第4話

「あわや駆け落ちって現場を押さえられて、居直った、だと……!? 俺はお前を一生涯許さないんじゃないかと思うね……っ。虫も殺さないような顔をして、とんでもないことしやがる。これだから芸術家崩れは……!!」


 アンダーソン氏の城館に姿を現した画商ニコライは、画布に向かって絵を描き続けているレオルニに対し、盛大な怒りをぶつけた。


「待ってた、ニコライ。あなたは僕の来歴を証明できる、数少ない貴重な人間だから」

「しれっと言うなしれっと。あ~あ~嫌だね~、ほんと。依頼主の娘に手を出した挙げ句に、この悪びれなさ……っ」


 こほん、とニコライは咳払いをした。

 絵を描くレオルニの横に立つ、黒髪の女性の素性に思い至ったせいである。

 即ち、画家と関係を持った依頼主の娘アン本人。

 ニコライはその心情をおもんぱかってそれ以上の言葉をいったん飲み込んだのだ。

 一方で、アンはにこにことしたまま、特に躊躇いも見せずに口を開いた。


「レオルニだけを責めないでください。そもそも、最初は私からお誘い申し上げたんです」

「いや、お嬢さん、いいですから、そういうの。たとえ誘われようがなんだろうが、手を出しちゃだめなものはだめなんです。やっていいことと、悪いことっていうのが世の中に!」


 気障きざったらしい外見の上に、普段は何かと気だるげなニコライであるが、この場では意外なほどに常識人ぶりを発揮した。

 それに対し、アンは良家の令嬢にしてはいささか茶目っ気溢れすぎる態度で、てへ、と笑った。


「ごめんなさい。私、下町育ちで結構がめついの。欲しいものは手に入れたくなっちゃう。たとえレオルニに振られても、それらしーい既成事実をして陥れたと思います。レオルニのこと、大好きで」


「大好きって……お嬢さん怖ッ」


 寒気がする、と言わんばかりに自分の両肩を両腕で抱きしめたニコライに。

 すかさず、今度はレオルニまで愛想よく笑いながら言った。


「アンのことだから、これは本気だと思うんですよ。そもそもお父上からの依頼だって『肖像画』だったわけで。あの父にしてこの子あり」


「なんか良い感じにまとめようとしているけど、お前……なあッ!! 宮廷画家だった俺が、まだ成人前のお前に頼み込まれて頼み込まれてどんだけ苦労して王宮から連れ出したか……。その恩をこんな形でッ。仕事途中でぶん投げ……ッ」


 レオルニはそこで椅子から立ち上がり、部屋の中にいくつも並んだ絵と、にやにやと腕を組んで立っているジョルジュを示してニコライに告げた。


「大丈夫。ぶん投げてはいない。きちんとやっているし、お嬢さんとの仲もアンダーソン氏には了承頂いている。『たとえ表向き明かすことはできずとも、王家の血が当家に入ることは願ってもない慶事。歓迎する』だって」


「そりゃ明かせないよね。明かせないよ、表向きには死んだことになっている第二王子が、まさか下町で生き延びて画家になっていただなんて。しかも富豪の家に婿入り……。言っておくけど、ここは貴族連中とも付き合いのある家だからな! この先お前の正体に気づく相手は出てくるぞ!」


 表向きには死んだことになっている第二王子。

 そのひとは、かつて宮廷画家をしていた若き日のニコライの手を借りて、王宮から外の世界へと飛び出していたのだ。

 絵描きになりたい、その夢を叶えるために。

 王家の秘密。


「貴族連中どころか、王族とも顔を合わせる機会はあるだろうね。もちろん、正体に気づかれたら気づかれたで、それなりの対応をする。伊達に海千山千の宮廷育ちではない。それに噂がたつのも一向に構わないしね。それこそこの家が『王家となんらかの縁があると匂わせる』という面では大成功の部類だろう、それは。何せ僕、本物だし」


 悪びれなく言ったレオルニの肩にこつんと頭を寄せて、アンも笑って言った。


「終わりよければすべて良しです。レオルニの出自を保証してくださってありがとうございます、ニコライ」


 二人並んで、やけに幸せそうな顔をしているのを見て。

 ニコライは横を向いて「へっ」と一声上げた。

 不満そうな態度のわりに、その口元には、堪えきれなかった笑みが浮かんでいた。


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駆け落ち前夜 有沢真尋 @mahiroA

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