月と黒ひげ

太刀川るい

二人の勝利

そして彼女は剣を取り、その細い指でプラスチック製の樽に差し込んだ。


一瞬間をおくと、ぽん、と音がして海賊を模した人形が空高く打ち上がり、わたしたちは同時に叫び声を上げた。人形は天井近くまで行った後、月の弱い重力に引かれてふわふわと落ちてくる。その様子が面白くて私達は大声を上げて笑いあった。


キャリーと私が出会ったのは、ルナシティが建造された時のことだった。

軌道エレベータにつぐ公共事業として発足した人類初の月面都市。私の父はそこで働く技術者だった。


手続きをする父の隣で、私が不安そうに周囲を見渡していると、私と同じぐらいの女の子がこちらを見ていて、それがキャリーだった。私が声をかけようとすると、急に恥ずかしくなったのかその子はさっと踵を返し走り去ってしまった。狭いトンネルの中を遠ざかっていく彼女の足音を今でも覚えている。


子供は少なかったし、同性ということもあり、私達はすぐに友だちになった。


毎日、通信教育での学校が終わると、私達はルナシティを駆け回って遊んだ。キャリーは、ルナシティに出来た病院の患者で、月を治療施設として利用するプロジェクトの参加者だった。

「重力が弱いから、心臓にいいんだって」そう言ってキャリーは私の手を取って、彼女の胸に当てた。伝わってくる振動はなんとも頼りなく、私は胸を締め付けられるような思いがした。もし、私の心臓を彼女と取り替えられるなら、私は迷わずそうしただろう。


月の重力の下ではキャリーは、何の不自由もなく動き回ることができた。しかし治療を終え、いつか地球に戻るために定期的に訓練を積む人工重力室では、キャリーは途端にその軽快さを失った。まるで、見えない鎖を手足につけられているようだった。


ルナシティには、地球からやってきた人々が置いていった、よくわからないものが沢山あった。中でも多かったのが暇つぶしの玩具で、軌道エレベータにより安価に地球から物を運べるようになった恩恵を受け、世界中から様々なものが持ち込まれていた。中でもキャリーと私がお気に入りだったのは、前世紀の地球で作られた、海賊のおもちゃだった。


誰かがアンティークショップで他のおもちゃと一緒にまとめ買いしたものなのかもしれない。プラスチックの表面には傷が多く、塗装も剥げかけているけれども、黒いひげを持つ海賊の人形が樽の中に入っている。ダイヤルを回して、人形をセットした後、剣を模した小さなプラスチック片を差し込んでいくと、あるところで、バネの力により人形が打ち出されるのだ。


残っているのが奇跡のように思える色褪せた箱の表面には「危機一髪」という文字が書かれており、翻訳アプリで読み方を知った私達は、ずっとその名前でその玩具を呼んでいた。


一年が経過して、長期休暇の時期になった。私は一時的に地球に戻ることになった。キャリーは、宇宙港まで見送りに来てくれて、私の手をぎゅっと握ると、「休みが終わったら、すぐに来てね」と言った。それからどれほどの時間が過ぎるなんて、私は予想していなかった。


その日、私は地球の祖母の家に居た。

なんとなくつけていたテレビから突然ニュース速報が流れた。

父親が部屋から飛び出してくると、テレビの前に陣取り、じっと怖い顔で、興奮したような口調でまくしたてるアナウンサーの声に耳を済ませた。


軌道エレベータが破壊されたのだ。


その瞬間、私はキャリーのことを思い出した。


軌道エレベータを破壊したのが本当は誰だったのか、何の目的だったのか、今となっては何が真実だか誰にも分からない。破壊された軌道エレベータの破片は、赤道直下の国々に流星群を降らせ、それを鏑矢にして、戦争が始まったからだ。


戦争の時の記憶はあまりない。灰色の時代が続き、気がついたときには夢だったかのように突如終わりを告げた。目を閉じてまた開いた瞬間に時が飛んでしまったかのようだった。

永遠に続くように思われた戦争が終わった時、12年が経過していた。私はもうとっくに成人して、戦地から帰ってこなかった父親の代わりに家計を支えるために働いていた。


戦争の間、人々がルナシティのことを思い出すことはなかった。軌道エレベータは破壊されてしまったし、ロケットは宇宙に行く代わりに地球のあちらこちらに巨大な爆弾を運ぶのに忙しかった。だから、ルナシティの人が生きているのかも、死んでいるのかもわからない状態が続いていた。

戦争が始まってから少しの間はルナシティと地球は通信を取っていた。だが、戦争が激化すると、なし崩し的にルナシティは無視されるようになった。ルナシティは見捨てられたのだ。


一応、ルナシティは閉鎖環境でも資源を循環して利用できるように設計されている。だから、地球からの物資の供給が無くても、ある程度は持つはずだった。しかし、12年もの長期期間は想定されていない。だが、ルナシティの住民は死んでいなかった。こちらかの呼びかけに対してしっかりと応答したのだ。


私はそのニュースを聞くと、居ても立っても居られなくなり、家を飛び出だした。破壊された旧市街の向こう側から、満月が登ってくる頃合いだった。私はその美しい天体のどこかに、まだ生きているキャリーのことを思い描いた。


文明の残骸の上で、月は美しく、ただひたすらに輝いていた。


■■■■■■


目と目があった時、すぐにキャリーだとわかった。私が月を離れてから、50年近い年月が経過していた。キャリーの顔には皺が増えていたが、それは私も同じだった。


戦後の混乱を収集して、軌道エレベータを再び作り上げるまでに、なんという時間がかかったのだろう。ここまで来るのには苦労の連続だった。だが、なんとか私はやり遂げたのだ。


キャリーは私を見ると、ニコリと笑って、指を絡ませた。私はそのまま彼女を抱きしめた。涙が自然と頬を伝った。


キャリーのアパートで今までの話をした。キャリーはルナシティで、看護師をしている。もう治療は終わって、いつでも地球には戻れるらしい。

「ずいぶん、退院が長くなっちゃったけどね」そういって彼女は笑って見せた。50年、ずっと地球の重力に慣れるように、人工重力室での運動を欠かさなかったそうだ。


地球も大変だったけれども、ルナシティの方も大変だったと彼女は語った。自給自足への切り替えや、次世代への教育など、やらなければならないことはいくらでもあった。だが、キャリーはその困難な仕事をやり遂げた。私と同じように。


「ねぇ、これ、覚えてる?」

キャリーがそう言いながら持ってきたものを見て、私は目を丸くした。

危機一髪という、あのゲームだった。樽にはすでに何本か、剣が刺さっている。その途端に私は思い出した。あの日、キャリーと私は「帰ってきたら続きをやろう」と言って、途中でゲームを止めていたのだ。私の父が私を呼んで、一旦中断せざるを得なかったのだ。すっかりと忘れていたことだったが、その玩具を見た瞬間、その瞬間の様子が父親の声まで含めて、ありありと脳裏に浮かんだ。


「どっちからだったか、覚えてる?」

「うん、次はあなたからだった」

キャリーは皺の増えた手でそっとプラスチックの剣をつまむと、それをそっと差し込んだ。一瞬の緊張が、私達をあの頃に引き戻した。


「ねぇ、このゲームのルールって、覚えている? どっちが勝ちだと思ってた?」

私は、剣を手に持つと答える。

「うん、飛び出した方が負け」

「そうだったんだ。私は、飛び出した方が勝ちだと思ってた」

「えっ、そうなの?」

キャリーは、ほほえみながら頷く。

「違う子と話して、もしかして、って思ったんだけど、やっぱりそうだったんだ。なんか変だと思ったの。私が勝つと貴方も喜ぶし、私が負けると貴方も悔しがるもんだから」

そう言われた瞬間、私はとてもおかしくなってくすくすと笑ってしまった。

「でも、それが私達らしいかもね。どうせなら、ふたりとも勝ったと思ってた方が良いんじゃない?」

「そうね。じゃあ、最後、私の番ね。これで飛び出したら、わたしたちの勝ち」

キャリーはそういうと、慎重に場所を選んでゆっくりと剣を突き刺した。


ぽん、と音を立てて、50年ぶりに黒ひげが宙を舞う。私達は、きゃあきゃあと声を上げて、あの頃のように笑いあった。















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月と黒ひげ 太刀川るい @R_tachigawa

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