4.10.見ぬように


 大量の水が巨大な土塊にぶつかり大量の水飛沫を上げた。

 近辺は既に水浸しで、崩壊した家屋も大量の水に流されたり『ダートドール』に再び踏みつぶされたりして既に視界の中には捉えられない。

 辛うじて残っているのは掘り起こされて飛び出した巨大な岩くらいなものだろうか。

 次第に苛烈さを増す水と土の戦いは未だに決着が付かなさそうだった。


 いくら押し流したり、思いっきりぶつけたりしても再び立ち上がる『ダートドール』にアオは汗を流しながら水を操り続けていた。

 物量としては圧倒的に優勢だし、相性もこちらの方が有利なはずなのにドリーの土魔法からは相性差を一切感じさせない力強さがある。


 ドリーの土魔法が特別なものだとアオは知らない。

 時折見えるステッキを振り上げる姿は慣れないものだ。

 彼はいつも温厚で、あの生活に心底満足しているようで、他に何も望まないような人だった。

 魔法を教えてくれる時は、どんな時でも他の人が知らないようなことを説明してくれた。

 元素について事細かく説明してくれたのは彼だ。

 アオはドリーのおかげでこれ程大量の水を扱える力を覚えたのだ。


 そんな人が、どうして。

 そう考えられずにはいられない。

 だが現状、こうして敵対し続けているのだ。


「ぬうぅう……!」


 アオは腕を振るって更に水を作り出し、それを全て操って『ダートドール』に叩きつける。

 これにより三体が弾け飛んだが、瓦解した側から二体が立ち上がり、一拍おいてから更に二体が立ち上がった。


 この力が初めから使えていれば、ヴィルソンも死ななかっただろう。

 だがアオは力の使用を彼から封じられていた。

 特別な力は使用するだけで感知される可能性があったし、なによりあの時のアオは目立たないほどの水を操ることを苦手としていたのだ。

 逃げるためには、魔法の使用を控える必要があった。


 しかし今は問題ない。

 自分の精一杯の力を思い切りぶつけることができている。

 だからこそ経験豊富なドリーと対等に渡り合えているのだろう。


 だが正確には対等以上に渡り合えていた。

 アオと同じくドリーも汗を拭きだしながらステッキを掲げ、振り下ろしている。

 ただでさえ相性の悪い水相手に、経験と魔力をフルに使用して戦闘を維持しているのだ。


 大地は濡れて泥になり、これを持ち上げるのには大量の魔力と精密な魔力操作を必要とする。

 水魔法に少しでも適性があれば違うのかもしれないが、土魔法特化のドリーは無理矢理『ダートドール』を使用しているだけに過ぎなかった。

 重い土を力だけで持ち上げているような……。

 そんな負荷をこの戦闘中常に自分に与え続けているのだ。


「ぜぇー……! ぜぇー……! ぬんっ!!」


 筋肉疲労で上がらなくなってきた腕を気力だけで動かし、ステッキを振り上げる。

 瓦解した四体の『ダートドール』を再び召喚して一歩前進させた。


「はぁ……! はぁ……! っやぁああああ!!」


 手に力を籠め、空中を引っ掻くようにして腕を振るう。

 立ち上がった四体の頭部に大量の水の塊が直撃し、体勢を崩させて転倒させた。


 この間に、チャリーは落ちて来る土塊と水の滝をなんとか躱しながら刃天の下半身の下へと到着する。

 服が濡れて重くなり、砂利や土が付着して気持ちが悪い。

 だがそんなことお構いなしにアオに頼まれた仕事を遂行した。


「これで生き返らなかったら許さないからね!! えいやぁ!!」


 半ば投槍になり、持っている肉体を投げ飛ばして半身同士を合体させる。

 その瞬間、刃天の姿が一瞬ブレた。

 派手なエフェクトが発生するわけでもなければ、何かしら音が鳴る訳でもなくただ姿が一瞬だけブレただけ。


 すると刃天は両足を上げてすぐに振り下ろし、腕と腹筋を使って素早く立ち上がった。


「よくやったチャリー!」

「ほ、本当に生き返った……!?」

「呪いだからな。ロク!」

「シュシュイッ!」


 いつの間にか接近していたロクが刃天の肩に飛び乗った。


「ハッ! ええ度胸だ気に入った! チャリー! 貴様は一瞬奴の気を逸らせ!」

「貴方の体くっつけるのめっちゃ大変だったんですが!?」

「黙れここは戦場いくさばぞ! 勝つまで一服できぬと思え!」

「ああもう! やりますよ! はいはい! やればいいんですよね!」

「やり方は任せる!」


 水を多く吸収した髪の毛を乱暴に掻き上げた刃天は、すぐさま栂松御神を一度振るって土塊の陰を移動していった。

 チャリーも苛立ちを何とか抑え込んで短剣を構え、一気に駆け出す。

 作戦も何もないやり取りだったが、刃天は既に姿をくらませたし、彼女としてもそこまで丁寧に説明する時間はなかったと理解している。

 そのまま走りながらドリーの気をどう逸らすかを思案した。


(簡単にはいかないことは分かってるけど、ドリーも長い間魔法を使い続けることは難しいはず。もう歳だしね……! ぶっつけ本番、やってみるしかないわねぇ!)


 ぬかるんでいる大地に足を取られないよう気を付けながら、まずはドリーへと接近する。

 彼はアオとの戦闘に集中しているためか、こちらをあまり気にしていなかったように思う。

 これを利用できるかは分からないが……今も戦闘が続いているのだから魔法の制御に集中していることは間違いない。


 落ちて来る土塊、そして水の滝を『実体移動』で回避しながら進んでいけば、ようやくドリーの姿を目視した。

 彼は震える腕でステッキを振り上げており、魔法を使う度に肩で息をしている。


(いける!)


 足音を立てないように着地し、一気に姿勢を低くする。

 つま先で地面をしっかり掴んで力を込めた。

 タンッと強く踏み込み、そして地面を強く蹴り飛ばして倒れそうになる姿勢を走る勢いで辛うじて維持しながらドリーへと急速に接近する。


 足音か、それとも気配か。

 ドリーはチャリーの接近に気付いたようで、被っていたフードを取っ払ってそちらを見やる。

 白髪の頭、白髭、そして深く刻み込まれてシミも幾つか点在している老人の顔が露わになったが、既に疲弊しているようでチャリーが知っている顔とは程遠いほど老けて見えた。


 一瞬の気の迷い。

 この数瞬の間、チャリーは彼と会話した日々の幾つかを思い出した。

 大きな違和感、そして本当は戦いたくない、というチャリーの本性が胸の内を支配して動きを大きく鈍らせる。


「……ドリーさん……!」

「ぜぇー……! ……すまんな」


 ドリーが地面にステッキを叩きつける。

 巨大な腕がチャリーの足元から出現して握りつぶすようにして大地が持ち上がった。

 が……それは満足に発動しないまま停止しした。


 凄まじく強い衝撃が頭部に響き、視界が一気に揺らいで地面に叩きつけられたのだ。

 何が起きたのかは……ドリーが最もよく分かっている。

 背後から忍び寄る刃天を無視したのだから。


「……あ?」


 栂松御神をドリーの後頭部を貫通し、額を貫いて地面についつけた刃天はその言葉しか発せなかった。


 次の瞬間、作り出されていた『ダートドール』が一気に動きを止め、静かに瓦解しはじめる。

 ようやく動かなくなった魔法を見て、アオもようやく肩の力を抜いた。

 暫く息を整えていたがドリーがどうなったのか気になった。

 未だに収まらない動悸を抱えたまま、刃天とチャリーがいる場所へと走って行く。


 ようやく到着すれば、そこにはチャリーがドリーのローブを再び被せている姿と、納得いかない様子で口を尖らせて座っている刃天の姿があった。


「……チャリー」

「ドリーは、刃天が仕留めました」


 彼女は淡々とそう説明した。

 だがその声は震えていて、多くの後悔を含んでいるようにも聞こえる。

 作っている握り拳はドリーを殺した張本人である刃天に向けられているものではなく、自分自身に向けられているものだ。

 数瞬とはいえ、チャリーは過去を思い出してドリーへの敵対を一時的に解いた。

 これがいかに危険な行為なのか、彼女はよく理解しているはずだ。


 だが所詮は理解していただけ。

 実際に直面したとき、どんな相手でも敵対し続ける真の難しさをようやく理解する。

 彼女は今、自分の不甲斐なさに打ちひしがれているようだ。


 アオはどんな言葉をかければいいのか分からなかった。

 彼女の感情から逃げる様に、刃天へと視線を向ける。

 そこにはロクも座っており、不安げにこちらの様子を伺っていた。


「……刃天?」

「ありえねぇ。……在り得ぬ!」


 途端に大きな声を出したかと思えば、ギッと物言わぬドリーを睨む。


「何故……何故何もしなかった!!」

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