1.3.地伝が語る


「早すぎるだろ。亡者刃天」

「は!? あ!? ……あ?」


 丁度掃き掃除していた鬼が呆れたように声をかけて来る。

 この鬼は一度見たことがあった。

 あの時……閻魔と喧嘩をしていた鬼だ。


 もうなにが何だか分からなくなってきた。

 頭の整理が追い付かず、思わず髪の毛を掻きむしる。


「待ってくれ……待ってくれ。何がどうなってやがる……」

「碌な説明もなかったからな。困惑しても無理はない。だが貴様には沙汰が下された」

「……待ってくれ」

「それが貴様の口癖か」


 鬼は箒を刀のように携えて刃天の側に近づく。

 混乱しっぱなしの頭を何とか整理しなければならないと思い、まず一つずつ問いを投げかけることにした。


「……お前名前は?」

「亡者に名乗る必要はないが、貴様とは長い付き合いになりそうだから教えておこう。地伝ちでんだ」


 そう名乗った男の鬼を刃天はよく見てみることにした。

 どす黒い赤色を基調とした地獄によく似合う立派な衣を身に纏っている。

 襟には炎などの刺繍が施されている様だ。

 若々しい見た目ではあるが眼光は鋭く、眉は常に吊り上がっている。

 相当几帳面な性格なのだろうと顔だけで理解できるほどだ。


 そして一本の大きな黒い角が額から飛び出しており、衣に隠れていてわかりにくいが筋肉もしっかりと付いている。

 細身ではあるが彼は鬼だ。

 他の鬼と相違ない力量を有しているのかもしれない。


「……なんで掃除してんだ……」

「もっと他に聞くことがあるのではないのか?」

「こっちゃ混乱してんだよ! 整えるまで付き合えや!」

「ふむ。貴様の問いに答えるならば仕事場を清く保つため、としか言えないが」


 そりゃそうだ、と刃天は胸の中で呟く。

 己は一体何を聞いているのか。

 地伝の言う通りもっと他に聞くべきことが山ほどある。


 あほらしい問いを投げかけたところで少しばかり冷静になれた。

 一つ息を吐いてから胡坐をかき、地伝に向きなおる。


「下された沙汰とはなんだ?」

「まぁ……そうよな。まず経緯から話そう」


 そう言い、彼は懐から小さな巻物を取り出した。

 止め紐を外してするりと開けば見た目に寄らず随分長い巻き物だ。

 するすると目的の文章があるところまで開いてようやく口を開く。


「亡者刃天。その若き生涯で四百十三人の生者を手に掛けた」

「生きるためだ。しゃあねぇよ」

「生きた時と生きた後は別物だ。生きた時に行った善行悪行で魂の濁りは決まる。貴様の魂は今まで見たこともないほどに濁っている」

「悪かったな」


 刃天からすれば、そんなことを言われてもどうしようもないというのが本音だ。

 しかし地伝もそこまで期待はしていないらしく、特に小言に突っ込むことなく話を続ける。


「閻魔様も仰っていた通り、濁った魂は罪を償い輪廻転生したとても同じ魂となる」

「……つまり?」

「濁りきった貴様の魂を世に戻せば再び貴様のような狂人が生まれ、罪なき者が生を全うできずにこの場へ来るということだ。そうさせぬために、閻魔様は貴様に一つの沙汰を下した」


 それが……やりなお死。

 濁り切った魂のまま転生させてもまた同じことが起きる。

 であれば、その魂に濁りが無くなるまで死をやり直させればいい。

 死ねぬ体を怨み死を渇望する者は多い。

 閻魔はそうなる様に仕向けたのだろう。


「過去に二度、この沙汰を下したことがある。亡者二名は二百年で根を上げた。制約も多くした故彼奴等は一度として人を殺すことはなかったがな」

「へぇ……」

「とはいえ貴様は別だ刃天」


 しかしこれは相当根気のいる作業であり、なにより運が大きく関わってくる。

 だというのに閻魔は刃天にもう一つの沙汰を下した。


幸喰らいさちぐらい

「人を殺すと幸が減るどうのってやつか? よく分からねぇんだけど」

「そのままの意味だ。人を殺せば幸が減る」

「なんか悪い事でもあんのか? 俺の人生に幸なんてもんはなかった気がするが」


 襲われ、奪われ、一人になった幼少期。

 物乞いで生を繋いだ十代。

 人を殺して生を繋ぎ、数多の人間を手に掛けてきた二十代。

 二十六年、まったくもって面白い事などなく地獄と呼ぶに相応しい日々だった。


 生き永らえるために必死に方法を探し、ようやく見つけたのが人斬りだ。

 強ければ多くを得られる。

 弱きものは淘汰される。

 奪ったもので豪遊したことはあったが、その奪う工程で己の強さを必要とした。

 考え直してみても、生きることで精一杯で幸を感じられる時などひと時もなかった気がする。


 だが地伝はそうではない、と首を横に振った。


「何がちげぇんだよ」

「この幸は運命的なものだ。例えば貴様が友と呼べる者と出会ったとしよう」

「ああ」

「幸がなければ、それそのものがなくなる」

「……?」


 まったく理解できない説明に眉を顰めた。

 言葉選びを間違えたか、と一人反省した地伝はもう少し噛み砕いて説明する。


「人の生……。人生は分岐路の連続だ。人はその分岐路を選ぶ権利がある」

「……おう」

「分かれ道は貴様が選べるという意味だ」

「おお」


 ようやく納得したのか刃天はコクコクと頷いた。

 ここまで噛み砕かなければならないのか、と地伝は一つ嘆息する。

 そこでひとつ、例え話をするため二本の指を立てた。


「友を得る道と、得られぬ道が存在する。貴様はどちらを選ぶ」

「そりゃあ仲間が増えりゃ楽しいからな。友を得る道を選ぶさ」

「ではそれが幸に左右されると言ったら?」

「……ん? どういうことだ?」

「この分かれ道が出現するのに、幸を必要とする」


 しばらくの沈黙が続いた。

 刃天はその意味をようやく理解することができたのだ。

 目を瞠って冷や汗をかいている。

 彼の様子を見てようやく事の重大さを理解したということを察した地伝は、追い打ちをかける様に説明を続けた。


「この分岐路は幸がなければ見つけられん。つまり友を見つけられる筈だった道が出現せず、食事処を見つける道が出現せず、刀を見つける道が出現せず……」

「おいおい待て待て! そ、それじゃあ……俺の道……なんにもねぇじゃねぇか!」

「そうだ。そういうことなのだ。それに加えて不運も加わり続ける」

「地獄かよ!!」

「ここよかましだがな」


 鼻で笑って巻物を巻き取ったあと、箒を動かし始める。

 これが『幸喰らい』のカラクリだ。

 しかしこれは人を殺さなければいい話なので、特に問題はない。

 今まで息をする様に行ってきたことができなくなるというのは、彼にとって苦行かもしれないがこれでも譲歩している方だ。


 なにせ、更生してもらわなければならないのだから多すぎる縛りは与えられない。


「では次の話だ」

「進めんのかよ!」

「幸喰らいの話は終わったからな。人を殺さねば良いだけの話だ」

「……異形は?」

「人の姿をしていたとて異形であれば異形に決まっているだろ。人間との判別もつんのか貴様は」

「……ッ! ッッ……!」


 直球で馬鹿にされてわなわなと手を震わせる。

 だが彼は鬼であり、素手で勝てる気は微塵もしない。

 怒りを拳に込めるだけに留めて何とか自制した。


「落ち着いたか?」

「殺すぞ……」

「さて、貴様を同じ世に放ったとしても更生することはできんだろう」


 刃天の言葉をスルーして説明を続ける。

 箒を一定の感覚で動かしながら、その場をゆったりと移動した。


「故に、異なる世に放り投げた」

「……緑の肌をした異形がいたが……」

「その世の生物だな。お主はそこで生きてもらうことになる」

「嘘だろ?」

「誠だ」


 間髪入れずに言葉を差し込んだ地伝の目は至って真剣だ。

 彼が嘘を言うことはないだろうし、実際日ノ本では見ることなかった異形をこの手で仕留め、そして異形に殺された。

 あんな化け物だらけの世で生きろというのか、と刃天は呆ける。

 今まで培ってきた常識の利かない世というのは不安しか湧き出てこない。

 生きていける自信が微塵も湧かなかったのだ。


 地獄より地獄。

 苦痛によって罪を償う地獄にいるほうがまだましなような気がした。

 何も分からず、頼れる者も誰もいない世で一人寂しく生きていかなければならない。

 幼少期と十代の時に経験した苦く苦しい思い出が蘇る。


 あんな想いは、もう二度としたくない。


「だが」


 地伝が呟く。

 次に彼から出てくる言葉に光を見いだせないか、と刃天は顔を上げた。


「救いはある」

「……どうすればいい」

「貴様は命を軽いものと見過ぎだ。仲間が死んでも慈しむこともせんだろう」

「……あ? 隙が生じて俺が殺されたらどうするんだよ」

「そういうところだ。貴様が命について学べることがあるならば、幸も増える。善行を成せばそれでも増える。微量ではあるが塵も積もれば山となる、だ。励むと良い」


 地伝は閻魔の使っていた机に向かうと、何かを手に取って持ち上げた。

 それは杓子だ。


「……!? おまっ! 待ってくれ!」

「では沙汰の続きだ」

「刀!! 俺の刀!!」

「……人を殺してはならぬというのに刀を欲するか」

「異形は殺してもいいんだろう!? そうだろう!?」

「まぁ、な。しかし刀は既にそちらに送っている」

「んじゃ何処だよ!!」

「はて、人が盗んだようだが。北へ行けば分かるだろう」


 その言葉を最後に、地伝が巨大な杓子を振り抜いた。

 横っ面を的確に捉えたその一撃は刃天の意識を軽く刈り取ったのだった。

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