1.2.やりなお死


「……はっ!?」


 意識を取り戻した刃天は上体を一気に起こした。

 己の手を見てみれば確かに感覚があり、空気も全て新鮮で緑の匂いを感じとることができる。

 五感は正常に機能しており、胸に手を置いてみれば確かに心臓の鼓動を感じ取れた。


 生きている。

 五感から感じられる全てがそう告げてくれた。


「お……おお……。おお、おお! おおおお! クハハハハ! あれは奇天烈な夢であったか!? 死んだと思うたが生きておるではないか!」


 急に活力が漲り、ばっと立ち上がって高らかに笑った。

 楽しい余生は未だに終わりを告げていない。

 まだまだ俗世を楽しまねば生きている意味がないというもの。


 早速歩きだそうとしたところで腰に手をやるが、あるべきものがそこにない。

 スカッと手を滑らせてそのまましばらく固まった。


 刀がないのだ。

 苦楽を共にしたあの刀がなければ生きていたとて意味がない。

 刃天は血相を変えて周囲を探し始めた。

 あれ以外の刀が自分の腰に居座ることなど許したくない。


 ガサガサと茂みをまさぐったり、大木を蹴り飛ばして苛立ちを露にしながら探すがどうにも見つからない。

 これはマズイぞ……と独り言ちて一度落ち着く為に深呼吸した。


「どこじゃああああああああああ!!」


 落ち着けるはずもなく、地面を蹴ってその場から移動する。

 ここか、そこか、と叫び散らしながら周囲を全力で探すがやはり発見には至らない。

 こんな森の中で一振の日本刀を探すのは骨が折れるだろうが、そんなことは関係ない。

 今すぐに見つけてやらねば己の気が済まないのだ。


栂松御神つがまつごしん! どこじゃああああ!」

「ゲギョ」

「そこかぁ!!!!」


 叫び声に反応するように獣が鳴いた。

 刃天は即座に踵を返して飛び込み、鋭い蹴りを見舞った。

 肉体にねじ込むようにして突き出した蹴りは見事に命中したようで、相手は四肢を投げ出して地面を転がる。

 苛立ちが最高潮に達していた刃天はギロリと相手を見下した。

 だがそこにいたのは、己が知るよしもない異形なる生物。


 緑の肌、飛び出した長い鼻、ガン開きした顔に不釣り合いな大きな目玉。

 薄汚い腰布だけを身に付けており、手にはこん棒を握りしめている。

 身長は子供の背丈ほどだろうか。

 緑色の肌をした気味の悪い生物が、刃天の鋭い蹴り技を喰らって昏倒している。


「……ああ? んだこりゃ」


 爪先でつついてみるが、もう動かない。

 いまの一撃で死んでしまったのだろうか。

 だとしたら相当脆い。


 しかし生きている可能性もあるので、完全に息の根を止めるためにこん棒を手にとって大きく振りかぶる。

 狙いを定めて振り下ろそうとした瞬間、脳裏にあの言葉が蘇った。


『貴様の幸が失われるだろう!』


 これは人なのか、という疑問はさておき殺生自体が良くない可能性がある。

 そこまで考えて頭を振るった。

 あれは夢であり、今は何の関係もない。

 己もそんなことを気にしてしまう程耄碌したか、と内心笑いながら手に持った棍棒を振り下ろした。


 鈍い感触。

 だが懐かしみのある心地良い手ごたえ。

 やはり自分は生きている、と改めて実感できる瞬間だった。

 それに幸が減るなどと言ったみょうちくりんなことも起きていない。

 今この場で分かるものでもないのかもしれないが。


「ちげぇ!! 栂松御神!! どこにいった!?」


 当初の目的を思い出して再び森の中を駆け巡る。

 自分がどこから来たのかもわからないので当てずっぽうで探す羽目になっているが、あの場でじっとしていても愛刀が帰ってくるわけではない。

 もしかしたら気絶している間に骸漁りがやってきたのかもしれない。

 もし見つけたら八つ裂きにしてやると歯を食い縛って怒りを制御し、血眼になって刀を探す。


 倒木を乗り越え小川を飛び越え、洞窟を横目に突っ走ろうとしたところで急ブレーキをかける。

 このような所に洞窟があるとは。

 もしかしたら暫くここを拠点に仕えるかもしれない。

 刀を探し出すことも大切ではあるが、まずは生きることを最優先としなければならない。

 生きていなければ人生を楽しむどころか、刀の一振りすら見つけることが叶わなくなるのだから。


 それに、もしかしたら骸漁りがここを宿にした可能性もある。

 中を覗いてみよう、と若干警戒しながら堂々とした立ち振る舞いで洞窟の中に足を踏み入れた。

 ふと、風が洞窟の中から吹き抜けて来る。

 どうやらこの洞窟は何処かに繋がっている様だ。

 しかし刃天に向かってきた風は激臭と呼ぶに相応しい異臭を纏っていた。


「くっさ! おん!? なんじゃごりゃ!」


 えづきながら洞窟を脱出する。

 どこかに繋がっているのは確かだが、獣か何かがここを棲み処としているのも間違いはなさそうだった。

 なにもないのにここまでの腐臭が洞窟からするとは思えない。


 中で腐肉や排泄物が放置されているに違いない。

 これでは雨宿りとして使うこともないだろう。

 何処に繋がっているか興味はあったが、服に臭いが染みつく前に早々にその場を後にする。


「グオオオオ……」

「……あ?」


 洞窟の中から唸り声が聞こえた。

 こんな腐臭のする場所によく入っていられるな、と思いながら視線を向ける。

 すると足音がこちらに向かってやってきているということが分かった。


 獣の類がここにいるということは分かっている。

 手に持っているのはこん棒という少し頼りない武器ではあるが、無いよりはマシである。

 どんな獣であっても対処くらいできるだろう。


「今晩の飯に丁度いいかもな」


 そうと決まれば早速迎え撃つ。

 好戦的な獣というのは熊くらいしか思いつかないのだが、もしそうであっても何とかなる。

 幾千と死線を潜り抜けてきたのだ。

 熊くらい仕留められないで山の中を生きていけるとは思えない。


 ずん、ずんとゆったりとした足取りで獣は向かってきているらしい。

 そこでふと、足音に違和感があることに気がついた。

 獣というのは基本的に四つ足で歩いているものだ。

 そのため足音などはそこまで聞こえないのだが、今洞窟から姿を表そうとしている存在はわざとらしく足音を立てている。


 歩調が大きい。

 随分大きな獣なのかもしれないが、熊でも二足歩行で歩きはしない。

 そう、今刃天が聞いている足音はまるで巨大な二足歩行をする生物の足音なのだ。


 そしてようやく、洞窟の暗がりから出てきた存在が刃天の目に映る。

 三メートルは優にあるであろう巨大な緑色の肌をした異形。

 人の姿をしているが顔面は先ほど仕留めた小型の異形と近しいものがある。

 しかし装備などはこちらの方が優秀で、見たこともない長剣に加え、体の所々にしっかりした防具が見て取れた。

 胴体に見合う防具だけは存在しないのか、筋骨逞しい肌が露出している。


「……お?」


 異形が長剣を振り上げる。

 口から飛び出した牙を食い縛つ様はまさに鬼そのもの。

 そして大きく踏み込み、強烈な一撃を繰り出した。


「おおおおおおお!?」


 これはまずい、と咄嗟に地面を蹴って跳躍した刃天。

 後方から地面が割れる音と強烈な唸り声、更に金属が軋むような音が聞こえてくる。

 今の一撃は刃天にとって見極めやすい速度ではあったが、あの怪力から繰り出される攻撃は掠っただけでも致命傷になりかねない。


 今手に持っているのは小さなこん棒。

 それに対し相手は切れ味こそ悪いものの、しっかりした分厚さを有した鉄製の剣。

 豪快に、乱暴に振るっても折れることない武器はこの異形にとってとても相性がいいものだった。


「待て待て待て待て!」


 地面から剣を引き抜く乱暴な音が聞こえる。

 唸り声もこちらに向けられているような気がした。

 いや、実際向けられているのだろう。

 だが刃天はそれを確認することなく早々を計った。


「冗談じゃねぇ!! こんなくそみてぇな武器で何とかなる相手じゃねぇぞ!!」

「グォアアアア!!」

「うっせぇな! そもそもなんなんだてめええええええ!!」


 後ろを振り向きながらそう叫ぶ。

 すると、目の前に何かが迫って来ていた。


「……あ?」


 死の直前、もしくは凄まじい危険を察知するとき、周囲の動きが遅くなることがある。

 これは刃天も何度か経験したことがあり、その時に限って九死に一生を得たり致命傷を負ったりと碌なことがない。

 今目の前で起きている現象はまさにそれであり、先ほどの異形が手に持っていた大きな長剣がここまで迫って来ていたのだ。


 だが相手は動きが遅いはずである。

 だというのになぜ武器がこんなにも近くに迫ってきているのか。


 視界の奥。

 焦点は迫りくる長剣を見ていたが、視界の外にあるぼやけた空間の中に異形が剣を投げつけた格好をしていたのが分かった。

 どうやら異形は武器を投擲したらしい。


 これを理解した瞬間、頭部に強い衝撃が走った。


「はっ!!!?」


 ふと気づけば、閻魔に沙汰を下された間に座っていた。

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