《後編》危機三発め――回避!

 ジェズと出会ってもうそろそろ一年だ。彼とは良い友人関係を築けているし、叔父のしっぽは掴めていないけれど襲撃はないし、ダニロ様は元気いっぱいだ。


 彼が病を患っているのは本当らしい。

 ただ、どうしても孫に早く結婚をしてもらいたかったから、余命は短いとの嘘をついていたのだそうだ。ジェズも騙されていたという。

 まったく、困ったおじいさまだ。


 生活は順風満帆。ジェズは騎手として何度も勝利しているし、私もすっかり厩舎職員の一員となっている。

 問題はダニロ様が、こっそり子宝祈願をしていることくらい。


 半年ほど前に一度ジェズが、『じいさまのために子づくりするか?』と訊いてきたけどお断りした。ダニロ様のことは大好きだけど、そこまではできない。……残り半年では出産も間に合わなかったし。


 あと一ヵ月もしないで、契約結婚は終わる。周りにどのように説明するかが難しいところだ。それよりももっと心配なのは――



 ◇◇



 夜会用の支度を終えると、ジェズが部屋に入って来た。

 彼を呼んできたメイドが、

「今日もお綺麗でしょう?」と話しかける。

「ああ、そうだな」と彼はメイドに笑いかけ、それから私に「美しいよ」と言って頬に軽いキスをした。

 とても自然で演技とは思えない。私も、

「ありがとう。ジェズも素敵よ」と返す。

 私の言葉は演技じゃない。本心だ。ジェズは知らないだろうけど。


「今日でジェズアルド様が恋に落ちて丁度一年ですね」とメイドが笑顔で言った。

 そうなのだ。今夜は記念すべき日だ。

「ルフィナ様の体調が整ってよかったです。このところ伏せ気味でしたものね」

「ジェズが看病してくれたおかげで、すっかり元どおりよ」

 ジェズがまた、私の頬にキスをした。

 本当に、彼は献身的に看病してくれた。心配させて悪かったと思う。でも、もう大丈夫。


「素晴らしい一夜になりますように」

 メイドの優しい祈りを受けて、ジェズと私は王宮に向かった。



 ◇◇



 満天の星空に浮かぶ丸い月。その銀色の光が照らす夜の庭園を、ジェズと腕を組んで歩く。多くの明かりが灯された王宮からは、かすかだけれど軽快なワルツが聞こえてくる。

 一年前と寸分変わらないシチュエーション。


 陛下たちへの挨拶を済ませたあとに、ジェズをガゼボに誘ったらふたつ返事が返ってきた。

『契約結婚を終える前に、あの場所で大切な話をしたい』と伝えたからだと思う。けれど私がそう言ったら、ジェズは『俺も』と真顔で短く答えた。


 ジェズの話とはなんだろう。気になるけれど、私がガゼボを指定したから訊くに訊けない。

 今夜の彼は、普段以上に気合をいれて装っている。胸には季節外れの深紅の薔薇まで差してある。もしかしたら想いあっていたご令嬢と、うまくいきそうだという報告かもしれない。赤薔薇の花言葉は愛だものね。


 そういえば例の親友は、今は別の素敵な青年の妻におさまって、とても幸せにしている。婚約破棄されてよかったのよ。クズは両親から絶縁されて、今どこでどうしているのか、誰も知らない。


 やがてガゼボに到着して、中に入る。ジェズが椅子を引いてくれて、腰かける。向かいにすわると思った彼は、私のとなりにすわった。

「ルフィナの話はなんだろう?」

「お先にどうぞ」

「いや、俺は後でいい。誘ってきたのはルフィナじゃないか」


 そうだけど、どうしよう。本当は話すことなんてない。

 ただ、このシチュエーションを作りたかっただけなのだから。


「ルフィナ?」

 ジェズが私の手を握った。ふたりきりでいるときにされるのは、初めてだ。

 一気に鼓動が跳ね上がる。

「言いづらいことなのか?」

「ええと」ああ、そうだ。いいことを思いついた。「このところ寝込んでいたでしょう? 実は――」

「どこか悪いのか!」


 ジェズが前のめりになって私の顔をのぞきこむ。

「違うの。お子を授かったみたいで」

「――は?」

 ジェズの表情が一気に変わる。

 私は顔を近づけて

「お願い、話を合わせて」と囁き声で頼む。

「どういうことだ」

「しばらく剣術の稽古はできないわ」


 カサリ、となにかの音がした。目を上げると、ガゼボの周りを剣を構えた覆面姿の男が六人、囲んでいた。


 ジェズが息をのんで立ち上がる。私も立ち上がりながら、スカートのひだで隠した切れ目に手を入れて、中から仕込み杖を引き抜く。

 鞘を外し構えようとしたところで、ジェズが私の前に出た。


「用があるのは俺だろう! 彼女には手を出すな!」

「どいてジェズ!」

 私の叫び声が合図かのように、周囲の茂みから人影が飛び出す。慌てる賊たち。すぐさま剣戟が始まる。

 後から現れたのはお父様、お兄様と近衛の精鋭たち。だけど隠れ場所が少なかったから、五人しかいない。

 ジェズを押しのけ、向かってきた賊の剣を仕込み杖で受ける。狭い中で細かい剣のかち合いが続く。


「ルフィナ!」

「ジェズは下がっていて!」


 と、近衛に倒された賊のひとりが、こちらに向けて手首をひるがえした。咄嗟に飛び上がってジェズに体当たりをして一緒に倒れる。間一髪のところで短剣がかすめ飛んでいった。


 だけど相対していた賊が私たちに向かって剣を振り上げている。私はジェズがいて体勢を立て直せない。咄嗟に左手で剣先を握り両腕を伸ばす。振り降ろされた剣が当たる。


 次の攻撃がくる前に仕込み杖を捨て、相手の足に飛びついた。賊は体勢を崩してよろめき倒れた。素早く相手の胸元に跨ると、スカートの隙間から取り出した抜き身の短剣を首元につきつける。


「ジェズ、無事!?」

「無事だ!」

 背後から声が聞こえてほっとする。

「ルフィナ、悪かった、もう大丈夫だ」

 頭上からはそう言う声がして、見上げるとお父様が立っていた。ほかの賊は全員倒れている。


「ああ、よかった!」

「生き証人を捕らえられた」と微笑むお父様。「これで黒幕を捕まえられるな」



 ◇◇



 ガゼボの椅子にすわり、お父様に簡易的に手当された私の左手を握りしめて、ジェズが泣いている。まわりには応援にきた近衛たちがいるというのに、お構いなしだ。


「すまない、俺のせいで」

「大丈夫よ、これくらい」

 本当はものすごく痛いけれど。厚手の手袋をしていたから、まだよかった。傷はそれほど深くないし、ジェズのためなら怪我なんて大した問題じゃないわ。だいたい――

「それに私は護衛よ。どうしてジェズが前に出たの。危ないでしょう?」

 ジェズは答えずに泣いている。


 わかっている。私を心配してくれたのだ。ジェズは優しい。近衛騎士が潜んでいると知らなかった彼は、私を助けることを自分の命よりも優先してくれたのだ。


「作戦を内緒にしていて、ごめんなさいね。敵を欺くには味方からというでしょ」

 ジェズが『ああ』とうなずく。


 この一年、襲撃がない理由を私なりに考えた。まずはそれなりに腕のある私が常にジェズのそばにいたこと。屋敷外でジェズひとり、もしくは私とふたりだけになることはほとんどなかったこと。そして公爵が案外元気いっぱいだったこと。


 これらから黒幕はジェズ殺害を急がず、機会を伺っていると私は判断した。では、離婚して私がいなくなったら?

 黒幕は動き出すかもしれない。

 それはどうしても防ぎたかった。ならば離婚前にかたをつけるしかない。


 そう思って、私はわざと仮病で寝込んだ。あたかも妊娠したかのように。私が男児を産めば、黒幕が爵位狙いならば殺すべき人間が増える。必ずその前に亡き者にしようとしてくるはず。


 だからお父様たちと、黒幕にジェズ襲撃をさせる計画を立てたのだ。


 ジェズにそう説明すると、ただただ『俺のせいで危険な目にあわせてすまない』と謝った。

「別にあなたを守るためなら、これくらい危険じゃないわ」

 首を横に振るジェズ。


「子を宿しているなら、無理はするべきじゃない」

 ん? 待って。

「だが教えてほしい。誰の子なんだ」

「違うわ! 作戦の一環よ。今説明したでしょ。黒幕を焦らせるため。さっき言ったのは、私は身重で動けないと襲撃者たちに誤解させるためよ!」


 ジェズが涙でぐちゃぐちゃの顔で私を見る。


「本当に?」

「本当よ!」

「ああ、よかった……!」


 ジェズが嬉しそうに笑う。

 その笑顔に胸が痛くなる。彼とはもう少しでお別れだ。

 この一年、私はとても楽しかった。

 ロイには申し訳ないけれど。正直なところ、ジェズにとても惹かれている。

 それを伝えたいとは思っているけれど、どのタイミングにするかは、まだ決められていない。


 と、ジェズが私の左手を離した。

 胸ポケットに差した深紅の薔薇を取る。


「ボロボロだ」

「そうね」

 茎は折れ、花は潰れている。


「今はこれしかない」とジェズが言ってそれを私に差し出した。

「愛している、ルフィナ。俺と結婚してほしい」


 涙まみれのまま真剣な表情をしたジェズ。

 ぼろぼろの薔薇は小刻みにふるえている。


 それを迎えにいく私の手もふるえていた。それでもしっかりと薔薇を受け取る。

「愛しているわ、ジェズ。あなたの妻になりたい」


 ジェズの顔がみるみるとろけていく。また、涙が流れているみたい。


「ルフィナ」

「ジェズ」


 薔薇を握った私の手にジェズの手が重なり、それから唇も重なった。

 頬以外のキスは、初めて。

 ドキドキしすぎて苦しいのだけど、これって普通のことなのかしら。


「おぉい、ルフィナ! やっぱり黒幕は予想どおりだったぞ!」

 遠くからお兄様が叫ぶ声が聞こえてきた。

「あ、いけね! 邪魔をした!」


 ジェズが離れる。

 彼は私の左手を優しくとると、甲にキスをした。

「まずは手当が先だったな。医師のもとへ行こう」

「そうね」

 薔薇を胸元に差す。


 私、幸せになるわ。


 ジェズを見る。

 目が合った彼はにっこりとして、私の頬にキスをした。

「幸せだ」とジェズ。

「私も幸せよ」

 彼と腕を組んで、ガゼボを出る。


 空には満天の星。降りそそぐ月の光に、かすかに聞こえる軽快なワルツ。

「とてもロマンチックな夜だわ」

「そうだな」


 そばにいた近衛騎士が『どこが!?』と言いたそうな顔を向けてきた。でも、気にしない。


 誰にもわからないだろうけれど、ジェズと私にとっては最高の一夜になったのよ。

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公爵令息を助けたら、護衛代わりの妻として強制的に結婚させられました 新 星緒 @nbtv

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