第2話 灰色びいどろ(2)

 ひゅっと冷たい空気が喉を通り過ぎた。なぜこの男がそのことを知っているのか。聞くべきことは他にあるはずなのに、にこにこと細められる目元を答えを探すように見つめる。

「ここで簡単なクイズをしましょうか」

「は?」

「そんなにこわい顔をしないで。ちょっとしたクイズですよ。とても単純な」

 男はすっと俺から遠ざかるとゆったりと小さな小屋の中を歩き、椅子の背を前にし跨る。

「君、夢の中で夢を見ることはできると思いますか?」

 答えはわからなかった。だって俺は夢を見たことがない。霞や友達の、他人の話でしかその存在を知らない。

「これは薊くんには少し難しい問題だったかな」

 男はわざとらしく顔を顰め、小さな窓の方を向く。

「君はここがどこか知らない場所だと思っているようですが」

 三日月の形を作っていた目元がゆっくりと開かれる。口元が対を成すように弧を描いた。

「窓の外をご覧なさい」

 男の言葉と共に窮屈な手首が自由になる。軋む窓が嫌な音を立てながら少しずつ開いていく。夜の空気の匂いがした。青く、緑の多い香りだった。

「……こんな場所知らねえよ」

 見下ろした外壁は長い蔦と絡まってさながら童話で見た魔女の屋敷。見渡す限り灯りは一つもなく、人の気配がしなかった。広がるのは廃村と呼ばれるに等しい大地。

「おや? そうですか?」

 背後の男が不思議そうに語尾を上げる。笑みを含んだ鼻につく話し方だった。まるで思い通りにおもちゃが動き、楽しくて仕方がないというような。

「十数年育った町を忘れるなんて、君は随分と薄情な人だ」

 人形を嬲るように簡単に答えが落とされた。俺の知らない答えがその言葉の中にあった。指先が震える。喉の奥を熱が駆け巡る。眼下に広がるそれを捉え直す。ふと目にした時、違和感はあった。植物で覆われた小道、褪せた壁面に伝う蔦の隙間から見える淡いクリーム色。遠くに見える広場のロープが切れた遊具は父さんが作ったものに似ている。じゃああの寂れた建物の跡は、目の前に広がる荒れ果てた庭園は。

「…………」

 喉がカラカラに干上がる。目の奥が熱い。息を吐いてるのか吸ってるのかわからなくなる。捻る首がぎりぎりと音を立てる。

「……お前が殺したのか?」

 家族を、友人を、この町を。三日月目の男はくすくすと笑い、

「さあ? 君はどうだと思います?」

 思考がぶちりと燃え消える音がした。男の襟元を掴む。目を細めたままの男の顔が近づく。拳を握りしめた時、男は小さく呟いた。

「……面倒なガキですね」

 ぐっと手元を抑えられる。抗えない強い力だった。

「こんなに手のかかる子だとは聞いていませんでした。久しぶりに依頼を引き受けたらこれだ」

 開かれた白銀の瞳と視線が合う。にこりと細められる目元に寒気がする。

「薊くん、私には時間があまり無いのです」

 有無を言わさない声が耳を撫でた。

「君、私と取引をしませんか?」

 何もかも壊した男と取引だと? 冗談じゃない。喉奥で熱が渦巻いている俺に冷たい声が言葉を続ける。

「良いことを教えてあげますよ。一つ目に私は何も、誰も殺しちゃいない。二つ目に今の君を私は少し知っている。」

「父さんや母さんを殺したのはお前じゃないって、それを簡単に信じろっていうのか!」

「君が信じるかどうかなんて私はどうでもいいんです。ただ取引をするか否か。それだけを聞いているのです」

「取引……」

 ごくりと喉が鳴る。燃えるような熱は少しずつ冷めていく気がした。目の前の男は相変わらず胡散臭かったが、その口ぶりは嘘をついているようにも見えなかったのだった。どうせもう、今の俺には何も無い。

「お前の言いたいことはわかった」

「では私の条件を呑むと?」

「ああ」

 頷いた俺に男は口元を緩ませた。気味の悪い笑い方だった。

「君は今から決して私の邪魔をしないこと。そうすれば君が知りたがっていることを教えると約束しましょう」

「わかった、約束する」

 答えたと同時に男は何かぶつぶつと言葉を唱えた。光が足元からぱちぱちと浮かび上がり、瞬く間に全身を包む。

「ちょっと飛ばしますよ」

 そう言って当たり前のように差し出された手を、自分の意思で掴んだ。

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