやすいように広げてくれた。


「本当の茶道では、先にお菓子食べないといけないんだぞ」


 得意げな表情で、最中が差し出される。

 丸い形のを選んで取った。


「それも知ってる。でもなんだって急に茶道に興味持ったのさ」

「んー、日本文化の勉強も必要かなと思って」


 「日本文化の勉強?」とわたしが繰り返すと、陸はニコッと笑いかけてきた。

 あ、ウソ笑いだ。

 話したいことがあると言ったけど、どうやら決心がつかないらしい。

 しかたなく黙って最中を食べる。コンビニのだけどまあまあおいしいな。


 カタカタカタッと音を立てて窓が揺れる。外では風が強まっているようだ。寒い冬を連れてくる秋の強い風だ。

 もう冬が来るなんて、一年って本当に早い。

 桜が咲く頃には、わたしも陸も大学生になっていて、飽きもせずに一緒にいるんだろうな。

 セーターの袖を引っ張って手を温める。すると陸がようやくこっちを見た。


「ごめん、寒いよな」

「ちょっとね。でも平気だよ。この納屋、密閉性あるし」

「でも、受験前に風邪ひいたらまずいから……」


 陸がこんなに言いよどむなんて、本当に珍しい。

 少しだけ不安な気持ちになった。

 もし、想像してるよりもずっと深刻だったら、どうしよう。

 また陸と目が合わなくなると、ますます不安になった。


 口の中がカラカラになって、もう一口お茶を飲む。

 抹茶入りの緑茶はふつうの緑茶よりも苦いけど、深みがあって、お茶の葉の味や香りがよくわかる。それに、甘いあんこの最中を食べた後だと、この苦さがちょうどいい。


 そんな現実逃避をしていると、「俺っ」と声が上がった。

 陸の方を見ると、黒曜石のような瞳がまっすぐにわたしを見ていた。


「俺、留学することにした」

「……留学?」

「イギリスで、ハーブとアロマセラピーについて勉強しようと思って。自分で育てたハーブのアロマを使って、セラピストの仕事がしたいんだ」


 イギリス、ハーブ、アロマセラピスト。

 どれもこれまでに陸の口から聞いた言葉だ。

 わたしも陸にアロマセラピーをしてもらったことは何度もある。それで心が楽になったことも。

 だから驚きはしなかった。

 でも圧倒された。

 陸の行動力と、決断力に。


「……あっちに行って、当てはあるの?」

「ゆりちゃんの知り合いがいるから、一年目はその人のところに居候させてもらって、語学学校行きながら、ハーブ農園を回ったり、学校を選んだりしようかと思ってる。農業の知識もつけたいから、ダブルスクールの方がいいのかなとも思ってるけど、こっちで情報集めても、実際に見るのと聞くのとじゃきっと違うからな」

「……英語、そんなに得意だっけ?」

「今絶賛勉強中! 読み書きはできるけど、聞き取りと会話は全然だからまずいよなあ。しかも英語って言っても、母語が違うと発音とかもだいぶ違うだろ。だから、いろんな国の俳優さんが出てる映画で、いろんな国の英語を聞くようにしてるんだ。あと、高校にオーストラリア出身の英語の先生がいるから、その先生に発音とか見てもらってるんだ。まあまあ筋は良いって!」

「……なんで、イギリスなの?」

「いろいろ調べたら、アロマセラピーのマッサージを最初に病院でやったのがイギリスなんだって。個人的には、医療行為として認められてる国の方がいいかなあと思ったんだ。薬に頼らずに元気になりたいって人のことも助けられるからさ」


 わたしが「一」聞くと、「十」返事が返ってくる。

 本気なんだ、陸は。

 いつの間にかペットボトルを強く握りしめていて、ベコッと音が鳴った。


「……急で、驚いたよな」


 陸は不安そうな顔で、わたしを見つめてきた。

 わたしは深呼吸をしながらペットボトルの凹みの両側を手で押して、ベコッと形を元に戻した。


「……もう驚かないよ、陸の突拍子のなさには慣れてるから」


 自分に言い聞かせるようにそう言う。


「フォローした方がいいんでしょ? おばさんたちに話す時に」

「頼ってもいいか、日和。ゆりちゃんは賛成してくれるだろうけど、父さんたちは微妙で……。草介くんがいたら心強かったんだけどなあ」


 陸の両親は、働き者だけれど、ちょっと頭が固い人たちだ。陸にもまっとうな道を歩いてほしいと強く思っていて、進学のたびに一流の学校に入るように強く求めていた。

 そんなやや厳しい教育方針の両親に対して、祖父母のゆりさんと草介さんは陸にたっぷり愛情をかけてくれた。

 やりたいことはやればいい、と何度も言って、陸の突拍子のなさは二人によって形成されたと言っても良い、とわたしは思っている。


「……超偉大だった草介さんほどの力にはなれないと思うけど、なんとかやってみるよ」


 陸は「草介くん、大げさだって天国で笑うぞ」と言って、ケラケラ笑った。


「ありがとな、日和」

「ううん。陸にはたくさん助けてもらったから。……それにしても、まだ誰にも話してない秘密の話だから、このお茶室をわざわざ作ったの?」

「そう! 密会だからな! 雰囲気があった方が話に身が入るだろ」


 ようやく話せて安心したのか、陸は自分の分のお茶をグイグイと飲んで、最中とようかんをポイポイと口に入れた。


「うまいっ! 和菓子もおいしいんだな! これからはもっと食べよっ!」


 もうすっかりいつも通りの陸だ。

 わたしもつられて、ようかんを一つ食べる。

 小豆の甘い味がじんわりと口の中に広がると、心がすっと軽くなった。

 おいしいものは心を落ち着けてくれる。

 わたしのさみしいって気持ちも、優しい甘みと一緒に、体の中に沈んで消えると良いんだけど。


「……まあね。真剣さは伝わったよ。逆に緊張しすぎたくらい」

「……だから、引き止めないってことか?」


 陸は大きな瞳でじっとわたしを見つめてきた。その目にギクリとする。

 今まで言ったことの半分は本音だ。でも残りの半分は嘘だ。

 わたしが陸の表情や声色でわかるように、陸もわたしのことがわかるんだ。こういう時、幼馴染って厄介だなあ。

 苦笑いをしながら、甘くなった口の中に、苦いお茶を流し込む。


「……適当に決めたわけじゃないってわかったから、引き止められないって思っただけだよ。それに、きっと陸はアロマセラピーにかかわる人になるだろうなって、ずっと思ってたから。わたしとゆりさんは、陸のおかげで元気になれたからね」


 五年前に草介さんが亡くなった時、ゆりさんは別人のようにふさぎこんだ。

 笑顔は消え、最初の一年は、大好きだった土いじりもできなくなってしまった。

 自慢だったハーブガーデンは、雑草が生え放題になり、重要なハーブや花は枯れ、あっという間に荒れてしまった。

 荒野のような光景は今でも目に焼き付いている。

 そんなゆりさんを支えたのは、他でもない陸だった。

 十三歳の陸はまだ身長が百五十センチしかなくて、パワーも今の十分の一くらいしかなかった。それでも、ゆりさんとハーブガーデンをもとに戻すために、雑草をすべて抜いて、土を新しく変えて、耕して、花を植えて。空いた時間ではゆりさんにアロマセラピーのマッサージをして。

 ゆりさんとハーブガーデンは、陸のおかげで、また温かみを取り戻したのだ。



「――自分だってさみしいはずなのに、五年前からより一層アロマセラピーに打ち込んでたでしょう。一気に知識が増えて、十種類以上のハーブを育てるようになって……。夢中になってるのは、そばで見てたから。陸の夢は納得だよ」

「あの時は、ゆりちゃんを元気にするためなら何でもする、ってがむしゃらだっただけだよ」

「でもあの頃がきっかけでしょう?」

「もちろんそれもあるけど、一番の決め手は、日和だよ」


 意外な言葉に、「わたしっ?」と間の抜けた声が出る。

 陸は「うん」と言って、ペットボトルを置いた。そしてわたしの手に、自分の手を重ねてきた。

 ほわっとした柔らかい温かみが手に伝わってくる。陸の手はいつもお日様みたいに温かい。


「日和が、大学は行くって決めたからだよ。しかもそれを日和が自分から、日和の家族と俺の家族の前で、たった一人でしっかり立って、まっすぐに俺たちを見て、話した姿がかっこよかったから。俺も、やりたいことをやるために、がんばろうって思ったんだ」


 陸はにっこりと笑った。

 あ、ちゃんと笑ってる。

 そう思った途端に、目と鼻の奥がツンとして、体が小刻みに震えて、頭がカッと熱くなった。


「……そう、なんだ」


 声も震えてしまうと、陸は手を握る力を強めて「うん」と言った。


「……でも、そんな、褒められるような、ことじゃ、ないよ。お金だって、かかるんだし……」

「俺は、『行く』っていう事実以上に、日和がちゃんと言葉にしたのがすごいと思ったんだよ」


 ちょっと怒ってるみたいな話し方だ。

 誰かのために行動できる、心を動かせる。

 ずっと変わらない、陸のすごいところだ。

 わたしも、そんな陸に恥ずかしくない幼馴染でいなきゃ。

 震える唇をなんとか動かす。


「……ありがとう、陸。わたしも、がんばるから、陸もがんばれ」


 わたしのハシバミ色の目から涙がこぼれると、陸は優しく拭ってくれた。


「……俺こそありがと、日和。一緒にがんばろうな」

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