百年後に笑う男

吉越 晶

第1話

 ―――歴史上の偉人に憧れた。


 何百年も前の人間なのに、今なお人々の記憶に残り続けているその事実に感動して。


 ………もしもあの世があるのなら、彼らは何を思うのだろう。


 誇らしいのだろうか。恥ずかしいのだろうか。案外何とも思っていないのだろうか。



 ―――もしも……もしも俺が教科書に載るほどの偉業を成し遂げて、百年後でも語られている存在になることができたなら―――



 ―――きっと俺は、笑ってる。



―――――――――――――――



「―――辞めた」

「……はぁ?」


 キャンバスを走らせていた筆を止めた金髪の青年、幸治こうじの発言に、同じアパートの一室で過ごす友人の誠司せいじは、スマホの画面から目を逸らし、少しばかり呆れた様子で返事をした。


「お前……それで何度目だよ」

「さあ、覚えてない。でも俺に画家の才能はないことだけは分かった」

「いや………幼少の頃からずっと書いてるとかなら分かるけどさ、お前画家目指しはじめてまだ半年とかじゃん」

「良いんだよ。俺は有名になれる手段を探しているんだから」

「そう言ってお前、幾つ辞めた?小説家に漫画家にミュージシャン……配信者何かも目指してなかったか?」

「あったな。そんなこと」

「………」


 まるで他人事ひとごとのように返事をしながら、筆や絵の具などの画材を片付けていく幸治に、誠司はため息をついて再びスマホの画面へと目を戻す。何でもない、二人の日常の一コマだ。


 誠司が幸治と同じアパートの同じ部屋で生活を始めた経緯。それは2年前の春、誠司が東京の服飾関係の専門学校に通うために上京し新生活を始めようとしていた時のこと。

 東京の家賃が高く、一人では払うのが難しいと悩んでいたところ、同じく大学に進学するため上京しようとしていた幸治とたまたまSNSで知り合ったのが始まりだ。


 最初はお互いにどんな人間かと緊張していたが、会ってみれば意外と気が合い、今ではお互いに黙っていても気にならないほどに、深い仲となっている。


 ……ただ強いて問題点を挙げるとするのなら、誠司の幸治に対する気持ちだろうか。


 これは決して、誠司が幸治に嫌悪感を抱いていると言った話ではない。もっと単純な話で、誠司は時々、幸治の考えていることが分からなくなることがあるのだ。


(有名になりたいって気持ちは分かるけど、正直言って幸治のそれは度がすぎてる気がするんだよな。………まるで何かに取り憑かれてるみたいな)


 思い出すのは、いつの日か幸治が誠司に言っていたある言葉。幸治が小説家になる夢を諦めた時のことだ。


 その時すでに、幸治は漫画家とミュージシャンになるという2つの夢を8ヶ月の間に諦めており、小説家という夢も僅か5ヶ月ほどで辞めようとしていた。


 最初の頃は、知り合ったばかりと言うこともあり励ましていた誠司だが、元々真面目な正確であったのも影響し、その時ばかりは幸治の飽き性に辟易として説教紛いなことをしてしまった。


 今でもたまに思い出し、恥ずかしい気持ちになってしまう思い出なのだが、いつも決まって、その後に言われた幸治の言葉が恥ずかしいという誠司の気持ちを惹き飛ばしてしまう。



『過程なんてどうでも良い。最終的に、百年後俺が笑っていることが重要なんだ』



 言わんとしていることは誠司も分かったのだが、しかしいかんせん、真面目な性格であったために、幸治のその考えを理解することはできず、今でもたまに幸治に対する信頼の気持ちが揺らぐことがあるのだ。


「…………お、そろそろ行かないとな」


 何てことを考えていれば、いつの間にかバイトの時間となり、横にしていた体を起こす。


「バイトか?」


 着替え始めた誠司に、パレットを洗いながら幸司が質問をする。


「そそ。締めまでだから晩飯適当に食べてくれ」

「おけ」


 そうした短い会話を終え、誠司はバイト先へと向かった。



―――――――――――――――



 誠司が勤めているバイト先は、住んでいるアパート近くの駅周辺にある居酒屋だ。

 駅近ということもあって、夜は中々に繁盛していて忙しい。そのため、ラストの時間まで入っている時は、だいたい締め作業などで閉店時間より15分ほど経ってから上がるのが当たり前だ。


 今回も例に漏れず上がる時間が少し遅れ、誠司がバイト先を後にしたのは、だいたい日を跨いでから10分ほど経った後だった。


 疲れ、重くなった体を動かし家へと向かう途中の道で、ふと誠司は公園の前で足を止める。なんてことはない、砂場や滑り台などがある普通の公園だ。


 夜中であるため、本来であれば人影などめったにないはずなのだが、今回ばかりは違った。


 一人、誰かがしゃがみ込んで下を向いている。


 別に人がいようと、本来であれば無視して家に帰るのだが、今回ばかりは無視するわけには行かなかった。何故ならその人影は、誰であろうルームメイトの幸治だったからだ。


「………」


 何やら忙しなく手などを動かしている様子に、誠司は、何故だか分からないが妙に不安な気持ちになった。


 幸治に対する信頼の気持ちが揺らいでいたのもあるのだろうか、とにかく、無性にこの場から逃げたいと思っていた。


 刃物を突きつけられたように背筋が震え、無視して帰ろうと思った矢先、しかしその影が突然ぐるりと首を曲げて誠司の姿を視界にとらえた。


「………」


 奇妙だった。


 辺りが暗いこともあるのだろうが、幸治の表情がまるで読めない点も、暗闇の中から目の光だけが見える点も、何故か一言も発さない点も。


 しばらく二人を包んだ沈黙の時間に耐えきれず、誠司が口を開きだす。


「よ、よお!こんな時間に公園で何やってんだ?家に帰ろうぜ!」

「………ああ。いや、ちょっとした実験をしててな。30分ぐらいしたら家に帰るから、先行っててくれ」

「そ、そうか。分かった。気をつけて帰れよ!」


 そう言い残し、誠司は足早で家へと向かった。途中、背中の悪寒にさらされ、何ども後ろを振り向きながら。


 その日、誠司は公園の出来事がきっかけで上手く寝付つくことができず、布団に入っては出るというのを繰り返していた。そして何度目か分からない布団へ入ろうとしたその時、突然ドアの開く音がした。


 先の公園の件で恐怖に駆られていた誠司が、布団に身を包みながら薄目を開けて侵入者の姿を見た。


「………ぁ」


 視界に映ったのは、同じルームメイトである幸治の姿だ。


 誠司を起こさないために、電気もつけず静かに動いているのかもしれないが、誠司には先ほどの光景が脳裏によぎり、幸治の姿がとても恐く見えていた。


 しかし誠司の心配も杞憂に終わり、しばらく何か動いた後に幸治は布団の中へと身を預け、そして寝息をたてた。


 身構えたわりにはあっけなく終わったその事実に気が緩んだのか、ダムが決壊したように睡魔が襲いかかり、結局誠司が眠りについたのは、幸治が眠った後だった。



――――――――――――――



「………」

「あ、起こしちまったか?」


 目を覚ました誠司に、朝食を作ろうと厨房にいる幸治が話しかける。当たり前のことではあるが、今の誠司にとっては、何物にも変え難い精神安定剤となっていた。


「……いや、大丈夫。今日は特に予定ないし、二度寝するわ」

「オッケー」


 軽快な幸治の返事に、誠司は昨日の出来事が夢であったのだろうと内心ホッとする。


 ふと時計の方に目を向けてみれば、時刻は8時を回ったところだった。


「そうか。幸治今日学校か」

「そうなんだよ。休みすぎて単位危ないからな。さすがに行こうと思ってよ」


 そう言い、机に持ってきたお皿の上には、ベーコンエッグと少しの野菜が置かれていた。

 そのまま、幸治が床に座り込みテレビをつけると、朝のニュース番組がやっていた。


「……これ、近所じゃねーか?」

「ああ、俺も昨日の夜知ってびっくりしたよ」


 誠司の言葉に、ご飯を書き込みながら幸治が答える。


 何でも、誠司が働いている居酒屋の場所とは反対方向の、駅を挟んだ先にある飲食店で火災事故があったらしい。思い返してみれば、確かに何人かの客が話していたような、と誠司は思う。


「……え」

「どうかしたか?」


 ニュースを見ていた誠司が、反射的に声を出す。

 目に留まったのは、死者がゼロ人であったと言う報道。その中の、勇敢な地元民が逃げ遅れた人たちを助けたという内容だった。


「火の中を走って救出………すげーな、この人」

「………」


 思い出すのは、昨夜見た悪夢の内容。

 怖くなり、逃げるように公園を、幸治を後にした夢のこと。


 夢である以上、比べる必要はないのだが、それでも怖くて逃げた自分とテレビの向こうにいる勇敢な地元民を、誠司は比較せずにはいられなかった。


「………やっぱり、こういうのはカッコいいと思うか?」

「そりゃそうだろ」

「そっか……」

「?」


 歯切れの悪い幸治の返答に、誠司は幸治の方を向く。

 見られながらも変わらずテレビの方を向いている幸治だが、しかしその目は別のもの見ているようだった。


「あれ?」


 ふと、誠司が幸治の顔に絆創膏が貼ってあるのに気づく。昨日バイト前までは無かったであろう、頬に貼ってある絆創膏だ。


「それ、ほっぺたどうしたんだ?」

「ん?ああ、の実験で怪我したんだ」


 その言葉を聞いて、誠司の体が固まった。


 昨日見たあの光景は、感じたあの恐怖は、全て夢ではなかったのだ。



―――――――――――――――



 それから誠司は、あの火のことを忘れようととにかく遊んだ。

 

 酒に溺れ、女に溺れ、とにかく勉強そっちのけで遊びまくった。


 たまに、ふと思い出す公園の出来事を、あの場所で幸治が何をやろうとしていたのかを疑問に思いつつも、しかしそれら恐怖の原因全てを忘れようと、学校の友達に借金をするほどの散財ぶりを見せて遊んだ。


 それから半年ほど経った頃。

 季節はすっかり冬となり、ほんの前まで暑い暑いと騒いでいたのが嘘のように感じる時期。


 誠司は、遊びすぎたのが原因で進級の危機に陥っており、その分を取り戻そうと必死に勉強をしていた。


 すっかり公園での出来事も頭の中から忘れ去られ、今日も今日とてバイトに行こうと移動時間を資格勉強の時間に充てていると、ふと駅周辺に人だかりができているのを見つけた。


(………煙!?)


 一体何事だと思っていたや矢先、鼻をついた焦げ臭い匂いに、空まで登っている灰色の煙を見つけ、すぐに誠司は何が起こったのかに気づいた。


 走って人混みの中を掻き分けのぞいてみれば、駅近くにある老夫婦の営んでいた飲食店が大きな炎で包まれていたのだ。


 初めて生で見るその光景に、誠司は思わず息を呑む。周りに木造建築がないために、延焼していないのが唯一の救いだった。


「さっき飛び込んで行った金髪の人大丈夫か?」

「!」


 ふと、周りにいた見物客の声が誠司の耳に届く。それは、あくまで髪色だけではあるけれど、幸治の特徴と一致する内容だったからだ。


「あ、あの!」

「?」


 思わず叫ぶように聞いた誠司の言葉に、見物客はびっくりしたような表情で見返す。しかし誠司は、幸治に対する心配が勝り、見物客の様子など気にせず質問を続ける。


「その人!火の中に飛び込んで行った人は、若い人でしたか!?」

「え、いやぁ……一瞬のことだったから分からなかったけど、確かに若い人だったような気がするなぁ」

「!」


 見物客の言葉に、誠司の心に嫌な予感がよぎりだす。


 半年前、勇敢な地元民のニュースを見た際に交わした幸治との言葉。



『………やっぱり、こういうのはカッコいいと思うか?』



 馬鹿げた発想だ。いくら何でもあり得るはずがない。


 ………しかし、幸治が有名になりたいことを知っているからこそ、その思いが尋常ではないことを理解しているからこそ、誠司はそれをありえないとは断言できなかった。


「………!」


 見つめる炎の先に、うっすらと影が現れる。

 その影はだんだんと大きくなり、そしてついに、炎のなからその身を表した。


「ふぅ………。熱かった」

「幸治!」


 思わず走り出していた。

 言葉にできないような気持ちが体を動かし、そして幸治の体へとしがみつく。痛い思いをしたのは幸治のはずなのに、何故か誠司の方が涙は止まらなかった。


「おま!おまえ!本当に!しんばいさせで!」

「…………」


 まともに言葉を言えてない誠司に対し、フッと鼻で笑った後に、幸治は続けて言い返した。


「ごめん。心配かけた」


 その言葉に、誠司の涙はより一層勢いを増し、結局その日、誠司は人生で初めてバイトをバックれた。



―――――――――――――――



 その後幸治は、事情聴取だったり病院で火傷の治療だったり、地元新聞の取材だったりと少しばかり忙しい日々を過ごした。


 火災の原因は、幸治に聞いてみたところ何かの爆発が原因らしかった。炎による被害が激しく、何が爆発したのかまでは断定できなかったらしい。ニュースによると、古くなったコンロの爆発が原因だと言われていた。


 ニュースで取り上げられたりと、たった数日とは言え、幸治は目標だった有名人に、一歩近づいたのだ。


 そんなことがあったおかげか、ここ最近の幸治は気分を良さそうにしていた。そして誠司もまた、その様子を見て自分のように嬉しくなると同時に、勇気をもらった。テレビの向こうの存在ではなく、身近にいる人間だからこそ、心の底から勇気が溢れる思いがしたのだ。


「………」


 そして今、誠司は例の公園の前にいる。

 勇気をもらい、そして自分も何かの恐怖に打ち勝ち、胸を張って幸治の友人としていたいと強く思った時思い出したのが、この公園の存在だった。


 あの日、恐怖で逃げ出した時から、誠司は一度もこの公園に足を踏み入れてはいなかった。


「………っ」


 恐怖ですくむ足と震える体に、一呼吸して落ち着かせた後、その一歩を踏み締める。


「………」


 公園の敷地内に足を踏み入れてみれば、思ったよりも大したことはなく、するすると足が前へと進んでいく。


 周りで遊んでいる子供達の声が、それら恐怖の緩和剤になっているのだろうと考えながら、あの日、幸治がしゃがんでいた場所まで歩き、そして幸治と同じようにしゃがりこむ。


 あまりにもあっさりとできてしまったことに、誠司はつい鼻で笑ってしまう。一体、自分は何に怯えていたのだろうと。


「………?」


 ふと、あの日の幸治のように下を向いて見ると、なぜか地面に『ヒビ』が入っていることに気づいた。何かの衝撃で割れたような、そんな『ヒビ』を。


「何だこれ……」


 疑問に思い触り、感触からそれが間違いなく『ヒビ』であることを確信する。それほど大きくはないために、引っ掛けて転んだりすることはなさそうだが、それでも自然にできたものではないだろうその『ヒビ』に、誠司は少しばかり訝しむ。


 何より奇妙なのは、これと同様の『ヒビ』が他にも3箇所ほどあったことだ。しかもそのうち2箇所ほどでは、周りが焦げたように黒く変色している。


「………」


 悪い冗談だ。


 あの火災の原因が爆発だったのも、あの日幸治がいた場所に同様の『ヒビ』があったのも、それと同じ『ヒビ』がいくつかの場所にあり周りが焦げているのも、あの日幸治が『実験』という言葉を口にしたのも、『実験』の後に幸治の頬に傷がついていたのも、全部たまたま重なっただけの、単なる偶然。


「……そうだ。そもそも幸治のいた場所が本当にここだった保証もない。半年も前のことだ。よく考えたら違った気もするし」


 誰に対してなのか。まるで弁明をするように、誠司の口が勝手に動き出す。


「そもそも、爆発させるのが目的だとして、じゃあ何であの店を狙って、しかもわざわざ命をかけてまで助けたんだよ。やってることめちゃくちゃじゃないか」


 自分を説得させるように、しかし喋ればしゃべるほどに、何故だか追い込まれるような感覚に晒される。


「そうだ。全部夢だ。バカバカしい。もうすぐ幸治が帰ってくる時間だ。こんなこと忘れて、家で楽しく酒でも飲もう―――」


 瞬間思い出したのは、かつて幸治が誠司に言ったある言葉。



『過程なんてどうでも良い。最終的に、百年後俺が笑っていることが重要なんだ』



「…………」


 ……そんなんはずはない。そんなはず―――


「よう!」

「!」


 振り向き、目に入ったのは、家に帰る途中の幸治の姿だ。

 よくないことを考えていたからだろうか、幸治の表情がはっきりと読めない。


「どうした?」


 近づいてくるその姿に、反射的に足を一歩後ろに下げる。しかし、幸治を信じたいという気持ちが、逃げる体を無理やり押さえつけている。


「なんか顔色悪いぞ?もしかして体調悪いんじゃ―――」


 ふと、幸治の視線が下に向いた。みている先には、誠司が見つけた『ヒビ』がある。


「………」


 黙っている幸治の姿が、とても恐ろしく誠司の目に映った。幸治を信じたいという気持ちはいつの間にか消え、代わりに、今逃げる素振りをすれば殺されるという気持ちが誠司の体をこの場に縛る。


「あー……こんなの残ってたのか……」


 ボソッと呟いた幸治の声が、そんなことを言っているような気がした。

 極度の緊張が原因か、動悸が止まらず、変な汗が流れ出る。


 呼吸が荒くなっていることに気づいたのか、幸治は再び顔を上げ、そして一人でに喋り出した。


「まさかとは思うけど、あの日の火災が俺の仕業だなんて思ってないよな?」


 何故、『ヒビ』を見ただけであの日の火災が出てきたのか疑問に思ったところで、誠司にそれを口にする勇気などなく、できたのは、ゆっくりと首を縦に振ることだけだった。


「………そっか。じゃあいいや。体調も悪そうだし、家に帰ろうか」


 誠司は気づいた。


 この時見せていた笑顔が、ただの貼り付けの笑顔だったことを。


 軽快に話して見せているがその実、一歳感情がこもっていないことを。


 方に回されたその手の平が、温度がないと錯覚するほど冷たかったことを。


「……ああ、帰ろう」



 ―――この1ヶ月後、誠司は荷物をまとめて実家へ帰った。



―――――――――――――――



「よし、そろそろやめるか」


 父の言葉を聞き、畑から立った誠司は休むために家へと向かう。両親の畑仕事を手伝い、将来はその仕事を継ぐつもりだ。


 ベランダに腰を下ろして、母が持ってきてくれた麦茶を口に流し込んでテレビを見る。映っていたのは、ボランティア活動家として取材されている幸治の姿だ。



 あのアパートを飛び出してから、もう3年ほどが経過していた。



 幸治の連絡先の入っているスマホは、気味が悪くなり解約した。

 そのため、幸治が今何をしているのかは、誠司は知らない。覚えているのは、あのアパートを出て行く際に、「また会おう」と笑顔で見送ってくれたことだけだ。


 その言葉が悪い意味に聞こえて、誠司は今でも安心した日々を過ごせずにいる。


 あれからというもの、幸治はボランティア活動に従事しているようで、一部界隈ではそれとなく有名人となっている。


 本当にたまにだが、こうしてテレビでも見かけるほどに。


「この人偉いわね。自分の身を削って他人のために生きて」

「………うん。そうだね」


 だからこそ誠司は願う。あの日の出来事は、すべて自分の勘違いであって欲しいと。


 テレビの向こう側で見る優しい人間こそ、幸治の正体であって欲しいと。




 幸治に立ち向かわなかったことが、間違いではなかったことを。



―――――――――――――――



 ―――歴史上の偉人に憧れた。


 何百年も前の人間なのに、今なお人々の記憶に残り続けているその事実に感動して。


 その日から、ひたすらに教科書に載る人間になろうと頑張った。


 ひたすらに、ただひたすら、実直に。


 そうして今、俺はこの場に立っている。


 目の前に聳え立つのは、日本一をうたう巨大なタワー。


 このタワーを爆発させ、中の人々を何人か助け出せば、俺はきっと英雄として時の人になれる。そのために、ボランティア活動などで実績を重ねてきた。


 そんな俺の背景を庶民が知れば………そうすればきっと、俺の夢にも手が届くはずだ。


「………ま、普通に犯罪がバレても歴史に名を刻めるし、それはそれでいいけどね」


 ………もしもあの世があるのなら、彼らは何を思うのだろう。


 誇らしいのだろうか。恥ずかしいのだろうか。案外何とも思っていないのだろうか。



 ―――もしも……もしも俺が教科書に載るほどの偉業を成し遂げて、百年後でも語られている存在になることができたなら―――



 ―――きっと俺は、笑ってる。



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