2.9.食い処
ウキウキしながら歩いている刃天は良く目立つ。
ただでさえ見慣れない服を身に纏い、見知らぬ武器を携えているのだ。
顔立ちもそうで、この世の人間から見れば一目で異国の人間だと見破られてしまうだろう。
悪目立ちをしていなければいいが、とアオは内心不安に思いながらその後ろをついていった。
目的地は食事を提供してくれる店だ。
宿屋の男が言った通り近くにいくつかの店が並んでいる。
とはいえこの世の料理された食事は初めてだ。
何が良いのか、そして何が悪いのかもわからない刃天が店を選ぶのは憚られた。
初めて喰らった飯が不味い、とはなりたくない。
「てことで店選び頼む!」
「ぼ、僕も庶民の料理は全然食べたことないんだけどなぁ……」
そう言いつつも、アオはスンスンと匂いを嗅いだ。
いい匂いのする店を選ぶつもりなのだろうか。
しばらくすると目星をつけたようで、刃天の袖を引っ張って歩いていく。
そこは大変良く込み合っている店であった。
食事にありつくまでずいぶん時間がかかりそうだな、と刃天は思ったので他の所がないか周囲を探る。
するとアオが今し方見ている店の中を見て声を上げた。
「あっ」
「お? どうした?」
「あの子」
アオが指をさす方向を見やれば、宿を飛び出したあの娘っ子が席に座っていた。
だが何だか様子がおかしい。
食事を目の前にしているというのに、何かを待っているかのように手を付けないのだ。
そわそわしている素振りが妙に怪しく感じてしまう。
宿の男でも待っているのだろうか、と思ったのだがそんな風ではない。
大方大喧嘩して家出をしたわけだし、あの一瞬で仲直りの為に共に膝を突き合わせて食卓を囲もうなどとは考えないだろう。
どうしてあのまま座っているのかが理解できず、刃天は首を傾げた。
「ありゃあ……なにしてんだ?」
「さ、さぁ……」
「……いや、待てよ?」
刃天は良い事を閃いた。
これであればこの長い行列の最後尾に並ばずに済む。
すぐにアオの背中を押して、並んでいる客を無視して中へと入って行った。
「ちょちょ、刃天?」
「なぁに、ちーと芝居を打つだけだ」
刺さり始めた視線を無視して、刃天は娘の席へと近づいていく。
そうしてから片手を上げる。
「よお~! 待たせたなぁ~! 遅れちまったぁ!」
「……えっ?」
急に声を掛けられた娘は怪訝な目を向けた。
だがすぐに宿ですれ違った客だと気付いたようで『あっ』と声を上げてぺこりと頭を下げる。
話を合わせてくれたわけではなさそうだったので、刃天はそのままわざと大きな声を出して芝居を続けた。
「おお、なんだ頼んでおいてくれたのか? 気が利くじゃねぇか~!」
「あ、は、はぁ……。ま、まぁ……」
「おーい! 追加で二つ水くれねぇかぁ~?」
店の店員にそう声をかける。
これで他の客たちは“知り合いが先に席取っていたのか”と勘違いをしてくれた。
誰も何も文句を言うことなく、自分の順番が来るまで待っている。
上手くいった、と胸の内で悪い笑みを作った刃天。
届けられた水をぐっと飲みほしてから、声を落としてようやく娘と会話を始めた。
「んで? お前なーんで飯食わねぇのよ」
「……さ、財布……落としちゃって……」
しょもん……と体を縮み込めて声を落とす。
財布がないことに注文を頼んだ後で気付いたらしい。
お金を持っていないのに食べるわけにもいかない。
だが作ってもらった料理に手を付けずに逃げるわけにもいかないし……と葛藤していた結果、何もせずにその場で座っているしかなかったようだ。
見たところ、齢十七程度の娘。
しっかりしているように見えるが、刃天はすれ違った時のことを思い出す。
「あれだけの剣幕で飛びだしゃあ、注意も散漫になるってもんか。アオ、金はあるな?」
「まぁいっか。うん、あるよ」
順番待ちを完全に無視したが、意外にも乗り気になったアオは懐をまさぐる。
そしてジャラッと一つの財布にまとめた金銭を見せてくれた。
見ただけでも確かに三人分の食事代を支払えるだけの金額はありそうだ。
「じゃあ奢ってやろうじゃねぇか。借り一つだぞ~?」
「えっ。あ、いい……んですか?」
「俺たちも順番待ちしなくてよくなったしな!」
小声でキシキシと笑いながらそう告げ、アオに注文を取ってもらうように頼む。
しょうがないなぁ、といった様子で手を上げ、追加で注文を取ってくれた。
全て任せてしまったが問題はないだろう。
娘はペコリと頭を下げてから、先に食事に手をつけた。
もうすっかり冷めていそうなものだが、息を吹き掛けて冷ましながら食べているところを見るに、丁度いい温かさなのかもしれない。
そして意外と……遠慮がなかった。
「あ……他にも頼んでいいですか……?」
「お? ……くはははは! 図太い娘っ子は嫌いじゃねぇぜ! 頼みな!」
「やった!」
「ま、まぁ僕たちのお金じゃないからいいか……」
娘は元気よく手を上げて追加注文を取る。
幾つか頼んだあと、また食事にありつく。
ここで聞いていいか一瞬迷った刃天だったが、娘に負けじと突っ込んだ問いを投げ掛ける。
「お前、なんで家を飛び出したんだ?」
「むぐ……」
「すげぇ音も聞こえたが……ひっぱたいたか?」
「だって……あまりにもパパが……」
食事が届くまでは暇なので少しばかりこの話に触れる事にした。
詳しく聞いてみると、あの宿は家族で支えてきた立派な店なのだという。
しかし母親が二年前に他界してしまい、今は二人で切り盛りをしているようだ。
最初の内は上手く回っていたらしいのだが、母親の尻に敷かれていた父親はその枷が無くなったため金遣いが荒くなってしまったのだという。
その結果借金を背負うことになってしまったり、家財を売ることになってしまったりと散々だったそうだ。
そしてつい先ほども宿屋として儲けた金銭を全て使い果たしてしまったことが発覚したらしく、思い切り引っぱたいて家出してきたとの事。
「ひ、酷い……」
「でしょー!? そうでしょー!?」
アオが同情すると、食ってかかる様に声を荒げる。
幸いほかの客も騒がしいので目立つことはなさそうだが、彼女の声は大きかった。
刃天だけは耳がキーンとしてしまい思わず耳を押さえる。
変なのに絡んでしまったか、と眉を顰めたがこれも一つの道なのだろう。
だがそこで刃天は首を傾げる。
今までに見つけてきたいくつかの道……。
これだけ多くの道を見つけることができているのならば、己の幸はやはり多いのではないだろうか?
(一人くらい殺したとて影響はなさそうだな)
そんなことを考えていると、ようやく料理が運ばれてきた。
机の上に置かれたのはこんがりと焼けてテカテカ光っている肉である。
気持ち程度に野菜なども添えられているが、大きな骨のついた肉が異質すぎて呆然とするばかりだ。
「……なんだこりゃ……」
「マームのお肉だよ」
「ま……まむ?」
「はいこれフォーク」
「……どうやって使うんだ」
アオはため息をつきながらフォークで肉をこそぎ取る。
そのままパクッと食べてお手本を見せた。
どうやら肉自体はとても柔らかくなっているらしく、一口サイズに切り取る事も容易らしい。
刃天は手本を真似て同じように食べてみる。
使ったことのない道具に若干四苦八苦したが、一口食べて目を瞠った。
「!? なんと美味な!」
「よかった。やっぱりどこの国でもお肉は美味しいよね」
「初めて食った! いや美味い!」
そのままがっつく刃天と、彼の発言に驚く二人。
宿の娘も食事を運ぶ手を止めてアオに小声で問いかける。
「……この人、どこの人?」
「詳しくは知らないです。ただ、とっても強いですよ……」
あっという間になくなっていく肉を見ながら訝しむ娘だったが、今は疑いの言葉を飲み込んだのだった。
◆
食事を終えた三人は宿へと向かって歩いていた。
この世界の調理された料理を食べて大変ご満悦の刃天は、腹太鼓を叩きながら夜風を楽しんだ。
随分味付けが濃かったが刃天としては丁度いい。
しばらくはあの店に通いたいな、と思いながらアオを見やれば金の計算をしていた。
まだ残っているのでがあるが、どうやら思った以上に出費が痛かったらしい。
宿屋の娘……名をラルというのだが、彼女がとにかく大食いだった。
いつもは控えているとのことだが奢ってもらえるということで遠慮なしに料理を頼みまくったのである。
あんな細い体の何処に入って行くのか不思議なものだ。
それに負けじと刃天も食べるものだから、あのが手にしている財布にはほとんど金が残っていない。
フードを目深にかぶったまま、大きく嘆息する。
一刻も早く金を稼がねば今後一週間の食事はもちろん、宿代も払えなくなるだろう。
宿代は三日分しか支払っていないのだ。
この三日の間に、追加の宿代と食事代を稼がなくてはならない。
「はぁー……。お家再興どうこうの前に……日々の生活の安定化から始めないとかぁ……」
「まぁまぁ難しく考えるな! その日を楽しまにゃ損だしなぁ!」
「それで散財してたら意味ないんだってばー」
「ま、それもそうだ」
贅沢も今日限りか、と澄ました顔でスパッと諦めた。
こういうことは何度も繰り返してきたのでそんなに苦ではない。
明日から仕事をするつもりなのだし、今日くらい羽を伸ばして散財しても罰は当たらないだろう。
さて、と刃天はラルを見た。
刃天の前に現れた新しい道だ。
彼女の父親とも関りあったことだし、何かしら関わってきそうな気はするのだが……。
本当にただの宿屋の店主とその娘、という場合もある。
もしかしたらあまり関わり合う必要はないかもしれない。
(この辺が曖昧だな……。次死んだらもう少し詳しく聞いてみるか)
死ぬ予定はないのだが、と笑う。
するとラルが視線に気づいたようで目線を向け、問うてくる。
「ねぇー刃天さんたちはいつまで泊って行くの?」
「んあ? ああー、人探しが終わるまでだな」
「人探し?」
刃天たちがここにいる理由は、アオに仕えていた使用人たちを見つけ出すことだ。
見つけ方などはまだ考えていないのだが……。
なんにせよ金が要る。
しばらくはラルの経営している宿を使わせてもらう、ということを説明すると大層喜んだ。
元より良い立地に立っていない宿屋だ。
少しとはいえ長居してくれる客は大歓迎なのだとか。
「んじゃ暫くよろしくね~!」
「ずいぶん人懐っこい娘っ子だな。わりぃ奴に足元掬われて連れてかれんじゃねぇぞ?」
「だいじょーぶでーす!」
アオと目を合わせて肩を竦める。
あの調子では警戒心も何もなさそうなので、悪い奴にはすぐ摑まるだろうな、と刃天は思った。
宿に戻って来た刃天とアオは、ラルに招くようにして開かれた扉に入ろうとしたのだが、そこで向かってくる足音を聞く。
嫌な予感がして足を止めて中に入るのを躊躇すると、宿の店主が飛び出してきた。
「らるぅうううう!! ごめんぇゥペギ!?」
「うっさい死ね!」
飛び出て来た瞬間、フルスイングで振り下ろされた手刀で簡単に意識を刈り取られてしまった店主は、地面に転がって沈黙した。
するとすぐに笑顔を崩さないラルに宿へ入るように勧められ、二人はピクリとも動かない店主を見ながら扉に入ったのだった。
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