香る煙草、吹きすさぶ雨音

 吹き飛ばされた玄関から、激しく風雨が吹き込んでくる。それにも構わず、「生身の」ケンイチは得意げに笑った。


「前から様子がおかしいとは思ってたんだよなぁ。そしたらよ、おまえの区画エリアに怪しい荷物が投下されたって、取締官から連絡があってな……突入までの間、おまえが逃げないよう時間を稼いでたってわけだ。まあ、これで、お前の秘密も白日の下だな」


 生身のケンイチと、ケンイチの女アバターは、寸分違わず同じ言葉を口にする。


「おとなしく投降せよ、クロイワ・アキト。この場で禁制品を手放せば、刑期は最大三分の一に――」


 取締官の目の前で、俺は戸棚の横に掛かったビームライフルを素早く手に取った。護身用のありふれたものだが、人ひとりの脳天を撃ち抜くには十分な代物だ。身構える取締官たちの前で、俺は銃口を自分のこめかみに当てた。


「近づくなよ。近づいたら俺は自分の脳天をぶち抜く。健康と幸福の守り手である取締官さんたちが、人ひとりみすみす自殺に追いやるなんてできませんよねぇ?」


 全員の動きが止まる。

 冷たい怒りの視線を一身に浴びながら、俺は机の布覆いを取り去った。「Beer」の缶を手に取り、どうにか片手で開ける。


「その行為を直ちに中止しなさい! アルコールは貴方の健康を害し――」


 トリガーにかけた指を、これ見よがしに動かしてみせた。小うるさい連中が、黙る。

 口に流し込んだビールは、予想もしていなかったほどに……まずかった。炭酸水をただただ苦くしたような、なんの旨味もない液体だった。これはもしかして、冷やしたり温めたりする必要があったのだろうか。まあ、それはもうどうでもいい。

 開け放たれた玄関から、バルブ全開のシャワーが吹き込んでくる。固まったままずぶ濡れになっている取締官たちを眺めながら、俺は笑った。


「梅雨だなあ」

「いきなり何を言い出す、アキト」


 ケンイチが苛立ちをぶつけてくる。俺は銃口を己に向けたまま、からかうように笑った。


「なあ、なんで梅雨なんてめんどくせえものがあるんだろうかね。今の俺たちの科学力なら、年中ちょうどいい気候にするのも簡単だろうになあ」

「自然はそういうものだからだ。自然のありかたを変更してしまえば、何が起こるかわからない。それこそ、かつての伝染病のように」


 取締官の教科書通りの答えを、俺は聞き流した。答える代わりに、俺は透明ケースからパイプを取り出し、「Genuine Tobacco本物のタバコ」を先っぽに詰めた。付属の古めかしいライターで、火をつける。全部片手でやるのは、思いのほか骨が折れた。


「行為を直ちに中止しなさい。ニコチン・タールは貴方の健康を――」


 聞こえているが、聞いていない。


「自然は自然のままに、か。だったら、どうして――」


 パイプの吸い口を、口元に持ってくる。


「――人間は、そのままじゃいけねえんだろうな?」


 反応を聞く前に、俺は思いきりパイプを吸い込み――そして、むせた。

 肺に満ちる煙を、懸命に咳きこんで吐き出す。なんだ、これも全然美味くない。ビールといい煙草といい、昔の人間は、どうしてこんなまずいものを美味そうに摂っていたのか。

 まあ、でも、それは、どうでもいい。


 酒をやりたかった。

 煙草もやりたかった。

 かっこいい年寄りになりたかった。

 アバターの殻など、捨ててしまいたかった。

 けれど、どれも叶わないなら――


「梅雨のお空さんよ。……俺は、あんたみたいになりたかった」


 バカなことをやってるとは、わかっている。

 だが人間には、人生に数度、バカにならねばならない時がある。

 今が、まさにその時だ。


 俺は、固まったままのケンイチと取締官を一瞥した。

 あばよ。お前さん方は、病も老いもない世界でいつまででも生きていろ。


 ビームライフルの引き金に、ゆっくりと力を籠める。

 最後に吸った空気には、かすかに煙草の臭いがした。




【終】

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灰色の魔法使いに憧れて 五色ひいらぎ @hiiragi_goshiki

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