トラちゃん危機一髪

葉月りり

小さい丸いお空

 僕はトラ。

 あ、虎じゃないよ。


 僕は猫。今のママさんが言うには、僕はホワイトタイガーのような模様なんだって。だからトラ。みんな僕のこと良い猫だ、綺麗な猫だと可愛がってくれるけど、僕は見た目がいいだけじゃないよ。都会の室内だけしか知らない猫達とは違ってちゃんと仕事をしてるんだ。ネズミだって取るし、カラスを追い払ったり、畑でモグラを取ったこともあるんだ。


 今日もご飯を食べたら、ナワバリの見回りだ。おウチを出たら妙見様を横切って、白菜畑のトンネルの隙間を通り抜けて、よそのお家の生垣を何軒かくぐり抜けて八幡様の森まで来た。ふかふかの落ち葉を踏んで歩き回って、木の根元の匂いを確かめて、時々木の幹で爪を研いで。


 その時、落ち葉の下で何か動いた気がしたんだ。匂いはして来ないけど、何かいる。落ち葉がそよっと動いた辺りに狙いを定め、姿勢を低くして手足を何回か踏んでタイミングを取って…今だ! 僕は落ち葉に向かって狙い通りに突っ込んだ。


 あれ? 獲物どころか地面の手応えもない。あれあれあれ? 目の前が真っ暗だ。ズンとやっと地に着いた。不覚にも頭から落ちて足が横の壁に引っかかってる。なんとかくねくねして姿勢を戻したところでわかった。僕、穴に落ちちゃったみたい。


 すごく狭い穴だ。上を見上げると小さく丸くお空が見える。わー! 大変だ! 出なきゃ! ぴょんと跳び上がってみる。え? 全然届かない。目測ではいつも軽々跳び上がってる高さだ。でも、届かない。何度やってもかすりもしない。穴が狭すぎるんだ。いくら僕でも垂直に跳び上がるのは数十センチがせいぜいだ。どうする? 爪を立ててよじ登るか。ダメだ土が崩れて爪が効かない。どうしよう。出られない!



 畑から帰ってきたら、トラちゃんが見当たりません。いつもならお腹すいたとご飯の催促に来る頃なのに。


「ねぇパパ、トラちゃんいないね」


「今日は天気がいいから遠出してるのか、またどっかの畑でモグラと格闘してるのかもよ。かわいい雌猫でも見つけたかな。あ、あいつは去勢してあるんだった。大丈夫だよ。そのうち帰ってくるって」



 小さい丸いお空がだんだん暗くなってきた。何度も何度も何度も跳んだけど届かない。


ママさーん! ママさーん! パパさーん!

だれかー! だれかー!

出してー! ここから出してー!


大きな声で叫び続けても誰も応えてくれない。



 夜になってもトラちゃんは帰ってきません。「ママは心配性だな」と言っていたパパも心配し始めました。こんなこと初めて…じゃありません。前に一度自分の生まれた家まで帰ってしまったことがありました。急いでトラちゃんの実家に電話しました。


 トラちゃんは実家にもいませんでした。余計に心配になってきました。私は、いてもたってもいられなくなって、外へ飛び出してトラちゃんの名を叫びました。


「トラー! トラー! トラちゃーん!」


 妙見様まで行って呼び続けましたが、トラちゃんは出て来てくれません。


「こんな暗くなっちゃ探しようがないよ。明日の朝から探そう」


 パパの言うとおりですが心配はどんどん募ります。きっとどこかのお家に上がり込んで美味しいものをもらって帰るのを忘れてるんだとか、大きい獲物を仕留めて持ち帰れなくてその場を離れがたくなってるんだとか、良いふうに考えようとしますが、気がつくと車に轢かれたとか、用水路に落ちたとか想像してしまいます。早く早く、朝になってください。



 小さい丸いお空にお月さんがいる。喉が渇いて、お腹が空いてしょうがないのに何だか眠くなって来ちゃった。寝ちゃってもいいのかな。僕はこの穴の底でも丸くなれないことはないけど、今は座ったままでいたい。耳をピンと立てて少しでも音がしたらまた叫ぶんだ。あー、おウチに帰りたい。おウチに帰りたい。おウチに帰りたーい!

 少し眠ったのかな。小さい丸い空のお月さんはいつの間にかいなくなってた。



 眠れません。何か嫌な予感がして仕方ありません。何度も目覚まし時計を確認して、外が明るくなるのを待ちました。

 天窓が少し白んで来たら飛び起きて着替えました。靴を履こうとしたらパパに「ちゃんと食事して、水くらい持って!」と止められました。



 小さい丸いお空から陽がさしてきた。朝になったんだ。結局丸まって寝ちゃってたみたい。また叫んでみよう。


ま… ま た… たす…


声がうまく出ない。喉がカラカラだ。



 家を出て、トラちゃんを呼びながら歩き回りました。妙見様の縁の下、畑の植え込みの下、栗畑の敷き藁もめくってみました。でも見つかりません。近所中探しても見つからないままお昼になってしまいました。これはもう少し遠くまで探さないといけないかもしれません。



 また何度か跳んでみた。やっぱり届かない。でも、体を動かしてたら声が出るようになって来た。また叫んでみる。


ママさーん! 助けてー!

おウチに帰りたーい! おウチー!



 お昼に少し休憩してまた外に出ました。今度はもう少し範囲を広げて、近くの人にも聞いて歩きます。そうしたら、白菜農家の人が「白黒のトラ猫ならよくこの畑に来るよ。いつもここを通って八幡様の方へ行くんだ」と、情報をくれました。

 パパと二人、八幡様まで走りました。そしてありったけの声で呼びます。


「トラー! トラー! トラー!」



 あ! ああ!

ママさんの声がする! 助けに来てくれた!

手を壁について立ち上がって小さい丸いお空に向かって僕は思い切り叫んだ。


ママさーん! ママさーん!


喉が切れるかと思うほど痛かったけど、叫びに叫んだ。



 にゃー! にゃー!


 あ、猫の鳴き声が聞こえます。トラちゃんだ! 絶対トラちゃんだ! 八幡様の森の中から聞こえます。落ち葉の中に走り込んで耳をすまして、声を探ります。


 にゃー! にゃー!


「あっちだ!」パパが走ります。声がだんだん大きくなって来ました。もうすぐ近くです。でも、トラちゃんの姿はありません。どこかで動けなくなっているんでしょうか。


 にゃー! にゃー!


「トラちゃん! トラちゃん!」


トラちゃんの声はもう手に取るように近いのに姿が見えません。「なんか、地面の下から聞こえないか?」パパが気がつきました。じっとしてトラちゃんの声をよく聞いてみると確かに下から声がします。どう言うことでしょう。二人で落ち葉をかき分けるように這って声のするところを探します。


「あ、あああ、いたぁー」


パパが叫びました。



 ママさーん! ママさーん! 

叫び続けていたら、小さい丸いお空にいきなりパパさんの顔が現れた。

 わーっ! パパさんだー! 助けてー!

パパさんの顔がスッと消えて今度はママさんの顔が現れた。僕は立ち上がって小さい丸いお空に思い切り手を伸ばした。



「あー! 良かったー! 生きてるー!」

私はその場に座り込んでしまいました。パパは落ち葉の上に横になって穴に腕を入れます。「届くかな。かなり深いぞ」パパは肩まで腕を入れました。するとパパの腕を伝ってトラちゃんがかじり上がって来ました。私は飛び出してきたトラちゃんを抱き止めようとしましたが、トラちゃんは私たちのことなど見向きもしないで、一目散に走り出してしまいました。



 あー! 出られたー!

おウチに帰れるー! ママさんとパパさんが居たのはわかったけど、僕はおウチに帰りたいんだ。

おウチ おウチ おウチ! おウチに帰るんだー!



「大丈夫だ。うちに向かってる」パパはそう言うけど、私は走ってトラちゃんを追いかけました。トラちゃんはパパの言うとおりうちの玄関で戸をガリガリ引っ掻いていました。すぐに鍵を開けトラちゃんをうちに入れると、トラちゃんは用意してあった水とご飯をフガフガ言いながら夢中で食べ始めました。ご飯を足してあげながら私は涙が出て来てしょうがありません。ご飯がちょっとしょっぱくなってしまったかもしれません。


 パパは納屋からスコップを持って来て、「あの穴、埋めてくる。あれは自然薯掘った後の穴だ。掘ったらちゃんと埋めておいてくれないと困るよなー」と、また八幡様の森へ出かけて行きました。



 おウチにやっと帰れた。ご飯をいっぱい食べて、チュールもいっぱいもらって、体を拭いてもらって、その夜はママさんのお布団で寝たんだ。あったかくてママさんの匂いがして、ほんとに安心して嬉しくて、ママさんはなでなでしてくれて、頬擦りしてくれて、チューもしてくれたけど、僕はすぐに眠ってしまった。



 あれから一週間経ちますがトラちゃんはそれまでと全く変わらない生活をしています。外に出かけていくと心配になってしまいますが、止めることは出来ません。そして無事に帰ってくるとホッとして涙が出て来てしまいます。


「ご飯もよく食べるし、夜もよく寝てるから何も影響はないみたいね。あのご飯二杯目なのよ」


「しかし危なかっよなー。もし白菜畑の人が教えてくれなかったら、あの穴があのまま墓になってたな。ほんと危機一髪だったよな」


「やだ、嫌なこと言わないで」


私はまた涙が出て来てしまいました。



 あれ? ママさんが泣いてる。パパさんにいじめられたのかな。最近パパさんはチュールをくれたり、新しいおもちゃを買って来てくれたり、すごく優しいんだけどな。


 ふぁー、ご飯食べたら眠くなっちゃった。さて、今日はどこでお昼寝しようかな。あ、ここがいいや。前にパパさんがくれた段ボール箱。大きいのと小さいのがあるんだけど、小さいのが僕のお気に入り。そこにギュッと詰まって眠るんだ。うん、居心地最高。

 あー狭いところって落ち着くぅー。


おわり

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